未知との遭遇?


 栞は、得体の知らない何者かが近づいてくる恐怖に顔が引きつっている。

 一方の裕翔は、その正体を分かっているので、恐怖は感じていない。

 むしろ、この状況から考えて、面倒くさい事になるなと危惧していた。

 ただ、裕翔は栞の怖がっている表情が面白くてあえて何も言わない事にした。

 ちょっとしたイジワルだ。


 店の奥は、照明がついておらず、曇り空の天気と相まって、真っ暗になっていた。

 しかも、店内は明るい店構えになっているので、より一層暗さが目立つ。


 そんなまるで闇の世界のような場所からの足音はどんどん大きくなっていく。


 栞はより一層顔が引きつり、小刻みに震えている。


「あっ、あの、大丈夫……なんですか?この状況」

「大丈夫って何のこと?もしかして、怖いの?」

 

 裕翔は、ニヤリと口角をあげる。

 まるで、いたずら前の子供のように。


「べっ、別に怖くなんてないですよ」

 と言いつつも、完全に声のトーンが一つ上がっている栞。

 そんな栞の様子に思わず吹き出しそうになるが、グッと堪えて平然とした表情を貫く裕翔。


 そして、遂にその正体が現わになる。

 店内の照明に照らされ、現れたのは中年の男であった。

 首元まで伸びたパーマがかった髪に、綺麗に整えられた短いあご髭。

「ちょい悪オヤジ」がよく似合うダンディな男である。


 男は大きなアクビをし、目をこすりながらゆっくりと裕翔の方へと近づいてくる。

 そして、裕翔の目の前に着くと、無言のまま裕翔の両肩にポンと手を置いた。


 嫌な予感がする……


 裕翔は、その男から発せられる、まがまがしいオーラに、額から冷や汗が流れる。

 そして、黙り込んでいた男が、すさまじい勢いで口を開いた。


「裕翔ーー!うるせーんだよ、てめぇは!人が気持ちよく寝てる邪魔すんじゃねぇ!まだ開店前だろうが!!」


 裕翔に怒号をあげ、眉間のシワを深くよせる。

 そう、この男こそがこのカフェの店主であり、裕翔の叔父、「白坂 亮平」である。


 亮平は、カフェメニューの新作を考えると夜通し試作する事が多く、こうして開店時刻になっても起きない時が多々ある。

 しかも、亮平は寝起きの機嫌が悪く、そーっと肩を揺らして起こさないといけない、繊細、いや、めんどくさい男だ。

 しかし、その点を除けば、気前の良い叔父さんといったところだ。


 そして、今回も夜通しパターンなのだが……


 裕翔は、綾瀬との事で、すっかり叔父の事を忘れていた。

 恐らく、栞の質問を紛らした下手くそな裕翔の笑い声が、亮平の機嫌を異常なまでに悪くした引き金になったのだろう。


 とりあえず、叔父を宥めないといけないと思った裕翔は、亮平の肩をポンポンと叩きながら言った。


「亮平兄、ごめん!まあ、これには色々と事情があって……ほら、そこの席」


 裕翔が、顔を向ける方向に亮平も顔を向ける。

 そこには顔を強張らせた栞の姿が見えた。


 亮平は、すぐさま裕翔の肩から手を離すと、さっきとは別人のニッコリとした笑みを浮かべた。


「初めまして、お嬢さん。白坂 亮平と申します。裕翔の叔父で、このカフェの店主をしております」


 亮平は、何事も無かったかのように紳士らしく自己紹介をすると、栞に手を差し伸べた。


「あっ、あの、私……」

 栞が、顔を強張らせたまま、小さな声で言う。


 亮平は、ただニッコリとしたまま「どうしたんだい?」と聞き返す。

 すると、栞はカバンの持ち手をギュッと握りしめる。


「かっ、帰ります!ごちそうさまでした!!」

 栞は、そう大きな声で叫ぶと、すぐさま席から立ち上がり、走って店を出て行ってしまった。


 裕翔は、しばらく呆気にとられてしまったが、慌てて栞の後を追うため、店を出た。


 しかし、栞の姿はもう見えなかった。


 急に降り出した雨は、もうすっかり止んでいた。

 暗がりの雲の隙間から顔を見せる太陽は、こちらまで光を届けてはくれなかった。


 再び胸に手を当てる裕翔。


 あの時の感情はいったい何だったのだろうか。


 春の温和な空気と雨の湿気が混ざり合うモヤモヤした気持ち悪さの中に、裕翔はただ立ち尽くしていた。

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