105


『あっ!』『琉地!』


ヴィシュヌのチャクラムが、ソゾンを追って消えると、巫女のヘイズの墓に 飛び込んだ琉地まで

白い煙になって消えた。


『あいつさぁ... 』


喚んでも戻って来ねーし。


『いや、琉地は賢い。大丈夫だろう』


ハティの後に、ヘルメスも

『ちゃんと戻って来るか、

どこかから 俺を喚ぶ気なんじゃないかな?』って

言うし、そーかな... って

ちょっと 放っておくことにする。


『いろいろ、さ... 』


トールとロキを見ないようにして、泰河が言う。

ん...  今 聞いたこと、二人は複雑だろうな...


投槍グングニルを降ろした オーディンは、ソゾンが消えた ヘイズの墓を見つめて、息をつき

スレイプニルに乗ったまま

ぼそぼそと 口の中で呪文を唱えて

ヘイズの霊を 喚び出し始めた。


バルドルが自分の子じゃない って ことには

さすがに ショックを受けてるように見えるけど、

自分がしてきたことには、何か感じているように

見えない。

“ロキの孤独心を増幅させた” って 話の時も

そのせいで バルドルを死に導いた... ってことに

動揺したようだった。


『とにかく、チャクラムが あの男を追う』


ヴィシュヌが言うと、ベルゼも

『キュベレやアジ=ダハーカが、誰の元にあるか

はっきりとした。ここまでは上々だ』と 加えて

ミカエルも頷いた。

『シェムハザ、珈琲』とか 言うし。

けど、トールとロキを見ると

少し落ち着いた方が いい気もする。


シェムハザから、コーヒーのタンブラーを受け取った ベリアルやボティス、師匠や月夜見は

『オーディンと巫女ヘイズの話を聞いておく』

『話の後に、ロキの解放を』と

オーディンを 示した。


『そうだよな。

今、ロキの話をした方がいいよな』


朋樹が、ロキやトールだけでなく

ミカエルやヴィシュヌにも 確認すると

『うん、早い方がいい。

今なら オージンが ひとりだ』

『アジ=ダハーカやキュベレを匿ってる訳では無かったからね』と、同意してる。


タンブラーから上がる コーヒーの湯気を見ながら

また落ち着かない雰囲気になってきた ロキに

『トールが居るだろ?』と、ヘルメスが言って

『いざとなれば、我も話に出よう。

“ミカエルに仕えている” として』と

ハティも微笑った。


『ハーゲンティが?』


ハティが出れば、ベルゼやベリアルが出るよりも

“皇帝の耳に入ったも同じ” って とると思う。

ロキは 驚いてるけど、トールが ハティに

『頼む』と頷くと、ロキも 落ち着いてきて

『うん。俺は これから、トールとシギュンと

お前達と居るんだ』って コーヒーを飲んだ。


『おう』『もちろん』『楽しくなるよなぁ』って

泰河や朋樹と言って、『そうだね』『はい』と

ジェイドや四郎も答えてる。

狐榊も『ふむ』と 微笑うと、ロキは しゃがんで

榊を 片腕に抱き上げた。嬉しそうなんだぜ。

少し ほっとする。


『ソゾンが、ウルの父親だって事は

知ってたの?』


ヘルメスが聞くと、トールは

『ウルが幼い頃、寝言で

“ソゾンの ばか” と 言っていた』って 答えてて、

ロキは

『俺は、トールがシフと 一緒になった時に

ウルの父親の事を 調べたんだ。

ヴァナヘイムまで見に行った』らしかった。


栗鼠ラタトスクに変身して行った。

だけど 魔術の結界があって、ニセモノの栗鼠ラタトスクじゃ 弾かれた。中には入れなかったんだ。

仕方なく、結界ギリギリの 木の枝の上から 中を覗いて、“ソゾン” って 呼ばれている奴を探した。

三日 木の上に居て、やっと “ソゾン” って呼ぶ声を聞いたけど、その場には 男が五人居たんだ』


結局、その中の誰がソゾンだったのか は

分からなかった... って 言う。


トールは、小さく見えるタンブラーのコーヒーを飲みながら、ちらっと ロキを見たけど

何も言わなかった。

ロキは『だって気になったんだ!』って

榊越しに言ってるけどさぁ。

トールのこと、マジで大スキだよなぁ...


『榊、珈琲を』って、シェムハザが タンブラーを

渡そうとすると、ロキが ヤツアタリっぽく

シェムハザを睨んでるし。

『怒ったのか?』って 輝きながら 頭 撫でられて

『眩しさには 騙されないからな』って 言ってるんだけどー。


『ふうん、なんか コドモだな』


狐榊を降ろす ロキを見ながら言った ミカエルに、

ヴィシュヌが ばちっとした睫毛で

“ミカエルが言うんだ” って 眼を向けてる。

オレらも そーいう眼に なってるんだろーなぁ。


ヘイズの墓の前には、ようやく 白い霊が顕れた。

頭からベールを被っていて、顔は見えない。

長袖のドレスのようなものを着てた。


「バルドルが、誰の子か は?」


オーディンは、スレイプニルに乗ったまま

ヘイズに聞くと

「... 質問されていなかったわ。

最終戦争ラグナロクとも 関係はなかった」って 素っ気ない。


確かに、バルドルがソゾンの子だから どうこう... とかは、何も関係ない って気ぃする。

ソゾンは、オーディンの姿で フリッグと寝た。

フリッグも、バルドルはオーディンの子だ って

思ってるんだろうし。


「手に入れたいものがある... 」


オーディンは、すぐに

キュベレや アジ=ダハーカのことに 話を変えた。

ボティスが鼻で嘲笑って、師匠も呆れた顔してるし。

『流石は 主神だ』って イヤミ言ってるベリアルの

隣で、月夜見は ヘイズの観察をしてる。


『今 思ったんだけど、ミカエルは その格好で

オージンと話すのか?』


シェムハザが取り寄せてくれた、マドレーヌを

皿から取りながら、ジェイドが聞いた。


ミカエルも取りながら『うん』って 答えたけど

仕事着ってことに気付いた。


『えっ、おかしくねぇか?』

『普通なら 天衣だよな。翼付きでさ』


ってことで、神隠しの中で エデンのゲートを開く。


『開けるんだ』って 言ったら

『うん。俺も今 知ったけど。

信徒がいる国の 別界だからかもな』つってる。

天の力って、でかいよなぁ...


一度 階段を駆け上がって、天衣で戻ったミカエルは、翼 背負ってて、肩当てから赤いトーガ付き。

やっぱり カッコいいんだぜ。


『おお、“ミカエル” だ』

『翼もある』


ヘルメスたちに 感心されてるけど

『地上では、翼は いつもあるんだぜ?

隠してるだけで』って、また マドレーヌ食ってる。

ベルゼは、トーガ付きミカエルに

“うーん... ” って 顔になっちまってるけど。


『余計に腹が空いた』って言う トールに

ヴィシュヌが、子豚の丸焼きを取り寄せて

『俺等は まだ出番がないからね』と

地面に座って、一緒に食い出した。

四郎と榊も手招きされて

もうすぐ出番のはずの ロキも食ってるし。

緊張感ねーよなぁ... 安心もするけどさぁ。


「何故だ?」


マドレーヌ持ったまま

凄味が効いた オーディンの声に振り向くと

「... 誰の手にも入らない」と

抑揚なく ヘイズが返しているところだった。


「では 何故、ソゾンの手に?」


納得がいかない って風。

“戦争と死の神” って 解る顔してる。怖ぇし。


「... 女が選ぶ。

“手に入れた” のは ソゾンではなく、女の方。

あなたは、選ばれなかった」


アジ=ダハーカも、ソゾンも

キュベレを手に入れた んじゃねーんだよな...

相手キュベレが寝てると、つい錯覚しちまうんだけどさぁ。

また、沈黙が 怖ぇんだけどー...


最終戦争ラグナロクへの影響は?」


抑えた声で、オーディンが聞く。

ヘイズは「... 歪む」と 答えた。


「... バルドルの死により

すでに、最終戦争ラグナロクは始まっていた」


肉を刺したフォークを持って、トールが

ヘイズの方に 顔を向ける。


『今 言われれば、そりゃあ... 』って

ヘルメスが言うけど、バルドルは 光の神だし

アースガルズが、光を失った ってことになる。


「... そうして、歪み始める」


ベールの下で 眠るように俯いたヘイズが消えた。

グルル... と 喉を鳴らす、獣の唸り声。


『いつ来た?』


ヴィシュヌとトール、ロキが立ち上がる。


『お... 』『いや、ちょっと... 』


ニレの木立の奥から、バカでかい狼が現れた。

史月の比じゃない。狼巨人 ってやつだ。


ロキが、虹色の虹彩の眼を見開いて

『フェンリル... 』と 掠れた声を出した。


『“フェンリル”?!』

『待て、フェンリル狼のことか?!』

『繋がれてるんだろ?!』


巨大な狼のフェンリルは、肩を揺らして 前足を踏み出し、唸りながら オーディンに迫る。

最終戦争ラグナロクで、“オーディンを飲む” というのも

納得出来る大きさだ。

四足の状態で、3メートルくらいある。


腰が抜けた榊を、ジェイドが抱き上げた。

『下がって』と、ヴィシュヌに言われたけど

なかなか 足が動かねー...


『今、飲まれんのか?』


泰河が、オレと朋樹を引いて

背中に四郎を庇う。


スレイプニルの上で、投槍グングニルを持つ オーディンは

言葉だけでなく 顔色がんしょくも失ってる。


『いや、魂だ。飛ばしている』


狼の近くに顕れて、観察した シェムハザが言う。


『でも フェンリルは、セイズなんか使えないぞ』


ロキが眉をしかめると、トールが

『ソゾンが、オージンを からかっているのか?』と、誰ともなしに聞いた。


『恐らく』と、ハティが答えて

『だが、フェンリルの近くに行かねば

フェンリルの魂は 飛ばせんのでは?』って

目眩がするようなことを 聞き返した。


『わからん』

『俺も セイズの事は よく解らない。

他の奴の魂も飛ばせるなんて... 』


セイズ呪術は、ヴァン神族が 得意なんだもんな...


オーディンも、かなり焦っているのか

フェンリルが 魂とは 気付いていないようだ。

また 一歩、フェンリルが近付いた。


『魂なら、飲まれる事は ないのか?』


ミカエルが聞くけど、トールもロキも

『聞いた事はない』

『無いと思う』っていう、自信なさげな返事。

代わりに 月夜見キミサマが『無かろう』って 答えたけど

オーディンは、投槍グングニルを持っていることも

忘れてるように見える。


『今、ロキの神隠しを解け』


ベリアルが言った。


『ミカエルもだ。

ロキ、ミカエルの前で フェンリルを呼び止めろ。

フェンリルが聞かずとも 構わん。

助けたところを見せて、オージンに恩を売れ。

ミカエルが 証人になる』


シェムハザが、フェンリルの隣に

青いルーシーで防護円を敷き

『ロキ、ここに入れ。あらゆる術から護る』と

円を指して

『物理的な事からは、ミカエルと 俺が護るよ』と

ヴィシュヌが、スレイプニルの前に立った。

師匠も ヴィシュヌの隣に立つ。

ヘイズの墓の後ろには、ボティスとハティ。


『いや、まず 人形ひとがたでやらねぇか?』と

仕事道具入れから、シギュンの形代カタシロとは別に

もう 一枚の形代を出したけど

『もし オージンが攻撃して、形代に戻ったら

こちらの手を ひとつ明かすことになる』と

ベルゼが止めた。


ロキが、防護円の中に立つと

二重円の中の文字が ロキの周囲に浮き上がる。

ミカエルとは逆隣に、トールが立った。

神隠しのままでも、隣にはトールが居る。

ロキの肩の力が 少し抜けた。


『エデンのゲートの神隠しも解いてくれ。

俺がロキを連れて、ゲートから降りたと見せ掛ける』


フェンリルが、また 一歩出ると

月夜見キミサマが、エデンのゲートから 神隠しを解いた。


忽然と顕れた アーチの門と階段に

オーディンが 右眼を向ける。

「何だ... ?」と 呟く間に

ミカエルとロキの神隠しを解く。


「フェンリル、止せ!」


ロキが、フェンリルの魂に呼び掛けると

フェンリルは、唸り声を途切らせた。


「お前は... 」


そりゃ、驚愕するよな...

フェンリルに続いて ロキだ。


「オージン。俺が 誰かは?」


唇を震わせているオーディンに、ミカエルが聞く。神隠しの ヴィシュヌと師匠越しに。


「ミカエル? 何故、ここに?

天から使者が来たという話は 聞いておらんが... 」


「極秘のめいで動いている。聖子の命だ。

お前を探して降りたら、冥界ここだった。

地上の異変は知っているな?

地上に限らず、ロキは 天が追っている者から 牢を出された。妻のシギュンも同様に。

利用される恐れがある」


朋樹が、手のひらに載せた シギュンの形代カタシロを吹いて、ロキの背後に シギュンの人形ヒトガタを出した。

月夜見キミサマが神隠しを解く。


「“天が 追う者” とは?」


「何者か 問うのか? 俺は、“極秘” だと断った。

秘すべき事柄について 開示を求め、それを知れば

お前は、奈落に幽閉されることになる。

ロキとシギュンは、秘すべき者を見ている。

天の守護対象だ。二人の身柄は、天が預かる」


フェンリルを警戒しつつも、オーディンの右眼が

ミカエルから、ロキと シギュンの人形ヒトガタに動いた。


「オージン。俺は シギュンと、世界樹ユグドラシルを出る」


オーディンを見返して、ロキが言う。


「天から、世界樹ユグドラシルへは 戻らない。

だから、最終戦争ラグナロクの予言は当たらない。

もし戻ったら、俺を殺せばいい」


ロキが言い終えると、すぐにミカエルが

「いや、俺と共に 世界樹ユグドラシルへ入ることはある。

追っている者が、世界樹ユグドラシルに居る恐れが高い。

それを 断りにも来たんだ。

ロキが見た者が、追っている者かどうか 確認させる必要がある。その後も 俺に仕えさせる」と

すでに決定した事項 として伝えた。


何かに き立てられたように、フェンリルが唸り

ロキが牽制する。


「だが、こちらから 天へは上がれん。

証人としては... 」


疑心の眼を向ける オーディンの前で、ミカエルが

「ハーゲンティ!」と 喚ぶと

ミカエルの背後に 従うように、ハティが顕れる。


ミカエルの隣に進み出た ハティは

「この証人には、我が」と、オーディンに言って

「だが、“天にも 利用させぬよう” と

仰せつかっている」と、ロキを自分の前に呼び

額に印章をつけた。


「ルシファーが?」と 聞くオーディンに

ハティは、言葉での返事はしてねーけど

瞼を伏せて 肯定を示したっぽい。


「いいな?」と、確認する ミカエルに

オーディンが「了承した」と 答えると、

ハティが、黒いコートの胸から 皮紙を出して

オーディンに差し出し、サインをさせた。


戻った皮紙を受け取った ハティが

「早急に措置を講じるのが 望ましく見えるが... 」と、フェンリルを視線で示したけど、

ミカエルは「現在いま、必要な用は済んだ」と

「フェンリルは?!」と 焦るロキと

シギュンの人形ヒトガタから先に エデンの階段を昇らせて

自分も後に続く。


「ロキに免じ、手助けせぬでも無い」


ハティが、手のひらを上にした片手を

肘の位置まで上げると

月夜見の白蔓が フェンリルの足に巻き付き

神隠しのシェムハザが、フェンリルに触れた。


『逆らえば、死神を喚ぶ。身体の元へ戻れ』


泰河が、ピストルの銃口を フェンリルに向ける。

シェムハザが手を離すと、白蔓も地面に戻り

フェンリルが消える。


「狼は、魂だったようだ。措置を」


ハティも エデンの階段を昇り、エデンのゲートと階段か消えると、オーディンは スレイプニルに

「アースガルズへ!」と 命じて、走り去った。

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