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「高島!」


リョウジの声に、四郎が振り返った。

高島くんの額には 別の眼が開き、本人の情報を読み込もうと 眼球がぐるりと裏返る。


「分離固定を!」と、ミカエルを見上げ

リョウジと真田くんを降ろしてもらう。

未成年には、アマイモンの配下は憑いていなかった。まだ融合もしていない。すぐに変形することはないはずだ。


「高島くんに 名前を聞いて」と、朋樹が言い

喉を鳴らした リョウジが「名前 は?」と聞いた。


ぼんやりとした高島くんが

「タカシマ ヒジリ」と、抑揚のない声で答える。


「本人じゃないと思ったら、否定を」


「違う。高島じゃない。名前は?」と

震える声で リョウジが聞くと、高島くんは

抑揚なく「タカシマ... 」と繰り返す。


「ミカエル!」と、ヴィシュヌが呼ぶ。

奈落の炎の中、アバドンと 天使たちが争い

天使たちが押されているようだ。

赤い根は、天使には巻き付いていない。

あれは何なんだ?

それに 奈落の森には、シェムハザもいたはずだ。


バキリ と 音が鳴り、リョウジたちを離した アマイモンの配下の骨が砕けた。続けて連続で鳴る音。

一人は もう胴体が拉げ、首にも赤い根が巻いている。消滅を待つのみ という状況だ。

死神ユダを喚んだ方が... と 掠めはしたが

ピストルの腕が上がらず、口が動かない。


「ミカエル」


二階の窓から アマイモンが呼び

「頼む」と 一言告げた。

本人は、恩寵グラティア審判者ユーデクスの身体の護衛で動けないのだろう。


「おれらが 出たりしたから... 」


真田くんが泣き、自分を抱えていた悪魔の手を取った。リョウジも泣きながら「名前を」と繰り返している。


「いや、校舎に居ても 同じだっただろう」と

また窓から突き落とされる 地獄ゲエンナの悪魔に眼をやって アマイモンの配下が言うが、オレも朋樹も

何も言えなかった。

校舎内には まだ、赤い根は見えない。


巻き付いた赤い根に 首を締め潰される前に

ミカエルが 根の上から首に触れた。


朋樹が「は... ?」と、憤りの声を出したが

オレも真田くんも、声も出ない。

根が、灰になって落ちたからだ。

理解が及ばない。そんな簡単に...

ただ、ミカエルが触れた悪魔も、根と共に灰になってしまった。

楽にする という目的で触れているからだ。


「悪魔だ」


ミカエルの身から真珠の光が溢れた。

いつものような安心感ではなく、畏怖の感が強い。

「赤い根は、悪魔によるものだ」と

他の二人の悪魔の根だけに触れ、根だけを灰にしたが、一人は背骨を折られて崩れ、一人は大腿骨を折られていた。


朋樹が シェムハザを喚んだが、奈落から出るには

ゲートを通過する必要がある。

赤黒の炎が渦巻き昇るゲートの前には、皇帝が立っている。


「構うな。向こうへ戻れ」と、立つことの出来ない アマイモンの配下が ミカエルに言い

「ハティ、怪我人を送る」と、二階から ボティスの声がした。

顔を見せた ボティスが、自分の配下を グラウンドに降ろし「地界へ」と命じる。

アマイモンの配下が ボティスの配下と消えると

ミカエルは「四郎は、来てくれたことを喜んでる。心配もしてるけど」と

真田くんと リョウジの背中に触れ

イヴァンの十字架と 四郎の近くへ戻った。


朋樹の隣で、高島くんと向き合う リョウジが

「名前は?」と 聞き続けている。

一度 深呼吸をした 真田くんが、抑揚のない高島くんの答えを、「違う」と はっきり否定する。


「違うよ。違う。乗っ取ろうとしてもムダだ!」


リョウジが聞き、真田くんが 影人の答えを

「違う」と 否定する。

また繰り返すと、真田くんは また泣いてしまい

「違う! 涼二は、おまえなんかに聞いてるんじゃない! 高島、起きろよ! 高島が答えろよ!」と

高島くんの肩を強く押した。


校舎から「何をしている! 重なられたぞ!」

地獄ゲエンナの奴等の術だ! 腕が... 」という声も聞こえ

窓が割れる音や 何かが壁に激突するような音もする。


「赤い根だ!」という声が聞こえると

ミカエルが校舎に振り向いた。


「... “天地の創造主、

全能の父である神を信じます”... 」


ジェイドの声だ。

確か、使徒信条。洗礼の時にも用いられるものじゃないか... ?

「根を消す。防護は敷くな。耐えろ」という

ボティスの声もする。


「アバドン!」という 天狗アポルオンの声。


奈落の門の中では、炎の中

天使たちの猛攻を金属翼で散らした アバドンの背後に跳んだ 天狗アポルオンが、白く輝く刃を 背に垂直に突き刺した。金属翼を落とすつもりだ。

輝く刃の剣は 天の物なのか、天使たちが使っている剣と 同じ輝きを持っている。


天狗アポルオン。こちら側に突き出せ」と

ゲートの中に腕を伸ばす皇帝が命じた。


ガラスを掻く声で咆哮する アバドンは、羽ばたくように金属翼を振り回し、縺れた黒髪の頭を下げ

黒い血管の腕で 天狗を掴もうと伸ばしている。


ミカエルが投げた剣が、アバドンの右腕を突いた。ヴィシュヌがチャクラムを飛ばす。


「... “父の ひとり子、

わたしたちの主ジェズ・クリストを信じます”... 」


ジェイドの声に

「オベニエル!」と呼ぶ 天狗アポルオンの声が重なった。

あれは、オベニエルの剣だ。


急降下したチャクラムが、アバドンの背と

天狗アポルオンの剣の間に入り、軋む音が響き 白い火花が散る。

喉の奥から何かに突き上げられたように アバドンが口を開けると、白く輝き揺らめく恩寵おんちょうが吐き出され、天狗アポルオンが握る剣を包む。


恩寵おんちょうに呼応するように、ゴッ と 地面が揺れる。

門の左右の裂け目が拡がり、甲冑を着けた天使たちが顕れた。地獄ゲエンナに居た天使たちだ。


チャクラムが 奈落の地面に突き刺さり、アバドンの背から切り離された金属翼が バラバラと崩れ落ちる。

「校舎へ。地獄ゲエンナの悪魔を殲滅」と

天使たちに命じるミカエルの手に 剣が戻った。


渦巻く炎の中、残った金属の片翼を開き

憎悪の眼で天狗を振り返る アバドンに

空中に顕れた天使が 聖火を纏った剣で斬りかかる。

臙脂がかったブラウンの髪に黒い甲冑、ウリエルだ。


「パイモン! 炎を落とせ!」


片翼の付け根に 挿し込んだままの 聖火の剣を残し

暴れ藻掻くアバドンから離れた ウリエルが言うと

パイモンが吹く息で、ゴオオ... と 炎が風に鳴る。


渦巻く赤黒の炎が 根が犇めく奈落の天井から捻じ曲がり、聖火の剣に落ちた。


爆発音と発光。

ウリエルの手に剣が戻ったが、アバドンの背には

外れかけた金属翼が残る。


退け、ウリエル」


皇帝が言い、天狗アポルオンが アバドンを蹴り出した。

門の境までよろけた アバドンの空の胸中に手を入れた皇帝が 背骨を掴む。

アバドンの開いた肋骨の根の全てが、皇帝の腕や背に突き刺さった。


「俺を利用し、修復しようと?」


皇帝が背に 十二の翼を開いた。

グラウンドが奈落の門を中心に 円形に沈み

地が揺れる。


「... “主は聖霊によってやどり、

おとめマリアから生まれ”... 」


ジェイドの声。

近くで「名前を... 」と続ける リョウジの声。


羽ばたき空中に浮いた ウリエルが

剣を 振動する地に投げて突き刺すと 聖火を走らせ

グラウンドを囲み、「人間の守護を!」と

校舎に向いて 天使たちに命じた。


皇帝の十二翼の向こうで閃光が走り

「ミカエル、手を出すな。預言者シロウに着け」と

いつもの 眠気を誘う声が言う。

声は、「パイモン。防護を狭めろ」と続けた。

自分とアバドンから防護円を外せ という意味に聞こえる。


「... “ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け”... 」


防護円が狭まると、皇帝の十二翼から煙が上がった。祈りの言葉に焼かれている。

アバドンの肋骨の根もある。大丈夫なのか... ?


「鍵は 背骨これの中か? やたらに頑丈だった」


アバドンの背骨は、ヴィシュヌのチャクラムでも

折れなかった。

三層までの鍵を奪うとしても、アバドンを殺らなければ 手に入らないだろう。


「... “十字架につけられて死に、葬られ、

陰府よみに下り”... 」


隠府よみ... この時の隠府は、天の隠府ハデスではなく

地獄ゲエンナのことだ。

聖子は、隠府よみに降りると 死者の魂を解放した。


「皇帝... 」と、朋樹が呟いた。

煙を上げる十二の翼から 血が流れ出したのを見て

鼓動が跳ねる。


「... “三日目に死者のうちから復活し、

天に昇って、全能の父である神の右の座に着き”... 」


読む声が増えた。ルカの声。ボティスの声。

「鍵を返せ」という 皇帝の声。

血に染まる 十二翼。


天主でうす様、ゼズ様!」


天に顔を上げ、四郎が叫ぶ。

ふと 何かに気付き、右側に視線を向けると

真田くんの隣を 白い人が通り過ぎるところだった。


「... “生者せいしゃと死者を裁くために来られます”... 」


白い人は、高島くんに重なり消えた。


「どうか、正しき裁きを!」


四郎が叫ぶと、二階から光が溢れた。

二階の廊下には、ルカが立っている。

光は、あの傷跡の位置だ。

ルカの背後から 白い人たちが顕れ、廊下を歩いていく。


校庭の方から歩いてきた 白い人が、リョウジの後ろに立った。もう 一人が 真田くんの後ろに。


「それぞれの先祖の霊だ。

泰河、おまえの姉ちゃんを通って来てる」と

高島くんやリョウジたちを視る 朋樹が言った。


奈落の門の上に 幽世かくりよの扉が開いた。

『子を孫を、同じ血の者を護れ』と 月夜見キミサマの声。

扉から溢れる白い光が 人のかたちとなって

学校にも 遠くにも降りる。


廊下の窓際に立った 榊が、左手を肩の位置まで上げると、夜空に白いオーロラが顕れた。

『また戻っていらっしゃい』という ヘルの声。

ロキの娘。世界樹ユグドラシル冥界ニヴルヘルの支配者だ。


『ヘルメス、導きを』


地面の裂け目から 男の声がすると

イヴァンの十字架の向こうで、二匹の蛇が巻く

翼の生えた杖が光った。


楽園エリュシオン幽冥エレボス冥府タルタロス、すべての者に告ぐ。

世界中に散れ」と ヘルメスの声が言い

十字架と ケリュケイオンの背後から立ち昇る 白い人たちが

夜空に拡がり散らばっていく。


「ハサエル! 月のゲートを!」

「ヤマ、祖霊界を開け!」


ミカエルと ヴィシュヌが それぞれに命じると

月から 白い星が降り注ぎ、中空に白い人が顕れ

子孫の元へと向かう。


「... “聖霊を信じ、

聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし”... 」


高島くんの額の瞼が閉じた。

眉間に黒い炎の印が浮かび上がったが、燃え尽きるように 薄れ消える。

「根が沈んでいくぞ!」という 校舎からの声。


「... “からだの復活、永遠の いのちを信じます。

アーメン”... 」


高島くんの額の瞼が消え、重なった影人が浮き出した。影人は 上から何かに押し付けられるように

地に沈んでいく。


「名前は... ?」と聞く リョウジに、高島くんは

「高島 ひじり」と答え、瞼を開いた。

白い人が身体から抜け出て 天に昇っていくと

高島くんの足元には、影が伸びた。

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