第9話 風呂小屋①

 中断していた準備を進めていたら、あっという間に日が暮れ、出発の時間になってしまった。


 それでも用意できたのは九ミリ自動拳銃が一丁、手の平より小さいデリンジャーが一丁、猟銃が一丁、中折式の四十四口径の大型拳銃は最後まで照準が合わなかったが、一応持っていくことにする。試し撃ちで使った二十二口径の回転式拳銃はバックアップにしようかとも思ったけど、流石に多すぎるので置いていくことにした。刃物は厨房で包丁替わりにされていたダガーとサーベルを拝借。脇と腰にホルスターを巻きつけ、四十四口径と九ミリ自動拳銃をそれぞれ収めた。デリンジャーは使う場面が想像出来ないけれど、あるのと無いのでは大違いだ。邪魔にならないように、かつ敵の目を逃れやすいように、テープで足首に固定する。後は、ポーチとリュックにありったけの弾薬を詰め、それで良しとした。


 せめてどこに行って何をするか教えてもらえれば狙った道具を準備することも出来るけど、それがアンナ嬢にさえ不明らしいからとにかく使えるものを使うしかない。


「おい、もう行くらしいぞ。早くしろ」

「悪い、すぐ行く」 


 迎えに来たリザに急かされ、用意してもらった軽食を口に突っ込み、銃器をガチャガチャと揺らしながら正面玄関に向かった。


「また服変わったのか?」

「魔女の正装なんだとさ。動き辛い」


 リザはフード付きの黒いローブを忌々しげに引っ張ってみせた。闇に溶けるような色はなるほど魔女らしい。赤く光るリザの瞳は獣じみていて、おどろおどろしくも感じた。


「似合ってるじゃないか。カッコイイぞ」

「あのなぁ……お前、やたらとオレの事褒めるけど、ひょっとして気があんの?」

「実はそうなんだ。帰ったら一緒に暮らそう」

「……は?」


 ふとリザが足を止めてしまう。振り返ってみると、彼女は困ったような顔を浮かべて僕を睨んでいた。


「……ウソだよな?」

「……ユーモアは大事だろ」

「なんだよフザけんなよ! こっちは色々あっていっぱいいっぱいなんだよ!」

「意外と面白いな君は」


 犬みたいに唸るリザをポンポン叩いてやると、アッパーをお見舞いされる。相変わらず動きが鋭い。


 リザとじゃれあいながらも正面玄関に到着すると、既にアンナ嬢とハーニャさんが出立体制に入っていた。二人共リザと同じローブを身に纏い、暗闇に溶けるようだ。髪と瞳が月光を浴びて妖しく輝いている。ハーニャさんは長い髪を後頭部でお団子に結っていた。ポニーテイルも素晴らしかったけど、そうすると一気に気品が増して、アンナ嬢よりもお嬢様らしい……いっそ水の妖精の如く煌びやかでもあった。


 もう一人、初見の影があり、どうやらその子が噂の学生らしいが、僕が真っ先にすべきことは学生への挨拶ではなかった。


「ハーニャさんんん!! 先ほどは誠に申し訳ございませんでした!!」


 到着と同時にハーニャさんの足元へ土下座をかます。頭上で四人にドン引きされた気配がした。


「あ、あのあの! いえ! 私が悪かったので気にしないで! それより、私のせいでテラスに締め出されてたらしくて……本当にごめんなさい!」


 優しすぎる! この荒んだ世の中に聖母のようなお方だ!

 ……いや聖母は敵国の偉人か。


「ね? ほら顔を上げて? そんなことをされたら私が困っちゃうから」


 ハーニャさんの優しい手に肩を抱かれ、僕は顔を上げた。あれほどの狼藉、世が世なら問答無用で有罪判決だろうに。控え目に言って結婚したい。


「その軍人くんどうしたの?」

「あ、うん、ちょっとあって……ほら、トータくん、紹介するね? 私の学校の友達で、ダーシャっていいます、この子、とっても頭がいいのよ?」

「よろしく軍人くん?」


 跪いたままの僕へ、ダーシャなる少女が略式カーテシーを見せる。

 少年のようにも見えた。けれど女の子の名前の上、ハーニャさんの友達というのだから女の子なのだろう。丸い顔立ちで丸いメガネを掛け、何やら覇気のない目をしている。ブロンズ色の髪はリザと同じくらいの長さだが、雑草みたいにツンツン跳ねたリザとは違い、さらりと流れた綺麗な髪だ。


「トータです。よろしく。軍人じゃなくて元軍人。もう除隊してるよ」

「そうか。まぁ、北壁帰りと聞いているから期待している。よくよく働いてハーニャを守ってくれたまえよ。ボクの事は荷物か何かかと思ってくれたらいい。後ろから付いて行って勝手にやらせてもらうからね」


 覇気のない声で言うと、ダーシャは僕から数歩退くと、アンナ嬢と話すでもなく、リザを迎えるでもなく、案山子のように棒立ちを決め込む。まるでこの場にある全てに興味がないといった様子だ。


「ごめんなさい、悪い子じゃないんだけど、人とお話しするのが苦手なの。本人はあんなこと言ってるけど、守ってあげてね?」

「もちろんです。ハーニャさんのご友人とあらば塵一つ付けさせません」


 手を取って引き起こされると、そのままハーニャさんの手をキュっと握りしめる。あぁ、なんて柔らかく細く繊細な指なんだ。エメラルド色の瞳は月の光を返しますます妖艶に輝いている。絵本から飛び出して来たお姫様そのものと言いきれてしまう。じっと美顔を見ていると、意識が吸い込まれてしまいそうだ。


「当の本人の乳は揉んでるくせに」

「スケベヤロウ」


 後ろからアンナ嬢とリザの野次が聞こえるが無視する。


「はいはい、さっさと出発するわよ。トータ、そのデカい鉄砲とリュックは置いていきなさい。一応、お祭りだから、物々し過ぎたら顰蹙を買うわ」

「せっかく用意したのに……」


 渋々ながらも背中の猟銃とリュックを下ろし、近くにいた初老のメイドさんに手渡した。まだ、弾は込めていないので武器庫に返しておいて下さいとだけ伝え、歩き出したアンナ嬢たちの後に続く。


「どこ行くんですか? 正門はあっちですよ?」

「こっちでいいのよ、ついてきて」


 アンナさんは先陣を切って花壇の間を抜け、お屋敷の前庭を隅の方へ歩いていく。その後ろにリザとハーニャさんが並んで続き、その後ろに僕、ダーシャは言葉通り、僕の後ろを歩いていた。


「いい月ね、リザはこういうの初めて? 怖くない? 分からないことがあったらなんでも聞いてね? あら、綺麗な瞳、まるでルビーみたいね」

「うん、おう……いや、おう……悪い、あんま顔近づけないでくれ」


 リザがぬるぬると絡んでくるハーニャさんにたじろいでいる。優しすぎて積極的すぎるアプローチをどう扱っていいのか分からないのだろう。羨ましい。


 まだ雪の残る花壇を抜け、屋敷の外壁沿いに行き当たると、足元には雑草に覆われそうなほどの細い石畳の道が続いていた。本当に足幅ほどしかない細い道だ。ここに、これがあると知らなければ誰も気づかないような……その小道は屋敷と塀に挟まれた植木の密集地帯にまで続いている。


 植木の中はあまりに闇が深すぎて、まるで奈落の底にように見えた。


「暗いから気をつけてね~」


 その暗闇へ向け、アンナ嬢は明かりも持たずに進んでいった。


「すみません、これ、どこに向かってるんですか?」


 背中からハーニャさんに問いかけると、彼女は笑顔で振り返り、快く教えてくれた。


お風呂小屋バーニャだよ」

「……風呂バーニャ?」

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