113


イヴァンが纏わされている 天衣のような 白い布は

肘が当たる腰の部分や 膝丈の裾が血に濡れていた。

切断箇所は紐で縛られているようだが、左に ぶら下がる膝下の開いた傷や 指がついていた部分から

血が滴っているように見える。


“罪は 罰となって還る”... ?


ケシュムで アンバーを落としたことを言ってるのか... ?


罪悪感と微かな焦燥、反発心を混ぜたような

もやもやとした複雑なものを、胸の中に意識する。


イヴァンは あの時、アンバーには悪いことをした。けど、あそこまで傷つけられることは...


それに、イヴァンは

四郎との交換材料だったはずだ。


境界者ロキを』


復讐者アラストールの声。

ヴィシュヌに抱かれている イヴァンの左足が

膝から落ちた。

パイモンや悪魔たちの 翼の羽ばたきの音が遠のき

やめろ という 自分の掠れた声すら

遠く 聞こえる。


ダメだ 冷静になれ


今、イヴァンの足を落としたのは

たぶん 復讐者アラストールじゃない。キュベレだ。


「四郎!」


朋樹の声。ミカエルや ヴィシュヌの背後に

四郎が立っていた。

天空霊は解除されていない。どうやって...


「イヴァンとの交換は、私では なかったか?」


抑えた声が震えている。


『そうだ』


黒い甲冑。剥き出しの首には ミカエルに剣の切っ先をつけられたまま、復讐者アラストールが 四郎に答えた。


復讐者アラストールの背後に 半透明の十字架が浮き上がる。

はりつけにされているのは イヴァンの半魂だった。


磔にしているのは、黒い蔓だ。

影人と重なってなった 人間か 悪魔の...


『... イヴァン』と、男の声が呼んだ。

復讐者アラストールじゃない。けど、聞き覚えがある。

ソゾン じゃねぇのか?


半魂のイヴァンが 瞼を開き、四郎に眼を止めた。

“シロウ” と、唇を動かしている。


グラウンド方向の入口の上... 二階から

水色の葉が付いた 白い蔓が下りてきたが

天空霊が 行く手を遮る。

半魂のイヴァンの 夢見心地の眼が、誘われるように ヴィシュヌの方へ動いた。

ぼんやりとしていた表情が、はっきりとしたものに変わっていく。


半透明の十字架につけられたイヴァンの 右肘から先が消えた。

十字架に右肘から先を巻いていた黒い蔓は 葉を開き、黒い葡萄の実を付けた。


イヴァンが 左腕に眼を向けると

左肘から先が消失し、葉が開き葡萄が実る。


四郎が 現世に復活した時、赤色髄の葡萄の実から

四郎の血肉が作られた。

逆巻きにして、四郎に見せてぇのか?

“おまえは 人から血肉を奪った 罪の存在だ” と...


寒気をおぼえる。それが 怒りのせいだとは

すぐには気付かなかった。


右膝から下が消え、葡萄が実ると

イヴァンは 四郎に視線を戻し、涙を流した。


「やめさせろ」


ミカエルが 復讐者アラストールの首につけた剣の右腕に 力を込め、ヴィシュヌは 四郎に

まやかしだ。四肢を繋げば、霊の四肢も戻る」と

さとしているが、「イヴァン」と 四郎が消えた。


「貴方を救う と、約束しました」


四郎の声。復讐者アラストールの背後からだ。

イヴァンと 復讐者アラストールの間に居る。


「生きるとは、肉体のみならず。霊の事。

過去、私共は 破壊されながらも、勝利したのです... 」


復讐者アラストールの背中から 煙が上がる。

四郎が手のひらを付けているようだ。

復讐者アラストールを殺れば、七層の鍵が また 一つ解放される...


ミカエルが「四郎」と 止めるが、天空霊が消え、

黒髪のウェーブに 黒い刺繍のジャケット

皇帝が立った。

「アラストール」と 名を呼び

ミカエルの剣の手に、自分の手を重ねる。

復讐者アラストールの青銀の眼が 皇帝に向いた。


「今生にて 其れを知っても 尚、人とは...

いいえ、私は... 」


四郎の声に「俺の元へ戻れ」という 眠気を誘う

皇帝の声が重なる。


「愚かで、浅ましき哉」


青銀の眼や 開いた口から 炎が上がった。

四郎だ。甲冑の中を焼いている。

やっちまった... 選んだのは、鍵ではなく イヴァンだ。 けど 不思議と胸の中が落ち着く。


炎を吹き出す 復讐者アラストールの口が

“ルシファー” と 動いた。

剣が復讐者アラストールの首を貫くと、ミカエルの剣と手から

指を離した皇帝が、復讐者アラストールの胸に手を宛てた。


天に顔を向け、咆哮した復讐者アラストール

渾身の力で ミカエルの盾を弾き、右手の双頭槍を振り上げる。

ヴィシュヌのチャクラムが 復讐者アラストールの右手首を切断すると、右手は 黒い炎刃の双頭槍を掴んだまま

吹き飛ばされ、十字架の向こうに落ちた。

炎刃が グラウンドを割る。


黒い甲冑の中で焼かれる 復讐者アラストールの足が

グラウンドに根付き出した。

水色葉の白い蔓が走り、その足から巻いていく。


剣を引いた ミカエルが、白蔓に巻き込まれないよう「ルシフェル」と 皇帝を下げた。


復讐者アラストールの胸から離した 皇帝の手には、黒く濡れた

何かが掴まれていた。

指を広げた 皇帝の手のひらの上で、それが脈打つ。... 心臓 か?


「イヴァン、身体に戻ろう」


ヴィシュヌの隣に パイモンが降り、イヴァンの

指のない左足を拾った。

イヴァンの前には、見上げている 四郎。


『だめだ... 』


涙を流しながら、イヴァンが口を開いた。


『十字架から 離れない... 』


ロキと 四郎を渡すまで ってことか?

でも イヴァンの身体は、ヴィシュヌが抱いている。

キュベレは、イヴァンの身体は ロキと

半魂は 四郎と交換だと目論んでいた。

どちらかが欠けても、生きている とは言い難いからだろう。


ここに どちらもある。身体も 半魂も。

けど、黒い蔓が半魂を縛っている。

黒蔓あれは何だ?

変形を始めた復讐者アラストールには巻き付き 包み出した

朋樹の赦しの白蔓が巻かない。

影人が重なった人間か 悪魔 じゃねぇのか?


「泰河」


声を掛けられた階段の方へ向くと、ヘルメスと

ロキが下りてきた。


「起きたのか?」


ロキに聞いたが、返事は「あ?」だ。

機嫌悪ぃままだな...


「視聴覚室の白い木が、“ロキを連れて出ろ” って

言ったみたいでさ」


白い木? と、ヘルメスを見ると

「俺から出した 影蝗を包んた木だよ」と言う。


「あれ、喋んの?」と聞くと

「そうみたいなんだよね。朋樹が聞いて、伝えに来て。

まぁ でも、向こうから 一方的にめいだけが届くみたいだね。

こっちの話が 向こうに聞こえてたら、この状況で

“ロキ連れて来い” って言わないでしょ?

トールや恩寵グラティアたちと相談したんだけど

“イヴァンの身体を受け取るために、ロキの姿を見せてみよう” ってなってさ」と 肩を竦めた。


グラウンドには、ミカエルたちや皇帝もいる。

復讐者アラストールは白い木に包まれた。

空中には、パイモンの軍の悪魔たち。

けど、大丈夫なのか... ?


グラウンドに眼を向けたヘルメスが 眉間にシワを寄せ「ほら」と、顎でグラウンドを指した。


ヴィシュヌが抱き上げている イヴァンの右の肩から先が落ち、パイモンが拾っている。


「向こうは まだ、取り引きを続けてるから」


苦々しい顔で ヘルメスが言い、ロキとグラウンドへ向かう。

十字架にかかる イヴァンの右肩の先も消失し

葉が開くと黒い葡萄が実った。クソ...


目の前には、影人が立つ。マジで、何なんだ?

“贄” という 硝子を掻くような声。


右手を上げ、触れて消す前に

「何のことを言ってるんだ?」と 聞いてみたが

『にえ』と繰り返すだけだ。聞いたところで か...


『にえ』『にえだ』『にえ... 』と 同じ声が重なっていき、校庭から影人たちが寄って来る。

これ以上 侵入させる訳には... と、手当たり次第に

触れて消すが、追いつくような数じゃない。


「何してるんだよ?」


グラウンドでは、ロキを連れた ヘルメスに

ミカエルが聞いている。


「いや、様子を見に ね... 」


ヘルメスは、ミカエルより前に出ると

四郎の右側に並び、手を広げた右腕を まっすぐ

前に伸ばした。

イヴァンの十字架... というよりは、その背後、

復讐者アラストールが双頭槍の炎刃で割った地面に 手を向けているようだ。


ロキも 四郎の左側に並ぶと、四郎の肩に手を掛け

アバドンにか キュベレにか

「おい、クソアマ!」と 呼び掛けた。


「ガキを放せ! 身体に 十字架の半魂を返せ!

聞かなきゃ、復讐者アラストールの心臓も食っちまうぞ!」


脅しになってるのか?

『にえ』『にえ... 』と、寄って来る 影人たちを

消す手を つい止めちまったが

ヘルメスが手を向ける 十字架の向こうの地面から

光沢のある黒い根が這い出し、ロキと 四郎の方へ

向かっている。


ミカエルが 四郎の腕を掴み、パイモンが ロキの背後に降りたが、黒い根が 二人に絡みついていく。

十字架の半魂が解放される様子はなく

黒い葡萄の中で『マーマと 同じ場所には... 』と

イヴァンが空を仰いだ。


『僕は、生きていても 死んでもよかった。

神母のなかにマーマが居て、一緒に居られるのなら』


「もう、られぬのです!」


悪魔たちの隙間の空を仰ぐイヴァンに

四郎が言った。

ロキと 二人、脚に巻き付いた黒い根は、もう腰に届く。ルカは 根を消さねぇのか?


「共に生きる という時は、終わったのです。

ですが、心は貴方と共に在られる。

イヴァン、貴方が そのように目を背ける限り

それを知ることはないのです」


また目の前に顕れた影人を消したが、いつの間にか 寄ってきていた影人たちに囲まれている。


「生きられよ、どうか!

生きねば あなたは、御母上の愛を知ることはない」


イヴァンが、隙間の空から視線を下ろした。


「... えっ? なんで?」「... あの、ちょっと」


... なんだ?


校舎の中、あちこち教室から 声が聞こえだした。

「なにこれ?」「降ろしてください!」という

眠らされていた子たちの声だ。

校舎に向いた 皇帝が「アマイモン」と呼び、無言のめいを出すが... 抱えていた子たちを下ろすのか?


焦って「皇帝! 影人が!」と 叫んだが

「四郎!」という リョウジと

朱里が「だめ!待って!」と 止める声。

廊下も騒がしくなり、窓から リョウジが跳ぶのが見えた。

「おい!」と 呼び止める間に

「あれ!」「イヴァンだ!」と、真田くんと

高島くんも窓から跳んだ。あいつら...


けど、パイモンの配下たちがいる。

追うよりは、影人を引き付けておくべきだろう。

案の定 悪魔たちが急降下し、近づかせないようにしているが、リョウジたちは「イヴァン!」

「四郎!」と 呼び続けている。


「イヴァン」


四郎を見つめるイヴァンの名を、四郎が呼んだ。


「でも、シロウは... 僕の せいで... 」


黒い根は、四郎やロキの胸まで巻き付いていた。

二人の腕を取る ミカエルや パイモンには巻き付いていない。

ケシュムでは、誰彼構わず巻き付いていた。

イヴァンを磔にしている黒い蔓だけでなく

二人を巻く黒い根も、今までのものと違うのか?


「いいえ。私は、屈する気など御座いません」


「アバドン!」


四郎が答えて すぐに、ヘルメスが叫んだ。


「ミカエルは 預言者の腕を取ってる!

ロキからくれてやる!」


何 言ってるんだ?

ヘルメスは、伸ばしていた右手に何かを掴んだ。


ロキを巻く黒い根が急激に伸び、首や頭にも巻き付きながら 割れた地面に引っ張っていくが

黒い根に手を掛けようとした パイモンを、皇帝が止める。

根に引かれ、身体を倒された ロキが

地面に引きずり込まれた。


「根だけ!」という、ルカの声。

赤い雷が 四郎の足下から上がり、黒い根が消失する。

今さらかよ... と 苛つく間に、鈍い振動と音が

足の下に響いた。

次に 地表近くで ゴッ と音が響き、割れた地面から

無数の黒い根が噴き出した。


「やってやったぜ。

やっぱり、めちゃくちゃ怒ってやがんな」


階段を下りてきた 朋樹が言う。

なら、割れた地面に飲み込まれたのは 人形ヒトガタだ...


「根!」と、ルカの声。

打ち上がった赤い雷と共に 黒い根が消失すると

「ミカエル。奈落のゲートの移動を」と

皇帝が 復讐者アラストールの黒い心臓を持った手で、イヴァンの十字架の向こうを指差した。


黒い葡萄とイヴァンの背後... 割れた地面の上に

奈落の石のゲートが開くのを見ながら

「おまえ、何だよ その影人たちは」という 朋樹に

「知らねぇよ。“贄 贄” って 寄って来やがるんだ」と答え、また手当たり次第に消す作業に戻る。


影人こいつらに意思が出来たってことか?

それか、大元の夜国の神の意志なのか?」


「だがら、知らねぇっつってんだろ」


朋樹は、影人の間に入って観察しているが

とりあえず消す。

四郎だけでなく、ミカエルや皇帝、空中の悪魔たちにも伸びる グラウンドの根は、再びルカが 赤い雷を喚んで消した。


奈落のゲートの中には、恩寵グラティア天狗アポルオン、シェムハザ。

治療された審判者ユーデクスの姿は見えない。


突然 空気が重くなり、身体に のし掛かった気がした。

キリキリキリ... と 金属翼が開く音。

ゲートの中に アバドンが立った。

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