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「ミジェ、珈琲とワインを」


オベニエルは、配下の悪魔の名を呼んで命じ

牢獄から闘技場へ向かう オレらに ついて来た。


「牢のシールドは、あらゆる術を無効にする。

中にいた男... カインが、何か出来る訳はないんだ。なのに 種が降った。

牢番や俺等に “元々居た” と 思い込ませることも

含めて、シュジェルが やっていたのか?」


天狗アポルオンだけでなく、オレらにまで聞いているが

もちろん 誰にも答えは分からない。

記憶を誤魔化されていたことが よっぽどショックだったらしい。


「その シュジェルという天使は、いつまで奈落に居たの? 俺は会ったことないけど」


天狗が返すと、オベニエルは 呆然として

「はっきりしない... 」と 答えた。


「実在したのか?」と聞く ロキには

「した」と 頷いているが

「もし、この先 カインやシュジェルの記憶が薄れたら... 」と 朋樹が口を挟むと

「は... ? 預言者かよ?」と ルカが抑えた声で言う。


「預言者って、四郎じゃないの?」


「サンダルフォンや ザドキエルが、僕らに送り込んだ人たちの事だよ。

地上に迷っていた 自殺者の魂だった」


ジェイドが、天狗や オベニエルに説明している間に 闘技場に着き、天狗が 入口のゲートを開ける。

さっきオベニエルが コーヒーやワインを頼んだ

ミジェという悪魔も 食事用ワゴンを押して到着して、一緒に来た天使二人と カップにコーヒーを注ぎ、地上で買ったらしい ブラウニーや クッキーを出してくれた。

ロキの前には お気に入りグミ。

毎朝 影人の印消しに来るから、分かってるんだよな。


「ミジェ達も飲んだら?」


グラスにワインを注がれながら 天狗が言うと

悪魔や天使二人は「はい」「いただきます」と

嬉しそうだが、言われるであろうことも 分かっていたような感じだ。


「今日は、母と妹に会ったんだ」と 話し出していたが

「シュジェルが いつ消えたか、覚えているか?」と オベニエルが聞く。


「消えた... って、部署の移動じゃないんですか?」

「地上任務なんだろうと思ってました」


シュジェルって天使が 居なくなったことは分かってても、その理由や時期は 誰も把握してないっぽいな。


「森の木が生え出した頃は 居ましたよね?」

「地上時間なら、15年くらい前かな?」


「お前等が 獣に会った時期じゃねぇのか?」と

ロキに言われ、朋樹が「17年前」と 頷いた。


「じゃ、獣が関わってる ってことー?」


ルカが聞いているが、ジェイドが

「いや、サンダルフォンみたいに 獣の存在に気付いた天使なんじゃないのか?」と、今 推測したらしいことを話す。


「カインを奈落に移動させた人... まぁ、天使なんだろうけど、この天使は ルシファーのように

千年前から獣の存在に気づいていた と 仮定する。

それで、カインの罪とアベルの血の浄化と変容を

させること... 光となる木を育むことを目的として

奈落へ カインを移動させる」


「何故、木を?」と 天狗が聞き

「なんで カインなんだ?」と ロキが聞いている。

それには

月夜見キミサマが言ってたんだけど、獣の影響で

地上に歪みが生じたりするらしいんだ。

その修復のため か、異教神が たくさん居る奈落を保護しようと考えたのかもしれない。

囚人に何かあれば、異教側と揉めるだろうしね。

カインを選んだ理由は、楽園を追放された アダムとエバの最初の子で、最初の殺人者だからなのかも。アベルは 最初の被害者だし」と 答えた。


「それで、木が生えてきたから

シュジェルを奈落に派遣して、オベニエルに報告させた時に、木が切られてしまわないように

催眠を掛けたんじゃないか と 思って」


「シュジェルが カインを連れて来た訳ではない... という事でしょうか?」


四郎が 興味深そうに聞くと、ジェイドは

「カインを隠府ハデスから出した本人が、奈落で顔を晒すとも思い難いからね。

シュジェルも使われたんじゃないかな?」と

ブラウニーを取った。


天狗が、オベニエルや悪魔たちに

「シュジェルは、いつ頃 奈落に入ったの?」と

聞いているが、「千年居る ということは... 」

「記録にも無いので... 」と、それも はっきりしない。


「そいつが居たっていう夢でも見たんじゃねぇのか?」


ロキが言い、オベニエルが

「天使や悪魔は、睡眠の必要は無い」と 答えると

「なら、幻覚」と 返している。


「天使や悪魔相手に幻術か?

それなら 術者は奈落に居るんじゃねぇの?」


朋樹が言うと、またオベニエルが

「奈落の門を開ける者など 極僅かだ。

天からの使者なら、天と奈落を繋ぐ門から入り

用事が済めば 天へ戻る。

奈落に滞在する時間は 短い」と 答えているが

「じゃあさぁ、囚人は?」と ルカが言う。


「囚人って、異教神か?」と 口を挟んでみると

「いや、この場合なら 悪魔じゃね?

地界の法を犯せば 地界の牢獄なんだろうけど

天の法を犯した場合なら、奈落ここなんだろうし。

皇帝も千年 奈落に居た っつってたしさぁ

堕天使系の上級悪魔なら、元配下の天使 使ったり出来るんじゃねーの?」と 返してきた。


「悪魔なら、深部に アマイモンが居る。

もうすぐ刑期を終えるが... 」


オベニエルに「“アマイモン”?」と ジェイドが反応し、朋樹も「大物だよな?」と クッキーを取ったまま 口に運ばずにいるが、ルカが

「甘いもーん」と 嬉しそうに言いやがった。

「ハハハ、上手いね」と 天狗が笑ってしまったので 肩は固められず、朋樹やジェイドは 恥ずかしさに眼を逸らし、ロキが オベニエルたちに

「悪いな。後で よく言っておく」と 謝った。

オレも テーブルのブラウニーの皿 見てるんだけどさ。


「地界の地を統べる方でしょうか?

四大元素の... 」


何事もなかったかのように 四郎が話を進める。

こういうとこは 大人で助かるぜ。


「ベリアルや サマエルに並ぶクラスなんだろ?」


何気なく 朋樹が言ったが

「えっ、そんな上位?」と ビビっちまった。


ベリアルは 知っての通りだが、サマエルは

“神の毒” と 称される堕天使だ。

皇帝やベリアルのように、12の翼を持つ。


蛇に エバを唆させて 禁じられた実を食べさせ、

地上では、楽園エデンの ぶどうを アダムに植えさせると

アダムとエバに ワインを覚えさせて 堕落させた。

なので、魔が差す の “魔”、また “唆す者” である

“サタン” の中でも、魔王の 一人。


更に、モーセが死ぬ時に 魂を迎えに行ったが

返り討ちに合い、杖で打たれて失明した。


当然、聖父の怒りに触れて堕天する。

奈落での幽閉を免れる代わりに

“罪を犯した死者の魂から よこしまな心や

不道徳を取り除き、魂を天へ送るよう” 言い渡された。


けど、サマエルが これらを取り除く事によって

罪人の魂は 地界の隠府へは向かわず

天で罪の浄化を受け、隠府ハデスに眠る事が出来る。

また サマエルも、人間の魂の代わりに

人間から取り除いた部分を吸収すれば、呪力を保つ事が出来る。


で、サマエル... サムには、つい最近 会ったんだよな。なんと 実家で。

オレの姉ちゃんに 長年 憑いてたらしくてさ。


「アマイモンは、“深部” に収監されているんだぞ。モレククラスだ。

地界全軍単位で動く時は、ベルゼブルにも並ぶ」


オベニエルは、オレに呆れた眼を向けてるけど

会ったことがないと 有名どころでも、悪魔も天使も 多くて覚えきれねぇ。


「アマイモンって、“マモン” と 同一視されてるんだっけ?」と 天狗が言うと

「エジプトの “アメン・ラー” じゃないのか?」と

ジェイドが言った。


“マモン” は、“富” を意味する。金銭的な貪欲さ。

聖ルカ 16章13節には

... “どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで 他方を うとんじるからである。

あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない”...  とあり

また、マタイ 6章24節には

... “だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで 他方を うとんじるからである。

あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない”...  とある。

この 富に執着させる者 が “マモン” だ。


人間を悪に誘う 7つの大罪... 傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲 の ひとつで、“強欲”。

ついでに、皇帝は “傲慢”。ベルゼは “暴食”。

冬の海で会った 海獣レヴィアタンが “嫉妬”。

姉ちゃんに憑いている サム... サタンは他にも何柱かが いるが、サマエルは “憤怒”。


エジプト神の “アメン・ラー” は、太陽神 “ラー” と

大気の神... “隠れたもの” という意味の名を持つ

“アメン” が 習合した神だ。

ラーは、そのまま “太陽”。

アメンは、“ミン” という 男根を勃起させた姿で描かれる 豊穣神の性質も習合しているので

アメン・ラーは、万物の生命を育む神 といった感じだろう。

ギリシアでは、“ゼウス” と 同一視され

ローマでも “ユピテル” と 同一視されている。


けど この神も、聖父が モーセに こと細かく

“こうしなさい。これは してはならない” と教えた

レビ記 18章3節に

... “あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。

また わたしが あなたがたを導き入れるカナンの国の習慣を見習ってはならない。

また彼らの定めに歩んではならない”...  とあり

18章21節には

... “あなたの子どもを モレクにささげてはならない”...  ともあることから

カナンの神 バアル・ハダトが “モレク”、

バアル・ゼブルが “ベルゼブブ” となったように

アメン・ラーは、“アモン” という悪魔になった... という見方がされている。


エレミヤ書 46章25節には

... “万軍の主、イスラエルの神は言われた、

『見よ、わたしはテーベのアモンと、

パロと、エジプトと その神々とその王たち、

すなわち パロと彼を頼む者とを罰する”... ともある。

アメン... 後の アメン・ラー は、エジプトの “ワセト”... ギリシア名では “テーベ” という場所の神だった。


なぜ ギリシア名で書かれているか に関して。

聖子の弟子たちにより 新約聖書が書かれたのは

紀元50年から 120年のことと考えられているが

聖子や弟子たちは、ヘブライ語や アラム語を話していた。また この時は ギリシア・ペルシア時代から ローマ帝国時代となっていた... が、まだ ラテン語より ギリシア語が公用語とされていたからだ。

なので、よりたくさんの人たちに読まれるよう

新約聖書は ギリシア語で書かれ、旧約聖書も ギリシア語訳が出されている。

ついでに “テーベ” は、現 “ルクソール”。


“アモン” は、ソロモン王に召喚され使役された

72柱の 序列7番に名を連ねている。

爵位は 侯爵。軍数 40。

過去と未来の すべてを語り、友人との間に

不和を生じさせたり、逆に 和解させたりする。


そして、アメン・ラー... “アモン” や

7つの大罪 “強欲” の “マモン” は、

アマイモンの別名 とされている らしい。


四郎が「ほう... 」と、興味深い という顔をしているが、オベニエルが「どちらも アマイモンだ」と

ゲンナリした顔で言い、冷めたコーヒーを飲む。


「えっ! じゃあ マジで、アメン・ラーなんだ!」

「でも、堕天使系じゃなくて 異教神系悪魔なのか... 」


もし、囚人である アマイモンが

シュジェルやカインのことで 奈落の天使や悪魔に

催眠を掛けた とすると、天の隠府から カインを出したのが誰なのか... という点からは また遠のく。

異教神系の悪魔に、天使の元配下はいないからだ。


「収監された理由は、ルクソール神殿での

天使殺害 だった?」


天狗が確認すると、オベニエルは頷き

「“妻ムトを起こすためだった” と」と添えている。


女神ムトは、アメン・ラーの妻であり、母であり

娘でもある。

エジプト神話は、場所によって主神が違ったり

地方神が居たり、神同士が習合したり、神話自体に差異かあったり... なのだが、特に統一されなかったので、こうした ややこしい関係にもなってくる。

気にせずいくことにして、とりあえず ムトは

アメン・ラーの配偶神だ。


太陽や豊穣の神であり、天空神アメン・ラーの

妻ムトは、この時は 地母神。


ざっくりといくが、テーベ... 現ルクソールには

紀元前4000年から 前 3000年頃、すでにセペトという都市があったが

紀元前 2000年頃から 前 1000年頃にかけて

エジプトの首都となる。

夜国の写本でいうと、紀元前 1500年頃は

瓶から溢れ出した水が モヘンジョダロを飲み

インダスの人たちが エラムの人たちと共に

ルート砂漠で儀式を見た頃。


テーベの ナイル川東岸は、“生者の世界”。

アメン・ラーや ムト、他の神々を祀る カルナック神殿や、アメン・ラーとムトが過ごすための ルクソール神殿、居住区があり

ナイル川西岸は、“死者の世界”。

王家の谷や 王妃の谷、葬祭殿、また建設に従事した労働者たちの町の跡などがある。


アメン・ラー... アマイモンは、妻ムトを起こすため、ルクソール神殿で 天使を殺害したというが

「ムトは、眠っているの?」と、ジェイドが聞くと、オベニエルは

「いや。調べてみると、変わらず 大地を見守っていた。だが アマイモンは、それ以上 話すこともなく、天から奈落へ引き渡された」と答えた。


地上任務に就いていた天使を拐って殺ったようだが、下級天使であっても、殺せるなら 相当なヤツなんだろう。


「エジプトって、イスラム教化されてるよな?」


何気なく 朋樹が言うと、またオベニエルが

「だが、こちらの信徒も 幾らか居るからな。

地上に降りていたのは、第一天シャマインの天使で

通常の見回り任務だった。

アマイモンに 理由なく殺害された ということになる」と 答えたが、奈落に入るために わざと罪を犯したんじゃねぇの... ? と、ぎった。


「だが、じきに ここを出る アマイモンの刑期は 五百年。カインは、奈落に千年居たんだろう?」


ダメだ。また わからなくなってきた。


「カインと同時期... 千年前に 奈落に入って

五百年前に、アマイモンと入れ替わるように出た

悪魔は いないの?」


天狗は オベニエルに聞いているが、四郎が

「アマイモンが奈落に入るまでの 五百年の間

奈落の天使や悪魔の方々に催眠を掛けた方がおられた... という可能性でしょうか?」と 確認した。

アマイモンだけでなく、他のヤツと二人で奈落を誤魔化していたのでは?... と 考えたようだ。


オベニエルは

「深部に収監された者なら、サマエルだ」と

答えた。

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