135


白い瓦礫混じりの 流れ水に飲まれて

歌うように 囁く声が聞こえる。

女の声だ。ひとり ふたりじゃない。


「... カ!」


誰かに 腕を掴まれて、どこかへ流れ落ちる。

何故か 自分が吐いた気泡が 流れに遠のいていくのが見えて、白く輝く霧と 白樺の若緑を越えた。

眼の端に靡いた 長い黒髪の毛先は、四郎の... ?


すぐ背後から、強い光が 流れ水の中を白く照らす。見たことがある。焔の光だ。


ぱちん と、耳元で うたかたが弾けた。




********




さざめく声に 目を覚ます。

悪い夢にビビった時みたいに、ビクッとして。

声は消えた。たくさんの 女の声だった。


空が 薄赤い。

でも、朝焼けでもないし、夕焼けでもない。

“これが空の色” って感じ。

普通、空って 青いのにさぁ。

転がってるのは、普通の草色の草の上。


... 水の中に 居たよな?

けど、溺れる って感覚じゃなかった。

髪しか濡れてねーし。シェミー 仕事着 すげー...


『う... 』


声に気付いて、顔を 斜め右上に向けた。

仰向けになったままだし。

アッシュブラウンに染めた髪...


『泰河?』


身体を起こすと、隣に ハルバードの三日月刃が刺さる。


『おっ... 』


死者兵は、オレの方 見てねーんだけど...


『取れ、ルカ!』


朋樹だ。

指から離れた式鬼札が 尾の長い炎の鳥となって

死者兵の黒いサーコートの胸に追突する。

そうだ 戦闘中だったよな...


少し離れて、ジェイドの胸に 四郎が

きよくなれ してるのが見えた。

泰河の胸の上に前足を添えた琉地が、泰河の顔を覗き込んで 起こそうとしてる。


『ルカ!』


立ち上がって、槍の柄に手を掛けると

別の死者兵が 振り回す槍の先が、目の前を掠める。あっぶねー...

『風!』と 精霊で巻いてみたら、足をはじけた。

意外と いけるし。


で、槍は かなり重い。

『こんなの 振り回せねーと思うんだけどー... 』って 言ってたら、後ろから『貸せ』って 声がした。


『ボティス!』


肩や胸から 力が抜ける。

ビビってたんだぜー、オレ やっぱりさぁ。


ボティスに 槍を渡して

『焼きとうふ?』って言いながら 眼を開けた泰河の方へ 向かおうとしたら、槍の持ち主らしい死者兵が 鼻先に顕れた。... 目は 合わねーんだよなぁ。


朋樹が炎の蝶を飛ばしてきたし、風で巻くと

四郎が 更に吹き飛ばして、近くに居た死者兵も

炎の竜巻に巻き込まれる。


『やり過ぎるなよ。

ソゾンの催眠を解いて、冥界ニヴルヘルに戻すからな』


『そうだ... 』と、ジェイドが身を起こしたけど

『おまえ、スキヤキの夢 見てなかったか?』って

泰河に聞いてて、四郎に『神父パードレ』って 言われてやがる。


『いや。水炊きだったのに、豆腐が 焼き豆腐だったからさ...  で、ここ、どこなんだ?』


『そう! ヴァナヘイムじゃねーよな?!』

『平原だしね』


ミカエルたちは... と、平原を見渡すと

かなり離れた場所で、剣と盾を持ったミカエルが

空中に 翼を広げて居て、その近くには ハティも居た。


地面には、青いサーコートを着た ミロンたち

ヴァナヘイムの兵士と、革の胸当てを着けて シルバーの鼻当て付き兜を被った巨人たち。

6メートル級から オレらくらいのまで。

下に居る巨人の槍の攻撃を ミカエルが盾で受けたり、投げてくる 円盤のような石を、ハティが砂金に錬金して、気を引いているように見える。


『榊は?』と、泰河が聞くと

ボティスが 背後を槍の先で指した。


『除外されてるんだ』


神御衣かんみその袖の中に 腕を組む月夜見キミサマの隣で

ロキが、狐榊を片腕に抱いてる。

ゴールド細工の二本角が付いた 上等なヴァイキングの兜みたいの被ってるし。妙に 眼を引く。


『おっ、それ何?!』って、頭 指して聞いたら

『さっき、巨人から取り上げた。

最近のデザインみたいだし、小人ドヴェルグに作らせてる

一級品だったから』って 答えたけど

顔は ムスっとしたまま。


で、『ここは多分、ヴィーグリーズだ』とか

言うし!


『ヴィーグリーズ?!』

最終戦争ラグナロクの決戦場じゃないのか?!』


『多分 って 言ってんだろ?

来たことねぇから、知らねぇよ!』


うわっ 機嫌 悪ぅ...

ロキの左肩に 両前足載せてる榊が

後ろ姿で固まってるし、月夜見キミサマが ロキの背中に

手を添えて 宥めてる。


目の前に顕れた死者兵を、槍の柄で押して倒した

ボティスが、『助力、ラミエル。神の雷霆』と

雷で射って、死者兵全員を気絶させ、手の槍を落とさせた。

おまえ、“やり過ぎるな” って 言ってたじゃん...


案の定『殺す気かよ? ヘルに返すのに!』って

噛み付くロキに、『死人だろ?』って 返して

余計 カリカリさせてるんだけどー。


『... ロキ、巨人たちに認識されてねぇみたいなんだよ』


朋樹が 小声で説明を続ける。


『巨人の持ち物には触れても、巨人たちには 触れられねぇんだ。

キュベレに省かれてんだろうけど。

トールに、オレらの 護衛についとけ って 言われたみたいでさ。

何故かオレらも、巨人たちに認識されねぇし... 』


ついでに、月夜見キミサマが 言うには

『神隠しを試すと、また掛かった。

ヴァナヘイムから 場所が変わったからだろう』

らしく、死者兵にも 見えてない。

なんとなくオレらの気配を感じて 攻撃してくるようだ。

うん、道理どーりで 攻撃が甘いって気ぃしたし。

いや それで、良かったけどー。


『なんで認識されないんだ?』


ジェイドが聞くと、ボティスが

『推測に過ぎんが、“人間” や

ソゾンが知らん神話の神... 日本神などが

巨人たちの相手から除外されている』って言う。


最終戦争ラグナロクは、それぞれに戦う相手が予言されてるだろ?』


ロキが言ってるのは、オーディンは フェンリル、

トールは ヨルムンガンド、ロキは ヘイムッダル、

フレイは スルト、テュールは 番犬ガルム

アース神族は 巨人たちや死者兵... ってことらしく

ソゾンは それになぞらえて

よく分からん オレら人間と日本神に 死者兵、

巨人たちに ヴァン神族と異教神たち... としてるっぽい。


ヴァン神族兵士の半魂を抜いて、ソゾン側の兵隊にしようとしてたけど、それは阻止したもんなぁ。

けど そのせいで、ヴァン神族が 自分たちの意志で

最終戦争ラグナロクに介入することになった。


『“トールに アジ=ダハーカ” だったのかもな。

蛇だったから。

お前等が封じちまったから、意外と厄介だって

分かったんだろ』


ツンケンしてるんだぜ。

『封じられて良かったじゃん』

『トール、生贄の印 付いてたしさ』って

泰河と言ったら、『そうだけどな!』だし。

全く省かれちまうと、それはそれで... って風。


『しかし、どのようにして 移動させられたのでしょう?』


琉地を撫でながら 四郎が言うと

魔女イアールンヴィジュルたちだ』って、ふてくされたまま

ロキが答えた。


魔女イアールンヴィジュル... 囲いの外、人間世界ミズガルズ巨人世界ヨトゥンヘイムの境

ウートガルズの鉄森イアールンヴィズに棲む魔女たち。


『ヘルメスが 白樺の森で見た、羽衣を着た女たちは、魔女イアールンヴィジュルだ。

水で流されてる時に、知ってる顔が見えたからな。呪歌ガルドルで、水ごと移動させたんだ』


呪歌ガルドル... ガルドル律 という 特殊な韻律で歌を歌って、治療とか闘争心増強とか、様々な効果を発揮させる ってやつ。

ずっと 歌う声が聞こえてたもんな...


この呪歌ガルドルも、魂を飛ばす セイズ呪術と同様に

ヴァン神族が得意とするから

『ソゾンが 呪歌ガルドルを授けて、魔女たちを使ってる。

もしかしたら ソゾンじゃなくって、キュベレに惹かれて 仕えたのかもな』って 言ってるしよー...


『ベルゼとベリアルは?』


『シェムハザとヘルメスが探しているが... 』


ボティスが 琉地を見たけど

琉地は、ふぅん... と 鼻を鳴らしてる。

オレが 額に手を置く前に、狐榊が

『... はぐれたようであるの』って 言った。

マジで 琉地と喋れるんじゃん。


『逸れた って... 』


ジェイドが 眉をしかめる。

ベルゼとベリアルは、地下宮殿の イチイのルーン文字の壁の向こう... キュベレとソゾン、アクサナとイヴァンが居ると思われる場所を、上から探してた。

地面を割って、水が 瓦礫を吹き上げたのは

オレらが居た場所と、ベルゼたちが居た場所の間くらいで、ちょうど あの壁の位置くらいだった。


『ソゾンに囚われたことも考えられるが... 』


ボティスが難しい顔してるけど、朋樹が

『でも、何かを掴んで 姿を隠してる とも

考えられるよな』って言う。


『何で そう思うんだ?』と ヴァイキング兜の下で

ロキが 虹色の眼を細めると

『眼鏡も消えたから』って 真面目な顔で答えてて

四郎が『あっ... !』って 涼やかな眼を見開いた。


『... 水で 流された時に』って 口にしたジェイドに

朋樹は『いいや』って 首を横に振る。

『分かるんだ... 』つってるし。

『なんか、キズナみたいの出来てきたよな』って

泰河は頷いてるけど

ボティスと月夜見キミサマは 判断し切れず、無言だし。


『ともかく、ここで することは

ソゾンの催眠操作から 死者兵たちを解放し

冥界ニヴルヘルへ帰すことだ』


ボティスが仕切り直すと

ロキが『そう!それだ』と 賛同するし

もちろん、尤も なんだけど

『しかし 神隠しであれば、言葉なども

届かぬであろうよ』ってなる。


『ん? 待て... 』と、ロキが止まる。


また 歌だ。水の中で聞いた さざめく女たちの声。


『む... 』


狐榊が、ロキの肩越しに 何かを見て

三つ尾を膨らませた。... 獣の唸り声がする。

ロキの背後に、黒い影が凝り出した。


ボティスに榊を渡して 振り返ったロキは

『こいつは... 』って、それを見上げた。

黒い山みたいな影が 姿を顕す。

巨大な 狼 なん だぜ...


『ロキと、眼... 』


泰河が後退するし、オレも

『合ってるよな... ?』って そろそろと退く。

巨人狼に、琉地も唸り出してるし。


『榊、あれは ロバだ』って

ボティスが 無茶ムチャ言ってるけど、ロキは

『マーナガルム... 』って 呟いた。


『はっ?!』『フェンリルの... 』


マーナガルム狼って、月の御者マーニを飲む っていう、鉄森イアールンヴィズに棲む 女巨人の老婆と

フェンリル狼の子。

フェンリルは、境界者ロキと 予言の巫女アングルボザの...


黒毛のマーナガルム狼の “月を... ” という思念が届く。思念 だと思ったけど、“声” だったらしく

月夜見キミサマを狙ってんのか?』と、泰河が言った。


『よせ、マーナガルム!

こいつは マーニじゃないぞ!』


『これも 催眠であろうが、神隠しが利かぬとは...

お前の血を継いでおろう? あれ等も』


マーナガルム狼は、黒い狼の群れを率いてた。

全部の眼が ロキに向いてる。


『ルカ』と、ジェイドに 白いルーシーの小瓶を渡されて、風と地の精霊で 天空精霊召喚円を描く。

まず、マーナガルムの左右に 二つ。

群れの狼たちも囲むように 背後にも二つ。


『さて、闇の者に 靄は如何程 染みるものか... 』と

月夜見キミサマが 三ツ又の矛を握ると、ロキが

『マーナガルム、退け!

俺に お前を殺らせるな!』と 前に出た。


『防護じゃあなく... 』


ボティスがジェイドに ゴールドの眼を向ける。

天空精霊テウルギアで、マーナガルムたちを消滅させろ って

ことだ。


けど、ロキの前で... ?

ロキに殺らせるよりは... と 考えて

なんで マーナガルムが、ロキを認識出来るんだ?

ってことに気付いた。


巨人たちには 認識されないようになってる。

ロキは、子供が巻き込まれるのを嫌う。

他人の子供... まだ小さい子とか 未成年とかもだけど、ナリやヴァーリ、フェンリルやヘル、ヨルムンガンドのこともあって、自分の子たちが巻き込まれることも。


トールの養子、ウルの 父親であるソゾンを

ヴァナヘイムまで 見に行ったくらいだ。

ソゾンは ロキに、“お前は孤独だ” と 囁き続けてた。

ロキの こういうところ... 子供が弱点ってことを

知ってるんじゃ...


だったら、今 狙われているのは

月夜見キミサマじゃなく、ロキだ。


『カルネシエル、カスピエル... 』


マーナガルムの左右の円に、光の人型の天空精霊が降りる。


『風、地。円の移動。琉地... 』


マーナガルムに唸っていた琉地が、ロキを押し倒した。ヴァイキング兜が 落ちて転がり

狼の群れの背後に敷いた 二つの円が

ロキの背後へ移動する。


『... アメナディエル、デモリエル』


二体の天空精霊が降りると、ロキと琉地が

光の人型に囲まれた。


マーナガルムは、天空精霊の囲いの外に落ちた

ヴァイキング兜に 眼を向けた。

... 神隠しは、利いてる。

ヴァイキング兜は、ソゾンの催眠下にある 巨人の物だった。マーナガルムは、ロキじゃなく

それを認識して狙ったのか...


『何なんだ... ?』


天空精霊に囲まれたロキが、オレを見て言う。

ボティスや月夜見キミサマは 気付いたようで

『対処が済むまで そこに居ろ』って 言ってる。


さざめきの声の旋律が変わり、空から霧が降りてきた。

マーナガルムたちも 近くに居る泰河たちも

ぼんやりとした影に見える程の濃く白い霧に

式鬼火の炎の竜巻で 乾いてきてた髪や、顔や手が

しっとりと湿気を帯びる。


ドッ と、強く蹴られたような衝撃があって

「ルカ!」と、隣で 泰河が叫ぶ。

霧が薄れて晴れると、右の脇腹から

血に濡れて尖ったものが出てた。


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