第8話 魔女の口付け

 結局、他の人材は見つからなかったらしい。


 アンナ嬢はその後も街を走り回ったものの、健闘虚しく成果は得られず、夕方には見切りをつけて屋敷に戻り、出発の準備に取り掛かった。この時点で、メンバーは僕とアンナ嬢、リザ、ハーニャさん、夜に到着する学生の四人で確定だ。このままアンナさんのお屋敷に集合し、夕食を済ませたらいよいよ出発するらしい。そのことを僕は、初老のメイド長を通して伝え聞いた。


 僕といえば数々の狼藉の罰として、あれからずっと三階のテラスに締め出されていた。正直、あれ以上ハーニャさんの側にいたら心臓がおかしくなりそうだったので逆にありがたい。春も半ば、風も暖かくなってきているので、それほど苦もでもなかった。


「北壁は舌が凍るほどだったからな……」


 弾倉に弾を込め、装填して撃鉄を起こす。火薬の具合を確かめるだけなので、何を狙う必要もない。テラスから狙える適当な木を睨んで、引き金を引いた。


 ばぁん、と、不格好な破裂音が響き渡り、枝の一本が砕け散る。


「……怖いな」


 実を言うと、北壁では室内射撃場以外で銃を撃ったことがない。外で撃つと、銃声で雪崩が起きるのだ。もちろんのこと人を撃ったこともない。的にされた事はある。


「ともあれ、シケってないみたいだな。弾は十分使えるか……使うような事態になるのか知らないけど」


 魔法を前にして、拳銃が意味を成すのか大いに疑問だ。魔女と戦いたくば蒸気戦車を持って行け、とも言われるほどなのに、どんな状況で使うのだろうか。


「ビックリしたぁ……何今の音?」


 背後からの声に振り返ると、部屋からテラスに顔を出したアンナ嬢が、両耳を押さえて目を丸くしていた。


「すみません、アンナ嬢。火薬がシケってないか確認をしていました」

「そう……ムチャクチャデカい音するのね。なんで蒸気機関といい、鉄砲といい、男の作るもんってデカい音するのよ、あとクサいし」

「そう言われましても……」


 苦笑しつつ、たゆたう火薬と硝煙の匂いに鼻を向ける。確かにいい匂いではないけれど、この匂いを嗅ぐと北壁の、汗臭い野蛮な男たちを思い出す。花のような甘い香りが女性のものなら、確かにこれは男の匂いだろう。


 本来なら、そうあるべきだ。


「……ハーニャさんはまだ怒ってましたか?」


 恐る恐る問いかける。完全に嫌われたのは承知の上だけど、これからしばらく行動を共にするのだから、なんとか機嫌くらいとっておきたい。


「最初から怒ってないわよ。あの子、優しいから。『私のせいなのに叱らないであげてー』ってせがむもんだから、アンタのこと呼びに来たの」


 天使か、彼女は……いや天使は帝国言語か、彼女も魔女なのだ。


「優しいんですね……」

「ホント、優しいのよ、どうしようもないくらい……」


 ほんのわずかに、アンナ嬢が陰りのある苦笑を見せる。しかし、髪を払うと同時に、普段の凛然とした微笑へ戻し、僕に歩み寄って袖を摘まんだ。


「ほら、晩ご飯にするから来なさい。食べたら出発よ」

「学生はもう来たんですか?」

「ええ、とっくに。顔合わせも必要でしょ?」

「ありがとうございます。でも、遠慮しときます。パン切れか何か貰えたら、僕はもう少し準備して、先に馬車で待ってますので」

「あら、なんで? 遠慮しないでいいのよ?」

「女性ばかりの席じゃ緊張して……」

「ぷぷっ、あらシャイなのね?」


 アンナ嬢は口に手を添え、からかうように吹き出す。そうした仕草すら愛嬌があって可愛らしい。全く嫌味を感じないのはこの人の魅力なのか、魔女の力か。


「ああ、そうだ、ひとつ確認しておきたいんですが……今はお一人ですか?」

「えぇ、何かしら? 恋人なら募集してないわよ?」

「いえ、そうではなくて……」


 僕はアンナ嬢にひとつの確認とひとつのお願いを持ちかけた。頭を下げて頼み入れると、その頭をペシペシ叩かれる。


「信用ないわね、私もそれくらい分かってるわよ。働きぶりにもよるけど、任せてちょうだい?」

「ありがとうございます」

「まぁ、無事に帰って来れたらの話だけどね。とりあえずウザい呼び出しを受け流さないと……アンタにも期待してるんだから、応えてちょうだいよね」

「期待の押し売りですね……」

「やかましい」

 ゲシっと軽くスネを蹴られた。痛くはない。

「それじゃ、軽食を作らせて、武器庫に運ばせるわ。試し撃ちしたいなら勝手にしていいけど、出来るだけ庭の木は撃たないでよね」

「勝手に撃っていいんですか? 見張りとか……」

「なんの見張り?」


 絹のような髪を流し、アンナ嬢の首が傾ぐ。

 含みのある言い方ではなく、本当に、キョトンとした顔を浮かべていた。


「いえ、信用もない男に拳銃もたせて屋敷うろつかせていいのかと……」

「ああ、そういうこと? 当然じゃない。アンタにはこれから背中預けようっていうんだから、信用してあげる。だから、私のことも信用してよね」


 アンナ嬢は軽く言ってのけて、ちょいちょいと僕を手招きする。呼ばれるまま僕が屈み込むと、アンナ嬢は拳銃を持つ僕の手を取り、銃口を自分の胸に突きつけた。


 ぞくりと、全身の毛が逆立つ。


「……ほら、ね?」


 アンナ嬢はそのまま僕の頭を抱き、頬に口付けた。

 花のような唇で頬を吸い、ワザとらしくリップ音を立て、甘く舌を当て付ける。


「うひゃぁッ!!??」

「まぁカワイイ反応……」


 くつくつと笑いながらアンナ嬢は踵を返し、髪を揺らして部屋の中へ戻っていった。


「ご褒美の先払いよ、頑張りなさいよねぇ~」


 僕は身体が固まって動けないまま、小さな背中を見送った。まだ頬が燃えるように熱く、とろけるような柔らかい唇の感触が残っている。そして彼女の心臓に銃口を当てつけた右手は、凍える子犬のように震えていた。


 銃弾は試し撃ちの一発だけだったけど、そのことを彼女が把握していただろうか。


 いや……そうじゃないと、すぐ否定が入る。


 彼女は、銃弾が入っていたと想定して、僕が撃たないと信用していることを証明して見せ、それだけじゃなく、僕をワザと驚かせ、それでも僕が拳銃を暴発させないとまで、信用して見せたのだ。


 たった一瞬で、彼女は僕への絶対の信用と信頼を証明し、そして、僕により深い恩と、尊敬と、情愛と、畏怖を植え付けてしまった。


「……凄い人」


 思わず、賞賛の言葉が口を突いて出る。

 僕はその後もしばらく、その場に座り込んでいた。

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