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「あー... もうちょっと ゆっくり

コーヒー 飲みたかったぜー」


「そうだな。だいぶ落ち着いたけどさ」


視聴覚室の前には、四郎を除く リョウジたちが

座っていたが、何か こじんまりとしている。


「何 言ってるんだ?!」という ミカエルの声に

「ミカエル」「落ち着け」という ボティスや

シェムハザの声。


「一時、聖霊を遮断しろ と言っているだろう?」

と 言い返す声は、アマイモンだ。


ルカと眼を合わせ、そっと スライドドアを開けると、視聴覚室の前の方には、ミカエルと アマイモンが 向かい合って立っている。

どちらもキリキリした顔だ。

「... 天使の中の天使 対 中東系美神 対決」と

小声で言った ルカは

シェムハザに “口を閉じろ” の眼を向けられた。


ボティスと シェムハザ、ヴィシュヌも近くに立っているが、トールとヘルメスは 席に座っていて

その後ろに ジェイドたちが居たので、そろそろと

ルカと移動する。


「... 突然 参られて、“天に 聖霊を遮断させろ” と

仰ったのです」と 四郎が小声で言い

「天使や悪魔が、続々と報告に来てさ

未成年者に関しては、悪霊が憑いて抜けたせいで

影人と重なられちまったけど、アマイモンの配下の憑依が解けちまって、全世界で 一気に五千人くらい 重なられちまった って... 」と、朋樹が補足した。


「分離固定は?」と聞いたが、朋樹が 首を横に振る。

すぐに重なり切って、アケパロイや 二人一体

黒い根になっちまった ということだ。


「焼かれもせず 憑依が解けるのは、聖霊以外に

有り得ん! たった 一時間足らずで 五千だぞ!

朝までに どれだけの人間が犠牲になると思っている?!」


「聖霊は、注がれるべき時に 注がれる!

天と地上、父と人間の間にある 聖なる働きだ!

術でもなければ、誰かが意図して注いでいる訳でもない。“遮断する” とか、そういうものでもない。配下を憑かせたのは お前だろ?!」


元々 ミカエルは、悪魔を人間に憑依させることで

聖父に祈り求めることを させられなくなることや

聖霊を遮断させてしまう恐れ を危惧していた。


今は、世界中の人々が不安を感じて 祈り求めているのだろう。

けど、祈りに呼応して聖霊が注がれると

憑いた悪魔が抜け、影人と重なられてしまう... という 最悪の事態となっている。


「憑かせたのは、人間を護るためだ!

聖霊は それを妨害している!」


「アマイモン... 」と ボティスが止めようとしたが

「口を慎め」と、ミカエルが秤を出した。


「救いを祈り求めている者は、悪魔が憑いていない者達だ。

悪魔が憑いている者は、父や聖子、天に

拒絶反応を示す。

人間達の祈りを裏目に出させているのは

お前と お前の配下達だ」


「裏目だと?」


アマイモンも、引かねぇんだよな...


「配下を憑かせていなければ、もっと早く 重なられていたはずだ。何を言っている?」


「憑かせていなければ、自身や他の者の救いを求め、父や神々に祈る者は 今より多かった。

聖霊は人間を護るために、宗教施設へ向かうよう

働きかけていたはずだ。

夜国の神には、キュベレが影響している。

そのせいで、悪霊や悪魔が憑いた者が重なられると、すぐに変形してしまう と考えられる。

キュベレは、悪に強く干渉するからだ。

そうでなかった者は、分離固定をして 影人が抜けた」


ミカエルの推測を聞いて、思わず

「え?」と 声に出しちまった。

“悪霊や悪魔が憑いた人” が、重なられて すぐに

変形しちまうんなら、ニナは... ?


バリで、ジゴロ呪術医バリアンの蛇に憑かれたことはある。

けど 抜けたし、今回のことには関係ないはずだ。

それに他にも、重なられて すぐに変形した人はいる。


「ミカエルの推測に沿わせて考えるんなら

“罪悪感” がある人も... ってことだろ」と

朋樹が小声で言った。


罪悪感... ? ニナに?

どういうことだ? と 聞こうとして

この夏の海のことを思い出した。

ニナ シイナと、ばったり会った時のことだ。


ニナは、神父である ジェイドに

ショーパブで働く自分は相応しくない と考えていたようで、元の身体の性別のことも気にしていた。

最近なら、呪術医の術の影響で

他の男と軽く寝てみたことも後悔していただろう。


それを 自分の罪だと捉えてた ってことか?

そんなの どれも、ニナのせいじゃねぇじゃねぇか。納得いかねぇ。


そう考えたことで、表情が変わってしまっていたのか「罪悪感は、本人が感じるものだからな」と

朋樹が添えた。

悪だけでなく、罪にもキュベレは干渉する ってことか?

そうだとしても、ニナのことには納得いかねぇ。

でも ジェイドが黙っちまってるし、これ以上

このことは、話さないようにするけどさ。


「何を都合の良い事を... 」


また 苛立ったアマイモンが挑発的なことを言ったが、ミカエルは

「憑かせる事で、人間同士が助け合う という

基本的な事も妨害している。

憑いた悪魔が 奥に潜んでいる時に、何度か影人と遭遇した者は、“自分は重なられない” と

まるで選ばれた者かのように、自分を特別視 し出した者もいる。堕落へ導くな。

今すぐ、人間たちを宗教施設へ向かわせ

配下を引かせろ」と 命じた。


「堕落だと?」と、鼻で嘲笑った アマイモンは

「リリトは どうなんだ?」と 投げてきた。

なんか良くねぇ質問な気はするが、まぁ、そうだよな。

リリトは、ランダムに自分の夢を見せて 印を付けている。適当な選別のようなものだ。


「知るかよ」


ミカエル...

ボティスや シェムハザも 瞼を閉じた。


「でも、キュベレには通用してる。

お前と違って。

リリトの印がある者は 影人と重なってないだろ?」


お...  さすがに ヴィシュヌが

「ミカエル」と、止めに入ろうとしたが

怒りのあまりに 表情を固めたアマイモンに

ボティスが

「アマイモン、聞いてくれ」と 前置きし

「これは 俺の推測だが、リリトは

未成年者を除く全ての者に 印を付けようとした と

考えられる」と

さり気なく ミカエルの前に出た。


「リリトは 天から逃げたが、厳密には 堕ちてはいない。元々 天使でもないが。

墜ちた俺等とも、異教神とも違う。

だが、父の肋骨である キュベレの娘だ。

それなりの力を有する。

血縁であるリリトが印を付けた者は、キュベレの支配を受けん」


黙って聞く アマイモンに

「推測は ここからだ。

リリトは、全人類に印を付けようとしたが

“アダム” のみにしか印が付けられなかったのでは

... と」と 話を続けたが

「アダムのみに?」と、聞き返したのは

ブロンド眉をしかめた ミカエルだった。

「... 乗せられてきたね」と言った ヘルメスに

トールが頷いている。


「自身の肋骨を得た者。

つまり、リリトと別れてからの “アダム” だ」


リリトと別れてからの アダム... 自身の肋骨

妻のエバを得たアダム... ?


「何故なら リリトは、アダムに愛情が無かった訳ではないからだ。

母親であるキュベレには殺られかけ、父には娘と認められず、夫であるアダムも 自分の好きにはならなかった。

リリトは、自分が アダムより上位の存在として

アダムを可愛たがりたかったようだ。母親のように。父と同じ、天の者でありたかったからだ。

だが、アダムは そうではなかった。夫になろうとした。

リリトは、曖昧である自分の存在を憎んだ。

不要として生まれ、天使でもなく、人間にもなれず、愛されず 愛せない。

その為、アダムとエバの関係は

リリトには 尊いものとして映った」


へぇ...

「妬かなかったんだね」と、ヴィシュヌが 驚いたような顔で言ったが、オレも同じように思った。


同じ自身の肋骨でも、聖父の肋骨のキュベレと

アダムの肋骨のエバでは違う。

聖父は、自分の悪として キュベレを抜き出したが

アダムの肋骨は、アダムの助け手として抜き出されて 与えられた。

アダムは “生命エバ” と名付けて、妻を愛した。


「まぁ、善悪の実を食べるよう

サムと共に、蛇に エバをそそのかさせはしたが」


面白くはなかった みてぇだな...


「アダムとエバは、息子達である カインとアベル

後に生まれたセツも愛した。

リリトは、それが気に入っていた」


えっ、両親に愛されている息子カイン達に

自分を重ねてみた とか... ?

聖父と 母親のキュベレに、自分が愛されているところを... ?

「切ないんだけど」と、ルカが 片手で頬杖をついた。


「リリトが知っている人間は、アダムだ。

天から逃げ 地界へ降りるまでに、地上でも たくさんの子を為したが、相手である父親は 悪魔や異教神のみだった。

肋骨に出会っていない者や 未成年者は ともかく

今回、リリトの印が付いた者は

そうした意味での “アダム” だろう と 推測している。リリトは “蛇” を撒いた」


そうした意味... 妻や子、家族に愛情がある人か?

“蛇” は、唆す者... 最中に自分の名を呼ばせることだろう。


ボティスは、この話をする前に

“未成年者を除く 全ての者に” 印を付けようとした

のでは?... と言っていた。

人間アダムを 蛇に唆させたが、アダムのようでない人は

印が付かなかった。

結果、ランダムに印を付けることになった という

ことのようだ。


「父が 手ずから作り、愛した人間アダムだ。

最初から愛を知っている。

リリトは、“人間は 当然、他を愛するもの” と 認識していた。少なくとも、俺が地界で読んだ時は」


“なんと... ” という眼をした 四郎の隣で、朋樹が

「意外と... 」と呟くと、ルカが「純粋ピュア」と続けた。

ルカは 肘でやっつけておいたが、前を向いたままの ヘルメスとトールの頭が頷いている。


四郎の向こうで ぼんやりとしている ジェイドが

眼に入った。

横顔が ニナを想っているように見えて、焦って

眼を逸した。


黙って ボティスの話を聞いていた アマイモンは

「“堕落への導き” と言われ、リリトを引き合いに出したことは謝る」と 言ったが

「聞いたか?」と、ロードライトガーネットのような赤紫の眼を ミカエルに向け

「リリトの印が付かん者は、他を愛せん者のようだ。そうした者は見殺しにしろ というのか?」と

どうしても突っかかる。

人間を救おうと 善意でやったことにダメ出しをされたのが、気に入らないのだろう。

ボティスや シェムハザが 脱力したのがわかった。


リリトの話を聞いて、やや笑顔になってしまっていた ミカエルは

「また同じ事を言わせるのか?」と

表情を変え、アマイモンに秤を差し出した。


「俺は、影人と重なり切って 木や根になった者や

夜国へ行った者のことも諦めていない。

必ず、父の火花を目覚めさせる。

これ以上、人間の自由意志を妨げるのなら... 」


「ミカエル... 」と、ヴィシュヌが止めようと

秤の前に手を出し、トールや ヘルメスも席を立ちかけたが、「いや、感謝してるよ」と ジェイドが

口を挟んだ。


「アマイモンの配下達の おかげで、救われた人が

たくさんいる。世界中でね。

影人と重ならなかったことだけじゃない。

地獄の悪魔たちからも護ってくれているし

これだけのことになっても 大きな混乱は起きていない」


アマイモンが 透明感のある赤紫の眼を ジェイドに向けた。

トールの左後ろに居るジェイドが、かろうじて見えるか... という感じなので、トールがヘルメス側に寄る。


「だが、お前の... 」


配下から、ニナのことも 報告を受けていたらしい

アマイモンの表情が 気遣う風になると

微かに頷いた ジェイドは

「少し 状況が変わったね。

でも 聖霊も、人間を助けようと働きかけてくれてる。だから やり方を変えて、また協力してくれないか? 助けて欲しい」と頼んだ。

本気で言っているのが分かって、何故か腹が立って、泣きたくもなった。胸がギリギリする。


「もう、誰も... 」と続けた ジェイドの言葉を遮るかのように、アマイモンが「解った」と返し

ミカエルも秤を下ろした。


「ひとつ、気になることがあるんだ」


座ったまま、ジェイドが「ニナは... 」と 口にすると、ミカエルも碧い眼を向けた。


「手足が根になっても、白い木に包まれてしまうまで、本人の意識があったように見えた」


... そうだ。

影人が重なって、本人の霊と融合しちまうと

夜国の神 “完全” というヤツと、同体になる。

本人の意思が残っていても、本人の言葉で話すことはない。


ニナは ジェイドに、“見ないで” と言った。

あれは、ニナ自身の言葉だ。


「僕らが、知らないだけで

他にも ニナのような人がいるのかもしれないけど

ニナと 他の人との違いは、重なる時に... 」


四郎が、長テーブルから眼を上げた。

ニナは 四郎を庇って、影人と重なった。


四郎を気にした ジェイドは

「あの時は... 今も学校の外は そういう状態だけど

無数に影人が湧き出てきた。

学校内外に居る 全ての人の影人が出てきていたから、当然 ニナの影人もいたと思う。

それで重なったんだし。

だけど 重なる時に、誰かを庇う... 聖子ジェズのいましめのような、リリトの印が付くような行いをすれば

霊に 夜国の神は融合出来ないんじゃないか? って

思うんだ」と、ミカエルや ヴィシュヌの方だけを見て話した。


「分離固定しなくてもいい状態だった ってことかよ?」


ルカが、朋樹や四郎越しに ジェイドに言うが

怒っているような口調だ。


分離固定するには、本人の霊に語りかけて

本人の霊を目覚めさせる。

すると、額にある影人の瞼が閉じて

ルカが 天の筆で印に影人を固定して、オレが消す。


分離固定しなくてもいい状態... なら

重なった人の内部で 融合しようとする影人を眠らせなくても、すでに印があった... ってことか?


「ニナの眉間に、印はなかったぜ」


ルカが天の筆で出す 影人の印は、黒い炎のような

形をしている。

ルカは、ニナが 白い蔓に巻かれていく前に

ニナを見ている。


「印って、黒い炎?」


ルカや朋樹越しで、ジェイドが どんな表情をしているのかは わからないが

「それなら あったよ」と言った。

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