第11話 人型蒸気戦車

「ぎゃぁぁぁぁッッ!! そうだよ確かだ! 『CT―36』!! 通称『腕付き!』ルーシェ軍技術部が粋を結集して作り上げたはいいが操縦が複雑すぎる上に使いどころがなさすぎるため実用に至らなかった幻の人型蒸気戦車!!! んぉぉぉッ!! こんなところで拝めるなんて! やっぱり付いてきて良かった! サイコーすぎる! ヤベぇっパネェぇぇ!! カッコ良すぎるぅぅ!!」


 今まで案山子のように静かだったダーシャが取り憑かれたように喋る。そして踊る。迫り来る戦車を前に身体をクネらせて激しく身悶え、かと思うと唐突に跪いてキュっと身を縮ませた。


「……アハ、ちょっと濡れて来ちゃった」

「ハーニャさん! ちょっとこの子大丈夫ですか!?」

「ダーシャは機械とかが大好きだから……でもとっても頭が良くていい子なんだよ?」

「そんなこと言ってる場合か! 来るぞ!」

「総員退避ぃぃ――ッッ!!」

「退避ってどこに!?」


 左右は巨大な鉄の壁に阻まれ逃げ場はない。背後の姿見はいつの間にか消失し、前方と同じく広い通路が続いていた。戦車が五輌並べるくらいの大幅の通路だが、その戦車が五輌並んで迫ってくるのでどうしようもない。


「どこでもいい! とにかく走りなさーい!」


 アンナ嬢の号令でひとまず戦車と逆方向へ走り出す。しかしダーシャは通路の真ん中に座り込んだまま、目を輝かせて戦車に見蕩れていた。


「あぁ、くる……来ちゃう……幻の機体がボクに向かってくりゅぅぅ……ひとつでも死ぬほど嬉しいのに五つなんてむりぃ……死んじゃうよぉ、嬉しくて死ぬぅぅ!!」

「物理的に死ぬぞバカが!!」

「やだ! 離せ! ボクはもっと近くで見るぅ! 見るんだぁぁッ!!」


 ダーシャの首根っこを掴むも、ジタバタと暴れて振り解かれる。不毛な揉み合いをしている内に人型戦車は目の前まで迫り、振り上げた腕を僕らに向かって振り下ろしてきた。


「ちぃぃッ!!」

「うわッ!」


 ガツンと重い打撃音が弾け、衝撃で骨がキシんだ。


 すんでのところでダーシャを横抱きにして跳び、直撃は回避したが、巨大な拳は爆音と共に鉄の床を歪め、深くめり込んでいる。直撃を受ければ人間の身体なんぞ粉々だろう。一撃の余波が骨までビリビリと響いていた。


「化物め!」

「あぁぁぁん! 骨が! 骨がぁぁッ!!」

「どうしたダーシャ! 骨が折れたか!?」

「骨が痺れるぅぅぅ!! すっげぇ衝撃! さすが千馬力! 重戦車級のボイラー二機も積んでるんだぜアレ! すごくね!? 駆動に圧力を回しつつもこの威力ぅ! あン、キくぅぅぅぅ……だめ、もうイキそう」


 殺意が、芽生えた。


「見捨てるぞキサマ!!」

「おっとマズいよ! 蒸気だ!」


 ダーシャが急に我に返り、足元を指差す。

 床にめり込んだ人型戦車の拳が持ち上がった瞬間、圧迫されていた床下配管に亀裂が入ったのだろう。猛禽類に似た咆哮を上げ、けたたましく蒸気が噴き出した。


「熱ッ……くないッ! ぬるいだと!?」

「アハハハ! 気持ちいいね軍人くん!」


 腕の中でダーシャが大笑する。

 本来、圧縮蒸気の温度は四百度にも匹敵するはずだ。それなのに僕らを直撃した蒸気の温度はぬるま湯程度、まだ圧力が上がっていなかったのか、あるいは別の問題か、ともあれ全身火傷は逃れられたようだ。


「……チィッ! 視界がッ!」


 しかし、立ち上る白い蒸気によって視界が塞がれ、身動きが取れなくなってしまう。危機的状況に陥っているのには変わりない。ダーシャと二人でずぶ濡れになりながら、四方の、腕を伸ばせば届くような距離を、巨大なキャタピラが走り回る振動に意識を凝らした。下手に動けば巻き込まれてペチャンコにされてしまいそうだ。かと言って、逃げなくても同じ結果になりそうだけど……


「……しまった!」


 頭上、白煙の向こうでキラリと何かが光った。

 それが人型戦車の頭部に設置された可動式潜望鏡だと悟った瞬間には、蒸気の煙幕を薙ぎ払い、鋼鉄の巨拳が僕たちに迫っていた。回避が間に合わない。


「だぁぁぁ~~ッ!! もういやぁぁ~~ッッ!!」


 遠くで苛立ちを極めたアンナ嬢の悲鳴が聞こえた。その瞬間、急激に視界が晴れた。身体を覆っていたぬるい蒸気が失せ、目の前に大岩の如き人型戦車が姿を現す。その、さらに頭上、白い蒸気が猛烈な勢いで集合し、ひとつの巨大な水玉となっていた。


「ぶ、ん、どりゃぁぁぁぁッッ!!」


 蒸気の大玉は直上から戦車の腕へぶつかり飛散する。僕とダーシャは滝のようなお湯を浴びたが、戦車の一撃は左へ逸れて空を薙ぎ、一命を取り留めた。


「走ってトータ!!」

「はいッ!」


 戦車に背を向け、ダーシャを抱えたままアンナ嬢の声が飛ぶ方へ駆ける。


 思えばそうか、蒸気とは即ち水蒸気、『水』だ。手遊びしか出来ないと言っていたが、なんだ、十分に戦闘流用できるレベルじゃないか。


 アンナ嬢は通路の真ん中に仁王立ちして僕とダーシャを待ってくれていた。走り寄る僕とアイコンタクトを交わすと、両手を前に突き出し深く腰を沈める。


「ど、せぇぇぇぇぃぃぃッ!!」


 さらに一撃、ガァンと重々しい打撃音が背後で爆ぜた。


「凄いじゃないですかアンナ嬢! 大したこと出来ないって言ってたのウソだったんですね! このままやっちゃってください!」

「ムリムリムリムリムリ!! こんなの何回もやってられない! もうしたくない!お家帰りたいぃぃ!!」


 僕たちが追いつくと、アンナ嬢もくるりと反転して脱兎のごとく逃げ出す。振り返れば、蒸気の幕を抜けて五つの巨影は未だ健在に僕たちを追いかけて来ていた。


「無傷かよ!」

「トーゼンだ! アレがどれほど分厚い装甲を積んでると思ってる! あんな水鉄砲じゃ傷一つつかんわ! フハハハハハ!!」

「やかましいな君は……何ッ!!」


 腕の中で偉そうに語るダーシャを見下ろし、僕は息を飲んだ。


 ……デカい。


 激しく動いたせいでダーシャのローブが解けていた。学制服なのか、シンプルなブラウスにフレアスカートという出で立ちだったが、僕と一緒にずぶ濡れになったせいで、ブラウスの布地が肌に貼り付いて彼女のボディラインがあらわになってしまっている。


 その、胸部の膨らみの巨体なこと、まさに双丘……いや山と例える如し。

 踏み出す度に柔らかくぷるん、っと、かつ激しく揺れ踊り、振り飛ばされた雫が僕の頬まで飛んでくる。揺れて動くほどに、ずしりとした重みが僕の腕まで伝わってくるようだ。目算ながらハーニャさんよりふた回りは大きいんじゃないか?


 さりとて単に太っている訳ではなく、お腹回りはキュっと引き締まっていて淡く浮いて見えるおヘソがまた視線を誘惑してくる……顔は地味だというのに、なんというか、スゴいなこの子は!


「ん? どうしたのかな軍人くん? そんなに見られたら照れるじゃないか……」

「……はッ! しまった僕としたことが! 戦闘中になんてよそ見を!」


 ダーシャに意地の悪い笑みを向けられて我に返る。全く目の保養だ……違う、そうじゃない!


「ちょっとトータ! その学生は置いといていいからなんとかしなさい! 気合でなんとかして気合で!」

「歩兵が戦車に勝てますか! そういったムチャクチャな精神論で指示を出すから無駄に戦場で血が流れるんですよ!」

「歩兵が勝てないからこその戦車だぞ! むしろ勝つことはボクが許さん!」

「えぇ……なんで私こんな怒られてんの? ならどうしろって言うのよぉぉ!!」


 僕たちは軽いパニックに陥りながらも通路を真っ直ぐに逃げ続ける。僕はまだ両腕に柔らかい重みを意識しながらも、邪念を振り払って強引に理性を引っ張り上げた。今はふざけてる場合じゃない。状況を分析し、最適な判断を導き出すのだ。とは言っても前にしか逃げ場がない。せめて、狭い隙間でもあればいいが、左右の壁には切れ目がない。ようやくあったと思えば、それは単なる十字路で、どの方向にも同じ広さの通路が伸びているだけだった。


「角を曲がりたまえ軍人くん、アレは重心が高いから急な方向転換に弱い」

「だそうですアンナ嬢!」

「左旋回ぃぃ!!!」


 全力疾走のまま左の通路へ。相変わらずランプの臙脂色に照らされた鉄の床と鉄の壁、蒸気を噴く配管が入り乱れた景色が広がっている。空の上がどうなっているかは暗くて見えないが……排熱の籠ったような空気の感じからして、屋外ではなさそうだ。


「ふむ、どういう施設なんだろうなココは……工場っぽくはあるけど何かを生産しているようには見えないし、でもこんなに配管があるんだから、何かしらを動かしてはいるんだろうけど」


 僕の腕の中から悠然と観察しつつ、ダーニャが述べる。同意見だが、それよりもさっきから気になることがあった。


「ところでリザとハーニャさんが居ないんですが!?」

「ふにゃ! ホントだ! どこ行った!?」

「オレはいる」


 声の方、即ちアンナさんと逆方向を振り返ると、いつの間にかリザは僕たちと並走していた。


「無事だったか! ハーニャさんは!?」

「……ごめん、はぐれた。轢かれてはないだろうけど」


 リザは僕と背後へ視線を配り、短く答える。

 その視線の先……つまり僕たちが駆け抜けてきた十字路に、全力前進状態の蒸気戦車が突っ込んでくる。あわやそのまま直進するかと思った瞬間、蒸気戦車はその上体を深く屈め、片腕を床に突き刺した。


「マジかッ!!」


 猛進する蒸気戦車のキャタピラは勢いのまま滑り、腕を軸に半回転、強引に方向を変えて、速度を殺さぬまま僕らに追いすがってくる。


「キャタピラでドリフトしたぁ!?」

「やっべ!! スゲェパネェェ!! そうだよ! 操縦手が人間の二十倍速くらいで動けば構造上はあんな芸当も可能なんだよ! やっぱり『腕付き』サイコぉぉぉ!! ロマンだよロマン!」

「おいリザこいつ燃やしてくれ!」

「……あぁ、うん」


 走りつつリザに絡むものの、鈍い返事しか返ってこない。見れば表情も何か思いつめたように曇った色を浮かべていた。


「あれ? どうした? さっきからえらく無口じゃないか?」

「……いや、正直、こんな大勢で動くの初めてだし、なんというか、どうすりゃいいか分からないっていうか……」


 走りながら髪を梳き上げ、リザが照れくさそうに言った。さては大人数になったら急に立ち位置掴めなくなって孤立しちゃうタイプの子のか!


「焦らずゆっくりお友達と仲良くしていこう! 頑張れリザ!」

「気色悪い! なんだその微笑ましい顔は!」

「手始めにコイツ持っててくれ!」

「わきゅぁッ!」


 僕はダーシャをリザに投げ渡し、腋から四十四口径を引き抜いて反転する。


 あの蒸気戦車は、ただまっすぐ逃げるだけの僕たちを機関銃の類で撃って来ない。決め付けるのは危険だが、おそらく飛び道具の類を乗せていないのだろう。だとすれば、近づかない限りは大丈夫なはずだ。


 激震が迫る。通路を埋め尽くし、キャタピラを床に切り付けながら、五輌の巨人が壁の如く襲い来る。ぞくりと全身の肉で死を直感した。けれど恐怖を押し込みその場に腰を据え、銃を持ち上げて僕は引き金を引いた。


 まずは頭、次に装甲が厚かろう胴体、足元のキャタピラ部から胴体の結合部、そして肩の関節を狙い撃つ。さすがの大口径は反動も強く、右手と肩が千切れ飛びそうだった。しかしその分威力は高い。照準が狂っているものの、銃弾は大きな的を外さず全弾命中。だが、やはり戦車の装甲だ。弾丸は装甲を凹ませて鋭く跳ね返り、明後日方向に跳弾した。


「そりゃそうだよな!」


 万が一にもハリボテか何かであってくれと願ったが、どうにも本物らしい。

 蒸気戦車は白煙を噴き、激震と共に僕の目の前にまで迫る。


「トータ!」

「大丈夫です!」


 アンナ嬢の悲鳴に答えつつ戦車に飛び乗り、九ミリ自動拳銃に切り替えて壁を這い回る配管を撃ちまくった。命中した箇所から蒸気が噴出し、圧力のまま銃痕を押し広げて爆発。思った通り、瞬く間に通路はぬるい白霧で埋め尽くされた。


 本来の高温なら、僕もろとも蒸し焼きで終わっていたところだが、あいにくとそうはならない。


 狙いは同士打ちだった。


 ようやく戦車五輌を横並びに出来る通路で、わざわざ戦車五輌で並んでいる。僕らにとっては十分広いが戦車には狭いだろう。面による制圧で逃げ場をなくしたかったようだが、それは同時に、戦車にとっての可動域が狭いことと同義だ。


 蒸気で視界が塞がれた中、下手に動けばどんな優秀な操縦手だろうと味方との衝突は避けられない。五輌の内、一輌でも故障してくれたら万々歳だ。


「……凄いな」


 しかし僕の狙いは外れた。


 操縦席のレンズには水滴と白煙しか映っていないだろう、なのに、蒸気戦車の腕は味方機体上の僕のみを精密に殴りつけたのだ。正確に言えば、僕自身も視界が塞がれた中、訳も分からず唐突にブっ飛ばされただけだが、そうとしか考えられない。


「大した操縦手だ……」


 僕は衝撃のまま床を転がり、床の鉄板に血を吐きつけた。体は横たわったまま動かない、全身の骨という骨が砕け、内蔵に喰い込むようだ。眼球に血が滲み、視界が赤く染まる。身体からどんどん血が流れ出ていく、同時に体温が失せていく。


 死という概念が、現実となって身体を蝕むようだった。


「……いやぁ、多分違うぞ軍人くん。あれは多分パンナトッティが魔法で操っているんだ。いくらなんでも、生身の人間にアレの操縦は不可能だよ」


 ダーシャの声がして、身体の上に暖かいものが覆いかぶさる。微かな視界で、それが彼女の身体だと認識した。


 ダーニャは一切の躊躇もなく、そのまま僕に顔を近づけてくる。


「どれ、痛そうだね……少しガマンしたまえよ?」


 濡れたダーニャの唇が、僕の唇に重なった。厚く、柔らかい唇の感触がして、蒸気の味がして、その次に、口から何かが入り込んでくる。


 熱く、力強い、四肢に満ち渡るような、不思議な感触の何かだった。


「……ふぐッ!」


 視界が回復する。身体の感覚が死の淵から強引に引き上げられる。意識がはっきりと覚醒しても、なお『何か』はダーニャと重なった唇から口を通り、体に押し寄せてきた。身体が破裂しそうになる度、心臓が締め付けられ、ビクリと身体が跳ね上がり、痛みが少し消えていく。


「……ぅ、っぐ!」

「……んッ!」


 僕は身悶えるままダーニャの背中を抱きしめていた。柔らかく、暖かい感触に、どこまでも腕が食い込んでいきそうで、心地よい。夢中でさらに強くしがみつき、自分の胸に押し当てていく。


「……ん、ぷはッ! 苦しいぞ、軍人くん」

「悪い、ダーシャ……え?」


 気づくと身体の痛み全てが引いていた。出血は止まり、心臓も動いている。視界はぼやけているが、それはダーシャの顔が鼻を合わせる距離にあるからで、彼女が重々しく身を起こすと、丸めがねの似合う顔がハッキリと見て取れた。


「ふにゃぁ、無理だ、起き上がれん。こんなに疲れるものなのか」


 ダーニャが僕の胸にペったりと倒れる。

 ……不覚ながら、ぐにゃりと潰れる肉の塊にときめいてしまった。


「ほれ、命の恩人をだっこしたまえ」

「これは……魔法なのか?」

「ああ、ボクが使えるのは土の魔法なんだがね、土は生命力の塊だから、荒業ながらそれを直接吹き込んで、傷を治すことも可能なんだ。母さんの見よう見まねだが、うまくいったなら、なにより」


 身体を起こしてダーシャを横抱きにすると、彼女はひどく眠そうな顔で語り、自分の唇をペロリ舐めた。


「ふむ、しかしキスとはこんな感じか……なんの感情もなくても意外に気持ちいいな」

「ホントになんの感情もなさそうだな……」

「色恋沙汰も純潔がどうこうにも興味ないからね、そもそも魔女なんて穢れてなんぼだし……おや? 軍人くんは随分と顔が赤いね、照れてるのかな? 軍人なんて三日に一回は娼婦を抱くもんじゃないのか?」

「偏見はやめろ。そんな経験はない」

「なにはともあれ、命の恩は追って返してくれたまえ……ふぁぁ……」


 ダーシャは大きくあくびをすると、僕の肩にコテンと頭を乗せて深く身を沈める。


「アレが壊れるところは見たくない……事が済んだら起こしてくれ。おやすみぃ」

「おいこらダーシャ!」


 すぐさま心地よさそうな寝息が聞こえてくる。僕を助けるために魔法を使ってくれたようだが、こんな状況で安らかに寝れる度胸には感服せざるを得ない。


「こんな状況……で?」


 はたと気づいて顔を上げた。僕たちは蒸気戦車に襲われてたんじゃないのか?

 僕がどれほどの距離を殴り飛ばされたかは分からない。けれど、それほど場所を離れたとも、時間が経ったとも思えない。ここは戦場の最中のはずだった。


「……ハーニャさん?」


 僕とダーニャの前にハーニャさんが佇んでいた。

 そのさらに先には蒸気戦車が三輌、薄い蒸気の霧の向こうから頭部の単眼を光らせ、巨人の如く立ちはだかっている。


「……大丈夫?」


 涼しい顔で彼女が振り返る。まるで、転んだ子供を見守るような、穏やかで優しい表情だった。禍々しい蒸気戦車と相対するにはあまりに不釣り合いで、思わず気が緩んでしまう。


「ちょっと待っててね、すぐ終わるから……」


 彼女が再び向き直るより早く、その背中に巨拳が振り落とされる。


 呆気にとられながら、バラバラに砕けるのを眺めつつ、僕はようやく悟った。


 ダーシャが安らかに眠れた理由、アンナさんが彼女を連れてきた訳、そういえばリザも、身を絡ませてくる彼女に対して強い抵抗を示していなかった。


 きっと知っていたのだろう。過去の経験で、魔女の直感で、彼女が秘めた力を。


 立ちはだかっていたのは、彼女の方だった。


「『問題Что-Это?――』」


 一輪の風と共に粉々に砕けた蒸気戦車の巨拳、その残骸の雨の中、ハーニャさんは言葉を滑らせた。


アチチッгорячий! いつも怒って湯気を出してるのвсегда злюсь.c ильный пар.だぁ~れкто??』


 熱風が吹く、温度の上昇と共に瞬く間に霧が晴れ、蒸気戦車が赤く染まる。煙突から火山のように蒸気が吐き出され、三輌の戦車は次々に上体を傾げていく。機体内部の水がグツグツ煮えたぎる音が聞こえるようだった。


 事実、聞こえていたのかもしれない。急激な圧力上昇でバルブが弾ける音、ギアが砕ける音、クランクが暴走し自壊する音に加えて、蒸気戦車の断末魔が。


「――答えは『サモワールCамовар』」


 悪戯に微笑み、彼女が指を鳴らすと、また緩やかな風が吹き、蒸気戦車が頭から崩れ始めた。


 まるでボルトを緩められ、優しく分解されていくように。

 あるいはブリキのおもちゃ箱をひっくり返すように。

 あるいは砂山を崩すように。

 

 鉄骨をすり合わせ、呆気なく、三輌の巨人は鉄くずの山と化して、床に散らばってしまった。


「すごい……」

「ぜんぜん、そんなことないよ?」


 ハーニャさんは鉄くずの山に背を向け、僕たちに歩み寄ると、子供に語りかけるように屈み込んで微笑んだ。


「遅くなってごめんね? アンナ姉さんには極力戦わないように言われてたし……ダーシャも喜んでたから、すぐに壊しちゃうのかわいそうで……」

「壊しちゃうのがかわいそうで?」


 思わず復唱した。まるで、子供がガラクタを組み上げて遊んでいるのを、親が見守るような言い草と、表情だった。


「あとの二つは姉さん達を追いかけていったみたい。すぐやっつけてくるから休んでてね?」


 そう言って、その人は僕たちの前から立ち去った。

 後に残った僕はダーシャの安らかな寝息を聞きながら、ただ呆然と鉄くずを眺めていた。

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