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「どうした?」


狐榊を片腕に ブルーシートを回り込んで来た

ボティスの声を聞いて、ビクっと背中が揺れる。

すぐ後ろで、ルカが「おぅ... 」と 引いて

場所を空けちまいやがった。


「消えたぜ?」


振り返った ミカエルが、何でもない風に答えるが

ボティスは 無言だ。


「鏡に触ったのは?」


「泰河」


「いやっ、消えるとか思わなかったし... 」と

オレも振り返ると、ボティスのゴールドの眼に

射竦められた。怖ぇ...


「でも、ゴシンタイって

ルシフェルが降りる時の依り代だったり

人間が願う声が届いたりの何か なんだろ?

要らないから いい」


ミカエルは、なんとなく

“皇帝の神社じゃなくなったんじゃねぇか?” ってことに、機嫌が良くなったようだが

「どこに消えたか は、問題にならんのか?」と

ボティスが聞いた。


「ふむ。今まで泰河が消したものは、現世にも

幽世にも存在せぬのじゃ。念や霊にしてものう」


狐榊が添え

「だが これまでは、物体まで消失させた事はなかった」と ボティスが言うのを聞いて、何故か喉が鳴る。

ケシュムの儀式の場に顕れた獣が、重なり切った人たちの間を走り抜けて、触れた部分を消失させてしまったことがぎった。


「どこに行ったのかも わからないんなら

問題になるかどうかなんか、わからないだろ?

泰河が消したんじゃなくて、鏡が自発的に消えたのかもしれないし」


「自発的に?」と、つり上がった眉を 微かにしかめた ボティスに、ミカエルは

「悪魔の鏡だし、俺が見たから」と 答えた。


「何かが すっかり消失する... “無になる” ってことは 有り得ない。

消えて失くなったんじゃなくて、実際には

どこかに “移動してる”。または、形を変えてる。

肉体は 塵に還るけど、霊なら、地上や各冥界に居なくても 別の人間の中に閉じ込められている場合もあるし、浄化や休息を必要とせずに新しい生命として 生まれ落ちていることもある。

念なら、別のエネルギーに」


「父の被造物に於いては、だろ?」


ボティスは、“獣は違う” と言いたいのだろう。

けど ミカエルは

「これは 父だけの法則じゃないぜ?」と言った。


「泰河が触れて、目の前から無くなったものは

俺等ですら認識出来ない場所に移動したか

何かに形を変えただけだ。

でも 今の鏡の場合なら、天使の気配に反応して

地界に移動した恐れもあるだろ?

そう大きく考えるような問題じゃない」


ボティスや狐榊に話した ミカエルは、オレに向いて微笑った。

話していることに嘘はないんだろうし、誤魔化しているようでもないけど、オレに気を使っているように見える。


「ふむ... 」と 狐榊が頷き、ボティスは まだ

何か引っ掛かっている という表情だが

「そろそろ移動しないか?」

「ヘルメス、心配だしよ」と、ジェイドと朋樹に呼ばれ、琉地の頭に手を置いていた ルカも

「蔓の位置と 離れてきちまってるみたいだぜ」と階段を降り始めた。


「うん、行こう」


社の戸を閉めた ミカエルは、何故か オレの手を取った。

つい、「え?」って出ちまったが

「ん?」と 微笑い、オレの手を引いて行く。


「む... 」


割と空気が読める榊は、ミカエルとオレが

階段に足をかけてから 幻惑を解いた。


「... あれ?」「酔ったかな?」と

不思議そうな人たちに、朋樹が

「お社には、異常ありませんでしたので... 」と

適当な説明をする声を聞きながら、階段を降りる。


「あのヤシロの中に、俺の羽根 入れとこうかな。

日本神の時の名前は... 」


笑顔だ。皇帝の神社の乗っ取りか...

ボティスに

「お前は、日本書紀にも古事記にも登場してないだろ?」と 突っ込まれているが

月夜見キミが幻の外典 書いて、この国の どこかに隠しとけば いいだろ? スサでもいい。

誰かが見つけた時に、神が ひとり増える」と

結構 本気だ。ブロンドで碧眼の日本神な...


「例祭は、9月29日」


聖ミカエルの日か。

秋の豊穣を祝って、天使たちに感謝し

長い冬の加護を祈る。

けど、ミカエルのシンボルは

“抜いた剣” と “秤” なんだよな。


「何の神なんだ、お前は」と聞く ボティスには

「一緒に困難と戦う神」と答えているが、ルカが

「いい御利益じゃん。ほとんど聖子だけどー」と

言っちまった。


「じゃあ 実は、国譲りの時に 甕星ルシフェルを降伏させた

タケハヅチと 一緒に居た神で... 」


おっ、詳しくなってきてんな...

建葉槌命たけはづちのみこと、織物の神だ。

葦原中国平定... 天津神が “自分たちが国を治める” と、国津神に迫った時、天津甕星は最後まで抵抗し、軍神である 武甕槌神たけみかづちのかみ経津主神ふつぬしのかみにも引かなかったが、建葉槌命たけはづちのみことが これを退けた。


「ふむ」と 相槌を打つ榊に、ミカエルは

「タケハヅチが織物の神なのは

甕星ルシフェルくだした俺が、トーガを着けてたから」と

続けた。上手いこと ねじ込んできたよな。


「へぇ、有り得そうだな」


神社で適当な説明を終え、階段に追いついた朋樹が感心し、ジェイドも「日本書紀、読んだのか?」と 驚いている。


「うん。ファシエルが貸してくれた」


さっきとは違う笑顔だ。眩しいぜ。


「それで、イザナギとイザナミが

アダムとエバなら... 」


妄想が拡がってるらしいな。


「二人が産んだ国土に生える 青人草あをひとくさ

エデンから追放された アダムとエバの間から生まれ拡がっていった人間たちだと 解釈出来る」


「おう?」と 口を出すと、ミカエルは

「面白いだろ?」と オレに向いた。

青人草... 国土に勝手に発生していた人間たちのことだ。

そうか... 天から見れば “いつの間にか” ってくらい

あっという間に、地上に アダムとエバの子孫が増えたんだ。天の時間と 地上の時間は違うしな...


「俺が書こうかな。“真・日本神話”」


ミカエルは、とんでも本の構想をはじめているが

つい熱くなっちまって

「いや でもそれ、オレはさ、植物」から人間になった人たちもいるんじゃねぇか と思って... と 披露しかけて、口を噤んだ。

ボティスが ケラケラ笑い出したのが腹立つぜ。

ちょっと 顔 熱いしさ。


琉地と二人、階段の下に着いた ルカが

「シイタケ論かよ、泰河」とか 言いやがる。


「はて、椎茸とは?」

「謎理論なんだろ。人類には まだ早いような」

「是非 聞きたいね」と、うるさくなってきたが

「ボティス」と、ルカの隣に アコが立った。


「何だ?」


何かの報告だ。一瞬で、四郎やロキ、皇帝に何か... と 気が引き締まったが

「先祖の霊たちが降りる前に 重なられちまってた奴等のことで、報告が入った」と言った。

注がれた聖霊によって アマイモンの配下の憑依が解けて、影人と重なった人たちのことだ。


「まず、変形はしてないけど 影人が融合してる。額に眼がないから 分離固定は出来ないんだ」


神社の下、空き地に停めたバスの近くで

アコの話を聞く。

変形しないと 赦しの木は反応しない。

けど 重なり切っちまってて、眼は青銀色。

“完全なんだ” とか言う状態のようだ。


「先祖の霊も降りたけど、憑依 出来ない」


「えっ、ダメなのか?」と、朋樹が聞くと

アコは頷き

「重なり切った奴には アマイモンの配下も憑けなかったし、影人が父の被造物じゃないだと思うけど、聖霊も作用しない」と続け

「で、そいつ等は、入れ替わりの場所に向かってるみたいなんだ」と言った。


入れ替わりの場所... 天狗が 天使だったアバドンと結び付いた時に発生したエネルギーで、奈落の森に居たキュベレを弾き出して移動させた。


その時に、世界樹ユグドラシルの一部や 地上の場所同士も入れ替わり、影人が重なって地中に沈んだ女の人たちは、黒い根に変形した手足を入れ替わりの場所に伸ばしていた。地中で繋がろうとするように。


「悪魔や天使が、移動するのを止めようとすると

その場で燃えちまう って」


は... ?


「“燃える”?」と聞き返した ルカに、アコは

「“内臓から燃える” らしいんだ。地下水を喚んで消火しても... 」と、首を横に振った。


「ラファエルも調査に回ってくれてる。

透過で遺体の中を見たら、あばらの中は空っぽで

黒焦げだった」


外側から水で覆っても、臓器が燃えちまってるのか...


「入れ替わりの場所には、守護天使達と アマイモンの配下、地界からも ベリアルが幾軍か派遣して 見張らせてる。

ヴィシュヌと皇帝が、オージンやゼウスとも話してるところ。

入れ替わりの場所で また何かあったら報告する」


一度 話を結んだ アコは「あと、地獄ゲエンナだけど」と

傍に来た 琉地を撫で

「ベルゼとパイモン、アガリアレプト、ウリエルとゾフィエルが、ほぼ壊滅させた」つった。

まぁ、支配者も 二人しか残ってねぇし

その 二人も不在だもんな。


「アバドンに従わなかった 四層から 六層の奴等と

囚人たちは残ってるけど、今は 混乱に乗じて逃げた囚人や悪霊を捕縛してるとこ。

キュベレが七層を狙ってるから、ベルゼたちが

このまま地獄ゲエンナに居てくれる」


「わかった」と ボティスが返し

「ゾフィエルとウリエルも、“軍と共に待機”」と

ミカエルがことづけると、アコは

「うん、伝えておく」と オレらにも手を振って消えた。


「とにかく進むか」


ボティスに促されて バスに乗り込むが

ミカエルが「俺が運転する」と 言い出した。


「えっ?」「いやいや、いいよ、ミカエル」と

盛大に止めたが、ミカエルは

「お前等、少し寝とけよ」と

ジェイドの胸に触れて寝せ、朋樹に運ばせると

ルカも寝せて ボティスに渡した。


朋樹は「オレは、さっき寝たからさ」と 何とか

助手席に収まったが「泰河」と ミカエルの手が

背中に触れる。



「... いが、泰河。近いみたいだぜ」

「こっから歩きだ」


気付くと、どこかの山の中腹の駐車場で

もう明け方だ。

向かいの山には、朱い鳥居が見えた。

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