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「アバドン。随分と見やすくなった」


眠気を誘う 皇帝の声。

奈落のゲートの中の アバドンは、胸を縦に開き

胸骨から離れた黒い肋骨も開いていた。


「中身は どうした? キュベレに喰われたか?」


クルル... と 喉を鳴らすアバドンは、口の端から

黒い牙を覗かせている。青銀の眼。

地獄の悪魔たちの血で濡れ染まったのか 腰に巻いた天衣は黒く染まり、天狗アポルオンや 朋樹とルカに落とされた両腕には、黒い血管が浮く地獄ゲエンナの悪魔の腕を付けていた。


木の根が犇めく奈落の天から降りた ミカエルやボティスの軍、カラフルな木陰から姿を現す 奈落の天使や悪魔に 周囲を囲まれたアバドンは

キリキリカシャカシャと 耳障りな音を鳴らして

シルバーの金属翼を開き、一気に水平に払った。


「は?」と、朋樹がゲートの中を凝視する。

天使や悪魔たちが 咄嗟に前に出した盾に 真横に

伸びる傷が付いた。

アバドンの翼は触れていない。風圧か?

近寄れたもんじゃねぇよな...


「背後からというのは 好みじゃないけど」


天狗アポルオンの声だ。アバドンの背後、金属翼の間に立ち

剣の先をうなじに宛てているようだ。

すぐに体勢を立て直した 天使や悪魔が飛び、翼の影響を受けにくい上方から アバドンを狙う。

天狗アポルオンの剣の先が アバドンの顎の下から突き出た。


恩寵グラティア... 」


恩寵グラティアの顎の下からもだ。

ソゾンの半魂の写しを受けた 審判者ユーデクスを思い出す。

けど いつ、アバドンは 恩寵グラティアに触れたんだ?


シェムハザとノジェラの間で、恩寵グラティアが 足元から

黒い根に巻かれていく。

ミカエルの隣に居る 四郎もだ。

いつの間にか、ヘルメスが消えている。


四郎に巻き付く黒い根は、奈落の門から伸びていた。アバドンの足下だ。

膝から下が黒い木になり、地下に潜らせた根を

恩寵グラティアや 四郎に巻きつかせているようだ。


さっき、四郎や ロキに巻き付いた根も

アバドンが伸ばした根だろう。

復讐者アラストールの双頭槍が割った地面は、地獄ゲエンナと繋がっている。


「... ごめんなさい ごめんなさい、どうか 許して

ごめんなさい ごめんなさい」


道化ニバスの声だ。

しゃがみ込んでいるようで、姿は見えない。

あいつが、恩寵グラティアの足に触れたのか?

アバドンが憑依した訳でもなく、影蝗が憑いている訳でもねぇのに...


キリキリカシャカシャと 硬い音を立てる金属翼で

天使や悪魔を牽制しながら、アバドンは 顎の下を貫いた剣の刃を掴み、黒い牙が覗く唇を動かした。

アバドンの手の中で 天狗アポルオンの剣が溶け、切っ先が

地面に落ちる。術か?


恩寵グラティアの首と口から 血が溢れる。

どうするんだよ... と 気だけが焦るが、邪魔になることは わかっているので、とにかく目の前に湧いた影人を消す。


「ふん... 」


鼻から息を抜いた皇帝が

記憶メモリアの鍵も お前が?」と、アバドンに問い

復讐者アラストールの心臓を 手のひらに置いて見せると

アバドンの顔色が変わった。


「別口が空き、獄炎刃が落ちたことで

焦って 復讐者アラストールの鍵を取りに来たな?

“誘い出された” という考えには、及ばなかったのか?」


獄炎刃ってのは、復讐者アラストールの双頭槍のようだ。

皇帝は、黒く脈打つ 復讐者アラストールの心臓を

自分の胸に寄せた。


復讐者アラストールの霊は 心臓ここだ」


そのまま 身の中に吸収しちまったらしく

空の両手を開いて見せている。

これで 五層の鍵は、皇帝のなかだ。


クルル... と 喉を鳴らすアバドンが、黒い牙を剥く

すぐ近くで、恩寵グラティアが 形代になって落ちた。


思わず 影人の向こうにいる朋樹を見ると

「当然だろ? 恩寵グラティアは視聴覚室だ」と、天井を指差す。

「細かい操作のために下りて来たんだからよ」


なら、道化ニバスが謝っていたのは、アバドンにビビってのことだ。

何だよ... と 肩の力が抜けたが

硝子を掻くような声で アバドンが咆哮した。


「うわっ」と、朋樹も片耳を指で押さえ

顔をしかめているが

「爆竹みてぇだよな」と言っているので

破裂音に聞こえるのだろう。

夜国の声と言葉だろうが、影人たちが “贄” というように はっきりと言葉としては聞こえなかった。


けど、寄って来ていた影人たちの動きが止まり

一人 二人と消えて行く。

校舎に分散したのか?

アマイモンや ボティスの配下は居るが...


「皇帝、ミカエル」と 黒スーツの悪魔が立ち

「校舎内に影人が出た。学校の外でも 眠ったまま歩かされ、重なられ始めている」と 報告した。

やっぱりか...

騒ぐ声や足音、宥める悪魔たちの声がしだした。


ドッ と 何かに突き上げられたように 地面が揺れる。

奈落の門の左右、地面の裂け目が拡がると

地獄の悪魔たちが噴出し、水色の蝙蝠翼を拡げた。

両手に槍を握った パイモンの軍が追突していく。


奈落のゲートの中では、アバドンが金属翼で 天使や悪魔を振り払い、広げた肋骨を 黒い根に変形させ

悪魔に突き刺そうと伸ばしている。


ヴゥン... と音を立てて チャクラムが アバドンの

肋骨の中に突っ込んだが、背骨を断つまでには至らず、ギャリギャリと削りながら回転を止められた。


「頑丈だね」と 立てた人差し指を回した ヴィシュヌは、戻ったチャクラムで アバドンの額を狙う。

金属翼でチャクラムを弾き、露わになったアバドンの右足の前に着地した 天使の 一人が、膝に剣を突き立てた。ミカエルの配下、アシュエルだ。


金属翼が動く前に アシュエルが飛び退ずさ

シェムハザが指を鳴らすと、アバドンの術で溶けかけた剣の刃が破裂し、膝の肉を飛び散らせた。


ガラスを掻く声で アバドンが咆える。

身体を隠した金属翼を 一気に開き、風圧で 周囲の天使や悪魔を後退させた。

潰れた足の膝を 自分で掴んで砕き折って千切ると

木の形から戻した片足で跳び、両翼で 肋骨が開いた身体を包む。

着地と同時に翼を開く気だ。避けるしかない。


ゲートから出すな!」という 天狗アポルオンの声。

奈落を出れば、消えて移動が出来る。


ゲートを閉じようと手を伸ばした ミカエルを皇帝が止め、パイモンが アバドンの着地点に炎を走らせた。

赤黒い炎が 金属翼を開いたアバドンを打ち、よろめかせたが、炎に怯まず 門の外へ 肋骨の黒い根を伸ばしてくる。


「ルシファー!」と、パイモンが 皇帝の前に立ち

ミカエルが 剣の刃を四郎の前に出したが

地獄ゲエンナの悪魔の 一人が 門の前に降りた。

アバドンが突き刺した根に 生気を吸われ

干からびて落ち、塵に崩れた。

千切り落とした膝から下に 骨が伸び、黒い血管や神経、筋肉が覆っていく。


ああやって 身体の 一部も奪うのか...

地獄ゲエンナの悪魔たちは、邪魔をするためだけに来た訳じゃない。アバドンの修復のためだ。


「泰河!」と呼ばれ、朋樹に向くと

炎の尾長鳥が掠め飛び、窓を割って 右隣に降りた

地獄ゲエンナの悪魔に追突した。

仕事道具入れに差したピストルに手を伸ばしたが

悪魔を追って来たパイモンの配下が 氷のような槍で突っ込み、悪魔の胸を破裂させた。

油断 出来ねぇよな... ピストルを握る。


どこかの窓が割れる音がしたが、二階から 地獄ゲエンナの悪魔の首が飛び、胴体も落とされた。

視聴覚室の廊下の窓だった。アマイモンがやったんだろうけど、地獄ゲエンナの悪魔が 校舎にも侵入するのはマズい。


パイモンが 一度 校舎の二階に眼をやり

ゲートの前に詰めろ!」と 配下にめいを出した。

防護円を敷くと、皇帝や 奈落の門前に降りた配下たちの下まで それを拡げる。


カッと 空気中が 青白に光り、ひどい音が落ちた。

トールの雷だ。

ミカエルが 剣の先をつけて炙った地面で、打たれ落ちた悪魔たちが灰になっていく。


「おい! 動くな!」

「でも、四郎が... 」


リョウジたちは、アマイモンの配下の肩に担がれていた。

配下たちは 炙りを避けて空中に浮き、校舎側へ寄ろうとしているが、担がれた リョウジたちは

「友達が居るんです!」「降ろしてください!」と 頑張っている。


別棟の窓が割れ、黒スーツの悪魔が弾き出された。アマイモンか ボティスの配下だ。

ミカエルが 炙りを解除する。

地獄ゲエンナの悪魔たちも やられるばかりじゃない。

しかも、避難している人たちを護りながら 相手をしている。不利だ。朱里は... と 掠めたが、今は...


「アバドン」


皇帝が眠気を誘う声で「三層までの鍵を返せ」と

続けた。


「お前のことだ。まだ キュベレに渡していないだろう? 揃えて渡せば、お前は用無しになる」


金属翼で 天使や悪魔の猛攻を散らし、肋骨の根を

四方八方に伸ばすアバドンは、乱れた黒髪の中の

青銀の眼で皇帝を睨んだ。


「鍵を出しに、キュベレを操る気か?

無理だ。あれは もう目覚めた。お前の手には負えん」


ゲートの前を固める パイモンのたちの周囲に

ドッ と黒い根が伸びた。

根は あっという間に配下たちに巻き付いたが

ルカが喚ぶ 音のない赤い雷が地面から昇り

根を消滅させる。


その瞬間をついて アバドンが跳び、氷のような槍で身を護る配下たちを蹴り散らし、金属翼を拡げた。

金属翼に当たった槍は両断され、何人もが 胸や腹を裂かれたが、四郎の隣から移動した ミカエルが

アバドンを蹴り飛ばした。


再び ドッ と根が伸び、門前を固める パイモンの配下たちに巻き付いていくが、根の色が赤い。

アバドンの根とは違う...


ルカが喚んだ 赤い雷が突き上がるが

赤い根は消えず、門前の配下たちを締め上げた。

硬いものが折れる音が響き、寒気が走る。

「何だ... ?」と 朋樹も黒髪の下の眉をしかめた。


イヴァンの半魂を捕えている黒い蔓とも違う。

パイモンの配下たちは、胴体が脚や腕の細さになるまでねじり絞られていき、赤い根は奈落の門の中でも 悪魔に巻き付き始めている。


「許さんぞ、アバドン!!」


パイモンが怒鳴り、奈落の森に赤黒い炎を放った。

ごうごうと音を立てて 螺旋に巻き、火柱となって

根の犇めく奈落の天井までを焼く。


「校舎へ戻れ!」「早く!」


近くからの声... リョウジたちを抱えてくれていた

アマイモンの配下たちだ。

赤い根に巻かれ、リョウジたちを離していた。


「そんな!」「イヤです!」

「この赤いやつを何とか... 」


「リョウジ!」


朋樹と 窓を越えて走る。

あの根は何だ? 夜国の雷も効かない。

どうすりゃ...


「泰河! 影人だ!」


リョウジと真田くんの間に影人が立つ。

移動したミカエルが 二人を片腕に抱え、地面から飛び立ったが、影人は 高島くんに重なった。

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