68


「アバドン」


自身を貫いている 捻れた黒い角を掴む アバドンに

リフェルが 黒い切っ先を向け直すと

アバドンは自分を庇おうと 咄嗟に右腕を出した。

天狗が その腕を斬り落とす。


「どうやって 鎖や 俺の術を逃れた?」


アバドンの顎の下に 白い刃を宛てがって

天狗が聞いた。


クルル... と 喉を鳴らす アバドンの翼の 第一指から伸びる黒い角を、天使や悪魔たちが 二人掛かりで掴んで押さえ、地から伸び上がった 艶のない黒い鎖の枷を巻いて固定する。


「黒い根か?」


アバドンの背後から ロキが聞く。


「キュベレに 救いを求めたのか?」と

アバドンを貫いた翼骨の角から 手を離して立ち上がり、翼の付け根から生えている もう 一本の翼骨の角を掴む。そのまま折り取り、角の先を アバドンの黒髪の間から うなじに付けた。


アバドンは 喉の音を鳴らす合間に、黒い牙の口を

“あなた” という形に動かした。

自分の顎の下に 刃を宛がっている天狗に

憐れみを乞う眼を向ける。


「答えろ。答えれば、無に帰す事まではしない」


... 情に ほだされてねぇか?

リフェルの背後に居る ジェイドが、四郎を 自分の隣へ引き、朋樹も式鬼札を出す。


天狗が落とした アバドンの右腕が 地面から飛び

アバドンの顎の下に宛てがう剣の 天狗の右手を掴んだ。右手の刃は顎の下から ずれ、リフェルの黒刀の先を弾いた。

「ロキ!」と、悪魔の 一人が ロキを後ろへ引っ張る。

アバドンは、金属の翼を勢いよく動かし

翼のつのを固定していた枷に その角を折らせ、枷から離れた。振り回された翼で、天使や悪魔の何人かが 胸や腹を切り裂かれて倒れる。

背中から胸の間を 捻れた角に貫かれたまま アバドンが振り返り、傷付き倒れた天使に覆い被さると

黒い牙で 右の鎖骨の上を噛み砕き、血を飲み始めた。


「アバドン!」


リフェルや 天狗の剣を 開いた翼で弾いた アバドンは、肩が折れたはずの左の手を 地面に着けて身を起こす。牙から 干からびた天使の身体が落ちた。開いた翼の先に、オベニエルの血の跡。


青い蝶の八枚羽根が羽ばたき、再度 アバドンの左肩に止まると「風!」と命じる ルカの声。

青い炎の竜巻が アバドンの左腕を捻じり切って飛ばす。


「ユダ!」と、ロキが喚ぶと

オレの背後に 温度のない闇が凝り

ピストルを構える腕にも 螺旋に纏っていく。


『 ... 恩寵を抜け...  』


引き金を引くと、見えない弾が アバドンの側頭を撃ち抜いた。




********




ミカエルが ゲートを開いたのは、死神ユダが消えて すぐだった。

隠府に ザドキエルを向かわせ、カインを探させると、聖子に報告し、地上へ戻ろうとしたところで

ユダと すれ違い

『アバドンが鎖を離れ、オベニエルが死んだ』と 聞いたらしい。


「まず、良くやった」と 天狗やリフェル、ロキ、

オレらを労った ミカエルは、天狗に話を聞きながら、左腕を 奈落の城に向けて伸ばした。

艶のないゴールドの鎖が ミカエルの腕に巻き付く。アバドンを囚えていた 大いなる鎖だ。


「奈落に 黒い根が?」


両腕を失い、天使と自分の血に塗れている アバドンに、左腕の大いなる鎖を巻き直しながら

ミカエルが ブロンドの眉をしかめ、奈落の森に

視線を移している。


奈落の森の木... カインが蒔いた種、弟アベルの木々は、奈落の木の根の天井に 枝先を着けていた。地面を這い進んだ根は、城の地下に入ったままだ。


「城に戻った時は、アバドンを幽閉した地下から

黒い根が吹き出してきていて... 」


根の間から アバドンが出てきたようだ。

その場に居た 天使のひとりも、アバドンの吸血の犠牲になり、何人かの天使や悪魔が 翼で殺られている。

何人かの天使と悪魔が、オベニエルの遺体を城へ運び、改めて 城の被害の様子も調べに行った。


「ユダは、“恩寵を抜け” と 言ったんだな?

死神ユダが言ったのなら、抜きやすくなってるはずだ」


ミカエルに頷くと、ルカが呼ばれ

アバドンの眉間に 印があるかどうかを見ている。


アバドンは、上級天使だ。

死神のピストルで撃たれても滅せられず

天使足らしめる恩寵も離れない。


「だめだ。何かはあるけど、筆で なぞれる程

はっきりとは見えねーし」


ルカが アバドンの額から 眼を離すと

ミカエルは 地上とのゲートを開け「バラキエル」と

ボティスを呼んだ。

門の向こうは 魔人たちの店の中で、ボティスや榊の顔が見えると、肩に入っていた力が抜ける。


まだ何も聞いていなかったらしい ボティスは

アバドンを見て驚いているが、

「恩寵を抜く」と ミカエルに言われ

白いルーシーの小瓶を出して、アバドンの下に

天使の助力円を敷いた。


「助力、サリエル。権限の行使」


助力円が強く光って消えると、ルカには アバドンの眉間に印が見えたようで、筆で それをなぞる。


眉間には、白く光る印章が出た。

奈落で 一度、堕ちかけの下級天使から 恩寵を抜いたことはあるが、その時は こんなに はっきりとした模様には見えなかった。


白い焔の模様を浮き出させた 右手の指で触れると

白く光る 液体の煙のようなものが、手の甲を突き抜ける。

ミカエルが出した指に 液体の煙は纏わったが

天狗アポルオン」と、ボティスが 自分の唇を指差した。

何かを聞こうとして、天狗が 開いた唇の中に

白く光る液体の煙が吸い込まれていく。


「定着させる」


ミカエルが 天狗の胸に手のひらを当て、天の言葉で 短い呪文を唱えると、天狗の眉間に アバドンの印章が白く光って消えた。


「アバドンの恩寵が、天狗に?」と聞いた 朋樹に

ミカエルが頷く。


天使から離れた恩寵は、通常は天に戻り

能力ごと 天で保管される。

アバドンや天狗の事を 天に知られないようにする措置でもあるんだろうけど、これで天狗は 天使の能力を獲得し、アバドンは堕天したことになる。


「アバドンは どうする?」


「もう、悪魔だからな。牢の深部に繋ぐ」


右手に秤を出した ミカエルが、アバドンの上に翳すと、秤の片方に ガクリと傾いた。


「罪状も売る程ある」


「何があった?」と聞く ボティスに

朋樹や ジェイドが 説明を始めていたが

「天狗... 」と、城を見に行った 天使が立ち

「黒い根は沈んだようですか... 」と 困惑した顔を見せている。


「身体が欠けた、見知らぬ者の遺体が... 」


「見知らぬ者?」


アバドンから折り取った 捻れた黒い翼骨の角を持った ロキが、「衣類は?」と 聞いた。

「青いサーコートを着てなかったか?」


青いサーコート って、ヴァナへイムの兵士の格好じゃねぇのか... ?

剣や盾ごと 腕がガラス化した兵士たちを思い出す。ヴィーグリーズから 身体を包んだ霊樹ごと消えた。


「心当たりが?」と、天使が ロキに聞き返す。

「あるから聞いたんだろ?」と苛つき出したロキを 「落ち着け」と ボティスが止め

ロキの手に 視線を移した。

アバドンの 捻れた角が消えている。


「あれ!? 何でだ!?」


天狗に落とされた アバドンの右腕と、ルカたちが捻じり切った 左腕も見当たらない。


「根が... 」


四郎は、森の方に 顔を向けていた。

奈落の木の根が這い走って来る。


「は? おい!」

「アバドンが... 」


アバドンは、背の翼から 地面に沈み出していた。

身体に巻かれた大いなる鎖は、アバドンの体内を突き抜けているように見える。

大いなる鎖を残し、アバドンだけが沈んでいく。


ボティスに「半式鬼」と言われた 朋樹が

ハッとして 式札を半分にし、アバドンに飛ばす。

ミカエルが アバドンの肩に手を伸ばしたが、手は空を掴んだ。触れられないようだ。


「ミカエル、オレが... 」


白い焔の模様を浮かせた右手で アバドンの肩に触れると、あの嫌な感覚... 恐れに似た嫌悪感が 腕を昇り、背にも駆け上った。

キュベレだ。アバドンを引いている。


「触れられるのか?」と聞く ミカエルに頷いていると、アバドンの肩を掴んだ右手が ずるりと滑るように軽くなった。

右手には、アバドンの肩の皮と肉片が残っていて

声も出せずに、思わず 手から振り払う。


アバドンは もう胸まで沈んでいたが、突然 瞼を開いた。冥い黄緑だった眼が、青銀に光る。

夜国の眼の色だ。

這い走ってきた奈落の木々の根も アバドンを追うように 地面に沈み込んでいく。


大いなる鎖を残して 顔も沈むと、縺れた黒髪も後を追って沈み、艶のない ゴールドの鎖だけが残った。




********




城に残されていた 青いサーコートを着た遺体は

ヴァナヘイムの兵士たちだった。

ガラス化していた腕などを失い、黒い根が吹き出した部屋や、アバドンを繋いでいた地下に倒れ

亡くなっていた。


「何故... ?」


「影人を混ぜられて、根にされちまった ってことだろ。バケモノ女の眼も 夜国の眼になってたじゃねぇか」


傷付いたまま拐われていた ヴァナヘイムの兵士たちが 使い捨てにされたことで、ロキは かなり苛ついている。

オレは 苛つく というより、哀しかった。

けどそれは、世界樹ユグドラシル出身のロキよりも

ヴァナヘイムの兵士たちと 関係が遠いからだろう。


「これまで 神々や霊獣には、影人は重なれないと

考えていた。でも... 」


言い淀んだ ミカエルの代わりに、ボティスが

「一部が欠けてりゃあ 重なれる恐れが出てきた」と 言った。


「まぁ、身体の 一部とは限らん。

アバドンは、恩寵を抜いた。

ヴァナヘイムの兵士等は、ソゾンに 半魂を抜かれていた恐れがある。

また、奈落に 黒い根を送り込めたのは

キュベレが知る 天の 一部であり、アバドンが喚んだ という影響もあるだろう。

他の神界や神々を侵せるなら、とっくに やってるだろうからな。注意は必要となるが... 」


そうか... 恩寵や 魂の半分が抜けたから

影人が重なれたのかもな。

アバドンは、自分から受け入れた可能性もある。


「ヴァナヘイムに、兵士たちの遺体を返すことになるけど、先に 話しをしないと」


大いなる鎖を左腕に巻いた ミカエルが言うと

「ロキ。ジェイドや四郎と 先に戻って

トールに話しておけ。

魔人の店に、榊を 一人で置いて来ている」と

ボティスが言った。

そうだよな。ロキは、トールに会った方がいい。


「お前は戻らねぇのか?」と 眉をしかめているが

「アマイモンと話す」と、牢獄を視線で示した。

「オレも戻っとくか。行こうぜ」と 朋樹が誘い

ロキと 天空精霊を解放したジェイド、四郎も 一緒に、ミカエルが開いたゲートから 魔人の店へ戻って行った。


「アマイモンに話しを聞く」


天狗が ミカエルとボティス、オレとルカを伴って

牢獄の深部へ向かう。


「サムも絡んでいると?」と ボティスに聞かれ

「そうらしいんだよなぁ」

「オベニエルが... 」と、口に出した時に

オベニエルの鼻から上が落ちたことが過ぎった。

嘘みたいだ... と ぼんやり思う。

ついさっきまで、同じテーブルでコーヒーを飲んで 話してたのに。

呆気なさ過ぎる。あまりに。

信じられん と思うのに、眼の奥が熱くなった。


牢獄に入ると、通路を歩きながら

ルカが「ビビったよな... 」と 小声で言う。

考えりゃ、変異したアバドンには

皇帝も怪我をさせられている。

ロキや天狗が居たから ってのもあるが

よく冷静でいられたと思う。今更 震えがくるぜ。


「そうだ... ミカエル、カインは?」


天狗が振り返って聞くと、ミカエルは

「居た。隠府ハデスに」と 答えた。


「どうなっている?

牢獄に居たのは、カインじゃなかったのか?」


ボティスが 呆れたような声で聞く。


「いや、カインだった。

考えられるのは、サンダルフォンが使った 預言者と同じ方法だ」


魂に、仮の肉体を与えた... ってことか。

なら あのカインの肉体は、魂が 隠府に戻る前に

光を発して 灰になったのだろう。


「誰がやった? アマイモンか?」


「サマエルの方が 可能性は高いだろうな。

カインに質問すると、“ずっと眠っていた” と答えた。奈落ここでのことは 睡眠時の夢のように 断片的にしか覚えていない」


「シュジェルという天使は?」


円柱型の牢獄の中心にある 石の扉に 手のひらを当て、深部への入口を開きながら 天狗が聞くと

「五百年前に、アマイモンが滅した天使だ」と

ミカエルが返し、脳が絡まる。

なんで、滅した天使が 最近まで奈落に居たんだよ?

ルカも隣で、“ん” と “ふ” の間の音を 二回ほど連続して鼻から出した。


「アマイモンが、シュジェルを殺る時に呪詛掛けしたんだろ。強制使役術だ。

人間の魔女でも やる者はいる。

使役する相手は、人間か動物だが。

契約の魔法円の中で肉体や器を破壊し、一定期間

霊を縛る。

期限が満了すりゃあ、霊は解放されるが

マトモに働かなければ、契約を違反した として

地界の隠府や 多神界の冥府行きだ」


殺されたあげく 霊になっても使われ、言う通りにしなければ 地獄みたいなとこ行き か... ひでぇ。


説明した ボティスは

「しかし これは、悪魔が人間に施すことは出来ん。異教でも同様だろう。

人間に施す場合は、同じ人間の魔女がやる」と

補足しているが、どっちにしろ 悪魔術だな。


「使役ってのは、だいたい そういった 一方的なもんなんだよ。

“神の名のもとに縛る”。“悪魔の呪力で縛る”。

朋樹の式鬼契約や、お前の精霊使役の方法が

一般から外れているだけだ。

ソロモンは 父の名の下に 俺等を使役したが

ミカエルを見ろ。“聞かなきゃ量る” だ」


「俺、悪魔は そんなに使わないぜ?

ラミエルは喜んで 楽園に居るし... 」


言い合いに発展しそうだったが

「アマイモンの牢だ」と、天狗が立ち止まる。

透明の膜の向こうで 胡座をかいて眠っていた男が

瞼を開いた。

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