135


泉の先。

人や悪魔の遺体が根元に転がり、赤く汚れた 白い赦しの木々の向こう。


神殿の入口に立つ女の子は、見掛けなら 四郎たちくらいか... ? もう少し幼い気もする。


毛先が鎖骨に届く髪は、ソゾンと同じ白金色だ。

曲線の頬。薄赤のくちびる。ターコイズの眼。

白い前開きの七部袖シャツから 白く細い腕。

シャツの下のボタンの幾つかを留めておらず

その隙間、腰から巻いた白く長いサロンの上に

白い腹が覗く。


『う う... 』


気になるのは、表情だ。


四郎たちくらいの歳に見えるが、涙で頬を濡らし

悲しそうに歪めた表情も、肩を揺らし、しゃくり上げる合間に息をする しぐさも、まだ小さな子 という風に見える。

今はシェムハザの城に居る 魔人の子、菜々の泣き顔を彷彿とした。


「“まことなる神”」


背後で 眠気を誘う皇帝の声が言った。

この子が、ソゾンとキュベレの...


ミカエルが、エデンの門に向けて 左手を伸ばすと

艶のないゴールドの鎖が その腕に巻き付く。

大いなる鎖。


女の子は 泣きながら、神殿から 一歩 外へ出た。


神殿の上、エデンの門には ザドキエルが立ち

階段では、麦酒が溢れ出す瓶の口に両手を掛け

何とか支え持っている四郎の前に ヴィシュヌ。

周囲を甲冑の天使たちが固め、神殿の上には

レミエルが降りた。


泉の向こうに立つボティスや 抜いたつるぎを持つミカエル、自分を見据えているトールを 不安げに見回した女の子は、一度 迷ったように神殿を振り返ったが、こちらへ向き直ると、また涙を溢れさせた。

二歩、三歩と 迷うように歩を進め、怖ず怖ずと

神殿の上を見上げる。


『あ あ... 』


階段に溢れ流れる麦酒の飛沫しぶきが、髪や肩、顔にも掛かる。

女の子の腹が裂け、赤い根が噴き出した。

幾本もの根は、四郎に向かって 伸び上がりながら太さを増すが、天使たちが剣で炙り切った。


断たれた根が灰に落ちると、女の子は 痛そうに

『ああー! あああー!!』と 声を上げて泣き

腹の裂け目から焼け落ちていく根を 両手で押さえ

小さな子がイヤイヤをするように 首を横に振る。


腹から根が落ち切ると、両手の下の閉じた裂け目が薄れていく。

すん すん と 肩や胸を揺らし、鼻を鳴らしながら

右手の甲で 涙を拭い、少し落ち着いたようだが

エデンの階段を見上げると、また腹が開いた。

幾本もの赤い根が伸び上がり、痛むのか

『キャア!! ああー!!』と 泣き叫んでいる。

自分の意志で伸ばしてるのか... ?


神殿の上に立つ レミエルが、剣を 一振りすると

赤い根が空中で両断されて 灰に落ちる。

女の子は 焼けていく腹の根を抱え、身体を折って ぺたんと座り込み、ミカエルやボティスに訴えかけるように 交互に泣き顔を向けてから、エデンの階段を見上げた。


「瓶や 私を渡せ と

交渉させられておるのでは... ?」


麦酒が溢れ出すことで、相当な重さになっているであろう瓶を支えている 四郎に、片手を上げて甲を見せ、言葉を止めさせた ヴィシュヌが

「あれは悪魔だよ」と返している。


「お前達もだ。惑うな」


神殿の上に立つ レミエルが言うと、エデンの階段や周囲を固める天使たちが、いつの間にか下ろしていた剣を握り直した。


そうだ... キュベレは、天使たちにも影響を及ぼす。聖父の肋骨だからだ。

その娘で、ヴァン神族の血も継いでいる あの子も

同じようなことが出来るのだろう。

ヴァン神族や白妖精リョースアールヴの術は、多少なら天使にも通用する。

それに、つい最近 生まれたばかりの子のはずが

もう あれだけ成長している。

赤い根を伸ばしていたのも あの子だ。

けど... と、まだ何かに揺れる。


女の子は 座ったまま、迷いながら神殿を振り返ると、イヤイヤするように 首を横に振り

『あー、あー』と、上下に身体を揺すった。

涙に濡れ、白金の髪が幾筋か張り付いた頬の顔を ミカエルに向け、ミカエルの背後... オレらの方を指差した。方向的に、ロキからは ずれている。

皇帝か... ?


首を横に振り、何かを訴えかけるように 必死に

『あー! あー』と 繰り返す女の子は

左手を地面に着けて前のめりになり、恐らく 皇帝に向けて、指を差す形にしたままの右手の腕を伸ばした。


「泰河」と、トールの声。 影人だ。

女の子は、これを報せたのか?


忽然と現れた影人は、縺れた長い髪の女だったが

背に 造り物のような硬質の翼の影がある。

アバドンじゃねぇのか... ?

女の影人から、硬質の翼が 背中に縮んでいくように無くなり、肩や胸、腰の形が変化していく。

衣類も ジャケットやブリーチズに。


「背骨があるせいか?」と、朋樹が呟き

皇帝の手の アバドンの背骨に眼を止めた。

なら、さっき出た 審判者ユーデクスの影人は... ?


半魂を失っていても、審判者ユーデクスは 死んでいない。

四層の鍵も 離れていない。


白い焔の右手で影人に触れ、金切り声を聞きながら、いや... と、五層の復讐者アラストールの心臓のことが過り

半魂を失った審判者ユーデクスの胸にも 皇帝が触れていたことを思い出した。


エデンの階段を昇っていた 審判者ユーデクスの影人は

突然 消えて、皇帝の元に現れた。

五層の鍵のように、四層の鍵も 皇帝が持っているんだったら...


白い焔の右手の先から 影人が消え

女の子が上げる苦痛の声に 視線を移すと

腹を裂いて突き出る赤い根が 地面に沈み込んでいくところだった。

地面に着いた両手両膝の間から沈み込む根は

幾本もが束になり、女の子のウエストと同じくらいの太さで、際限無く伸び続けているように見える。


足下に振動が迫り、オレと、隣に立つトール

皇帝とジェイドを囲むように、幾本もの赤い根が地面から噴き出した。


ミカエルが 地面に剣を刺し、地中を炙ると

真珠色の光に焼かれた女の子は

一瞬で 腹の根を灰にされ、弾かれて転がったが

皇帝やジェイドの周囲、防護円内の根は焼かれていない。


「... “初めにことばがあった”... 」


ジェイドが 根を掴み祈ると、その根は 地に沈んでいくが、他の根が 皇帝の脚や腕に絡む。

トールが帯電したミョルニルで 根を打ち焼き、手のひらを防護円内に着けた朋樹が 大祓を始める。


また影人が立った。

首鎧で繋がる兜と甲冑、ケープマントを巻いた 復讐者アラストールの影人は、皇帝の形へ変化していく。

白い焔が浮く右手を伸ばし、影人に差し入れると

ガラスを掻くような金切り声に『 モルス 』と 呼び掛けるような 言葉が混ざった。


推測が確信に変わった。

四層 審判者ユーデクスの鍵は、皇帝の内にある。

影人は、皇帝のなかや アバドンの背骨の中にある

地獄ゲエンナの支配者たちの鍵と重なろうと、皇帝の似姿を取り、鍵を奪う というより、鍵そのものになろうとしている。


「お前の父と母を呼べ」


泉の向こうで、ボティスが言った。

炙りの光に弾かれた女の子は、神殿の近くに立つ

赤く汚れた赦しの木に掴まりながら、身を起こそうとしているところだった。


ミカエルが上げた左腕から伸びる艶のないゴールドの鎖が 女の子の首や胴体に巻き付き、甲冑の天使たちが 神殿や女の子の周囲に降りた。

赦しの木の横に座り込んだまま 鎖ごしに自分の腹を押さえる女の子は、恐怖でパニックを起こしたかのように 天使たちにキョロキョロと視線を迷わせ、呼吸を乱して肩を揺らし、ヒュー と音を立てて 空気を吸い込んでいる。

ミカエル と、咎めたくなるのを 何とか堪える。


すぐ隣で、トールが赤い根を打つミョルニルの強い光。

皇帝に巻き付いた赤い根は、あとは 左脚の分だけだ。

左脚から腰へ登り、背を通って アバドンの背骨を持つ腕に到達した根を ジェイドが掴む。


「... “この言に命があった。そして この命は”... 」

『... やめて』


祈りに 微かな声が重なり、耳を疑う。

女の声だ。ニナの 声じゃ...


「... “さしまつりし国内くぬちあらぶる神たちをば”... 」


大祓を途切れさせた 朋樹が、防護円から手を離して立ち上がると、皇帝に突進し、アバドンの背骨を掴んだ。


「朋樹!」


トールが 朋樹の左手首を取るが、朋樹は手を離さない。 急に 何でだ? キュベレか?


「おまえ、何してるんだよ?!」


背後から腕を回し、朋樹の前腕を取ったが

背骨を掴む両腕に 力が入っている様子はない。

皇帝が朋樹を見つめ、ジェイドは掴んでいた赤い根を沈めようと 祈りを再開する。


アバドンの背骨から 右手を離した朋樹は

後ろにいる オレに肘を入れて 身体を放させると

ジェイドの口を塞ごうとした。


「朋... 」


痛ぇ... 油断して モロだ。噎せながら呼吸を整える。

トールに胸ぐらを掴まれて 持ち上げられている朋樹は、それでもアバドンの背骨を離していない。


「蔓を切れ!」


振り返った ボティスが言う。

朋樹の足下から神殿へ伸びる赦しの蔓に、黒い蔓が絡んできている。

赦しの蔓の先は、司祭ソゾンの足首に絡んでいた。

神殿の中... 夜国と重なる場でなら、影人と融合した地獄ゲエンナの悪魔や蛇女ナーギーを 黒蔓に使える。

向こうからも手を打ってきやがった ってことだ。


ただ、蔓を切ろ と言われても

司祭が選んだ対象以外は、蔓に触れられない。

ルカの赤い雷と トールのミョルニルじゃねぇと...


「ルカ!」


ロキやルカの方へ 視線を向けると

白いシーツの上で、倒れているロキが 榊の膝に頭を預けていて、青い顔をしたルカが

「腹にはない... 」と、術の印を探しているところだった。


オレの声に顔を向けた ルカは、朋樹に眼をやって

ギョッとしている。

「蔓だ」と 地面を差すと

赤い雷に「黒い蔓だけ」と命じた ルカは

朋樹の足下から神殿に繋がる蔓に 赤いラインのような雷が上がるのを見て、眉をしかめた。


トールが帯電した槌を 地面の蔓に叩き付け

黒い蔓が消滅すると、朋樹は気を失って その場に崩れたが、ルカの視線は まだ神殿に向いている。


いや... 正しくは、泉の向こう

神殿までに立っている 白い赦しの木の下に落ちた

人や悪魔の遺体を見ていた。

黒い鉱石となって 赤い根を包み、天使たちや ヴィシュヌが切り落とした遺体は、木の破片か何かに見えた。カラカラに干乾びている。


女の子に巻き付く鎖の先を持っている ミカエルの

左手の人差し指に、秤が掛かった。

吊り下げられた秤の 一方が、片側に傾いていく。


『罪だ』


鎖の先のミカエルの言葉に 顔を上げた女の子は

身体つきが変わっていた。

白いシャツを押す胸部、細い腰と曲線。

頬も少し引き締まり、七部袖のシャツから出ている腕や、白いサロンから覗く脚も 引き締まり伸びている。


地面についていた 細い指の手を上げると

手のひらから伸ばしていたらしい 赤い根が、地面から手へ縮み戻っていく。

遺体から血を飲んでいたようだ。

真っ赤な手のひらから 肘まで血が伝う。


「トール! ジェイド!」


すぐ近くに居る ルカが、でかい声で呼び

「ロキの息が!」と、榊の膝から 頭を降ろさせた

ロキを仰向けにしている。


背を緊張させる ミカエルの鎖の先で

女が笑った。

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