35


「砂漠に入った エラムの者等と インダスの者等は

二度程 砂漠を出て、水などの荷を整えねば ならなかったが、10日程かかって オアシスを見つけている。三日月形の泉だ」


一度 グラスを口に運び、ワインを飲んだ ハティが

本の続きを読む。


三日月形の泉の周囲には、棗椰子の木々と 砂に緑の草。泉の弧に沿って 幕屋が張られ

三日月の半円の中に 円柱の祭壇と、煉瓦で作った

燔祭用の祭壇。


粘土板の記録を読んでいた インダスの人たちは

すぐに儀式だと分かった。

光る眼の 夜国の民たちは、木の枝や 乾燥した草を

燔祭の祭壇に入れ、儀式の準備をしている。


すぐに乗り込もうとした エラムの人たちを

“様子を見てみよう” と 止めた。

まだ 瓶が出てきていない。


夜国の民が、二つの祭壇を囲んで座る。

羊が引いて来られ、藍衣の司祭が

円柱の祭壇の上で 羊の首を切ると

背後に控えていた 二人が、羊の脚を持って逆さにし、司祭が 土器の壷に 羊の血を集める。


祭壇の周囲に 羊の血が撒かれ、砂が濡れた。

幕屋から 大きな水瓶が運び出された。あの瓶だ。

だが、儀式の方も気になっていた。

粘土板には、神殿が顕れる と あったからだ。


横たえられた羊に オリーブオイルが掛けられ

燔祭の煙が上がる。

儀式が進み、空気が声に震える中

円柱祭壇の瓶が倒れ、羊の血に 麦酒が混ざると

砂が暴れ出す。

周囲を覆った煙が消えると、司祭と祭壇が消え

神殿が顕現した。粘土板の記録通りだ。


光る眼の人々が 歓声を上げ、神殿に入って行くと

辺りは静まり、目的の瓶と 司祭の黒い足跡。


「それぞれの奴隷と家畜を残し、

インダスの者等が、瓶を拾いに行き

エラムの者等は、神殿に向かう」


インダスの人たちは、神殿に入って行く エラムの人たちを見ていた。

粘土板の記録では、神殿と共に 消失する。


「だが、主人等を心配した エラムの奴隷が

手に火を持ち... 松明トーチのことだろう、

神殿に向かって声を掛けた。

突然 顕れた神殿であり、先に入った 夜国の民の声も 聞こえなかったからだ」


エラムの人々たちが入って すぐだったこともあり

中の人は消失しておらず、神殿から出て来た。


「“影が居た” と 言っていたようだが

神殿から出て来た者等の眼は、光っていた」


「え?」

「どういうことなんだ?」


ハティが、ページを繰る。


「この時、エラムの者等の奴隷は 驚いて

祭壇があった儀式の場に居た インダスの者等の

近くまで 後退った。

インダスの者等は、神殿から出た エラムの者等に

影が無い ということに気付いた」


全員 言葉を失っているが、ヴィシュヌが

「差異はあるけど、ほぼ 今 起こってる事のような状態だね」と普通に言った。焦らねぇよな...


「続き」


クロポンを指に摘んで ミカエルが促すと

「“ここには 影が居る。光が溢れているからだ”と

光る眼のエラムの者等が 言ったようだ」と

読み、ハティが 続きに眼を通す。


「光ィ?」

「神殿の中が 明るかった訳じゃないんだよね?」


ロキやヘルメスが、何かイヤそうな顔になっているが、トールが

「影が居る って、重なっちまったんだろ?

眼が光ってるんだからな。

眼が光ると 明るく見える っていう、単純な事じゃないのか?」と、まだ サテを摘む。


「“通常とは 見え方が変わる” ってことか?」

「それでも 暗闇の中で、“光が溢れる” ってことは

ないんじゃないか?」


朋樹やジェイドも、トールが言った方向で考えてみているが、ルカが「“完全”?」と言った。

影人が重なっちまったヤツが 言っていたやつだ。


「何だ それは?」と、つり上がった眉をしかめる

ボティスが聞き、ミカエルやロキが

「眼が重なり切った奴が... 」

「イッちまっててさ」と 説明している。


「うーん... 影と重なって 眼が光ると

闇が光に見える とか

“見え方や 見えるものが異なってくる” ってことがあるのかもね。ハティ、続きは?」


ヴィシュヌが ナチュラルに “ハティ” つった。

オレが見ると、やっぱり「ニビル?」って言うんだけどさ。


「“神殿の中は暗い。光など無い” と

インダスの者等が言うと、光る眼の者等は

“暗闇の中に居るから 光に気付けない。

これは、神殿ではない。実際の世界が広がっている。こちら側が牢獄なのだ” と、返している」


世界が広がっている?

幽世の扉や エデンの門、奈落の石扉を彷彿としていると、ミカエルが

ゲート ってことかよ?」と 聞いた。


「インダスの者等や、エラムの奴隷等は

恐る恐る 神殿の中を覗いたが、闇があるばかり。

立てた瓶から 手に振動が伝わり、麦酒が湧き出した」


「水だけじゃなくて、麦酒も湧くんだ」

「神殿が建ったから なんじゃないのか?」

「儀式の場... っていうか、オアシスの中だからか?」


いろいろ推測されているが、ハティが続きを読む。


「瓶に手を添えていた者が、誘われるように

麦酒を 手のひらに掬い、飲んでしまったようだ。

そして、歓喜の顔で立ち上がると

神殿の中へ消えた」


「ええっ?!」


ヘルメスだ。


「俺等、飲んだよね?! ヴァナへイムで!」


「あーーーっ!! さっきも飲んだぞ!!

俺と ミカエルなんか!」


ロキも加わる。


「神殿があったら、鼻歌スキップで 入っちまうのか?!」

「“光が溢れてるぅ” って なんの? お花畑?

イヤでしょ、何か!」


多少 ズレた想像してるよな。

「お前等、もう重なってるんじゃないのか?」

って、ボティスも疑ってるしさ。


「だが、眼が光っていないだろう?」

「人間じゃないから。黒妖精デックアールヴたちも

“影人と重なった” とは言ってなかったし。

第一、神殿が無いだろ?」


トールとミカエルは、結構 余裕だが

「ヴァナへイムで オレらが麦酒を飲んでたら

どうなってたんだ?」と 言ってみると

「鼻歌スキップ?」と、ヴィシュヌが言う。

ふざけてる訳でも マジメな訳でもねぇ大物って

対処に困るよな。

いや 全員大物だけど、総じて どこか軽い。


「そのあとは?」


「他のインダスの者と、瓶の傍に居たエラムの奴隷も 麦酒を飲み、神殿に消えた」


ルカが俯いて「んふ」つってやがる。

鼻歌スキップ 想像しやがったな。

オレもヤバいので、空になったカップ持って

お代わり淹れに立とうとすると、ヴィシュヌに

「ああ、いいよ 泰河。取り寄せるよ」と 止められちまった。


「インダスの奴隷等と、まだ残っていた エラムの奴隷等は、恐れて その場を逃げ出した。

朝になり、オアシスに戻ってみると

神殿は消えていたが、粘土板の記録には

“すべてが消えた” とある。

奴隷等は、幕屋から 使える物を持ち出すと

家畜等も連れ、それぞれの国にも戻らず

遊牧の民となっている」


笑うとこ出なくて良かったぜ。

本当なら、笑うとこ ねぇんだけど。


けど、「麦酒の瓶は?」と聞いた ミカエルに

ページを繰ったハティが「持ち出している」と

答えてて、え? ってなった。

怖くなったんじゃねぇの?


「何故かは解らんが、“手放せなかった” と。

人を呼ぶようだ」


呪具 みたいなもんか...


「その後、遊牧民等は 山岳へ向かい

カスピ海沿いを進み、コーカサスへ抜けている。

しかし、アッシリアが 力を持ち、侵攻を始めると

エジプトへ 南下し始めた」


「アフリカ大陸かよ」

「砂漠も たくさんあるね」


「ここで記録は 途切れている」


まだ 本のページに目を通しながら、ハティが言った。唐突な途切れ方だよな。

遊牧民になった人たちは、コーカサスやエジプトに 居留しつつ、あちらこちらで交易をし、

他国の言語や 神々の祭儀も学び、粘土板の記録にある 神殿の文字を調べたが、情報は得られず。


「写本を作った者の 追記によると

粘土板は、リビア砂漠に埋まっていたようだ。

別の遊牧民が拾っている。だが、件の瓶は無かった。

写本を作った者は、エジプトの者であり

遊牧民から粘土板を買っている。

7世紀、サーサーン朝が エジプトへも侵攻していた時のことだ」


サーサーン朝... イラン高原南部に興った王朝で

イラン高原全域など、かなり広範囲を征服している。

エルサレムで、聖子が磔になった聖十字架を奪い

エジプトまで侵攻。

その後は、割と すぐに滅亡してしまい

十字架も返還された。


粘土板の記録が、紀元前 3000年から 前1000年頃まで とすると、写本が作られるまでに 1600年くらい経っている。


「粘土板は、この者が保存していたが

“異教のもの” として、サーサーン朝の者に奪われている」


サーサーン朝は、ゾロアスター教が国教だった。

マニ教... ゾロアスター教を基本として、キリスト教や仏教の教義も取り入れたもの も 興ったが、

厳しく弾圧した。


なら 粘土板は、イラン高原のどこかに戻ってるのか... ?

“異教のもの” と 取り上げられたのなら

破壊された恐れも高い か...


「写本には パピルス紙が使われており

“壷に入れ、埋めて隠す” としてあるが

奪われたか、別の者に掘り起こされたか だろう。

本の形で奈落にあった という事は

奈落に繋がれている 異教神が持っていたか、

奈落の天使が、天魔術の写本や 天使の羽根などと

取引して手に入れた とみえる。

この本自体は、奈落で製本されている。

紙が 天の素材だ」


「じゃあ、パピルス紙の方は

奈落にあるのかな?」と、ヴィシュヌが聞いているが

「パピルス紙が、他の取引に使われていなければ」と いうことだ。

取引に使われてそうだよな。

使わねぇんなら、パピルス紙のままで置いておけば いいんだしさ。


「アバドンは、何かするつもりで

本を手元に置いといたのかな?

麦酒の瓶を探してみる とか」と聞いた ヘルメスに

「いや、異教神の把握の 一環だろ」と

ミカエルが 答えている。

囚人は異教神なんだし、知らなきゃ困るもんな。


「そして 瓶は今、ケシュム島にある ってことか」


クロポンの大皿 一枚を、一人で空けたロキが言った。


「そうだ... その可能性が高い」

「魔女は、“彼が 呼び起こされた”

“儀式中に 黒い影が立った” と 言っていたようだからな」


それで 魔女は、夜国の民... 光る眼のヤツらの 儀式の 司祭のように、黒い足跡を残して消えている。


「“黒い影” は、その異教神?」

「影人 って恐れもあるけどね」


ケシュム島で、最初の影人が出た ってことか?

それとも、キュベレの影響で その異教神が顕れたから、影人が出始めたんだろうか?


過去、神殿の中で 影人と重なって

出て来た エラムの人たちは、夜国の民になったんだろうけど、神殿は 人ごと消える。

他に目撃されていた 光る眼の人たち... 夜国の民たちは、どこから来るんだ?


「異教神避けがしてある って聞いたけど

ちょっと 見て来ようかな。

悪魔はダメでも、他の異教神は入れるかもしれないし」


ヴィシュヌが立つと、ミカエルと ヘルメスも

「うん」「行ってみようか」と 立った。

動きも早ぇよな。


「水や麦酒が湧く瓶が かなめって気がするね」

「今までは、どこにあったんだろうな?」


ジェイドや朋樹が、少し楽しそうに話していて

四郎は、“良いのでしょうか?” って顔だが

やっぱり楽しそうでもある。

重なっちまった人もいて、まだ対処出来てねぇからだろうけど、この夜国の民の話は 5000年くらい前からある話だもんな。


「けど、時間 経ち過ぎだよなぁ。

最初の神殿の記録が、前 3000年頃でー、

モヘンジョ=ダロで 水が出たのが、前 2000年頃。

で、前 1500年くらいに、また神殿。

リビアに 粘土板残して消えちまってて

それが分かったのも、600年代だしー。

記録も途絶えた 前 1000年くらいから、

瓶は 行方不明だったんだしさぁ」


「よく覚えてたな」


ボティスが ルカに感心している。

「うん、串で」と 答えているルカは

自分の取皿に サテの串を、上から順に

三本、二本、一本と 折った半分、箸を置き、

中途半端な位置で折った串を 指差して

「これ、紀元えーでぃー 600から 700年くらい」と言った。

なんとなく原始的なメモり方だ。


「行方不明の間にも、どこかで儀式は やってたんじゃないのか?」

「だいたい、瓶は ひとつだけなのか?

記録がないだけで、実は 他にもある とか」


トールとロキが、新たな推測を披露すると

「文明の起こった交易の場などに、瓶は出現しておったのでしょうか? または 砂漠に?

沢山の人が居り、水が貴重である... という場所であれば、注目はされましょう」と

四郎も可能性を拡げた。頭 痛いぜ。


「だが、今回の麦酒が出たのは

ケシュム島からなんだろ?」


オレは、ボティスの案に乗りたい。

奈落にあった麦酒も、蛇女が小人国スヴァルトアールヴヘイムに持ち込んだ麦酒も、ケシュム島のものだということは

判明してるしな。


「“はっきりしたのは” って事だったら?

地上の入れ替わりが起こって、失われた瓶が

地上の あちこちに顕れていたら... 」


ジェイドが、瓶は複数ある みたいな言い方しやがった。じっ と 見てやったら

「だって、影人は 世界中に出ているじゃないか。

一つの神殿から、こうは拡がらない気がするんだ」と 言っている。確かに...


「世界ごと 神殿となった、とは?」


ハティだ。


「どーいうコト?」


「光る眼となった エラムの者等は

“神殿の中には 影が居た” と言い、自らの影を失っていたようだが、現在 影人は、神殿の中ではなく

至る場所に出現する。

世界ごと 神殿の内部の状況のようになっている」


神殿内部... 光る眼の人たち、夜国の民に見えるのは、神殿室内の闇ではなく

“光が溢れる 実際の世界が広がっている” と...


「神殿内部の世界と、重なった という事か?」

「キュベレの影響で?」


ボティスや ロキですら、うわぁ... という顔だ。

少し楽しそうだった 四郎の顔も引き締まる。

アカネちゃんの件もあったから 余計だろう。


「けど、ケシュム島だけから こんなに?」


ジェイドは まだ、その辺りが引っ掛かるようだが

「父の肋骨だぞ?」

「キュベレは 目覚めている」と

ボティスや ハティに返され

「瓶くらい、幾らでも増やせるだろうしよ。

世界中の飲み水に 瓶の水が混ざったのかもしれんぜ」と、朋樹が言った。


「なら、全人類 鼻歌スキップ状態 ってこと?」

「勘弁しろよ... 」


「入れなかったよ」と、ヴィシュヌが立ち

ミカエルと ヘルメスも顕れる。


「どの神もダメなのか」と、ロキが言うと

「そうみたいだね。

特に、ケシュム島周辺で 信仰されている神々...

イスラム、ゾロアスター、キリスト教や、ヒンドゥー、ギリシアの神々と

ソゾンや キュベレも居るのなら、世界樹ユグドラシルの神々や

天使や悪魔は しっかり避けられてると考えられるね」と、軽く肩を竦め

「でも、物理的な要因さえ 取り除けば

人間は入れる」と、オレらに笑った。

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