2 ニナ


部屋に戻ると、まず メイクを落として

シャワーを浴びる。

お店の匂いとか空気をくっつけたまま居たくなくって。

でも今日は、ネイルも落としてからにしよう。

ちゃんと塗り直したいから。


すっかり いろいろと落として流して、普通の下着と部屋着になると、やっと ほっとする。


洗面台のところで、化粧水や乳液をつけて

髪も乾かして。

冷蔵庫を見たら、お茶が まだあったから グラスに注いで。

小さいリビングに入ると、棚に置いてるネイルの瓶を入れたケースも持って、テーブルの前に座った。ソファーも置いてるんだけど、だいたい床に座っちゃう。


何か観ようかな...

仕事から帰った時間だと、テレビは 明け方までやってるニュースか 情報番組が多くって。

深夜のバラエティ番組も終わっちゃってるし。


でも、音がないと落ち着かなくて、音楽の気分でもないから、タブレットを開いて 映画をつけとくことにした。

なんでもいいんだけど、静かな方がいいな。

静かな外国の言葉が耳に入るような。


お茶を ひとくち飲んで、アプリを開いて

映画のタイトルを見ていくけど、なんでもいいって思った割に、なんだかイマイチ。


先にネイルの色を選ぶことにして、ピンクに近いベージュにした。こういう色 好きだし。


ベースを塗っていると、やっぱり音がなくて落ち着かない。

爪が当たらないように気をつけて、ビューって

タイトルが並んだ画面をスクロールする。

うーん... カテゴリーをドラマにして、もう 一度。


あ。これにしようかな。

次のページにいく前に、一番下に載ってるの。

メディ... ううん、メデゥ... ?

うん。原題は読めないけど、カタカナの題では

英語に直してカタカナにしてある。

イスラエルとフランスの映画? イスラエルかな?

言葉、音だけじゃ 絶対に解らなそう。


再生をタップして、最初の方を ぼんやりと観てみる。

あっ。やだ。お別れスタートみたい!

カレシが出ていっちゃうところ。


なにか言うことはないの? って聞く彼に

ちゃんと答えられない彼女は、彼が行ってしまってから、“行かないで” って呟いた。

やだー これだけで かなしい。


でも、言えないよね。わかる。

距離が近いほど言えない。

言っちゃいけない気がするもん。心の中身なんて。

もし 言えてたら、行かないでくれたとしても。


... あぶない。ちゃんと観るのは よそう。


指先に、ふーってやったり、はたはたしてみたり。このベース、すぐ乾くんだよね。

さっき選んだ ピンクベージュの瓶の蓋を開ける。

筆が付いてる長い蓋のところに、お花と蔦が彫ってあって かわいい。


こうやって、爪を塗るのが好き。

石を付けたり、細い筆が何か描いたりっていう アートは苦手だけど。

出来たネイルが... ってよりも、塗るってことが

私の中では大切。ずっと 小さな儀式だった。


一度 塗って、乾かす間に また画面を観ちゃった。

静かな声だけだったのに、叫び声がしたから。

“やめて!” って言ってるみたいに。


画面では、パンツしか穿いてない小さな女の子が

自分の身体に通した 赤と白の浮き輪を両手で持ってるところ。

とっても大切で、これだけは外したくないみたい。舌のピアスを 少しだけ意識する。

きっと この浮き輪は、この小さな女の子にとって

これがないと、どうしても... っていうものだと思う。誰にも触れられたくないの。


最初に、彼に置いて行かれちゃった女のコが

海で、浮き輪の女の子に出会ってるのだけど

これって、小さい頃の自分 なんじゃないかな... ?

なんとなく そう思うだけだけど。


この子、5歳くらいかな?

上にTシャツも着てないから、もっと小さいのかも。... ううん。海で遊ぶ時、小さい子はパンツだけでもOK ってくらいの昔 ってこと?

海外のことは よくわからないけど、日本なら小さくても、女の子にパンツだけ ってことはない気がする。... あ、裸のこころ って事なのかな?

自分でも触れられない、胸の奥深くの。


うん。わからないけど、ブロンドの髪に青い眼が かわいい。

顔の輪郭が丸いの。それで、とっても無邪気。


私、このくらい頃、幼稚園の制服が

スカートじゃないのが イヤだったなぁ...


“スカートがいい!” って頼んでも

“男の子は おズボンなんだよ” って言われちゃって

泣いて。

幼稚園は好きだったから、仕方なく半ズボンの制服で通ってたけど、納得は出来なくて。


ひとりっ子だし、お家に帰ったら ママのスカートを穿いて、お化粧して、アイシャドウをぼろぼろにしちゃって 叱られたりもして。


ママは よく、不安そうなパパに

“まだ小さいから”... って言ってた。


そういうパパを見てて

お誕生日に、女の子用のメイクセットを頼んでも

“売れちゃってたんだ” って、サッカーボールだったり、クリスマスも ゲーム機だったりして。

なんとなく、したい格好をしちゃいけないんだ って思ったし、ピンクじゃなくて 青を選ばなくちゃ って思った。


でも、ママが選んで買ってくる どのシャツもパンツも 好きじゃなかった。

黄色なのはいいけど、緑で英字が入ってたり

パンツも味気ないジーパンだったり。

いつも 下を向けば目に入る スニーカーが、一番キライだったけど。

小学校のランドセルも黒。持ち物は だいたい紺か青。上靴はもちろん、鉛筆や消しゴムまで。


入学式の時も、私は 紺のスーツに臙脂のネクタイを着けられたんだけど、同じクラスの女の子で

淡いピンクのジャケットの中に、薄いグレーのワンピースと、履き口に ふわふわのレースが付いた靴下を履いてる子がいて、すごく羨ましかった。

毛先をくるくるにした髪を纏めて、ピンクのリボンも付けてて、お姫様みたいで。


タブレットの映画の中では、彼に置いてかれた主役の女の子が、お仕事までクビになっちゃってる。

同じように クビになっちゃった女の子と居て

その子の小さい頃のビデオを観てる。

主役の女の子には、たぶん こういうビデオはないんだろうな... 写真だって 少ないのかも。


お茶を飲んで、爪の 二度目を塗る。

塗るのは大切なんだけど、匂い、すごいよね。

換気扇は つけてたけど、今頃になって 窓も少し開ける。


パパは私に、スポーツばかりさせたがったなぁ...

“やってみるか?” って、勧めてくるのは

サッカーに野球に、空手に剣道。

身体を動かすのは好きだったし、勧められたのは

男の子のスポーツってものばかりじゃなかったけど、全部 断ってた。

バレエを習ってる子が羨ましかったけど、それも言えなくて。


小学校の低学年の時って、学校でも 学校の外でも

まだ、男女 一緒に遊んだりするよね?

学校や公園に集まったりして。

その頃は、まだそこまで、自分がキライ っていうか、ダメと思ってなかったんだけど

身体が変わってくる頃、保健体育の授業で

自分が どうなっていくのか、女の子が どうなっていくのかを知って、ショックだった。


身体付きも ごつごつしちゃって、声も低くなるんだ... ヒゲや体毛も濃くなっていくなんて。

パパや、周りの大人を見れば 分かる事なのに

どうしてか、自分とは切り離して考えてた。


小学校の四年生か五年生くらいの時、私の身長は

140センチ以上あって、クラスでは大きい方だった。

学校のトイレで鏡を見たら、顔の輪郭も、肩も

もちろん胸も、腕だって 女子とは形が違う。


このまま、どんどん...

どうして? 私は こんなふうじゃないのに。

自分のことを、“ぼく” って言ってたから?

青いものばっかり選んでたから?

どうして、違う私に生まれてしまったんだろう


しゃがみ込んで、上靴の先の青いところを見ながら 泣いてしまって、気づいたら 男の先生に支えられて、保健室に連れて行かれるところだった。

先生の力強い腕と、肩や背中に当たる胸がイヤだった。いつか こんなふうになってしまうなんて...


二次性徴を迎えると、自分の変化に 耐えられずに

混乱して家で暴れたり、学校も休みがちになって。

でも、“病院に行って 相談してみよう” って言われると、それはそれで、自分に欠陥があるように感じてることを、外側から突き付けられるような気がして、頑なに拒んでた。

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