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「... “『ああ、わざわいだ』”... 」


赤黄の炎の血筋の翼の中、舞い上がる黒髪。

白い肌の血筋も 赤黄にかがやき燃える。

滅びは 畏ろしく 美しい


「... “『麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。

これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』”... 」


「ルシフェル!」


ミカエルの声で、麻痺していた意識が動く。

やばい 見惚れちまってた...


声に弾かれたように、ジェイドが 炎ごと皇帝を抱きとめた。十二の翼が かき消える。

胸に ロキの細い肩。背中の温度と鼓動。


オレらと 皇帝たちの間に立ったミカエルが

皇帝とジェイドを 泉へ蹴り飛ばし、剣を地面に突き立てて炙った。


シーツの下、泉の底まで、一面に輝く真珠の光が 赤い根を焼き滅ぼし、水飛沫を立てた泉に 皇帝の手から離れた ササユリが浮かぶと、赫き燃える血が上げる蒸気の中、花を中心に新たな防護円が 青白く光り浮き上がっていく。


「捉えた」


朋樹の声。

水色葉の白い蔓が 司祭の足首を取った。


赤い雷が突き上がる中、トールが人形ボティスミョルニルを投げる。光が弾け、形代が落ちた。

ミカエルの炙りの光が 地中深くに達したのか

司祭や赦しの木々、神殿の周囲から這い出し

地上で灰になっていく蛇女たちの骨を、音を立て回り飛ぶ チャクラムが砕く。


ボティスが 足元を走り伸びた白い蔓を蹴り上げ

立ち上がりかけていた 司祭を転ばせた。


「さて... 」


司祭の元へ歩くボティスが、藍衣の胸に足を載せる。

「現状、大抵のことは封じられた訳だが... 」


「四郎!」


ヴィシュヌが叫び、ようやく瓶をエデンのゲートの中に運び入れた 四郎の背を押した。

神殿の入口から 幹のように太い無数の赤い根が噴き出し、黒い鉱石のようなものに包まれ 伸び上がっている。入口が塞がるほどの量だ。


門の向こうから、蜂蜜の色に似た液体が 階段を流れ落ちていく。瓶に麦酒が湧いている。


甲冑を着けた天使たちが 剣でそれを切り落とすと

根を包む黒い鉱石だったものは、バラバラと人の形になって落ちた。

包まれていた赤い根も 落ちて灰になる。

あの黒い鉱石は、夜国に居る影人たちじゃないのか... ?


天使に切られ、神殿の下に落ちた人の形のものには 変形が起こらず、黒い木になることもなかった。

落ちたものが追突した 白い赦しの木々の幹にも

その下に転がった 身体の切断面にも、赤い血の色が見える。


影人と融合しているとしても、人間の胴体や四肢を切り落としてしまった天使たちは 呆然としているが、ミカエルに「根を入れるな!」と 一喝され

根を防ごうと 剣を盾に持ち替えた。


盾で根を受ける天使たちが、ゲートへ向かう根の侵攻を防ぐ。

地面に突き立てた剣を手にしたミカエルが 神殿の前に移動し、黒い鉱石に包まれながら入口を塞ぐ 赤い根の前に立った。


ミカエルが 両手で逆手に握った剣を振り上げた時

「根だけ!」と ルカが叫んだ。

赤い雷が突き上がり、根を包んだ黒い鉱石が消える。

逆手の剣が突き立てられると、真珠の光の中で

赤い根が灰に崩れていく。

赤い根は、雷で消えなかった。夜国のものじゃない。


「ミカエル!」


門の前に立つ ヴィシュヌが、忽然と現れた影人と

相対している。

影人は、麦酒が流れる階段を昇っていく。

甲冑の天使たちが、盾に受けた赤い根の先が灰に崩れるのを確認して 影人に向かうが、触れることは出来ていない。


「あの影... 」と、朋樹が呟く。

マッシュショートの髪に、長いガウンを羽織ったような影。

半魂を失い エデンで眠る、審判者ユーデクスのように見える。


門の向こう側から

「ミカエル、一時 ゲートを閉じろ!」という

ザドキエルの声。


「... どういう事だ?」


アーチの門は消えた... が、ヴィシュヌの足の下には 蜂蜜の色に濡れた階段が残り、背後には エデンの大地と 控えている甲冑の天使たちが居る。

門が立っていれば、門の右手の影になる位置に居る四郎が、倒れた瓶を起こそうとしている。


「エデンに 麦酒が零れたから なのか?」


形代を持ったまま 朋樹が言い

足下から伸びる白蔓に視線を落とした。

蔓は 影人を追うことはなく、重なっても変形が起こらなければ反応しない。

麦酒によって、神殿とエデンが繋がっている。


けど、あの影人が 審判者ユーデクスのものであるとしても

重ならさせなければ 取られることはない。


審判者ユーデクスを空中に」


ミカエルが命じると、階段の向こうから

「雲に籠めろ!」という ザドキエルの声。

エデンの液体のようなシャボンの雲に、審判者ユーデクスを匿うようだ。


「範囲、拡がってね?」


ルカが眉をしかめた。

エデンの大地に 麦酒が溢れ広がっているのか

見える範囲が拡がっていく。


また ザドキエルの声が ミカエルを呼び

「このままでは、麦酒が川に注ぐ恐れがある!」と 報じた。

エデンの川に?

麦酒が 善悪の樹や生命の樹に到達すれば、樹で繋がっている天にも...


「四郎。瓶は起こさず、口を階段の方へ」


神殿の上に光が弾けた。

再び エデンの門を開いた ミカエルが言い

四郎が、倒れたままの瓶の口を 階段側へ向けた。

麦酒が階段に流れ出し、黒い蔓が壁を這う 神殿を濡らしている。


審判者ユーデクスの影人は、盾を構える 甲冑の天使たちを 通過した。ヴィシュヌの目の前だ。


「泰河!」


ミカエルが オレとロキの隣に立った。

そうだ、オレが影人を消せばいい。

ロキの背を支えるために、近くに来たルカに ロキを任せて 立ち上がると、ヴィシュヌを通過した影人が消えた。 何の意味が... ?


「クソ... こっちもだ」


ボティスの声。トールが 身体を横向きにすると

泉の向こう、森の前に立つ ボティスの足下から

藍衣の司祭が消えていた。


「いや。どこかに居る。

夜国に戻った訳じゃない」


朋樹が、足下から伸び続けている 水色葉の白蔓を

視線で示して言った。

白蔓の先は、司祭の足に絡んでいた。

地面の白蔓を見つめるボティスが しゃがみ

「先は地中だ」と 伸びていく方向を調べようと

白蔓に触れている。


「ルシファー... 」


水面に青白い防護円が光り、ササユリが浮く 三日月の泉に、アバドンの背骨を持つ皇帝と ジェイドが立つ。


「僕は... 」と何か言いかけた ジェイドに

「後だ」と返した 皇帝の眼には感情が見えず

あっ... と、何故か オレが言い訳をしたくなる。

何も言えねぇけど...  ミカエルが泉に向いた。


変形した夜国の人たちを包んだ 白い赦しの木と、その木を赤く染めて 木の下に倒れている人たちの間を縫って、狐榊が走って来た。何か 少しホッとするぜ。

三ツ尾を揺らし、ロキの傍で人化けすると

「具合は どうであろう?」と

切れ長の眼で 心配そうに覗いている。


「さっきまで とは、違って... 」


途切れ途切れの呼吸の間に、ロキが苦痛の声を洩らした。

「ロキ?」と呼ぶ ルカの硬い声。

指に挟んでいた形代を降ろした 朋樹も

ミョルニルを握るトールも、ロキに振り向いた。


「この子は、出てこようとしているのよ。

だけど... 」


ロキは ルカに寄りかかったまま

胸から掛けたシーツの下に開いていた両膝を付け

右側に倒し、声を殺して 背を突っ張らせた。

「... うっ」と 息を詰めると、今度は 前に身体を起こし、両腕を腹に回して身を縮めている。

「ロキ」と、トールが呟くように呼ぶ。


鼓動が早くなっていき、血の気が引く。

苦しんでいるようにしか見えない。

皇帝は、“さっきより子宮口が閉じた” と 言っていた。赤い根は焼いたのに。

赤ちゃんが生まれようとしていても、腹から出られなかったら どうなるんだ... ?


「俺の加護があるのに」


しゃがんだミカエルが、ロキの両腕の間から 腹に触れ、難しい顔をした。

ロキの両腕とシーツの下で、ミカエルの加護の十字架クロスが白く光っている。

ルカも榊も 下手に触れられず、青い顔で ロキを見守っている。


いや... 元々、キュベレから離れた場所に居ても

ロキは、女子化することを押えられていた。

ミカエルが傍に居ても だ。

キュベレの力は、御使いであるミカエルを上回っているのだろう。

それなら、さっきの あの赤い根は、四郎やロキ、

皇帝を取るために伸ばしてきたのか?


蜂蜜の色に濡れる階段の上で、瓶が落ちないよう

支える四郎の前に ヴィシュヌが立ち、周囲を固める甲冑の天使たちも、神殿を覆う黒い蔓や 地面を警戒している。


贄とするのは、天の預言者である 四郎だ。

キュベレは、ロキのことは気に入っていても

お腹の赤ちゃんのことは そうじゃない。

自分たちの居場所が割れるから というだけでなく

何かに邪魔なのか、消そうとしている節がある。


けど、今まで 赤ちゃんに対して

言葉にしたくはないが、流してしまう とか

直接的な手には出てこなかった。

ロキに対して、女子化... 変身術の制限は出来ても

赤ちゃんに直接 手を下すことは出来ない ということなのか?


「ロキの女子おなご化を制限しておった術と

今 掛けられておる、子宮口を閉ざす術は

別のものであろう?」


榊が ロキの手の上に、自分の手を重ねて言った。


「ロキが 女子になれぬであった時や、先に 学校で腹に触れた時とも、何か 感触が違う故」


「陣痛が始まってから、術が掛けられた ってことか?」と 朋樹が確認すると、榊は

「ふむ。今も術者が 何処ぞで見ておるのではあるまいか?」と 頷いている。


「なら、ソゾンが... ?」


痛みに身を捩るロキの背を 胸で支え、不安げに怖々と ロキを見つめるルカが、静かに聞いた。


こちら側に姿を現したのは、司祭ソゾンだけだ。

けど、違う気がする。

司祭は、ずっと四郎しか見ていなかった。

黒い蔓を伸ばして取ろうとしたのも 四郎だけで

ロキの事は、オレら同然に 見てもいなかった。


ただ、ロキが産気づいたのは、藍のフードの中に ソゾンの顔を見て、“トール” と呼んだ ソゾンの声を聞いたから って 気がしちまってるんだけど...


「司祭ではない」


泉の水面に浮かぶササユリを ジェイドに取らせて皇帝が言う。


「俺の目の前で術を行使したのなら、それが 判らん事はない。例えば、この防護は... 」と

泉を光らせている青白い防護円に眼をやり

「シェミーが 花に籠めているものだ」と

ジェイドが持つササユリに 視線を動かして示した。


膝の上までが水に浸かっているが、ジェイドを伴った皇帝は、水の抵抗も感じさせずにへりまで歩き

「また 赤い根は、この術とは無関係だ」と

トールが差し出した手を取り、水から上がった。

防護円も、ササユリを中心として移動している。


ロキが弾かれたように ルカから背を離し、隣に居る榊の方へ倒れ掛かった。


「ロキ!」


朋樹が呼び、オレも しゃがんで手を伸ばし掛けたが、何も出来ない。ただ 怖い。怖い。

ミカエルが ロキの背に手を宛て

「ロキ、意識を失うな。大丈夫だ。必ず」と 眼を開けさせているが、このままだと 死んじまうんじゃないか... ?


「司祭でも、さっきの赤い根でもないんなら」と

ミカエルが 神殿の入口に碧い眼を向けると

「神殿からか」と、朋樹が 式鬼札を取り出し

息で吹き飛ばす。


式鬼札は炎の尾長鳥になって 白い赦しの木々を掠め飛び、神殿の中に追突すると、内部を カッと赤く光らせた。


泉の向こうに居る ボティスが、地面から顔を上げ

神殿の階段の上に居る ヴィシュヌや天使たちが

オレらの方に向いた。


その 一瞬の間の後、神殿を覆い濡れていた 黒い蔓が 一気に突き上がり、盾を持つ甲冑の天使たちを散らす。

神殿の入口、上部から伸び上がった太い黒蔓が

階段の先の四郎へと向かう。

ヴィシュヌが 四郎をエデンの中へ押し、四郎の手が 瓶から離れた。


ルカが「神殿!」と叫ぶと、音のない赤い雷が

神殿を包んで エデンまで突き上がり

トールが投げ込んだミョルニルが 再び神殿の内部を発光させた。

神殿の入口から エデンに伸び上がった黒い蔓が

空中で 青白の蝙蝠翼を持つ地獄ゲエンナの悪魔となって

神殿の上に落ちる。


「神殿の中だ。

司祭は、夜国むこう地上こっちの狭間に居る」


朋樹が、足下から伸びている白い蔓に触れ

「引っ張りだせ」と 命じると

泉の向こうでボティスが立って、二歩 泉側へ下がった。


ボティスの向こう側から 地面に亀裂が走り、地中に潜っていた白い蔓が 地表に現れていく。

地面を割りながら 白い赦しの木々の間を縫い進むように姿を現していく水色葉の白い蔓は、地面に落ちている遺体も跳ね飛ばし、神殿への道を描く。


神殿の入口の中まで 白い蔓の先が現れると、入口から 赤い根が噴き出した。


ミカエルは動かず、エデンの前に居る ヴィシュヌを飛び越えた天使たちが羽ばたき、大量の赤い根を 剣で切り落として燃やしている。


「瓶が... 」と、エデンの門の 向こうから

誰かの声。

麦酒を溢れさせながら回り、角度を変えた瓶が

ヴィシュヌの右足の横を擦り抜けた。


「泰河!」


ジェイドの声。泉の縁に 影人が立っている。

エデンの前で消えた、審判者ユーデクスの影人だ。

立ち上がって走るが、何で ここに...


影人は、アバドンの背骨を持ったまま腕を組む 皇帝に向かって歩いている。

歩くうちに かたちが変化しだした。

マッシュショートの髪は 長いウェーブとなり

ガウンや天衣の影は、ジャケットやブリーチズに。これまで そんなことは...


「ルシファー」と、ジェイドが 皇帝の腕を掴み

トールも 二人の方へ下がる。


変化した影人が トールの前まで たどり着いた時に

白い焔の模様が浮く右腕を伸ばして 消すことが出来たが、皇帝の影人だった。


皇帝は さっき、赤い根を滅しようと、聖句で自分の血も燃やした。

表面的には傷が付いているようには見えないが

魂での修復はしていない。

身体が傷付いた ヴァナへイムの兵士たちや アバドンには、影人が融合していた。

もし今のが 皇帝の影人だったのなら、皇帝に重なることが出来た ってことか?


「四郎!」


階段を落ちる瓶を 四郎が追って止め、ヴィシュヌも移動して 四郎を掴んだ。


神殿の入口からは、新たに赤い根が噴き出し

鉱石のような黒い根が 赤い根を包み伸びていく。

黒い根は 影人が融合した... と 考えるより早く

ヴィシュヌが回したチャクラムが 黒い鉱石が包んだ根を切断し、ぼたぼたと 人や悪魔だったものが地面に落ちている。


入口から 赤い根が噴き出すが、向かう先は エデンではなく、オレらの方だ。

消えて トールとオレの前に移動した ミカエルが

剣で赤い根を受け、真珠の光で炙り消す。


『う うぅー... 』


あ?


ゾクリとしたのか、呆気に取られたのか

とにかく、時間が止まったような錯覚に陥った。

神殿から 子供の声がしたからだ。


気のせいか?  ... いや


『ううー... 』


小さい子の泣き声が、さっきよりも近付いて大きくなり、神殿の入口に 榊くらいの背丈の女の子が立った。

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