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陽炎が、人のかたちになっていく。

白味掛かった ブロンドの長い髪。

首周りに広く余裕がある タートルネックの

黒いミドル丈 ポンチョコート。

黒くタイトなパンツに、編み上げのロングブーツ。

細く高い鼻筋。ターコイズ色の虹彩。


プラ ダルムで見た、あの男だ。

ランダと姫様の 歓迎の宴の時の。


ボティスや シェムハザが

『あいつだ。レヤックの魂を狙った』

『あの時と同じだ。実体じゃない』と

ヘルメスとトールたち、ベルゼたちに話してる。


『でも、悪魔術が通じたんだ』


ミカエルも、ヴィシュヌたちや月夜見に話してるけど、ロキとトールは

『あいつ、どこかで 見たことがあるぞ... 』

『あれは セイズ呪術だ。魂を飛ばしてる』と

オーディンの方へ、少し近寄る。


「ソゾン」


馬上のオーディンが 男を呼ぶと、

ロキが『ソゾン?』と 繰り返して

すぐに、何か 思い当たったような顔になった。

隣に居るトールの ストロベリーブロンドの顎ヒゲ辺りを見上げる。


『ヴァン神族だ』


男とオーディンを見たまま、トールが言う。


『ヴァン神族?』『始めて会った』

『何故、巫女ヴォルヴァの墓に?

予見など 自分等で出来るだろう?』


ハティたちが、話しながら観察してるけど

ヘルメスは『俺、名前は聞いたことある』って

遠慮がちに言った。

振り向いた横顔のトールが『そうだ』って

答えてる。


有名なヤツ? ... に しては、

ボティスやミカエル、シェムハザも知らなかったし、ベルゼやベリアル、ヴィシュヌも

知らねーっぽい。


「何をしている?」と聞いた オーディンに、

男... ソゾンは、ポンチョの中で 腕を組んで

「予言を聞きに来たんだよ。

“神々の黄昏” について」と 答えた。


『あいつ等は、関係 無いだろ?』


一度 視線を、ソゾンに向けたロキが

またトールに戻して言うと

『そのはずだ』と、トールも頷いた。


神々の黄昏... 最終戦争ラグナロクの予言には、

ヴァン神族や 白妖精リョースアールヴ極寒ニヴルヘイムに棲むという巨人たちは出てこない。

太陽と月のソールとマーニが、狼のスコルとマーナガルムに飲まれると、人間世界ミズガルズは天変地異に襲われて、沈んじまうんだけど...


オーディンが、黙って 男を見つめていると

「あなたは?」と ソゾンが微笑った。


『こいつさ... 』と 朋樹が、ソゾンに向いて 呟く。


「黄昏に、お前達は 無関係だろう。

干渉する気か?」


右眼で 男を見据えたまま、オーディンが問うと

「“無関係” とは、言い切れなくなった。

世界樹ユグドラシルに 限らなくも なってきている。

分かってるんだろう?」と、腕を解いて

右手を開いて見せた。


人間世界ミズガルズの異変は、勿論 知っているな?

誰が起こしたのか も」と、続けると

オーディンの眼の色が変わる。


『キュベレを持っているのは、こいつだ』


ベルゼの言葉で、『天空霊は?』

『こいつの周りには降ろせん』

『半式鬼もダメだ』と、慌ただしくなる。


『追えても、ヴァナヘイムになど 入り込めんだろう?』


ベリアルが言うと

『いや。キュベレやアジ=ダハーカが居ることを掴めば、ミカエルと俺が、引き渡し請求へ行く』と

ヴィシュヌが 指輪を外し、チャクラムの形にした。


『これにも、神隠しを掛けておける?』


ヴゥン... と 音を立てて 高速回転しながら

空中に浮いている 薄い輪のチャクラムを指して

ヴィシュヌが聞くと、榊は

『むっ... 遠隔にて動き回るものには... 』と 答えてるけど、月夜見キミサマが『可能だ』と、チャクラムに

二重に神隠しを掛ける。


『あの男の 魂の気配を追わせる』


ヴィシュヌが、物を投げるような 手の動作で

チャクラムを飛ばすと、ヴゥン と 音を鳴らして

男の頭の背後に浮いた。


「お前が... 」と、右眼で睨みつけながら言う

オーディンの言葉を遮って

「ウルを追放させたな?」と、ソゾンは 表情を変えた。冷ややかな ターコイズの眼。


『ウル?』『トールの... 』


トールと 奥さんのシフの間には、モージとスルードという子がいる。

トールと、ヤールンサクサという女巨人の間にも

マグニという子がいるけど。


ウルは、シフの連れ子だ。

トールが 自分の子にしたけど、実の父親は不明。


ロキの奸計により、盲目の神ホズが

オーディンの子、光の神 バルドルを死なせてしまった時、復讐の処刑をさせるために

“血族であるが、血族ではない子” が 必要だという

予言を受ける。


オーディンは、ロシアの王女だという リンドに

子を産ませようとしたけど、リンドは オーディンを拒んだ。

復讐を遂げたいオーディンは、無理矢理リンドと関係を持って、ヴァーリ... ロキとシギュンの子と 同じ名前だけど 無関係... を 産ませる。


これを問題視した神々に、オーディンは 主神の座を追われ、次に主神の座に就いたのが

トールの義理の息子である ウルだった。


ウルは、弓と狩猟、スキーの神で

決闘を見守る神でもあって、“天空の神” として

人々に信仰されることもある。


けど オーディンは、賄賂で 主神の座を取り戻して

ウルを追放してしまった。

追放されたウルは、スウェーデンに落ち延びたけど、デンマーク人に殺されてしまう。


『ですが ウルは、スカジという方と... 』


スカジは、女巨人で

“神々の麗しの花嫁” と いわれる程の美貌を持つ。


スカジの父親 シャツィが、オーディンと旅をしていたロキと 揉めたことがあり、ロキを脅して、

“永遠の若さのリンゴ” の 管理者、女神イズンを

連れ去る手伝いをさせた。


アース神族は、リンゴによって 若さを保っていた。イズンがいなくなると、神々は 年老いて弱り

大混乱に陥ってしまった。


“イズンと最後にいたのは ロキだ” と判明し

神々に、イズンを連れ戻すよう迫られる。

ロキは 鷹になって 巨人世界ヨトゥンヘイムへ飛び、イズンを胡桃に変えて、爪で掴んで奪還した。


怒ったシャツィは、大鷲に変身して ロキを追い

アースガルズにまで 入り込んでしまうけど

神々が起こしたかんな屑の火に突っ込んで、死んでしまう。


父シャツィの仇討ちに、アースガルズに乗り込んだ スカジは、神々に 和解を申し入れられる。

“アース神族から、好きな者を婿に取れ” と。


スカジは、美しい光の神バルドルを選びたかったけど、アース神族は、バルドルを選ばれたくなかったのか、“ただし 足だけを見て選ぶ事” という

条件を付ける。

足だけを見たスカジは、元ヴァン神族の ニョルズを選んでしまい、ニョルズと 一緒になった。


でも 二人は上手く行かず、別居して別れてしまう。

スカジは、オーディンの子を産んでもいるけど

“ニョルズとの別居後、ウルと暮らし始めた” と

書いてあるものがある...


「オーディン。お前の元を去った スカジが

誰と居るのかも、知っているだろう?」


投槍グングニルを持ったままの オーディンは答えない。


「ウルは、ここに居たんだ。

死んで、ヘルの館に招かれていた。

一度、トールが来たらしい。

息子ウルを返して欲しい” と」


トールも黙って、男を見据えて 話を聞いてる。

ロキは 俯いて、スレイプニルの 四本の前足に

視線を落とした。


「ヘルが出した条件は、“別の子との交換”。

ウルと同じ血... 妻シフの血を継ぐ、モージかスルードと。ヘルは、美しく 戦士として優れたウルを 気に入っていたからな。

トールは、条件を飲めなかった。

だが、俺は違う」


『では... 』と 榊が、呟くように言うと

『ウルの父親だ』と、ヘルメスが答えた。


「シフは ウルを連れ、俺の元を去った。

元々 アースガルズの女だ。

俺が 姉妹と寝る事が、耐えられなかったようだ。

美しい髪の女だったが、仕方ない。

他にも妻は いるしな。

ただ、子供は違う。何人いても。

それでも、シフがトールと 一緒になって

俺は 安心していたんだ。

トールは、ウルを 自分の息子として受け入れ、

“長子” として、自分の跡継ぎとした。

感謝したよ。オーディン、とても お前の血を継ぐ子とは思えない」


「ウルが蘇ったのなら、それで構わんだろう?」


つまらん話だ とでも言いたげに

オーディンが 話を切り

「女や蛇との交換条件は 何だ?」と 聞いた。

キュベレやアジ=ダハーカを 自分に渡せ、と

当然のように言い放ってる。


ウルが蘇ったのなら、同じ血を継ぐ子が犠牲になったはずなのに、その事には まるで興味が無い。

トールはロキは 慣れてるっぽくて、何も言わないけど、ヴィシュヌやミカエルが 顔をしかめる。


『わざわざ出てきたんなら、裏がある。

開示する気なんだろ』と、ボティスが言った。


「まぁ、聞けよ。そう退屈な話じゃない」


ソゾンは、オーディンを見上げて 薄く嘲笑った。


「子供なら、もう ヘルに渡してたんだ。

ウルと同じ血を持つ、俺の子をね。

ウルより先に、冥界ここに居たんだよ」


怪訝な眼をする オーディンに

ソゾンが話し続ける。


「オーディン。よく アースガルズを空けていたな。それだけでなく、巨人世界ヨトゥンヘイム人間世界ミズガルズ

至る場所で、女や子供を作る。

妻のフリッグは、ヴィリやヴェーとも寝た。

アースガルズを乗っ取られそうにもなったな」


ヴィリとヴェーは、オーディンの兄弟だ。

ボルと霜の巨人ベストラの子。

オーディンは、ヴィリやヴェーと共に

巨人ユミルを殺した。


「俺も寝たことがある。お前の姿で」


オーディンの表情が止まり、眼から色が失われていく。『嘘だ... 』と、トールが愕然とした。

ウルより先に居た フリッグの子... バルドルだ。


「まだ グルヴェイグの事で、争っていた頃だ。

人質交換の和平前。

アースガルズを調べるために、お前の留守を狙って、俺は お前に化けて入り込んだ。

“次に どんな手を使ってくるか” を 知るなら、

妻のフリッグと話すのが 一番早い。

“お前なら どう攻める?” と、頼りにしている様

見せ掛けて聞けばいい。最中にな。

いつも自分勝手で 威張り散らしている主人が

妻である自分を頼り、相談している。

フリッグは、喜んで話したよ。

“自分なら、打つ手が無くなったと 見せて

ヴァン神族が 攻め込んだ所を迎え討つ。

だけど、神々の支持を得続けるためには

平和的な解決も考えた方がいい”... と」


可笑しくてたまらない という風に話す ソゾンを

見下ろしながら、オーディンが いきどおっていく。


「バルドル。光の貴公子。

あの美しい子が、お前の血を継いでいると?

何故 少しも疑わなかった?

賢く 美しいバルドルを、愛したため か?」


「黙れ...  戯言など... 」


「ロキの憎しみを増幅させたのも 俺だ」


唖然とした ロキが、スレイプニルの足から

機械的に顔を上げて、ソゾンを見た。


「“憎しみ” というより、“孤独心” だな。

巨人にも、ロキのように 美しい者はいる。

でも ロキの根にあるのは、それだけじゃない。

“違い” だよ。そう生まれたんだ。

巨人世界ヨトゥンヘイム、アースガルズ。そういう問題じゃない。世界樹ユグドラシルから 外れてるんだ。

俺は、風になり、鳥になり、囁き続けた。

“お前は 誰とも違う。必要性など無い”...

だけど、誰でも思うだろ? “愛されたい” と。

生きている限りは。

ロキは、あらがっていた。“違う。友がいる”。

それでも、増幅した孤独は 憎しみとなって

最も愛された貴公子、バルドルに向いた」


オーディンの顔が、初めて 老人に見えた。

虹色の眼の瞼を充血させて、ソゾンに食って掛かろうとする ロキの肩に

『そうだ。お前は、俺の友だ』と

トールが腕を回す。

ロキは、ソゾンと 父であるオーディンを見ているトールを 見上げられずに、涙を拭った。


「フェンリル、ヨルムンガンド、ヘル。

お前が乗っている その八本足の馬以外、

ロキの子供を 全て追放し

トールの子となった ウルも、自分のために追放させた。お前が 死なせたんだ。

最終戦争ラグナロクを呼び寄せているのは、お前だ。

オーディン、何故 主神の座にこだわる?」


一度 眼を泳がせたオーディンが、ソゾンに

視線を戻すと

「バルドルの復讐にしても

ロキとシギュンの子、ヴァーリにナリを殺させ

ナリの腸で、ロキを捕縛した。子の腸だ。

お前が、神 だと?」と さげすみ、話し続ける。


「お前や、お前が創った世界など

滅びるのが望ましい。

最終戦争ラグナロクでは、トールやヘイムッダルも

戦いの犠牲ではなく、お前の犠牲となる。

同じ世界樹ユグドラシルに属してはいるが、ヴァナヘイムや

妖精国アールヴヘイムは、お前の創造物ではない。

お前は、不死の存在ではない。

ウルや、トールの子 マグニやモージは

最終戦争ラグナロクを生き延び、

最終戦争ラグナロクの後、バルドルやホズが蘇り

新たな世界を築く。

お前とグリーズの子、ヴィーザルもだ。

お前を飲む フェンリルの顎を打ち砕いて 生き延びる。何が 不満なんだ?」


「お前も、バルドルを... 」


くぐもった声で言った オーディンに

「そう。“お前とフリッグの子” ではなく

“新しい神” となる。今、話しただろう?

お前も 予言を聞いて、知っているはずだ」と

首を 軽く傾げて見せた。


投槍グングニルを投げようと構えた オーディンに

「俺は、“運命の神” だ」と、ソゾンが言う。


「あの女は 蛇を従えて、俺の元に流れ着いた。

精々、あらがえるだけ 抗え」


投槍グングニルを投げると同時に、ソゾンは消えた。

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