鐘の音と共に
@monakatabetai
謹賀新年
鐘の音に導かれるように夜道を歩く。街灯の無い道沿いで不安だったが、気掛かりをかき消すかのように、ずらりと並んだ石灯篭に暖かな明かりが灯っていた。石畳の上を軽快な足音を響かせながら歩いていると、賑やかな人の群れを見つけた。群像の向こうには大きな山、そして、その中腹を目掛けて続く長い石段が見えた。
目的地に辿り着けたことに安堵のため息を吐くと、最後尾にそっと入れて貰った。石段には沢山の人が並んでいた。皆、楽しそうに、時には何かに期待を込めるかのように静かに語り合っていた。私は一人で来ていた為、話す相手もおらず、こうやって周りの人を眺めて時間を潰していた。
「文庫本でも持ってくれば良かったかな……」
人間観察に飽きた私は、手持ち無沙汰になると、独り言ちた。
私の名前は黒野 時子、読書が好きなインドア派の高校生だ。普段はこんな夜中に出歩くような事はしない。寒いのは苦手だし、体力にも自信が無い。それでも、今夜はどうしても外出したい目的があった。
欠伸を噛み殺していると、百八回目の鐘の音が鳴った。水を打ったような静寂の後、沢山の歓声と賑やかな足音が走り出した。
一月一日の午前零時。新しい年が幕を開けた。
人に揉まれながら、石段をゆっくりと登って行く、走って行くのは先頭の参拝者だけだ。この神社では、一番にお参りした者は良縁を得られるというジンクスがある。ここは縁結びで有名な神社だ。私も好きな人の幸せを願う為にここに来たのだ。
私が片思いをしているのは、同じクラスのカケル君だ。外見は普通だけれど、他の男の子より、身だしなみが整っていて、どこか大人びた雰囲気を感じさせる。性格は明るく穏やかでクラスの人気者だ。かたや私は、静かで一人でいる事が多い、友達と言えるのもえっちゃんとおーちゃんくらいだ。分不相応なのはわかっている。それでも、止められないから恋なのだ。
息を切らしながら石段を登り切ると、大きな鳥居が見えた。体はすっかり温まり、悴んでいた体も思い通りに動くようになっていた。休んで一呼吸置きたいところだが、人並みがそうはさせてくれない、小鹿の様に足を震わせながら、鳥居を潜った。
カケル君を好きになったきっかけはありきたりだけれど、私には特別な理由だった。それは一か月前の事だった。昼休みに、いつものように読書をしていると、近くに居たカケル君が読んでいた本の表紙を覗き込んだのだ。私は警戒して、ムッと睨むと彼はニカッと笑ってこう言った。
「飛ぶ教室、面白いよな! この時期に読むには丁度いい作品だよ」
予想外の反応に私は間の抜けた声を出した。
「カケル君、本を読むの?」
「昔の話だけどね。驚いた?」
満足そうに笑うカケル君、私は乗せられるのが癪で、無表情を作った。
「……意外だなと思って。本を読むより、皆で騒いでいる方が好きだと思っていた」
「小さい頃は体が弱くてさ、外で遊べなかったから一人で本ばかり読んでいたんだ。今、友達を沢山作っているのはその時の反動かもね。俺、羨ましかったんだ。昼休みに本を読んでいても、校庭の方をついつい見ちゃうんだ。元気に走り回るクラスメイト。混じりたいって思うけれど、俺が入ると迷惑かけるからさ、下唇噛みしめて、本の世界に潜り込んでいたよ」
「私は周りの人を羨ましがったりしないよ。本が好きで読んでいるんだもの」
「悪い、そういう意味で言ったんじゃないよ。そうだ、読み終わったら語り合おうよ。俺、飛ぶ教室の正義先生が大好きなんだ!」
そう言うとカケル君は私の席を離れ、別のグループの輪へと加わっていた。それからは、偶にだけれど、昼休みや放課後にカケル君と二人で本を読んだり、感想を語り合ったりした。男の子はもっとガサツで野蛮だと思っていたけれど、カケル君はそんな私のイメージを払拭してくれた。カケル君と話す時間はとても楽しかった。
それが恋だと気付いたのは、クリスマスの少し前な訳だが……。
もみくちゃにされながら参道を進み、拝殿に辿り着いた。人々の隙間から、なけなしの五百円玉をお賽銭箱に入れると、ガラガラと鐘を鳴らした。二礼二拍し、深々と頭を下げた。願い事は勿論、カケル君が幸せになりますように。
参拝を終えると、恋愛成就のお守りとおみくじを買った。ゲン担ぎなど普段はそこまでしないものなのだが、今回は特別だ。おそるおそる、おみくじを広げると、大吉の文字が飛び込んで来た。恋愛は両想い、後は行動あるのみ。だった。
自分から行動できないから、神様に頼っているんだけどね。私はくすりと笑いながら、おみくじを木にくくっていると、背後から聞き覚えのある声を掛けられた。
「時子さん?」
そこにはカケル君の姿があった。寒そうに両手をダウンジャケットのポケットに入れている。私はゆっくりとおみくじを結び、呼吸を整えてから振り返った。
「カケル君。あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとうございます。一人で来たの?」
「一人だよ。願い事する時は一人じゃないと。神様に真剣さが伝わらないよ」
「ふーん。そういう物なんだね。何を願ったの?」
「ダメだよ。願いは人に言うものじゃないから」
「そっか、無理に聞くのは悪いよね。俺の願いも内緒にしてよう」
「うん。それがいいよ」
私は会話を終えその場を後にしようとすると、カケル君に呼び止められた。
「時子さんはこの後、どうするの?」
「家に帰るだけだよ」
「一人で帰るのは危ないから、家まで送らせてよ」
「いや、いいよ。そこまで迷惑かけたくないし」
「迷惑じゃないよ。それに、これで別れた後に時子さんに何かあったら嫌だから」
「何もないと思うけれど……。じゃあ、お願いします」
鳥居をくぐり抜けると不思議な感じがした。来るときは一人だったのに帰る時は二人なのだ。幾ら何でも願いが叶うには早すぎないだろうか。お賽銭を奮発したから、神様も速達で叶えてくれたのだろうか。私が頭の中を整理していると、カケル君が私の左手を握った。
「階段は見え辛いし、こけたら危ないから」
石段に二人の靴音が木霊する。登りの時とは違う理由で息が切れそうだ。左手から伝わる熱量が心臓の鼓動を早くする。掌に汗が滲んだらどうしよう。緊張を悟られないように右手で心臓の辺りを押さえた。
「時子さん、歩くペースは大丈夫? 早すぎない?」
「うん。大丈夫だよ。歩きやすい」
「本当? それは良かった」
「カケル君、女の子をエスコートするの、手慣れてない?」
「姉がいるからね。小さい頃からこき使われたから、でも、誰にでもしているわけじゃないよ」
「ふーん。じゃあ、例えば誰にしているの?」
「時子さんだけだよ。他の女の子とは手も繋いだ事ないよ! 本当だからね?」
一生懸命に身振り手振りを交えながら弁解をするカケル君の姿に頬が緩む。
「はいはい。信じるよ」
私はそういうと、左手にぎゅっと力を込めた。カケル君が何か言いたそうにこっちを見たが気が付かないフリをした。カケル君は沢山の女の子と仲が良いけれど、私にとって仲の良い男の子はカケル君だけなのだ。だから、この瞬間だけは私だけを見ていて欲しいし、私の事だけを考えて欲しい。いつかは忘れられるとしても今だけは。
階段を下り終えても、手は繋いだまま歩いた。カケル君は私の事をどう思っているのだろう? 私の気持ちは伝わっているのだろうか? 考えてもわからない。わかるのは手のぬくもりと、この時間がずっと続いて欲しいと思う事だ。
「あっ、雪だ」
カケル君の声で空を見上げた。ちらちらと舞い降りる、雪の欠片。掌にそっと乗せると、夢の様にさっと溶けた。
「ごめんね、カケル君。飛ぶ教室読み切れなくて……」
「気にする事じゃないよ。本は焦って読んでも面白くないし」
本当はクリスマスイブまでに読み終えようと考えていたのだ。カケル君と二人でイルミネーションを見ながら、感想を語り合えたらどんなに幸せだろう。そんな淡い期待を胸に読み進めていた。でも、私はクリスマスイブを迎える事は無かった。十二月二十三日の夜、飲酒運転の車に跳ねられ、短い人生の幕を下ろした。
今の私は終幕後のカーテンコールのようなものだ。どんなに楽しい物語にも終わりはある。そして、私の物語は終わっているのだ。
「ごめんね、カケル君。一緒に始業式出られなくて」
「謝らないでよ。それも、気にする事じゃないよ。俺は今の関係で満足だから。このまま、時子さんと一緒に居られるならそれでいいよ」
カケル君の願いを否定するかのように、雪が掌をすり抜けた。残された時間はもう少ないのだ。
「それも無理だよ。ほら、見て。物が触れなくなっている。そろそろお別れの時間だよ。カケル君は素敵な人だから、私より良い人が見つかるよ」
「本当にお別れなんだね……」
カケル君の悄然とした表情が心に酷く突き刺さる。
「うん、今まで本当にありがとね。短かったけれど楽しかったよ」
「……俺もだよ。時子さんと会えて良かったよ。そうだ、遅くなったけれど、クリスマスプレゼント」
カケル君はコートの袖で顔を拭うと覚悟を決めたようにポケットから小さな赤い箱を取り出した。
「あはっ、何だかプロポーズみたいだね」
「勿論そのつもりだよ」
「えっ」
カケル君が取り出したのは、シンプルなシルバーのリングだった。それを私の左手の薬指に嵌める。
「俺が行くまで天国で待っていてくれませんか。その時は本物の指輪と沢山の本を抱えていくから。一緒に読んで、一緒に語り合おうよ」
「ありがとう。想像するだけでも楽しそうだね! でも、カケル君には長生きはして欲しいし、他に好きな人が出来たら、その人と付き合っても構わないよ。私にとっての幸せは、カケル君が幸せになることだよ。私の事はたまに思い出してくれればそれでいいよ」
「……わかったよ。時子さんも幸せになってね。俺にとっての幸せも、時子さんが幸せになる事だから。今まで、ありがとうね!」
「うん、私の方こそありがとう。それじゃ、また、天国でね!」
鐘の音と共に @monakatabetai
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