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木の根が絡まり犇めく 天井に届く岩の崖... 巨大過ぎて 崖に見えるが、円柱型の岩の牢獄だ。

木の根の天井から下りる 細い蔦が、外側の岩肌にも 内部の通路にも這っている。


奈落の森から、天狗の城の裏側に出ると

牢獄の正面口へ向かった。


正面口 といっても、入口が開いている訳ではなく

岩肌に手を着けた 天狗が、天の言葉で呪文を唱え

光る文字を走らせて ゲートを開ける。


「天の言葉、話せるんだ」と ジェイドが言うと

「奈落で必要な呪文だけね。

アバドン派だった者達を 闘技場で始末した時に

必要な言葉だけ奪ったんだよ」と

肩に蜥蜴を載せたまま微笑って答えた。


「普通なら そんな事は出来ない。

天狗は、天使の気の残滓が残る 魔像の中で生まれてる。だから発音出来るんだろ」


天狗の肩から 自分の手のひらの上に蜥蜴を渡らせた ミカエルが言い、黄緑の小さな頭を指で撫でると 四郎に渡す。


門から岩の中へ入ると、円形の通路になっていて、蔦の岩壁には ところどころに穴が空く。

囚人たちの部屋だ。

ロキは「洞窟を思い出す」と 暗い顔になった。


穴には、鉄格子の代わりに 透明の膜のようなものが張られていて、全身を鎖で巻かれた囚人や

足枷だけ、手枷だけの囚人... と 様々。

天の法を犯した 悪魔や異教神達だ。

罪を犯した人間の魂なら、天使の時のゾイが居た

第三天シェハキムなんじゃないのか?


天狗が門を開けた時は、叫び声や 笑い声が聞こえていたが、天狗と ミカエルの気配に気付いたようで、水を打ったように静まり返っている。

灯りがなく、外と同じように青暗い 牢獄の中では

ミカエルが発する真珠色の光が 殊更に目立つ。


円柱の牢獄の中心... 牢獄深部には、モレクのような 極悪神とされる神が収監されているが

リフェルに、カイン と名乗ったヤツが居るのは

外側の牢だった。


外を見るための 小窓も与えられ、足枷もない。

小窓は、腕なら通るだろう というサイズのもの。

岩壁が厚いので、窓というより 小さな穴 という感じだ。

待遇から考えると、重い罪を犯した訳ではないらしく、危険なヤツと判断されている訳でもない。

牢の窓からは、遠くに 奈落の森の色が見える。


カインと名乗る男は、亜麻布のシャツにパンツという簡素な衣類を着け、後ろ向きで胡座をかいて

俯き、床の岩に 指で落書きをしているように見える。岩に指で... なので、落書きは残らない。

文字にしろ絵にしろ、男の脳内に描かれるものなのだろう。肩につく黒髪には 緩い癖がある。


透明な膜の前に立った ミカエルに、男は

「ようやく実を結んだ」と 言った。


もし、この男が 本当にカインなのなら

アベルを殺した後に移った ノドの地で

作物は実を結んでいる。

死後は地の隠府に居て、聖子が その罪を赦し

天に昇らせているはずだ。


「何の実だ?」


ミカエルが 男の背中に聞くと

「俺が流した弟の血だ」と 床から顔を上げた。


「主なる神に向き、叫んでいた あの血だよ」


弟は どこか? と 聖父に聞かれたカインは

知らない と答え、聖父に

... “『あなたの弟の血の声が

土の中から わたしに叫んでいます』”...

と、殺したことを言い当てられる。


「命は、血の中にある」


その血が芽吹いて 木になった... というのか?

でも オベニエルは、“囚人が 種を蒔いた” と言っていた。


「種は、地上から 持ち込んだものか?

天で 手に入れたのか?」


男は、ミカエルに答えなかったが

天狗が「ミカエル... 」と、牢の天井を眼で示す。


岩の天井から、砂時計の砂のように 何かが

ざー... と 男の前に細く落ちた。

砂粒くらいの小さなそれは、ミカエルのブロンドの髪の色をしていて、とても 樹木になるような種には見えない。


「天で 眠っていたはずだった。

気付くと また地の底に居て、罪人たちが居た。

俺も そのひとりだが。

いつからか、こうして種が降るようになった」


男の言葉を聞いた ミカエルは、天狗に オベニエルを喚ばせ「何の罪で収監されている?」と聞き、

開いた手のひらの上に 皮紙を出して確認した

オベニエルは「この牢は、空いているはずだ」と

透明の牢の向こうに居る男の背中を見つめた。


無人のはずの牢に いつの間にか居たようだ。

なら、牢番の天使や悪魔たちが 皆

この男が元から収監されていたと 思い込まされていたことになる。


「“森の木は 囚人が”... と 話していただろう?」


皮紙を受け取り、目を通しながら 天狗が言うと

オベニエルは

「配下から そういった報告を受けていた。

確認して来よう」と消えた。


「いつから ここに居る?」


砂粒のような種を 一掴み手に載せた男は

肩の位置まで その手のひらを上げた。

種は 手のひらから浮かび、岩の小窓から外へ流れた。青い空気の中、柔らかな光る粒のラインが

蛇行しながら 森へ伸びて解ける。


「地上の時間ときで、千年程」


獣の出現時期だ。

皇帝が予言した... いや 預言かもしれねぇけど

それも 千年くらい前だと聞いた。


「その間 与えられたのは、この種だけだ。

奈落ここには まだ、俺の罪が流した血が眠っていた。

“血を目覚めさせろ” ということだろう」


罪が流した血は、弟アベルの血。

殺された恨みや苦しみ を 目覚めさせるのか... ?


「“もう 実は結ばない”

それは、俺が罪で その地を穢したからだ。

地の底に こうしているのは、俺の罰だ と考えた。

実を結ばない地に、種を蒔き続ける。

贖い切れず、終わりのない罰なのだと。

だが、血は実を結んだ。

聖子によって赦された罪は、アベルにも許された。

このために、ここに居たのだ と解った。

罪に流されたアベルの血は、生命を育んだ」


聖子が赦し、地の隠府から 魂を解放したのなら

それで赦されてたんじゃないのか?


「赦しは、与えられるばかりではない。

罪を抱いているのなら 解るだろう」


胸の中を 手のひらで突かれたようだった。

罪悪感だ。

聖子が 赦し解いても、奈落ここで目覚めた後に

自分で生み出してしまっている。


「罪は、地の底で受け入れられ 変容し

光となった」


男は 岩壁の小窓の穴を仰ぎ、立ち上がると

「地上で いかしてくれ」と 壁に向かって歩き

そのまま消えた。

床には、砂粒のような種が 少し残り

通路と牢を隔てる 透明の膜が消失する。


「ゴーストじゃなかったぞ。何で消えたんだ?」


ロキが 牢に入り、岩壁に手のひらを着け

「ただの岩だ。あんな消え方あるか?

だいたい、死人が肉体を持っているのか?」と

男が指で落書きをしていた 床にも触れている。


「彼は... ?」と 独り言のように聞いた天狗に

「カインだ」と ミカエルが答えた。


「もう、人間の霊じゃねぇだろ。

あいつには、骨も肉もあって 血も巡っていた。

俺は 匂いで分かるからな。

蘇ったか、別の何かになったか だ」


牢の床の種を ロキが 手に集めると、天狗が

「とりあえず、外に出よう」と 正面口へ歩く。

周囲の囚人達が 聞き耳を立てているようだ。

「後で オベニエルに、記憶を削除させる」って

言ってるけどさ。


「何故 カインが?」「千年も... 」


ジェイドや 朋樹も聞いているが、ミカエルは

「ここに居る事も知らなかった。

長老達や 聖子イースにも、何も聞いてない」と言う。


「自分で隠府ハデスを出るということは、まず無い。

誰かが移動させたのは 確かだけど

父や聖子ということは無い。

一度 赦した者に 試練を課す事は無いから」


「キュベレ?」と 一応聞いてみている ルカにも

「いや、考えにくい。キュベレは眠らされてたし

父や聖子が居る天で 何かをするのは無理だ」と

答えている。

キュベレなら、罪悪感を昇華させようとは しねぇだろうしな。

しかも、罪と それに流された血を 生命に変容させいる。カインは、“光” と言っていた。


それを、“地上で”...

活かす というより、生かす という言い方だった。


通路を抜け、正面口から出たところで

オベニエルが立ち

「木の報告をした天使は 奈落に居ないはずの天使だ」と、動揺した面持ちで報告した。


「いないの? 俺が始末した中にも?」と

確認する天狗に

「最初から居ないんだ。名簿に名も無い」と答え

ミカエルや オレらにも、自分でしている報告が信じられん という風に 視線を動かした。


「名前は?」


「シュジェル。ブロンドで 眼はグリーンだった」


「幾らでも居る」と、ミカエルが 軽いため息をつく。


「地上から種を持って来て、蒔いた天使達は?」


「それは、全員居る。

だが、“地上から持って来た種が 木になったのか

囚人の種が木になったのかは はっきりしない” と

言っていた。

森に種を落としたようだが、ああした色になり

地上のものと形も違う。判別が出来ない」


全部、カインが蒔いた種と アベルの血からなっていても おかしくない訳か...


「アバドンは、囚人の事を どのくらい知っている?」


「深部に居る者の事なら...

天から送られてくる場合も多く、アバドン自身が

受け入れの応対をし、牢にも繋ぐ。

通路の牢に収監されている者は、入れ替わりも多い。刑も軽く、異教側に返す事もある。

これ等は、書面で 囚人の移動を確認し、サインをするだけだ。

蝗を地上に撒いていた時は、幾度か モレクの牢に

入っていたが... 」


まぁ、アバドンは トップだったし

細かい仕事は 配下が やるだろうしさ。


「何より、シュジェルや あの囚人の事を

誰も不審に思っていなかった事が... 」


天使や悪魔が、だもんな。

けど、天から カインを連れ出したのが シュジェルという天使なら、天の隠府ハデスの天使達も欺いたことになる。千年もの間だ。


隠府ハデスに カインが居るのかどうか

確認してくる」


ミカエルは、奈落から天に繋がるゲートは使わず

一度 地上に戻り、エデンを開くようだ。


奈落の支配者が アバドンから天狗になったことを

天で知っているのは、聖子と ミカエルの軍の 一部。後は、天使アリエルとラファエル、ザドキエル、ラミナエル... マルコシアスと半身のレミエル。

なので 奈落から天に戻ると、他の天使達に

“ミカエルが 奈落から来た” と 注目させることになってしまう。


ロキから 砂粒のような種を少し受け取り

地上へのゲートを開く ミカエルに、天狗が

「闘技場に居るよ。枝を持ってこさせておく」と

言い、「誰かに珈琲を持ってこさせて」と

オベニエルに頼むと、「行こう」と 歩き出した。

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