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まさか...


「ロキ?」


しゃがみ込んでいる ロキの背に手を宛てたジェイドが、もう 一度 ロキを呼ぶ。

これは... むくむくと不安が膨らむ最中に、ロキが

「始まったわ」とか言った。


「嘘だろ?!」

「今なのかよ?!」


予感 的中だ... 朋樹やルカは反応しているが

オレは声も出ねぇ。


「ミカエル! ロキをエデンに... 」


座ったロキの背中を支える ジェイドが呼んだが

振り返って ロキの様子を見たトールが

「いや、もう動かせんだろう」と...  えぇ?!

おい 軽く言ったんだぜ、そんなことをさ!

ここで産んじまうのか?!

司祭とボティスの間から こっちを見たミカエルも

碧い眼を見開いている。


「あ... のさ、止められねぇの?」


やっと出たのが これだったが

「ムリだろ」

「産も。って思って こうなってるワケじゃねーんだしさぁ」と、ルカにまで呆れた眼で見られた。


「朋樹。神殿に紙を飛ばせ」


トールに言われて、ハッ と 前に向き直った朋樹が

形代を飛ばした。


神殿を覆い、這い上がっている黒蔓の 一本は

エデンの階段の途中に居る 四郎の人形に巻き付いているが、まだ幾本もの蔓が伸び上がり、四郎本人を狙っている。

ルカが喚んだ雷と、トールの雷が帯電したミョルニル

司祭ソゾンは吹き飛ばせたが、ボティスの人形に巻き付いている蔓は ほどけてなかった。


蛇女ナーギーを犠牲にしているからか...

蔓の 一本一本も 個体として考えんとならんな」


もうすぐ階段を昇りきる という場所に居る四郎を見上げて、トールが 言った。

蛇女を吸収した蔓は、司祭を殺っても消えない ということだろう。


エデンの門の下で、四郎が 形代を指で挟み取り

自分の胸に宛てて 神殿の上に落とした。

人形の四郎が立ち、黒い蔓の 一本が巻き付く。


トールが「ルカ。まず、あの蔓だ」と

ボティスの人形に巻き付いた黒蔓を指す。


「えっ、いけんのかなぁ... 」


雷の喚び方に迷ったルカが、とりあえず

「蛇女が混ざった蔓」と めいを出すと

ボティスの人形の蔓だけでなく、神殿の上の 四郎の人形の蔓にも 赤い雷が突き上がったが

トールは、ボティスの人形に 帯電したミョルニルを投げた。


カッ と 光が弾け、形代に戻った人形が地面に落ち

黒い蔓も地面に焦げ落ちる。


「よし。一本ずつだが、いけそうだな」


手に戻ったミョルニルを振りかぶるトールを見て

四郎の周囲に滞空している甲冑姿の天使たちが

黒蔓に巻き付かれた四郎の人形たちから 少し引いた。巻き添えになりそうだもんな。


朋樹が吹き飛ばした人形を ボティスが掴み取った。司祭は、ルカとトールを警戒しながら

ミカエルや ボティスと睨み合っている。


っ... 」という 女子ロキの堪える声と

「何か、出来ることは?」という ジェイドの焦る声。オレは、ロキの方へ行くべきだよな...

何も出来ねぇだろうけどさ。 お?


「ふん... 」


アバドンの背骨を持った皇帝が、オレと 形代を吹き飛ばす朋樹の間を、するりと通り過ぎた。

あぁー... と 無言で手を伸ばしかけたが、止められず、案の定 ロキの方へ歩いていく。


朋樹に肘で小突かれ

「こ皇帝、防護円 出てるふじゃないっすか」と

後を追うが、噛んじまったぜ。


ロキは、後ろに座った ジェイドを背もたれにして

脱力していたが、皇帝を見上げて固まっている。

けど、痛みは落ち着いたのか?... と思ったが

また「あ... 」と 痛そうに顔をしかめた。


「痛みに、波があるようなんだ」


女子ロキの腰を擦りながら ジェイドが言い

「何か、敷くものがあるといいんだけど」と

眉根を寄せた。


「シェミー」


瞼を閉じ、痛み声を抑える女子ロキを

真正面から食い入るように見つめる皇帝が呼んだが、神殿の裏にいるシェムハザは顕れず

代わりに ササユリが届いた。自生していたやつのようだ。

ついでに防護円が拡大されて、皇帝やロキの下まで拡がった。


シェムハザは、まだ神殿の裏に潜んでおくつもりのようだが、神殿の上に居るヴィシュヌが ザドキエルと話している。

ザドキエルが エデンの門の中に声を掛けると

皇帝の背後、オレの隣に 甲冑を着た天使の 一人が顕れた。両手にシーツを抱えている。

肩につくストレートの髪はブロンド。眼の色はピンクグレーだ。珍しいよな。


「おっ、ありがとうございます」と 挨拶すると

笑顔を返してくれた天使は「タイガ?」と 聞いた。


「えっ? はい」


何で名前が分かったんだ?

「上のシーツを取って」と 言われ

天使の両腕の上から、折り畳まれたシーツを 一枚取る。


天使は、座り込んでいる ロキとジェイドの隣に移動し、ロキの後ろにいるジェイドの名前も呼んで

「術で敷こう」と、自分が持っているシーツを拡げて 二人に被せた... が、シーツは 二人を通過し

二人の下に敷かれている。


「持っててくれて ありがとう」と オレに手を差し出し、渡したシーツを受け取ると

「上にも掛けた方がいいね」と、ロキの胸元からシーツを掛けた。

ロキの爪先までをシーツが覆い、ロキの隣には

履いていた靴下やスニーカー、レギンス、下着までが顕れた。これ、脱い...


「もう、自分で脱ぐのは辛そうだからね」


そうか... そうだよな。本当に いよいよなのか...

でも 赤ちゃんが産まれたら、どうすりゃいいんだ?


「ヴィシュヌ」


天使が 神殿を振り返って呼び、片手を広げると

手の上には 白い液体が入ったストロー付きのタンブラーが載る。


天使は「はい」と ロキに差し出し、一口 飲ませ

「アムリタだよ。時々あげて」と 立ち上がった。

オレに タンブラーを差し出すので、受け取ったが

「エデンに戻るんすか?」と 聞いちまった。


天使は頷き

「必要な時は降りてくるけど、ルシフェルの近くに 天使が居ると、警戒させるからね。

囮だって聞いてるから。自ら とはね」と 皇帝にも微笑みかけている。


ロキから ササユリに視線を移していた皇帝は

「レミエル、マルコシアスは?」と、多分 天使に

聞いた。

この人、レミエルなのか... ラミエルの半身の天使だ。それで オレらのことも知ってたのか...

“レミエル” は、神の慈悲を意味するらしく

最後の審判まで眠る魂を管理する とも、審判後に

地獄に落とされない魂を導く ともいわれる。


マルコ... 元ラミエルは、ミカエルが “使う” と

楽園マコノムに引き入れている。現在の名前は ラミナエル。

髪もブロンドになってて、ラファエルに 魂の匂いも変えてもらってるんだよな。

ラミエルの恩寵は、半身のレミエルの中にある。


「天に居て、サンダルフォンを見張ってるよ」


マルコ、信用されてんな...

アリエルやザドキエル、楽園の天使たちも 奈落や

エデン、地獄ゲエンナに降りてて、手が足りねぇってこともあるんだろうけどさ。


「ふん... 」と返した 皇帝に

「ラミーは、天に戻りたがっては いたけど

忠誠は あなたに誓っている」と、また微笑って

レミエルは エデンに戻った。


気を使える人なのか、実際に そうなのか

多分 どっちもなんだろうが、皇帝の方は

“そんな事は分かっている” という顔だ。

機嫌悪くは ねぇな。


神殿の上、エデンへの階段では、黒い蔓に巻かれた人形ひとがたの四郎に赤い雷が突き上がり、トールが帯電したミョルニルを投げて 弾き落としている。

瓶を運ぶ四郎の前には、ミョルニルの盾になるためか

ヴィシュヌが浮いている。


くっ という ロキの耐える声に、エデンの階段から

ロキたちに向き直る。

「まだ、いきんだりはしないの?」と聞く ジェイドに、ロキは「いきまないわよ」と 苦しそうに答えた。


「自然に生まれてくるのよ。

人間と違って、そう時間もかからないわ」


そうなのか... また緊張してきたが、ジェイドに眼を向けられた。あぁ、アムリタな。

皇帝の隣にしゃがみ

「呼吸法ってやつとかもしねぇの?」と、タンブラーを差し出すと

「力を抜くために息を吐くだけね」と 一口飲み

ふう... と 息をついて、自分の腹を見た。

痛みが治まって 緊張が解けたようだが

皇帝も ササユリ越しに ロキの腹を見つめている。


ジェイドが「ルシファー」と 窘めたが

皇帝は「邪魔が入っている」とか言った。


「邪魔って?」と、眉をひそめる ジェイドに

「キュベレだろう。子宮口が開いていない。

むしろ、さっきより閉じた」と

良くなさそうなことを続けて聞かせた。

ロキも思わず、顔を上げちまっている。


「夜国から操作を?」


「そうとも限らんが」


皇帝は、ロキとジェイドの下に敷かれたシーツに

アバドンの背骨で触れると、短い呪文を唱え

その下に描かれている防護円を 青白に光らせた。


防護円は、ロキの下まで広がっている。

シーツが 下から何かに持ち上げられて動いた。


「ごめん、ロキ」


上に掛けられたシーツを 少し上げると

膝を立てて座る ロキの両足の間に、何かが ぞろぞろと蠢いている。シーツに透ける色が赤い。


「ジェイド!」


グラウンドで、悪魔をくびり殺した赤い根だ。

赤い根は シーツ越しにロキの脛に触れた。

ジェイドと代わるために ロキの背後に回った時に

皇帝の周りに ザッ と赤い根が伸び上がる。


「ルシファー、円を出ないと!」


ジェイドが このまま祓っても、防護円内では

根も無傷だ。


「だが、これも灰になる恐れはある」


皇帝が示すのは、アバドンの背骨だ。

赤い根は皇帝に纏わりはじめた。


根を掴む ジェイドが

「父と子と聖霊の御名の元に 悪しき根に告ぐ」と

祓いを始めたが、根に纏われる皇帝からも煙が上がる。


「ロキ、後ろに... 」


オレは、とりあえず ロキだ。

キュベレが出て来た場合のことを考えると

防護円を消す訳にも いかないが

赤い根については、ロキを円から出せば

ジェイドの祓いや ミカエルの炙りで対応出来る。


後ろへ引こうと タンブラーを置き、ロキの脇の下から腕を差し入れたが、痛みの波がきたのか

「待って」と長く息を吹き、力を抜こうとしている。

この状態で後ろに引いて大丈夫なのか?

けど、抱き上げるのも...


地に立ち上がり、皇帝の両脚や腕に巻き付いた赤い根は、アバドンの背骨にも伸びていく。


「ヨハネ。初めに... 」


ロキが、ジェイドを見上げる。

ジェイドの聖句の声が止まった。なんだ... ?


「... ルシファー、もし」


ジェイドが掴む赤い根の内部が、その手の下で

ぞろぞろと液体が流動するように蠢いている。

血管のようだ と思った時に

「君と 契約を交わしたら... 」と、ジェイドの声が言った。 瞬間、ニナが脳裏を掠める。


ジェイドの眼を見つめたままだった皇帝は

背に 十二の翼を広げると、ササユリを持つ手の腕に巻かれた赤い根を 力づくで引き伸ばし

ジェイドの胸を押し飛ばして、根から手を離させた。


「... “わたしの民よ。

彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ”... 」


聖句だ。多分、黙示録。

静かにことばを発した皇帝が煙を上げる。


「... “『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』”... 」


巻き付いている赤い根も 灰になって落ちていくが

皇帝の血も燃やされていく。

顔にもササユリの手にも 十二の翼にも、赤黄のかがやく血筋が浮いた。

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