第7話 ハーニャ
部屋の中には鉄の匂いが充満していた。
少し懐かしいとも思える。北壁で慣れ親しんだ匂いだ。
部屋に照明器具は無く、しかして地下室なので窓もない。少し火薬の匂いもするので不安だったが、仕方なくランタンに火をつけた。
石壁に飾られた猟銃が三丁。机の上には分解途中の拳銃。部屋隅の木箱は弾薬だろうか。逆の隅にはサーベルが二本、壁に立てかけられている。
「刃物の類はこれだけですか? ナイフとか」
「いえ、刃物はあの、怒られるかもなんですけど、実は旦那様が亡くなった時に、厨房で使おうって、その……」
察して、たくましさに溜め息が出た。女性のそういうところをすごく尊敬している。
僕はメイドさんにお礼を言って、アクショーノヴァ家の狭い武器庫へ踏み込んだ。貸してやるとは言われたものの、数はそれほど無い。手榴弾や爆薬の類も無い。旦那様が趣味で集めた銃剣類、という感じだった。
この世界の……もとい、この国の貴族は女性が頭首、男はおまけだ。軍隊ばかりは男が回しているが、それでも最高司令官は女性、六大魔女が一人、『理智のヴィータ』だ。そのため、『女の尻に敷かれたヘタレ軍隊』と帝国に揶揄されているが……さて、いつまで続くことやら。
僕が机の上の拳銃を手早く組み立て、木箱の中から銃弾を一つつまみ上げると、入り口のメイドさんが僅かに反応した。
「ひょっとして見張っとけみたいな感じですか?」
「いえ、お気になさらず」
ニコリと微笑むが、メイドさんには隙がない。
この子も魔法が使えるのだろうか、そうでないにしても、一瞬で手裏剣でも投げてきそうな威圧感があった。
(そりゃま……今日であったばっかりの、しかも元軍人を武器庫に入れるんだから、警戒もするか)
アパートの厨房を片付けた後、僕はそのままアンナ嬢の屋敷に来ていた。正門で取り次いだ後、アンナ嬢はリザを連れて町に戻って行ったが、僕はこうして武器と弾薬の確認に趣いている次第だ。
右手に空の拳銃、左手に銃弾を一発持ったまま、入口のメイドさんを観察した。
背丈は僕と同じくらい、ポニーテイルに結った銀髪も、すらりと伸びた長身も、ゴシック調のメイド服によく似合う。それに、何か武術の心得があるのだろう。直立不動ながら隙がなく、僕の一挙手一投足に警戒を飛ばしている。
アンナ嬢がこの子に僕を任せたのも頷ける。佇んでいるだけだけど、ひょっとしてリザより強いんじゃないだろうかと思わせる風格がこの子にはあった。
「私が、何か?」
メイドさんがコロリと首を傾げる。
「いえ、別に……」
僕は荒く乱れそうな呼吸を必死で抑えた。動揺を悟られたら厄介だ。視線を彼女の顔から外そう。顔を見ているから動揺する。しかして、視線を外すと豊かな胸元とか、細い手首とか綺麗な指とかに注目してしまい逆効果だ。やはり顔を見よう。整った顔立ち、エメラルド色に輝く宝石みたいな瞳。全身を緊張させながらも、それを内側に押し込めた慎ましやかな微笑。僕が無言でいると、またコロリと傾ぐ。どくりと心臓が高鳴った。
「……いい」
「はい?」
きょとんと傾いだ細い首に、思わずきゅっと身体を縮めて胸に手を当てる。
下世話な言い方をすれば、もろ、好みのタイプだった。
それも仕方なかろうという説得力が彼女にはある。百年に一人とも確信できる美人だ。スタイルもいい。笑顔がすごく可愛い。見つめられるだけで動揺してしまう。なにか、無駄に見栄を張りたくなる。デキる男演出したくなる。息が上がってきた。
「あの……何か?」
「あ、あぁ! いえ! 火薬がシケってないか試し撃ちをしたいんですが……どこか広い場所は?」
また会話してしまった。嬉しい。なんだ今日は。なんていい日だ。どんな手段を使ってでもこの子とお近づきになりたい、あわよくば結婚したいという願望と妄想がとめどなく溢れてくる。自分が冷静でなくなっていく、甘いトキメキに心が侵食されていく音が、耳に聞こえる気がした。
「それなら、お庭にご案内します。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます!」
淑やかに歩き出したメイドさんに続き、僕は武器庫を辞した。ふわふわと揺れるロングスカートを追いかけ、ふらふらと廊下を辿る。
ああ、歩く度に左右へ踊るポニーテイルが可愛らしい。なんかそれに甘くていい匂いもする。今朝方、アンナ嬢と居たときはピロシキのことばっか考えてたし、リザは正直獣臭かったし、トキメクこともなかったけど、これが本当の女の子の匂いというヤツなのだろうか。
「…………すごい」
「はい? 何か?」
「いえ、凄いですね貴方は。隙がありません」
キリっと眉を尖らせて達人っぽく返すものの……失敗に気づいた。これではさらに警戒されてしまうだろうか。むしろ警戒していて欲しい。僕はいつ理性がなくなるか分からない。
「ありがとうございます。アンナ姉さんの取り計らいで、色々と習わせてもらってるんです……少しでも、みんなの役に立ちたくて」
「ほぉ! そうなんですね! 素晴らしいです!」
「あはは……どうも」
勢い余る僕の形相にメイドさんが苦笑を浮かべる。少し引かれたか。僕は貴方に惹かれまくっています。
「ごめんなさい、ちょっと落ち着きます……」
「だ、大丈夫ですか?」
廊下の壁に手をついて呼吸を整える僕の背に、ふわっとメイドさんが寄り添ってくれる。なにこれ触れてないのにもう柔らかい。
「あ、貴方はアンナ嬢の妹さんなのでしょうか?」
「いえ、従姉妹です……普段は学生なんですけど、勉強のためにメイドのお仕事を手伝わせて貰ってるんです」
「それは殊勝なことで……ん、従姉妹?」
つい最近耳にした言葉のような気がする。僕が顔を上げると、彼女はにわかに頷いた。
「はい、今夜もご一緒させていただきます」
「そうなんですか! それはそれはよろしくお願いします! 自分はトータと申します! 大したことはありませんが、北壁では兵長を勤めておりました」
「はい、お話は今朝、アンナ姉さんが帰ってきた時にお聞きしました。私のことは、ハーニャと呼んでください。友達はみんなそう呼ぶので」
ハーニャさんはスカートの裾を持ち上げ、右足を曲げ、そのまま左足の後ろへ下げ、淡い俯き加減で優雅なカーテシーを披露してくれる。少し茶目っ気のある略式だった。僕と年も近いだろうし、「友達は」と前置きしたことからも、客人より親しい間柄として扱って欲しいという意思表示に見える。多分これは思い込みじゃない。そうだとも。
「元軍人さんと聞いてましたので、怖い人を想像していたんですけど……意外とそんなこともなくて、ホってしてました。どうか、仲良くしてくださいね」
顔を上げると、ハーニャさんは照れくさそうに微笑んだ。
可愛すぎる……殺す気か。むしろ殺してくれ。
「……あ」
「はい今度はなんでしょう!」
不意に彼女の魅惑的な瞳がどこか一点を捉え、静止する。
達人が攻撃に映るその瞬間の、刹那の静寂だった。
「ちょっと……」
その瞬間、スカートが翻り、銀色の刃が疾った。僕の耳を掠めて縦一線を切り裂き、プツリと何かを両断する。
「なに……をッ! まだなんにもしてないのに! いやちょっと触ろうとしたけど! すみません! ホントすみません!」
「いえ、失礼しました……その、ゴキブリが……」
苦笑を浮かべ、ナイフを胸に押し付けてハーニャさんは床を指差す。そこには見事真っ二つに切り裂かれたゴキブリの死骸がポテりと横たわっていた。
「……凄いな」
その切り口を見た後、壁にも目を向ける。
ゴキブリは壁を這っていたのだろうが、壁には糸一本分も傷がついていない。壁には触れず、ゴキブリの厚みギリギリで刃を通した絶技の証拠だ。護身用としては切れ味の良すぎるダガーはおそらく、武器庫から拝借したものだろう。
「いえ……トータさんもその、凄いですね……」
「……は?」
言われて自分の状況を振り返る。
北壁時代に染み付いた性か、僕は咄嗟にハーニャさんを羽交い締めにして、首に拳銃を突きつけていたのだ。もちろん弾は入っていないが……そんなことは関係ない。
「す、すみません……反射的に」
「いえ、私もゴキブリを見ると反射的に動いちゃって……その、仕方ないですよね、軍人さんですし、お、男の人ですし……」
僕の腕の中でハーニャさんがもじもじと身じろぐ。
「すみません、もうナイフは振り回さないので、その、離して頂ければ……」
「……くぅッ!」
悪魔が囁く声がした。
信用できませんなぁ、ナイフをこちらに渡していただけませんか? などと交渉を始めれば、このままこの甘美な密着状態を維持できるんじゃないか? それよりも、なんだこの柔らかさは! 新品の布団を抱きしめているよりもさらに柔らかくて気持ちよくてすっごい甘いいい匂いがする! 彼女が身じろぐ度にお尻があらぬところへ擦れる気がしないでもないし! 更になんだ! 彼女を押さえつけている左手がさらに柔らかくてボリューミィな何かを握り締めている気がしないでもない!
「……ぁ、ん」
左手を僅かに動かすと、指が信じられないほど柔らかい何かに深く食い込み、ハーニャさんから甘い声が上がった。
まさかとは思うが、ドキドキしすぎて確認することすらできないが、また僕は失敬を! しかし、この感触はどういうことだ、リザとは比べ物にならない、指がどこまでも柔らかい感触へと沈んでいきそうだ。まさか、今まで小さいのしか触ったことなかったから知らなかったけど、これが本物の……
「貴様はウチの子になにやっとるかぁぁッッ!!」
頭が混乱している内に、僕の体は何者かに突き飛ばされ、強引にハーニャさんから引き剥がされた。その勢いのまま壁に激突し全身を殴打する。
「……なッ! なッ!」
「ちょっと様子見に帰ってきたら案の定なにやってんのアンタ! ハーニャに手だしたら許さないわよ!」
「……ヘンタイ」
アンナ嬢とリザが僕を冷ややかな目で見下ろし、ハーニャさんは胸を抱きしめアンナ嬢の背中に泣きついていた。
どうやら、短い恋だったらしい。
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