初めての二人
見つめ合う視線。
裕翔も、栞の微笑みにお返しするように、笑顔を作った。
だが、口角が引きつり、明らかにぎこちない笑顔になっているのは裕翔自身分かっていた。
裕翔は、雨をしのぐため、バイト先の建物の屋根の下へ移動する。
栞と横並びになる。
だが、その間は2メートル程離れていて、なんともいえない微妙な距離感であった。
しばらく、沈黙が続く。
こういう時は、男から何気なく話しかけるのが普通なのだろうが、裕翔にはそんな技量は持ち合わせていない。
こういう時、朋也ならサラッとやり過ごすんだろうな……
暗く淀んだ雲から発せられる雨を見つめながら思っていると、左隣から突拍子もない音が、裕翔の耳に響き渡る。
"クシュン"
くしゃみのような擬音。
男の豪快な音とは違う、控えめで少し甲高いぐらいの女の子特有のくしゃみの音。
裕翔は、音が聞こえた瞬間、すぐさま隣を見やった。
すると、栞は両手で鼻と口を抑えて俯いていた。
表情は分からないが、栞の顔はほんのり赤くなっている。
えっ!もしかして、綾瀬さん風邪引いちゃったのかな?
裕翔は、微妙な距離感を保ったまま栞に声をかけた。
「綾瀬さん、大丈夫?風邪引いた?」
栞は裕翔の方をチラッと見たが、すぐさま顔を晒し俯く。
「いえ、私は大丈夫ですから……」
「いや、顔も赤いし!」
「いや、これはそういう事ではなくて……」
「とにかく、ここ、俺のバイト先だから。早く入って」
俺は、ダークブラウンの木目調の扉に手をかけ、栞をバイト先へと案内した。
裕翔のバイト先は、裕翔の叔父が経営しているカフェだ。清潔感のあるオフホワイトを基調とした空間に、ベージュ色のテーブルとイスが5セットほど並んでいる。
裕翔はそこで、アルバイトという名目のお手伝いをしている。もちろん、バイト代はちゃんと出る。
店内に入ると、お客は誰もいなかった。
裕翔は、栞をテーブルに案内すると、すぐさま店の奥へと入っていった。
そんな後ろ姿を、栞は目で追いながら、再び"クシュン"とクシャミをした。
他に誰もいない店内に、かわいらしいくしゃみの音が響き渡る。
すると、裕翔は、まるで猛火から人を助ける消防士のように必死な形相で綾瀬の元へと駆けつけた。
「綾瀬さん、ほんと大丈夫?またクシャミしてたみたいだけど」
「いえ、本当に大丈夫ですから……」
栞は、困ったように眉をハの字にすると、顔の前で手を左右に振った。
「あの、もし良かったらこれ使ってください……」
裕翔は、栞の方を見ず、恥ずかしげに持っていた水色のタオルを手渡した。
「ありがとごさいます」
と言うと、栞は、雨で濡れた髪とブレザーを、手渡されたタオルで拭いていた。
すると、裕翔は、何かを思い立ったのか、再び栞に声をかけた。
「綾瀬さん、コーヒー好き?」
「好きとまではいかないですが、飲みますよ」
「じゃあ、すぐコーヒー淹れるね」
「いえ、そんなお構いっ……」
栞が、発言する前に、裕翔はすぐさま店のキッチンスペースでコーヒーを淹れ始めた。
そんな、裕翔の行動に、栞は思わず小さく"クスッ"と笑ってしまう。
しかし、裕翔は、栞の笑い声には気付いてないようで、そそくさとコーヒーカップやソーサーを食器棚から取り出していた。
裕翔が真剣な表情でコーヒーを淹れている姿に、再び栞は"クスッ"と笑ってしまう。
「お待たせしました」
裕翔は、お盆から、淹れたてのコーヒーをそっと栞の前に置いた。
栞は、両手でコーヒーカップを包み込み、コーヒーの温もりを感じると、ゆっくりとコーヒーカップの取っ手に指をかけた。
ゆっくりと口に運び、コーヒーを一口飲む栞。
すると、栞は、黙ったまま、コーヒーカップを静かにソーサーの上に置いた。
「どう……かな……?」
裕翔は、生唾を1つ飲み込んだあと、恐る恐る栞に感想を求めた。
数秒間の沈黙が続くと、栞は、綺麗な顔立ちをゆっくりと裕翔の方へと向けた。
緊張が走る。
裕翔の鼓動は、栞と遭遇した時と同じくらい高鳴っていた。
栞は、無表情のまま静かに口を開いた。
「おいしい……」
「えっ?」
裕翔が、小さな栞の声を聞きなおそうとした瞬間。
栞は、これまでの優しい微笑みとは違う、はちきれんばかりの可愛らしい満面の笑みを俺に向けたのだった。
春に咲く華やかなタンポポのような笑顔に、裕翔は 瞳を奪われる。
それと同時に、裕翔は、心臓が"キュッ"と締め付けられるような感覚に襲われた。
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