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「黒い炎が、印として見えたのに

僕は 何も出来なかった」


なんで、ルカに見えなかった印が

ジェイドに見えたんだ... ?

天の筆を使えるのは ルカだ。

意味もなく 鼓動が早まっていく。


「もし、あの時に 聖句を読んでいたら

あの印は消えたのかもしれない」


... “光は やみの中に輝いている。

そして、やみは これに勝たなかった”...


ヨハネ 1章5節

ヘルメスから影蝗を抜く時、筆で出した アバドンの印章は、オレが触れるだけでは消えず

ジェイドが これを読んで消した。


「でも僕は、“見ないで” と言った ニナを

ただ見ている事しか出来なかった。

肝心な時に、聖句を口に出来なかったのは

迷いが生じた結果なのかもしれない。

どこかで、自分で罪だと思っているから... 」


「やめろよ」


朋樹が

「それで助けられた って? 単なる推測だろ?

印は、ルカが出して固定して

泰河が消さねぇと 絶対 無理なんだよ。

見えた印も、“ニナを助けたい” と思った おまえの幻覚かもしれんぜ。願望の」と

きつい口調で止め、振り返ったトールに

「お前も やめろ」と 額を指ではじかれた。


「可能性の ひとつとして、気に留めておく」


ミカエルが ジェイドに返した。仕事の顔だ。


「他者に対する愛を示した者の霊は 融合されず、

その者を想う者によって 救われる可能性がある」と、そのままの顔で話す。

もし ジェイドが、“助けることが出来たのかも” と

ずっと考えていたのなら、どれだけ...


「だが そもそも、未成年者等などは別として

リリトの印が付いていない者の内、どれ程の者が

他者に愛を示す?」


アマイモンが イヤなことを言ったが、ヘルメスが

「そうでなくてもさぁ、愛情があっても なくても

影人は怖いんじゃないの?

防衛本能が働いて逃げても 普通だと思うよ」と

上手く口を挟んでくれた。

ミカエルも、ヘルメスには頷いている。


「でも、リリトの印が付いている人たちもいる」


ヴィシュヌが

「“重ならない” っていう噂は広まっているし

実際に影人に遭遇して、大丈夫だと解ってる人もいる。きっと、他者に手を差し伸べるよ。

信じてる」と 微笑った。

諦められても仕方がない事ばかり してきた気がするのにな。

「有難う 御座います」という 四郎の震えた声に

胸が熱くなる。


「アマイモン」


黒いスーツの男が立った。ミカエルに会釈している。耳朶にアンク、アマイモンの配下だ。


「重なられた者が増えた。

報告が上がっただけで、八万二千」


「は... ?」と、思わず 声に出ちまった。

今、話している間に、そんなに... ?


「憑依が解ける事例が続いている。

悪霊が憑いた未成年者が、リリトの印の者を殺傷し始めた。また、“影人と重なれば終わる” と 自ら

神殿や教会、宗教施設を出て、重なった者達もいる。どこの施設の周囲も 影人だらけだ」


「憑依を解き、抱き上げて宗教施設へ運べ。

自ら重なろうとする者については、何者かの唆しがないか調査しろ。

悪霊共は 神官や天使に剥がさせて、アメミットに送ってやれ」


頷いた悪魔が消える。

アメミット... 鰐の頭部に 獅子の鬣と上半身、

下半身は河馬という姿をしている。

エジプト神話での死者は、ジャッカルの頭部を持つアヌビス神により、片方に 真実の羽根が載った秤に、心臓をかけられ量られる。

この羽根より心臓が重たければ、死後 冥界へ赴くことは許されず、アメミットに魂を食われてしまう。


「“未成年者に憑いて、殺傷”?」と

ルカが繰り返した。悪霊は、食われていいよな。

ミカエルも口は出さない。

問題は、被害者になってしまう人たちと

悪霊が抜けた子の その後だ。


『... シロウ』


あ... ?


背後からの声。

息を詰めた四郎が 緩々と振り向いた。

つられるように その視線の方向へ眼を向けると

ダークブロンドの髪の少年が立っている。


「イヴァン... 」


四郎が立ち上がった。

イヴァンは、呪術セイズで 身体を抜けてきていた。

自分で仮死状態になって、自由の魂だけを飛ばしてきている。


「今、何処に居るのです?」


『もう、心配しなくて いいよ』


半透明のイヴァンは、しあわせそうに微笑った。


『ちゃんと、神母のなかに、マーマが居る って

解ったから。僕は愛されてる』


何のつもりだ?

いや、イヴァンじゃなく、キュベレに向けた言葉だけどさ。明らかに おかしいだろ。

けど イヴァンは、『妹と同じように』と

信じ切っている様子だ。


「何処に 居るのです?」


『すぐ近くだよ』


「神母とは、キュベレのことか?」


アマイモンが声を掛けながら、トールたちが座る前の席や、オレらが座る席の横を通り過ぎ

イヴァンの近くに立った。


『日本の森は、静かで綺麗だね。

でも おかしな色の木が たくさん生えたせいで

近くの山の赤い鳥居が 見えづらくなってしまったよ。緑の中の赤が 気に入ってたのに』


アマイモンに気付いてないのか... ?

イヴァンは、四郎だけを見ている。

オレらにも気付いていないようだ。


「ジェイド、朋樹」


シェムハザが、地中の影で イヴァンの霊を掴むよう 眼を向けて見せたが

「いや、何か影響したら... 」と

ヴィシュヌが止めた。


『お別れを言いに来たんだ』


「何を... 」


『僕は、生まれてから ずっと、マーマと 二人だった。これからも それは変わらない。

家族で、新しい世界へ行こうと思う』


半透明のイヴァンの身体が薄れ出した。

おかしい... セイズなら、いきなり消える。


「イヴァン、行っては なりません。

何故、御母上の御心がキュベレと共に在る となど... 」


『シロウとは、友達になりたかったけど... 』と

微笑った イヴァンが消えた。


空中に出現した何かが 四郎とアマイモンの間に

ぼたぼたと落ちた。

腰を折り、腕を伸ばした アマイモンが

ひとつを拾い上げる。


「誰だ? 人間じゃないな?」


白金の長い髪に 冥い穴だけの眼... ソゾン

いや、ソゾンの半魂が結ばれた ミロンの頭部だ。

「えっ、何で?」と、ヘルメスが立ち

ミカエルや ヴィシュヌも移動する。


「此れは... ?」


四郎が拾った 二本は、人間の腕だった。

白い肌。形は男に見える。肘から切り落とされていて、濡れた断面から 血が滴った。

大人の腕か? 少し細い気がする。違うなら...


「イヴァン... でしょうか... ?」


「四郎」


とにかく腕を受け取ろうと 席を立つと

朋樹も立った。


片手にミロンの髪を掴んで ぶら下げているアマイモンが「隠れた姿を見せろ」と 腕に言うと

四郎の両手が掴んでいる腕の 肘の先が顕れていく。

半透明の二本の二の腕が伸びて肩が作られ、間に胸や首、細い顎に 唇、まだ曲線のラインの頬と高い鼻、耳にダークブロンドの毛先がかかる...


「さっきの子供だ」


近くに移動した シェムハザが

「ディル、保存用バッグを。人間の腕だ」と

指を鳴らすと、アマイモンの術が解け

肘から先が消えた。


四郎から 腕を取り、取り寄せた布に 一本ずつを巻くと、ビニールの袋に入れ、別に届いた黒く細長いトランク二つに 一本ずつ入れた。

指を鳴らし、トランクの内部を冷やすと

「適切に保存を」と 城に送ってしまった。

呆然とする四郎の肩に腕を回し、アマイモンの近くから下がらせている。


「アマイモン。その頭部は、ヴァン神族の者だ」


冥い窪み穴の眼の頭部は、ヴィシュヌの手に渡った。絹糸のような白金の髪の毛先が揺れる。


「中身は空だ」と聞き、ミカエルが 頭部の額に

按手して確認をした。

魂は入っていないようで、頷いて手を離す。

ボティスが 赤いルーシーで悪魔召喚円を敷き

「ベリアル、忙しいところ 悪い」と喚んだ。


「何だ?

リリトの名を呼べなかった者を なるべく眠らせようと、夢魔等を派遣していたところだが... 」


召喚円に立ったベリアルが、ムッとしたミカエルを避けながら、パープルの眼をボティスに向けて

要件を聞くと、ボティスは

「送り付けてきやがった」と 頭部を指し示した。


召喚円を出たベリアルは、ヴィシュヌに挨拶の代わりの笑顔を見せ、その手にある頭部の額に

人差し指と中指を付け「... 術を解いたか」と

開いた左の手のひらを水平に出した。

手のひらの上には、二つの白い球が顕れたが...

眼球 じゃねぇのか?

ターコイズの虹彩... ベリアルが 術で落とした

窪み穴の中身だ。


「えっ?! 持ってたの?!」


引き気味のヘルメスが聞くと

平原ヴィーグリーズで地面に落として そのまま、地界の城に送っておいた。

ヴァナヘイムに眼だけ返せんだろう?」と 答え

「美しい色をしている」と、眼球のひとつに

口づけた。

おぉ... と 見つめちまっていたが、真顔の朋樹に

肘で腕を小突かれたので、二人して 立った席に

そっと座り直すことにする。


二つの窪み穴に、ターコイズの眼球の ひとつずつを嵌め込んだ ベリアルは、瞼のない 剥き出しの眼に微笑み、何故か「泰河」つった。


「はい い?」


「血肉の記憶を引き出せ」


「へ? 何すか?」


何を言われているのか サッパリだったが

ベリアルが「お前は、そうした事も出来ると聞いたが」と 眉間に薄くシワを寄せる間に

シェムハザが「頭部に触れて 眼を見ろ」と言い、

ボティスが「サリエルが棄てた身体からも

植えられた記憶を引き出しただろ?」と

左腕を上げ、手首を指して見せた。


サリエルが棄てた身体 と聞いて

“わざわいだ” という 感情のない女の声を思い出した。左腕を上げてみると、内側の手首から下に

白い焔の模様が浮き出している。

そうだった... 朱里やルカ、ジェイドにも

リラちゃんのことを思い出させたことがある。


ベリアルから ミロンの頭部を受け取り

どこも見ていない剥き出しの眼に 自分を映した。

「イヴァンは?」と、ターコイズの眼に聞くと

両手の間で 半開きだった口が動き出す。


『... 自由の魂を彷徨わせ、半分は夢の中だ。

肘の次は膝。次は肩』


怒りか吐き気かが 腹から突き上がる。

イヴァンは、催眠に掛けられて 半魂を抜かれ

両肘を切断されたようだ。

こっちに送ってきたのは、交渉のつもりか?


「どこにいる?」


息子イヴァンを待て』


「待て って、消えちまったじゃねぇかよ」


肩を抱かれ、ブロンドの長い髪が眼に入った。

おっ... ベリアルだ...  軽くギョッとして

カッとした状態から我に返る。


「結び付けたソゾンの半魂の事を聞け」と言われ

そのまま聞くと、ターコイズの眼が オレに向いた。ザッ と 総毛立つ。


『呪縛からは逃れた。妻が鍵を欲している』


ターコイズの視線が外れ、唇が脱力する。

頭部は もう、話すことはなかった。

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