第3話 喧嘩屋①

「あの、すみません……事情がまだ飲み込めてないんですけど」


 僕は起き上がりつつ焦げた外套を脱ぎ、眼鏡の具合を確かめた。幸いにして、これもダメージが無いようだ。眼鏡は生命線だから助かった。レンズを越して階段の上のアンナ嬢と、赤毛の少女へ交互に視線を送る。赤毛の少女は、まださっきの接触が尾を引いているのか、忌々しそうにそっぽを向いていた。


「知らねーよ、そこのちっこい貴族が朝一番に来て、オレを雇いたいとか言い出した。オレに勝ったら話聞いてやるって突っぱねたら、泣いて帰った。そんでまた来た」

「泣いてねーし!」

 赤毛の少女の言葉を、すかさずアンナ嬢が否定する。

「どういう都合ですか……アンナ嬢、僕を巻き込まないでください」

「いいからさっさとシメちゃいなさい。あと風吹くたび見上げるのやめなさい」


 階段上のアンナ嬢は、はためくスカートを押さえたまま僕を睨み下ろす。それにしても、あんなスゴいパンツがこの世に存在しているとは思わなかった。あわよくばもう一度拝みたい。日当を貰う代わりに交渉してみるか。


「お金ねぇ……」


 金、と良いつつ、赤毛の少女へ目を落とす。


 金を払えば殴られてやる、『殴られ屋』。

 俺を殴れたら金をやる、『殴ってみろ屋』

 買ったほうが金を貰う、『喧嘩屋』など、

 そういった物騒な職業が裏街には存在する。


 本人の収益はもちろん、便乗して始まる賭博を含め、儲かる商売だそうだ。

 正直、この辺りの人間は北壁を思い出すので関わりたくなかったけど、来てしまったものはしょうがない。


「君、名前は?」

「『リザ』。苗字はない」

「そうかリザ、君は喧嘩屋なのか?」

「喧嘩屋だ。ヤるのか? 参加料は千ルーブ、オレに勝ったら二千ルーブだ」

「ちょっと! 金額変えるとかずるいぞ! さっきは賭け金の三倍返しだったじゃない!」

「知らねぇよ! オレがやってる商売だ! オレの勝手だろ!」

「ごもっとも……」


 相槌を打ちつつ、僕はシャツを脱ぎ、上裸になって身体の具合を確かめる。

 あれほどの火柱に包まれたというのに、肌には本当に火傷一つ無い。路地を吹き抜ける風が心地よいくらいだ。


「外套が焼けただけなのか。噂には聞いてたけど、あれは普通の魔法じゃないのかな。『魔女の火』って奴? 燃やしたいものだけ燃やせるっていう……」


 もしそうだとしたら、アンナ嬢がリザを雇いたいも頷ける。あらぬ痴態に及んだ僕も燃やさず、外套だけを燃やしてくれたようだし、能力の上に性格も良さそうだ。


「意外と優しいなリザ」

「気安く話しかけんな」


 リザは苛立ちを隠さず、鋭い視線を僕にぶつけてくる。


 鋭く、心地よい視線だった。細眉は外敵を威嚇する獣のように獰猛で、燃えるような紅い瞳は、魔物のように禍々しい。彼女にしてみれば、早朝に鬱陶しい客人が来て、さらには失敬までされた状況だ。怒る気持ちもわかるけど、彼女の怒りと敵意の視線は、清々しい程に屈託がなくて、少し嬉しくなってしまった。


「怒った魔女とケンカなんて、北壁の熊より恐ろしい。帰りたいな……」

「言葉の割に意外とやる気まんまんなのね」


 僕が柔軟体操を進める一方、アンナ嬢がリザに歩み寄り、紙幣を数枚手渡す。リザはそれをポケットに突っ込んで僕を睨んだ。


「先に膝ついたほうが負けってことでいいよな? 言っとくけど、めんどクセーからって手加減はしねーぞ。損したくもねーし、お前はムカつくし」

「どーも。こっちも、一応は大家さん命令だから本気でやらせてもらう。追い出されちゃたまんないし、ここ最近、実戦訓練してないから、いい機会だ。それより、刃物禁止とか噛み付き禁止とかルール付けなくていいのか?」

「付けたところで誰が守る?」

「あぁ、納得……」


 アンナ嬢が階段の上へ逃げ帰ったのを僕が見届けたその瞬間、リザは深く身を沈め、弾丸の如く飛び出してきた。


「おっと」


 猪突猛進の突きを横ステップで避けるも、続いて鞭のような回し蹴りが飛んでくる。これを右腕でガードし、バックステップで後退。リザは間合いを取らせず、ピッタリと僕に引っ付いて拳を打ち込んでくる。


「……目が覚める」


 流石に裏街で物騒な商売をしているだけのことはあって、彼女の攻撃は迅く、鋭く、思い切りがいい。けれども正式に訓練を受けたワケではないようだ。動作はデタラメで喧嘩拳法の延長線上という印象、天性の素質だけでここまで動けるようになったのだとすれば、恐るべき武才だ。


「すごいな君は!」

「お前は気持ち悪い!」


 上段蹴りをガードせず頬で受け止めると、痛烈な痛みが首から上に走る。いっそ切り飛ばされてしまいそうだ。眼鏡が弾け飛んでしまったので、踏みつけない内に空中で捕まえ、アンナ嬢に投げ渡した。


「ドチクショ!」


 リザは後方へ翻り、両手を広げる。その両手から瞬く間に炎が噴出し、火柱となって路地の空へ突き抜けた。


「串焼きにしてやる!」

「残念だが昨日食った」


 砲弾のごとく火球が飛ぶ。僕は身を低く駆け出してその下を滑り抜け、リザの直下からアッパーを放った。


「今はピロシキが食いたい!」

「知らねぇ勝手に食えよ!」

「これ終わらせないと食えないらしい!」

「だったら早く殴らせろ!」

「君は殴ってるだろさっきから何回も!」

「ちょっとなにイチャついてんの!? 真面目にやんなさい!」

「気が散るんで話しかけないでください!」


 アンナ嬢の声に反応した瞬間、リザの拳が腹筋を直撃し、続いて蹴りが左腕を穿つ。よろめいた隙に追い打ちの炎が襲い掛かり、僕はたまらず後退した。


「……だいぶ鍛えてるな」

「北壁じゃ、それしかやることがなかったもんで」


 上裸の筋肉をムキっと膨らせてみると、リザは呆れたようにため息を吐き、赤く腫れた自分の拳を、労るように撫でた。


「硬い……北壁の軍人なのかお前? みんなそんな筋肉ダルマなのか?」

「みんな僕の数倍はデカくて硬いよ。ちなみに僕は除隊したから無職だ」

「それが、なんであのチビのお守りやってんだよ」

「こっちが聞きたい」

「だからなに喋ってんの! 終わったならそう言って欲しいんですけど!」

「やかましい! 黙ってろ○女!」

「……ちッ」

 呆気にとられたアンナ嬢が、階段の上で口をパクパクさせる。

「待て、○女は言いすぎだ、少しセクシーすぎるパンツをお召しなだけだから」

「いや、いくらなんでも限度があるだろ。アレは流石にないわ」

「ちょっと待って! そんなになの!? 今日ワリと地味めの履いてんだけど!?」


「「…………え?」」


 僕とリザの声が揃ってしまう。どうなってんだ貴族の下着文化……。


「……はぁ、調子狂う。何なんだよお前ら、帰れよ」

「僕もそうしたい。料理の途中だったもんで」

「どうするコレ?」

「う~ん……」

 僕もリザも構えを解き、頭を抱えてしまった。

「なに? どうしたの? 終わったの?」

「ああ、いや……」

 一人、ワケがわからない様子のアンナ嬢を見上げる。

「この子は強いですよ。迅くて鋭い。でも軽いです。体重差もかなりあるだろうから、何発当てても僕にダメージが入りません」

「逆に、コイツは強いけど遅い。オレは元々躱す方が得意だから、どれだけやっても殴られる気がしない。夕方までやっても決着つかないぞコレ」


 ほんの一瞬、リザと視線を合わせて示し合わせた。


 厳密に言えば、長く続ければスタミナの点で僕が有利になってくるだろう。しかして、リザにも『魔女の火』という切り札がある。お互いに本気でやれば決着がつかないこともないこともない……という見解だけれども、本音は互いに「めんどくさい」だ。命を燃やして戦うべき状況じゃないし、むしろ彼女は早く僕らに帰って欲しいと思っているだろう。僕もまた帰って料理の続きがしたい。


 本当に、「めんどくさい」の一点で、僕とリザは無言の内に共謀していた。


「私はリザさえ納得してくれたらいいんですけど?」

「納得なんかするか! なにが悲しくて貴族なんかに雇われなきゃいけない。そんなことしたら裏街で生きていけなくなる」

「今日の稼ぎより明日の仕事か……堅実な判断だ」


 裏街には裏街のルールがある。

 どこの国もよろしく、貧者は裕福層を目の敵にしているから、裏街の住人が貴族に雇われたなんて知れたら、妬みや恨みを買うのを避けられない。そうなれば、袋叩きの末に村八分だ。死ぬまで雇ってくれる保証があるならまだしも、一日だけ仕事して解雇なんてことになったら、その翌日から生きていく場所がなくなってしまう。


 だからこそ、リザはアンナ嬢に雇われたくないのだ。アンナ嬢の方は、そのことが分かっていないのか、分かっていて使い捨てにするつもりなのか、まだ分からない。


 願わくば前者であって欲しい。欲を言えば、この子を末永く雇ってあげて欲しい。一応、僕の恩人なのだから、その程度の器はあって欲しい。


「リザ、ひとつ提案がある」


 願いを込めて、僕はリザに呼びかけた。

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