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「何かは あるけど... 」


眼を凝らすと、靄に見えるのは

皮膚の すぐ下じゃなく、肋骨より下に

細かい何かが いるからだった。


下腹までくると、細く短い 糸ミミズのようなものが、一箇所に集まっていく。

集まっていく時に、ニナの腰が ベッドに沈んでる。


それを話してみると、パイモンは また

透過スクリーンで 下腹を映して

指で押してもみてるけど

「やはり、見えない。術の感触も 何もない」って

ブラウンの眉をしかめてる。


「精神も安らかだ。

喜びや怒りなどを感じているようではない」


シェムハザが、ニナの額から 手を離して

片腕で ニナの身体を支えたまま、瞼の下の眼球を観察するけど、眼も動いていない。


仰向けで、両膝を 少し立てたニナは

上半身を 45度くらい上げている。

実際にこれをやると、腹筋が すげー きつい。

眠ったまま出来る体勢では、絶対に無い。

なのに、呼吸も穏やかなまま。


「スマラ神の作用を、あの ゴールドの蛇が

集めてるのか?」


「そうだろうが... 」


大量の糸ミミズのようなものが、下腹に集まると

ニナの腰も 元の状態に戻る。

糸ミミズたちは、へその 15センチ下くらいで

渦を巻くように ぐるぐると動いて

纏まってる というよりは、纏まらさせられて

閉じ込められているように みえる。


「ジゴロは、頚窩けいかに 卵を置いて

蛇を取り出していたんだろう?」


頚窩けいか。鎖骨と鎖骨の間。

けど、糸ミミズが集まってるのは 下腹だ。


「筆で なぞれそうなのか?」


「むずかしいかも... 」


やけに、ぼんやりしてるんだよな。

しかも動き続けてるし。


また 眼窩や胸の間に、金の色が見えると

腰が沈み、ニナの上半身が起きる。

「力は 全く入っていない」と、シェムハザが

支える腕を、そうっと 離してみてる。


「どうした?」


ミカエルとゾイが戻ってきて

ボティスが、ニナの状態の説明をすると

ミカエルが ニナを見に来た。


「うん、特には... 」


ニナの体内の 術の作用が動いているだけであって

身体には 害を与えてないらしい。

腰が戻り、ニナの背がベッドに着く。


両眼の下から 喉に集まり、花の胸からも 腹の方へ

糸ミミズたちが集まり出すと、ぼやけていた渦は

色濃く浮いて、渦巻く蛇の形に凝っていく。


「具体的に、どこだ?」って 聞かれて

渦蛇の位置を 指で示すと

パイモンが、透過スクリーンで確認して

「臓器でいうと 子宮がある部分だが、単純に

脚まで含んだ 身体の中心でもある」と

ニナの腹部に指を置いた時、蛇の形になった糸ミミズの頭が、皮膚の すぐ下にり出してきて

皮膚を持ち上げる。


「パイモン... 」


皮膚が盛り上がったのは、パイモンの指の下だ。

でも「どうした? 何か変化があったのか?」って

何も気付いていない。


「ルカが言う 糸ミミズ蛇が逃げる先が

身体の中心 ってことか?

脳に逃げるよりは 良い気がするが...

恋愛の愉悦感は、コカインより作用が強い」


「スマラ神は、肉体的な愛の神 と聞く。

スマラ神の作用が、生殖器に集まることは

不思議ではない」


渦を巻く蛇は、皮膚を持ち上げながら

下腹の左側を 這うように動き出した。

皮膚の すぐ下に迫り出す長さが増えていく。

体内... 臓器の方から、皮膚側に出てきてるんだろうけど、纏められたところから逃げようとしてる風にも見える。


太さは 2センチくらい。

蛇の背には、ワニのような 小さな骨板。

長さは、皮下に出てきた部分だけで 15センチくらいある。

腹部の左側から、肋骨の下の方に向かってる。

これ、良くねーんじゃねーの... ?


「なぁ、ちょっと... 」


蛇の説明をすると「筆でなぞれ」と

パイモンに言われて、仕事道具入れから

天の筆を取り出した。


けど、生きてるように動いてる呪は なぞったことねーし、スマラ神の作用は 悪くないもの とも取れる。もし 何かあったら... って、かなり不安だし。

中で 暴れたりしたら...


「ルカ」


テラスの方から 泰河が声を掛けてくる。

「何か出たら、オレが消すからさ」って

白い焔の模様が浮き出す 右手を上げて見せた。


四郎ん時に 泰河と、すげ替わりの人の首を外したり、繋げたりしたことを思い出す。

あの時は、泰河の方が ずっと不安だったと思う。


肋骨に届いた蛇の頭に、筆の先を着けると

蛇は、頭を 皮膚の中で上げた。5センチくらい

伸び上がる。


「や ちょっ... 」


筆を離すと、ミカエルが 榊のベッドの方へ下がって、泰河が 隣に来た。


蛇は 皮下で、口を上に向けて開けた。

上下の牙までが 皮膚に透けて見える。


「泰河... 」


「ルカ、蛇は?」


は... ?


思わず、泰河に眼を向ける。

いるじゃねーかよ。

口を開いた蛇は、頭を左右に振り出した。

牙で 内側から皮膚が破れるんじゃないかと思うくらいに...


「印がない」と、シェムハザに言われる。

本当だ... 蛇には何も 印が付いてない。


蛇は、ぐるりと 頭を反転させて

ニナの肋骨に噛み付いた。


「噛んだ。左側の肋骨。一番下」


「本当か?」

「状態も変わらないぞ」


パイモンもシェムハザも首を傾げて

泰河も オレに向いて、首を横に振る。

なんで、誰にも見えねーんだよ?

オレの幻覚なのか?


胸と眼窩に、ゴールドの色が見えて

ニナが身体を起こす。

また、糸ミミズが 喉や胸の間を降りてきて

渦に纏まると、皮膚の下に迫り出す 蛇の体長が伸びた。


... いや。白バリアンの卵から産まれた あのゴールドの蛇が、スマラ神の作用を形にしてくれてる。

ニナから抜かねーと。

泰河の罪に対して言った ジャタの言葉を応用するなら、オレの眼でなく、オレの中の 神の眼を信じる。


「泰河、手を」


ジゴロの蛇の念は、榊が 黒炎で燃やした。

獣の焔なら、体内に居ても燃やせるかも。


ゴールドの蛇が、スマラ神の作用を追い込んで

ニナの頭の方には 登らないようにしてくれてるし

蛇の形になっても、子宮から上に登るのは

子宮には入れないからだ。

スマラ神の作用を燃やして、ニナから出てくれれば...


泰河の右手の手首を取って、ニナの肋骨に噛み付いている 蛇に誘導する。


泰河の指先が、皮膚を迫り上げる蛇の頭に着くと

半端に上体を上げている ニナの眼が開いた。


「ニナ」


シェムハザが声を掛けるけど、ニナに声は届いていない。蛇は、肋骨から牙を離して

皮膚を迫り上げながら、肋骨と肋骨の間に潜ろうとする。

泰河の手から、逃げようとしてるみたいだ。

上体を完全に起こしたニナは、立てさせられていた両膝を 右側に倒して、両手を前に着けた。


「深い場所で、精神が動き出している」


シェムハザが、ニナの額に当てた手を外す。

ニナは、誰かを探しているように

右から左へ 眼を動かしている。

ソファー には、ボティスとジェイド、朋樹。

すぐ傍に ゾイが立っていて、隣に四郎がいる。


ニナは、ジェイドと眼が合うと

くちびるを動かした。


「ニナ?」


ジェイドが呼んで、ソファーを立とうとすると

ニナは「... あなたじゃない」と 言った。


胸の中に 氷を詰められたようになる。

なんで、わざわざ...

肋骨の間に潜っていた蛇は、体内を 下へ進んでいた。 きっと、蛇のせいだ。

けど、ジェイドの 顔は見れない。


「ニナを... 」


もう 一度みる。冷静にならねーと...

シェムハザとパイモンが、ニナを横にしようとすると、「やめて、離して! あの人は?!」と

身をよじり出す。あの人って、ジゴロか?...

ちきしょう、やめろよ!


シェムハザの隣に立ったミカエルが、ニナの額に

指で触れると、ニナは 動きと言葉を止めた。


肋骨の間に潜り込んだ 蛇は、身体が出来上がったのか、尾まで 潜り込んでいくのが見えた。

子宮には潜り込めず、下腹を波立たせて暴れる。


「“観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみつたじ 照見五蘊皆空しょうけんごおんかいくう 度一切苦厄どいっさいくやく”... 」


泰河が、心経を読み出した。


「... “舎利子しゃりし

色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき

受想行識亦復如是あいそうぎょうしきやくぶにょぜ”... 」


「ふむ。金色こんじきの蛇にある 迦楼羅天様のくう解きを

後押しすることになろう。

是故空中ぜこくうちゅう 無色無受想行識むしきむじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意むげんじびぜつしんに 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう”... 」


「... “無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい

無無明亦無無明尽むむみょうやくむむみょうじん 乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうじん

無苦集滅道むくしゅうめつどう”... 」


ジェイドの前、ソファーの背もたれの前に立った四郎も、榊や泰河と 一緒に読み出す。

ニナの下腹の中が ゴールドに見える。

暴れている蛇は、そこから逃れようとして

暴れているように見える。


「... “三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみつたこ 得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼたい”...」


ニナの 花の胸に、手のひらを載せる。

本当は、何を思ってる?

下腹を波立たせて、蛇が暴れ出した。


... “やめて” だけだ。“やめてやめてやめて”。

混乱してる。

ニナ自身も、蛇に抗おうとしてるようだ。

泰河の右手を、ニナの下腹に着けると

蛇が、皮膚に 顔を押し付けて牙を剥いた。

また 皮下までは出てきた。

ゴールドの色が強まって、光になる。


「... “即説呪曰そくせつじゅわつ

羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか

般若波羅蜜多心経はんにゃはらみつたしんぎょう”」


皮膚の下で、藻掻くように口を動かす蛇は

身体からは出て来ない。どうすればいい?


「ニナは、オレらが

見えてないはずじゃないのか?」


朋樹が言った。


そうだ ニナは、飛行機で来てる。

でもさっき、認識しないはずのジェイドを見て

“あなたじゃない” と 言ってた。

眼は、ジェイドと合ってたのに...


ニナの額から 指を離して、シェムハザの隣から引いた ミカエルが「ジェイド」と 呼ぶ。

躊躇するジェイドに、ボティスが

「行って来い」と 眼でベッドを示す。


ジェイドは、自分が近づいたところで... って風に

思ってるみたいだけど、ニナは

見えないはずの ジェイドを見つけた。

あの言葉を言ったのは、ニナじゃない。

スマラ神だ。


ジェイドを見つけたのが、ニナの真意だ。

スマラ神は、ジゴロの術で作用してる。

ニナが見つけたジェイドを、“術主と違う” と 示したんだ。

頭で理解わかっても、さっきのはキツイけどよ...


シェムハザの隣、オレの向かいに立ったジェイドは、「どうすればいいんだ?」と オレに聞く。


「腹に蛇がいる」


ジェイドは、ニナの下腹に視線を落とした。

「... 何か、黒いものは見えるけど」と

眉間に軽くシワを寄せる。


「娘に 呼び掛けてみろ」


パイモンに言われて、ジェイドが

「ニナ」と呼んだけど、動きはない。

ベッドに片膝を着くと、ニナ越しに ジェイドの手を掴んで、皮下の蛇に触れさせた。


「本当だ。何か... 」


ジェイドの手の下で、牙を剥く 蛇が伸び上がり

ゴールドの光が増す。

蛇は 狂ったように首を振り、口の開閉を始めた。

思念が届く。“嫉妬” だ。


ジェイドにも 蛇が見え出したらしく

ギョッとした顔になって

「どうするんだ? 卵がいるのか?」と

オレに聞く。


すぐに、シェムハザが卵を取り寄せて

ジェイドに渡したけど、蛇は 卵に入らない。


「泰河、やってみてくれ」って

卵を渡そうとしてるけと、蛇は 泰河を怖がる。


「いや、卵は たぶん

バリアンじゃねーと 扱えないと思うぜ」


「それなら、どうしたら... 」


何かが背後から 飛び込んで来た。緑色の...


「ランダ!」


抹茶色の肌、黒緑のミツ編みの髪。

黒のビキニに 膝丈の黒いサロン、赤い腰帯。

ベッドの上に、ランダが乗ってる。

「姫様!」っていう ゾイの声。

壁の幽世の扉から、灰黒の顔毛の姫様が 顔を出した。


「ウラル」


ランダは、ニナの皮下に伸び上がる蛇を

ニナの皮膚ごと掴んだ。

「ular... 蛇だ」と、シェムハザが通訳するけど

ランダは無理に、蛇を引っ張る。


「ランダ... 」


止めようとしたけど、自分の目の高さまで

蛇をむしるように、引いて持ち上げた ランダの手には、黒い蛇だけが 引き出されていた。


泰河が触れたことで、中から燃やされたのか

蛇は、焼けた肉のような匂いをさせて

白い煙を上げている。

ランダは、蛇の頭を喰いちぎった。


davvero?... 本当に? とも言えずにいる ジェイドと

眼を合わせた ランダは「美味い」って言って

ベッドを飛び降りた。

「イブ」と、姫様にも 蛇を食わせに行く。


差し出された蛇を、一口 喰った姫様が

ランダに頷くと

「スマラ味」って ランダも笑顔で頷いてる。


「姫様、観光?」


朋樹が聞くと「ギャーーーーーッ!!」って

首を横に振りまくって 答えてて、ランダが

「善ばかりでは 良くない」って 蛇を噛みちぎる。


「あの、お二人共、プリンもどうぞ... 」


ゾイが 二人に、カップのプリンを渡していると

テラスに ドン! と、バロンが着地した。

琉地とアンバーもいる。


走って勢いを着けたバロンは、幽世の扉の前にいるランダの前... ゾイの隣に 飛び込んだ。

ランダに食らいつこうとすると、膝を曲げて 高くジャンプしたランダが バロンをかわす。


「イブ!」


口に 蛇の残りを咥え、片手にプリン

片手に 姫様の手を掴んだランダは

「ランダ、ありがとう」という ジェイドの声を背に、テラスから外へ 飛び出して行った。


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