150


泥濘と焔を纏う影の男が、血肉の男の手に吸収されていく。

『やめろ!!』という司祭の声と、耳をつんざく音。


贄を奪った血肉の男のターコイズの眼が、雷光を反射して青銀に光っている。


艶のないゴールドの鎖の中で、プツプツと生命の音を立てながら、影の男に触れて吸収した手のひらから、男の血肉が皮膚に覆われていき、黒髪が白金に輝いていく。足元には 影が伸びた。


「tzel... 」


男は 青銀に光る眼を司祭に向けたまま

「hen... 」と 呟いていた。

影人霊たちは、同じ眼で 男を見つめている。


「ミカエル! 鍵が!」


神殿の上に立つヴィシュヌが、螺旋を描きながら滞空している地獄ゲエンナの鍵を指し示した。


螺旋を描く六つの鍵が、祭壇に引き寄せられるように 流れ降りてくる。


ミカエルが「ヴィシュ... !」と 呼びそびれ

肩を落とした。

高速のチャクラムが、鍵を通過したからだろう。

無言でいる ハティやリリトに眼を向けてみると

「何か出来ると思ってるの?」と 呆れたように言われ、鍵に視線を戻した。


「... “その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである”... 」


白金の男から緩む鎖が、ジェイドの読むヨハネで

締められたが、司祭は

『こんな事が、許されると... 』と

ガラスを掻く音に混ざる声を震わせ

白金の髪の男から 一歩 後退った。


オレらが、ケシュムの儀式で司祭を見た時から

司祭は言葉を使っていた。

ソゾンの肉体や半魂と融合していたためだと思っていた。

けど、ソゾンの肉体や半魂が失われた今も

司祭は言葉を使っている。

オレ以外には 破裂音に聞こえるけど、時々 影人たちを介して届く思念... “完全” の思念とは 違う声だ。


言葉を使えることから、キュベレを奈落に落とす時に サンダルフォンが与えたのか、誰かが第七天アラボトの聖父の後ろから 地上にそれを落としたのか

いつ どうやって手に入れたのかはわからないが、聖父が抜き出したという “影の恩寵” を、司祭が取り込んでいる と仮定して考える。


地獄ゲエンナの鍵は、祭壇... 白金の男と司祭の間の頭上で

螺旋を描き、七層を開く者が手に取ることを待っている。

司祭もキュベレも、新たな子を生み出したことで

自身が創造主になり得ることを示したが

それだけでは、鍵は動かなかった。


夜国がルアハと呼ぶもの... 生命と運動をもたらす焔を使って、地上の生命を示した。

それが白金の男... 血肉の男に取り込まれ、ようやく 一人の人間の形になってから、鍵が動き出した。

モルス” になるために、贄である影の男... 地上と夜国の間に生まれた初子ういごを取り込むことは、司祭がしようとしていたことだろう。

今 この場で、光を受けた証である影を 地上に伸ばしているのは、白金の男だけだ。


それでも、鍵は迷っている。

白金の男も司祭も、聖父ではないからだ。

迷ってはいるけど、動き出したことを考えると

抜き出された恩寵に反応する恐れはある。

影の男を吸収したように、司祭も吸収して

影の恩寵まで、あの白金の髪の男に奪われたら...


「あ... ?」


聞いたことのないトーンの声を出した ボティスが組んでいた腕を解き、つり上がった眼を見開いている。

白金の男に巻き付いて拘束している大いなる鎖が切れて、端の一本が地面に着いていた。

男から外れそうになっている。


「tzel...  hen...  」


雷鳴の間に途切れ響く 哀れな頭部の声。

その声に、四郎が

「我が子に 加護を与えた事で、言葉が発せられるようになったのでは... ?」と 気付いた。

白金の髪の男に加護を与えたから、発声 出来るのか...  破壊ではなく、他者を護る行為だ。


でも それは、悪意の変質 を意味するんじゃないのか?

悪意が、純粋な悪でなくなったら

善悪の概念は どうなるんだ?

聖霊が大いなる意思に沿って注がれるのなら

善悪の均衡も保たれるはすだ。

新たな絶対の悪意が必要になるんじゃ...


「だが、キュベレの思惑通りにさせる訳にも

また何か産ませる訳にもいかん」


ボティスが、地面に落ちたキュベレの身体 二つの下に 天使助力円を敷き

「助力、ミカエル。神の光」と 身体を炙る。


皇帝の手の心臓は、まだ潰されていないようだ。

いや、正確には、皇帝でも潰すことが出来ない。

頭部となっても 身体が子を産み、十二翼を開いた皇帝に心臓を握られている状態でも まだ、子に加護を与えることが出来ている。


「神殿が... 」


トールが槌に帯電を始めながら言った。

頭部を ぶら下げるヘルメスの背後で

神殿に描かれた絵や文字が光り出している。


「司祭が逃げる気でいるのか?」


朋樹が足下から 赦しの白蔓を伸ばし

「絡むかどうかは分からんぜ」と、司祭に向かわせる。

ヴィシュヌも気付き、入口の前に降りたが

影人霊は止められても、司祭を掴むことは出来ない。影人霊たちは、白金の髪の男を見つめたままだ。


「あなた、何しているの?」


泉だった場所に敷かれた防護円から、イエヴァが

歩み出た。

声を掛けたリリトに顔を向け、祭壇の方を指差した イエヴァの腹が開き、噴き出した大量の赤い根が地面に潜って行く。


祭壇の下から突き出た赤い根が 司祭の足に絡み

その赤い根に 赦しの白い蔓が絡んだ。

白金の男の前にも噴き出した赤い根は、司祭との間を仕切っている。


「ミカエル、司祭から 父の恩寵を!」


ボティスが言い、大いなる鎖を握るために

レミエルが ミカエルの隣に移動した。

途端に 悪気に晒される。

哀れな頭部の冥い眼と視線が合い、その唇が短い煙を吐くと、ぐにゃりと歪んだ空気に押され

二歩 後ろへ下がって躓き、ソファーの前に腰を着いた。

泣きかけているような 赤ちゃんの声に振り返ると

赤ちゃんはロキの腕の中で、皇帝の翼を見ていた。


四郎が

「... “あなたがたは聖書も神の力も知らないから、

思い違いをしている”... 」と

マタイを読み始めると、冥い視線が外れ

「... “死人の復活については、神が あなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか”... 」と

御言葉が続くと、悪気が押し戻されていき

ソファーの背凭れに乗っている榊や、前腕で顔を庇っていたルカも 身体の緊張を抜いている。


ミカエルが司祭の背後に立っていた。

今の内に、白金の男から キュベレの加護を外せれば、ミカエルの剣や ヴィシュヌのチャクラムが通用しないってことは なくなるはずだ。

どうにか、キュベレの意識を閉ざせたら...


背後で 赤ちゃんが泣き出し

リリトが「ルシファー!」と 叫ぶように呼んだ。

雷光を纏う皇帝の翼が消えていく。

泉から消えたハティとシェムハザが 皇帝の傍に立って身体を支えたが、皇帝の横顔は皮が剥がれたかのように赤く艶めいている。

手の心臓は まだ潰されていない。

けど、皇帝はもう 限界だ。


「... “神が おつかわしになったかたは、

神の言葉を語る。

神は聖霊を限りなく賜うからである”... 」


ジェイドがヨハネを読み、四郎が

「... “『わたしはアブラハムの神、イサクの神、

ヤコブの神である』と書いてある”... 」と

マタイを読む。


一瞬、背後で 赤ちゃんの泣き声がくぐもり

腰に巻いた仕事道具入れから 何かが抜かれた。


「... “神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である”... 」


四郎の声。右肩に ピストルを持った女... ロキの手が載り「ユダ」と ロキの声が喚ぶ。


肩の上、女の指に纏わった温度のない闇が 引き金を引かせた。

皇帝の手の中の心臓が パシャリと赤く弾ける。

大きく口を開き、ソゾンの名を呼んだ頭部の瞼が下りた。


「良し」


ボティスが言い、祭壇に眼を向けている。

御言葉の影響で イエヴァが伸ばす赤い根は沈んでいたが、司祭に巻き付く白い赦しの蔓は残っていた。

ミカエルは、司祭の背に手を翳しているようだ。

司祭の胸の位置に よりくらい煙のようなものが凝り始めた。聖父の影の恩寵だろう。


白金の男が上げた腕に チャクラムが追突し

押し切ろうとしている。


「... “父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった”... 」

「四郎!」


ジェイドがヨハネを読む間に 四郎が消え、白金の髪の男と司祭の間に顕れていた。

白金の髪の男に触れられたら、吸収されるんじゃねぇのか... ?


チャクラムが押し切ろうとする白金の髪の男の手の前に立って 司祭から遮り、背後に立つ司祭に

天主でうす様の恩寵がらさを 御返し頂きたい」と 要求すると

司祭の背の真珠の光が増した。


「... “御子を信じる者は永遠の命をもつ”... 」


「司祭!」と、ルカが赤い雷を突き上げ

帯電したミョルニルが サイドから司祭の脇腹に追突し、藍のフードの中の口から冥い煙を吐き出させた。

チャクラムに妨害されながらも、手を伸ばして掴もうとする男の前から 四郎が消える。


「... “御子に従わない者は、命に あずかることがないばかりか、神の怒りが その上に とどまるのである”... 」


抜けた煙... 聖父の影の恩寵は、空に昇り

螺旋を描くように互いの周囲を回っていた 地獄ゲエンナの鍵に纏わっていく。


「父よ」


司祭の背後から、虹色の光を放つ真珠色の翼で羽ばたいた ミカエルが、赤いトーガを揺らめかせ

影の恩寵と鍵を、エデンへと誘導している。


「ehyer asher ehyer... 」


恩寵と鍵を見つめる 白金の男が呟いた。

ミカエルの眼が 男の眼を見つめ返す。

“ehyer asher ehyer”... “私は有って有る者”

あの預言の言葉だ...


「oti or ot

huhi... koakh elyon yeshuar

amekhayeh nali-atah」


“私に光の印を

神... いと高き力で救いを

祝福が成就する”...


冥い煙... 影の恩寵は、伸ばされた白い手の腕を纏い、六つ鍵も その手に落ちて溶け入る。

腕のチャクラムが吹き飛ばされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る