5 ゾイ


「父は、イスラエルの子達の苦しみに 身を裂かれていた。

愛する子供達が苦しむ事は、自分が苦しむ事より

ずっとつらい」


葦の葉も川面も、砂も 私達やエステルも染めた

赤オレンジに燃える夕日が沈み、深くなっていく空に 星がまたたき出すと、私達は 赤いトーガのオリーブの木の下に立っていた。


しかも、よく晴れた青空と 太陽は昼間のもの。

死海の周囲には、ホテルが並んで建っている場所や コテージのような建物がある場所も見える。

現代の死海みたい...


「何なんだよ?!」


また怒ってしまった ミカエルは、私の頭の上の

エステルに気付くと

「戻ったみたいだけど」と 声のトーンを落した。


10月になっても、この辺りの昼間の気温は まだ

30度近くになる事もあって、水着で湖に浮いて 本を読んだり、ミネラル分が多く含まれた泥を身体に塗っている観光客も見える。


私達が居る場所は、ホテルからは遠い場所だからなのか、何もなくて飲み物も買えないからなのか

全く人は居ないのだけど。


木のトーガを外して、私に掛けた ミカエルは

「やっぱり、エデンに行く?」と 観念したように

エデンのゲートを開いた。




********




エデンは夜。

今日は、液体シャボンの雲も出ていなくて

澄んだ空に輝く星々。


二本の大樹、善悪の木と生命の木の下に、地上の衣類やブーツと リュックを置いた。

アダムとエバ、二人をそそのかしていた蛇も居ない。

エステルが蝶の羽で羽ばたき駆けて、また遊びに行ってしまった。


ミカエルを手を繋いで 果樹の森へ入ると、ぶどうを取ってくれて、二人で食べながら歩く。

エデンは夜も穏やか。

草原や木々を 星明かりが照らして、照らされた地面や木々には、ほのかな光が宿ってる。


少し先に、二つの赤い幕屋が見えたけど

中に灯る灯りは 小さなもので、とっても静か。

「イヴァン達は寝てるかも」って事で

明るい時間に会いに行く事にして、アボカドの森に座って、少し休憩をする。


「さっきの事、何だったんだろう?」

「唐突に戻りましたね... 」


現代の日本から 紀元前の死海に着いた時は、移動がスイッチになったと思ったのに、エジプトから 現代の死海に着いたのは、移動ではなく日の入りだった。


出エジプト記をまとめるためなのかな?

声が それを読んでたから。

だけど、まとめたのは2章だけだし...

夢で見た気がしてた、アブラハムの時代の死海は

まだ わかるのだけど、アダムとエバについては

やっぱり わからない。

死海の水に浮こうと考えなければ、ミカエルは

エデンを開かなかったのだし。


「まぁ、いいか。わからないし。

今度 バラキエルにでも聞いておく。

あいつ、考えるの好きだから」


ミカエルは もう、本当に気にしていないような笑顔。戻って来れたし、いいみたい。

でも、うん。ボティスは意外と、こういう現象の答えが出るまで考える人だと思う。


それから、気を使うのが とっても上手。

モレクの時の事を思い出す。

ミカエルが 私の眼を見るために、顔を近付けた時

ゾイからファシエルに姿が戻りかけてしまって。


それを隠すために、ボティスは私にパーカーを掛けて 自分の方に引き寄せたのだけど、その腕の感じからは、女性の私を抱えてるんじゃなくて、物を抱えてる って感じがした。

私に 一切、自分が異性だと意識させなかったけど

ミカエルには意識させていたようで...


沙耶夏や朱里、ヒスイを男性から庇う時は、お手本にしてる。これからは リラやニナ、シイナも。


アボカドを取って、つるぎで切った半分を 私に渡してくれた ミカエルは「あの場所に行く?」って

笑顔で聞いてくれる。

「はい」と 返事をして、木の下から立ち上がると

一緒に歩き出した。


幕屋を張った あの場所には 二本の大樹の間を通って行くのだけど、大樹の前に着いた時に ミカエルは何かを思いついたようで

「ちょっと待ってて」と、第四天マコノムの楽園へ戻ってしまった。


だけど 私がアボカドを食べている間に戻って来て

右手には 第二天ラキアの糖蜜パイを 二切れ、左腕には

「これも第二天ラキアから持って来たんだ」っていう、天衣用の白い大きな生地を畳んだものを抱えてる。


エデンなのに翼が出ているのだけど、イヴァンたちが居るから、天使だと分かるように ラファエルが術を掛けているのだそう。

天に戻ったから、背中の翼の目眩ましは 解けてしまったみたい。


「今日は、椅子と棚も作るけど

後で ジズのところへ行こう」って。


... “神は また言われた、

「水は生き物の群れで満ち、

鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。

神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、

また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。

神は これらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海たる水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。

夕となり、また朝となった。第五日である”...


創世記 1章20節から 23節までにある、この時に

海のレヴィアタンや 陸のベヒモスと共に作られた空の獣。エデンに居るみたい。


大樹の間を抜けると、こちら側は明るくて

空の色や日差しは、午後のものように見える。

白い揚羽蝶が ふわりと横切った。


もらった糖蜜パイを食べながら ブナの森を 二人で歩いて、森の泉から 滝壺の下へ潜る。

あの場所へ行く事が とても嬉しい。

美しい水中花の洞窟を抜けると、幕屋が見えた。


泉の上がり口には、階段のように重なった岩があるのだけど、一段分だけ足りなくて、水の中で大きく足を上げる事になってしまう。

でも この段の時は、いつもミカエルが 私を両腕で抱え上げて、上の段に乗せてくれる。


「ありがとうございます... 」


お礼を言うと「うん」と 隣に上がったミカエルが

微笑って、私の手を引いて 泉から上がりながら

「このままにしとこうと思う」と 言った。

足りない段の事だと気付いて、嬉しくて照れてしまう。


「先に、棚と椅子を作る」


幕屋の前に 天衣用の生地を下ろした ミカエルは

前に置いておいた木材のカットを はじめたから

その お手伝いをしているのだけど、とっても楽しい。


椅子は、背もたれは無いのだけど

テーブルを作った時と同じように、脚に 剣で模様を彫り込んでる。これを 二脚分。


ミカエルが彫り込んでいる時、私は見ているだけだったし、邪魔にならないか気になったけど

「何か、お手伝いする事はないですか... ?」って

聞いてみる。

椅子の脚から眼を上げて、私を見た ミカエルは

ニコっと微笑っただけ。

今は特に、お手伝い出来る事がないみたいだから

蔦と鳥の模様が彫られていくのを見学してる。

これを剣でなんて、すごく器用...


つい「すごいです」って 言ってしまったら

「でも、細かいやつは苦手。

ファシエルの弁当の海苔も すごい」って 言ってくれて「ありがとうございます... 」って お礼を言った。

沙耶夏も、私の海苔細工には目を見張ってたけど

一応 天使だから、人間よりも指先が器用に動きやすいんだと思う。


八本の椅子の脚の模様が出来ると、丸くカットした座る部分に取り付けた。

ミカエルが 幕屋の中から取ってきた小袋から

小さなゴールドの粒を取り出して 脚の 一本に付けると、脚同士の間にゴールドの糸のような細い蔓が渡って補強されていく。きれい。

細い蔓は、ミカエルが彫り込んだ蔓や鳥も彩ってる。この上に座るなんて...


見惚れてしまっていたのだけど「次は棚」って

大きな板 四枚の四隅に、剣で穴を開けると

二人で 四枚の板を立てて並べて、棒状の木材を穴に通していった。

棒の部分には、またゴールドの粒を付けていて

細いゴールドの蔦が棒に巻き付いて 葉を広げてる。


「出来た。幕屋の中に入れよう」


赤い幕屋の入口を開けると、天窓の下には

前に来た時に作った テーブルがあって、そこに

椅子 二脚を置く。

運び込んだ棚は、テーブルの左側。

幕屋の壁に付けるように置くと、これだけでも

お家らしくなって ドキドキした。嬉しい...

「うん」って、ミカエルも満足げ。


ここまで出来て「ジズのところへ行こう」と

幕屋を出ると、エデンにも夕暮れが近付いてる。


幕屋の前に置いた 天衣用の白い大きな生地を

左腕に抱えたミカエルは、私の事も 生地の上に載せるように抱え上げると

「掴まって」と、真珠色の翼を羽ばたかせた。

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