第4話 喧嘩屋②

「なんだよ……」

「このままやっても決着がつかないのは明白だろ。だから、ルールを変更しよう。今から、お互いに一発ずつ打ち込んでいく。打ち込まれる方は回避も防御も妨害も禁止だ。相手の一打を交互に受けながら、先に膝を突いたほうが負け。これでどうだ?」

「それで行くとお前のほうが圧倒的に有利だろ」

「先攻は譲るし、最初の一回目は二発入れていい。さっきのお侘びだ」

「まぁ、それなら……」


 リザの目つきが変わった。ペロリと舌を出し、唇を舐める。

 戦闘中に重い一撃を直撃させるのは難しい。特に僕の使う格闘術は本来、『躱す』、『締める』、『止めを刺す』の三拍子だ。今は躱しきれず体格差に甘えていたものの、直撃を避けるという意味では十分に機能している。それをリザも分かっているだろう。


 だから、『躱さない』『防がない』という条件で渾身の一撃を二発も食らわせれば、その時点で勝機はあると、彼女は思っているのだ。


 もちろん僕は、それで倒されるつもりはない。


「反射的にでも防御したら負けってことでいいな?」

「もちろん、その方が早く終わる」


 願ってもないルールをリザの方から追加してくれた。これは、都合がいい。


「抵抗しない相手を殴るってーのも気が引けるが……まぁいい、力比べだ」


 リザは間合いを詰めないままに軽く飛び跳ねる。準備運動のつもりなのだろうけど、その度に、ボタンの飛んだシャツが危な際どく捲れ上がっておヘソが見え隠れしたりスキマから胸元がチラついたり……待て、ブラしてなのかこの子は。確かに経済状況を慮れば下着が買えないのも分かるが、しかしそれでは色々とチラチラとして若い女の子だというのに危険、発育にも影響が……


「……ほぐッ!」

「なによそ見してんだよ」


 僕がいらぬ心配をしている間に、リザは懐に入り込んでいた。メキメキと音を立てて腹筋に踵が食い込んでいく。


 助走と体重が見事に乗った、強烈な蹴りだ。本当にこの子は才能が有る。


「もう一発!」


 翻り、大鎌のような回し蹴り。こめかみに直撃し、脳が揺さぶられると同時に、首がもげるような激痛が走る。勢いのまま、ぐらりと上体が傾いだ。


「トータ!」


 アンナ嬢の声になんとかそのまま踏み留まる。一瞬、視界と意識が飛びかけた。本当に疾く、鋭く、思い切りのいい、爽快な蹴りだ。


「……耐えたか」

「どーも」


 頭と腹筋を同時に押さえる。まだ少し視界が揺れ、胃袋を捻るような激痛が、腹筋の下で渦巻いていた。


「思ったよりキいた。訓練も受けずこれをやってるなら、君は天才だよリザ」

「そりゃどーも……ちょっとスッキリした」


 リザは不敵な笑みを浮かべ、腰の位置で両手を広げる。顎の先をしゃくって、僕に殴るよう促してきた。


 さきほど決めたルールに則れば、後攻の僕が彼女に一撃を加え、彼女が倒れるか、あるいは彼女がガードするなどの行動を取れば僕の勝ちになる。


 しかして、彼女がそれに耐えればまた攻撃権が移り、勝負はどちらかが倒れるまで、延々と続いてしまうだろう。早く帰って料理の続きをしたいので、可能ならこの一撃で終わらせてしまいたい。


「では遠慮なく……」

 僕はリザの前から離れることなく、棒立ちのまま両手を構えた。

「ちょっとトータ?」

「おい……なんだそれは」


 女性陣から冷ややかな視線が飛ぶ。しかしながら僕は大真面目だった。構えた拳……ではなく両手の指をグネグネと動かし、リザの胸部へと熱い視線を送った。


「待て待て待て待て待て……気持ち悪い、マジメにやれ」

「大真面目だ。別に拳で殴れというルールはない。あったところで誰が守る」

「……マジか」

 僕が真顔で一歩近づくと、リザは青ざめた顔で一歩退いた。

「テメェふざけんな! 何する気だ!」

「大体分かるだろ? 君の胸部に対する優しい一撃だ」

「ヘンタイだぁ――ッッ!!」


 アンナ嬢の声が飛ぶ。貴方、どっちの味方ですか。

 リザは汚物を見るような視線で僕の顔を見上げているが、もう一歩ずいっと踏み込むと、さり気なく一歩退いた。


「おやおや、逃げるつもりか? 回避も防御も禁止したはずだろ? 大人しく僕の攻撃を受けてくれ。それとも何かな? 君は自分がやりたいだけやったら相手の一撃は受けないとか、そんな卑怯な行為に及ぶつもりかな?」

「卑怯なのはどっちだ! そんなの反則だろ!」

「ルールなんぞあってないようなものだと言ったのは君の方だろう? 大体、ルール違反をしているつもりはないんだけどねぇ……」


 両手をワキワキさせつつさらに一歩、一歩とにじり寄る。

 断っておくけどやりたくてやってるワケじゃない。本気で破廉恥行為に及ぶつもりなど毛頭ない。しかし、一刻も早くこの場を収めること、そして出来れば、無抵抗な女の子に拳を打ち込むなんて野蛮なマネはしたくないことを思えば、これが最適解であるという僕の判断だ。もう一度言う、本当に揉む気はない。


「お、女と思って舐めやがって……別に胸揉まれるくらいどってことねぇぞ!」

「そうか、それは凄いな……さっきのウブな反応も演技だったのか。騙された」


 言いつつ、とうとう壁際までリザを追い詰めてしまった。少しでも胸を守るような仕草をしたら勝利宣言してやろうと思っていたものの、全くその素振りを見せないのは見上げた根性だ。


「ち、チクショ……」

「おっと反撃する気か? 妨害だな?」

「ちぃぃぃぃ!!!」


 拳を振り上げようとした瞬間に詰め寄ると、リザはとうとう観念したのか、固く目を閉じ、ぐっと胸を突き出してきた。


「やっ、やるならやれ! その代わり次は覚悟しとけよ! 本気の本気でブっ飛ばすからな!」

「それは楽しみだ……」

「うッ、ぃ、ぃぃぃ……」


 悪党面を演出しつつ、ワキワキ手をゆっくりゆっくりとリザの胸へ近づけていく。

 とうとうリザは唇を噛み締め、目尻に涙を浮かべてしまった。マズいな、そろそろ防御して反則負けになって欲しいんだが、仕方ない。一度このまま、本当に揉みしだいてやるか……っと、僕の指先がシャツの布地に触れた瞬間、小さな気配が飛翔し僕の背後に飛びかかってきた。


「いい加減にしろッ!」


 アンナ嬢の平手が僕の後頭部を打つ。流石に予想していなかった一撃とその意外な強烈さ、さらに足元の雪でつるりと滑り、僕は見事にバランスを崩してしまった。


「……あ」

「……ひッ!」


 言い訳をするワケじゃないけど、滑ったのは本当だし、そもそもリザに防御させるつもりだったので、本気で触る気はなかった。


 ……なかったのだ。


「ぁッ……あ、あぁ……」


 バランスを崩した僕はリザに触れるべからず咄嗟に両手を引っ込めたが……しかしそれすら災いし、気づけば僕は顔面からリザの胸に突っ込んでいた。


「きゃぁぁぁぁ――――ッッ!!」


 リザの甲高い悲鳴と共に拳が撃ち落とされ、僕の頭は地面に叩きつけられる。反撃によるリザの反則負けという運びとなった。

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