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地の深くから何かが突き上がって来る。


「yayehe... 」


yayehe... “神が生まれる”


影の恩寵と地獄ゲエンナの鍵は、白金の髪の男に取り込まれ、男は、“モルス” になった。

落雷が止み、空気を染めていた虹色の光も薄れていく。


「ジェイド、退け! ヘルメスも首は置いて退避!

レミエルも 天使お前等も守護!」


ミカエルが地に降り立つ。

皇帝を支えるハティとシェムハザが 黒い翼を広げ

枯れた泉に後退し、三日月鎌ハルパーをぶら下げたヘルメスも、ソファーの前に腰を着いた オレの前に顕れた。


大いなる鎖をミカエルに渡したレミエルが、ジェイドを連れて戻り、ヘルメスやキュベレの頭部を囲んでいた天使たちが泉とオレらの前に降りた。

胸の前に立てた剣に 光を籠めはじめている。


『ルアハ』『ルアハ... 』


影人霊たちは、司祭や モルスに剣を向ける ミカエルの前を通り抜け、自ら モルスに触れると吸収されていく。

神殿の前から移動したヴィシュヌが ミカエルの隣に降り立ち「ミカエルも。さっきと同じだ」と

モルスの腕から吹き飛び、遥か上空に滞空している チャクラムを指した。

ミカエルは、“やり足りねぇ” ってツラだ。


「ミカエル」


ミカエルの剣の手の上に、ヴィシュヌが 諭すように手を載せた時、一部が切れて モルスから解けかかっていた鎖が、バラバラと落ちはじめた。

天使の ひとりが「大いなる鎖が... 」と、言葉尻を震わせている。


「許さん... 」


ハティに支えられ、シェムハザの青い炎の魂で

溶けた顔半分の治療をしている皇帝が、燃えるような憎しみの眼を モルスに向けている。

モルスの眼は、ミカエルに向いた。


「父の恩寵を、だと... ?」


顔半分の皮膚は、張られる側から また溶けていく。煙混じりの荒い息。

弾けたキュベレの心臓を持っていた手は、ひどい火傷のようになっていた。


それでも祭壇へ向かおうとする皇帝を、悪魔の姿になったハティと 治療を中断したシェムハザが

力づくで止め、ボティスとトールも止めに向かう。

「ミカエル!」と、防護円にイエヴァを引っ張り込む リリトにも呼ばれ、ミカエルを見つめるモルスの手が届く前に ミカエルとヴィシュヌが消え、皇帝の前に顕れた。


「オフィエル!」


シェムハザが、泉とオレらの前に天空霊を降ろし

皇帝をトールに任せると、白いルーシーの小瓶を吹いて、モルスと司祭の周囲に 四つの召喚円を描いた。

名前を呼ばれたジェイドが

「カルネシエル、カスピエル、アメナディエル、デモリエル」と、天空精霊を降ろしていく。


「テウルギアか... 」


皇帝は つまらなそうだが

「父の恩寵は残る」と答えた ミカエルが、オレに碧い眼を向けた。立ち上がって枯れた泉へ走る。


トールと皇帝の前に立つと、オレの右肩に ミカエルが手を載せ、皇帝の手が左肩に載った。


「地皇帝ルシファーだ。偉大なる天使ミカエルと

新たなる神の下に、地獄ゲエンナの神 モルスの殲滅を... 」


皇帝が言い終わる前に、目の前に 地中から突き出た 巨大な黒い柱がそびえ立った。

... いや、柱じゃなく、影だ。

地の深くから 突き上がってきたもの。


召喚円の ひとつも消し飛び、精霊が解放されている。

青い光の天空霊も掻き消され、ギシ と 何かが歪み、黒い霧の障壁が払われた。

腰から下が蛇体になっている蛇女ナーギーの遺体が そこら中にバラバラと落ちて、干乾び 灰に崩れている。


影の柱は、この山とは別の場所にも立ったようで

遠くに立ち昇っている黒いラインが見える。

「影人と融合した人たちが燃えた場所か?」と

誰ともなしに 朋樹が言った。

もし そうなら、世界中にある入れ替わりの場所だ。


影が突き出してきた地面は、くらく深い穴になっていた。

一の山に開いた 奈落の別口を彷彿としたが

微かに コポコポと煮え立つ音や、風に焔が鳴るような 轟々ごうごうという音が昇ってくる。


「誰に」


自分の子である影の男とルアハを吸収したように

影人霊を吸収し続ける モルスが声を発すると

司祭は怯えたように見えた。


「忠誠を 誓う?」


横顔を向けたままのモルスの横で、司祭が片膝を着き

フードに隠れた顔を臥せた。

司祭に巻き付いていた 白い赦しの蔓は失われ

朋樹が再び伸ばした蔓は、司祭に届く前に 枯れて

消滅していく。


祭壇から枯れた泉へ ターコイズの眼を向けたモルス

返事を促すように、オレの背後に立つ ミカエルや皇帝を見た。

モルスの視線を受けたためか、天使たちが剣に籠めた光が 薄れ消えていく。

背後で 皇帝の歯が軋る音と、ミカエルの炎のような怒りの気配に 身が竦む。


「ルシファー」


忽然と顕れた アマイモンが、半分 赤く溶けている

皇帝の顔に見入り、モルスに嫌悪の眼を向けた。


「パイモンから伝言だ。“七層が開かれた”。

オリエンスとアスモデウスが軍と降り、ハゲニトの精霊軍にも向かわせている」


短い報告をした アマイモンが

「北方全軍に告ぐ。地獄ゲエンナの神を七層に落とせ」と 命じると、グレーの翼に白い甲冑の軍が、上空や周囲、街や他の山にも 見渡す限りに顕れた。

黒地にシルバーで エジプト十字... アンクが入った円形の盾を構え、片手には 先が鈎のようになった剣や弓、槍を握っている。


「... “わたしは父にお願いしよう”... 」


ジェイドがヨハネを読み、四郎が

「... “天地の創造主、

全能の父である神を信じます”... 」と

使徒信条を誓う。


「... “そうすれば、父は別に助け主を送って、

いつまでも あなたがたと共におらせて下さるであろう”... 」

「... “父のひとり子、

わたしたちの主イエス・キリストを信じます”... 」


シューニャ


天が黄金に輝いた。

その翼が、影の柱の穴に 黄金の炎を吹き下ろす。

「ガルダ」と、ヴィシュヌが天を見上げる。


「... “それは真理の御霊である。

この世は それを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない”... 」

「... “主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、

ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府よみに下り”... 」


天から降った でかい槍が、死と司祭の間に突き刺さった。「グングニル」と、トールが呟く。


八本脚の輝く白馬に乗り、黄金の鎧を纏う 隻眼の戦神オーディンが、真紅のマントを靡かせ

手に戻ったグングニルを高く掲げた。


戦死者霊エインヘリアルたち... 白い馬に乗った赤いサーコートの兵士たちが 黄金の空から駆け下り、モルスと司祭を囲む。


「さて、とうに死した戦士等は、先祖霊等と同じく 影人やらが重なる事は無い。

新たなる神が立とうと、天地の均衡は保たれる。

我が軍、戦死者霊エインヘリアル等を 七層に落とすのならば

聖なる秤による審判が必要なのでは?」


青銀に光を反射するターコイズの眼が見上げた オーディンは、嘲笑い モルスを見つめ返している。


「... “あなたがたは それを知っている。

なぜなら、それは あなたがたと共におり、

また あなたがたのうちにいるからである”... 」

「... “三日目に死者のうちから復活し、

天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、

生者せいしゃと死者を裁くために来られます”... 」


空中に 馬の嘶きと蹄が駆ける音が近付いて来た。

アマイモンの軍が割れ、滞空する師匠の左の翼の向こうから、四頭の白馬が牽く 黒い馬車が顕れた。


乗っている男は、オーディンのように黄金の甲冑や防具を身に着けているが、頭部の縦一列に黒い房飾りと 頬当や鼻当が付いたカッシウスを被り、肩当に留まっているのは黒いマントだ。

胸や腹の筋肉の形を象った胸当の下には、幾枚もの黄金の札がひだスカートのように腰を取り巻いていて、古代ローマの甲冑を彷彿とする。

長方形の巨大な赤いスクトゥムと、等身より遥かに高い槍。誰なんだ... ?

馬車の背後には、黒馬の騎馬隊と狼たちが続く。


「アレス!」と、男に呼び掛けた ヘルメスに

「アレス?」と、朋樹が確認した。

ヘルメスが言うのなら、ギリシャ神話の軍神 アレスだ... 破壊と戦争の狂乱を司る残虐な神。


男は「いいや、マルスだ!」と自己紹介し直し

モルスと司祭に、人差し指と中指を立てて見せた。

“くたばれ” の意味だが、この場では そぐわない。


ギリシャ神話でのアレスは、戦闘好きな神だが

知略を巡らせ勝利を掴むアテナとは違い、考えなく向かっていくので、神々にも人間にも負けまくっていた。

“マルス” は、ローマ神話でのアレス。

戦争の神に 豊穣の神という性質が加わり、ローマ帝国を建国したロムレス王の父であり、圧倒的な支持を受ける。

けど、二本指を立てて “くたばれ” は、ギリシャのハンドサインだ。


「どうしてアテナじゃないんだ?!」と聞いた

ヘルメスに、なんと シェムハザクラスではないかと思われる美しい顔を向けた アレスは

「あいつは、ゼウスに言われて 地獄ゲエンナに降りたから

俺が来てやった!」と答えた。

オレもアテナが見たかったぜ。


「... “あなたがたは わたしを見る。

わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである”... 」

「... “聖霊を信じ、

聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます”... 」


オレらとソファーの間、空中に 幽世の扉が開き

黒い薙刀を握った浅黄が飛び降りた。

扉の中には、月夜見とスサさんが立っている。


「... “その日には、わたしは わたしの父におり、

あなたがたは わたしにおり、

また、わたしが あなたがたにおることが、

わかるであろう”... 」


ジェイドがヨハネを読み、四郎によって使徒信条が「アーメン」と結ばれると、ソファーの近くで

何かが強く発光した。


ルカの脇腹だ。

背後には、白く光る人影が立っている。

黄金の空に虹が掛かり、天が開かれた。

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