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片翼と、もう片翼の 第一指骨の黒いつのまでを

乾いた血の半裸の身体と 一緒に

大いなる鎖に巻かれている アバドンは、

乱れた黒髪の間の 鈍く光る黄緑の眼で

天狗を睨んでいる。黒い牙と 尖った黒い爪。


羽根が抜け落ちた翼は、翼骨が黒く染まり

薄い銀の 金属の羽根に生え変わっていた。

重い枷のような翼。飛ぶ事は出来そうにない。


「... あいつを ... 滅せば」


言葉の合間に、クルル... と 喉が音を鳴らす。


「アバドン、止せ。囚人に手を掛けるな」


大いなる鎖を掴んだミカエルが、抜いた剣を

アバドンの翼の間に当てながら 降りて来る。


まだ開いている幽世の扉に 眼を向けたミカエルが、中に居るボティスと 眼を合わせると

ボティスが月夜見に「扉を」と 閉めさせた。


「滅する? 俺は 伴侶だ」


天狗が言うと、アバドンは 喉をクルクルと鳴らしながら 牙を剥き出し、眉間から鼻の上に 深いシワを刻んだ。


「... 壁伝いに 階段の方へ移動を」


ザドキエルが小声で誘導する。


足の指にも 黒く尖った爪を生やしたアバドンは

階段を降りながら、天狗だけに 黄緑の眼を向けている。

リフェルが、移動しようとしない天狗を振り向くけど、天狗も アバドンを見つめていた。


オレらが、天狗が拘束されていた 奥の壁から離れ

階段からも遠い壁を 背にする位置に来ると

「ミカエル」と、天狗が呼ぶ。


鴉の濡れ羽のような 赤黒い翼のを動かすと

階段の中程に居た アバドンが

天狗の方に 引き付けられ、ミカエルの手から

大いなる鎖が離れた。


鎖ごと 壁に叩きつけられたアバドンを

天狗は 手を使わずに、翼を動かして立たせる。


大いなる鎖が緩み、アバドンの両腕が出ると

天井から 鎖で下がっている赤い枷が

その手首を拘束して 上に吊り上げていきながら、

枷の色を 艶のない黒に変色させていく。


「... “彼らは、底知れぬ所の使を

王に いただいており、

その名を ヘブル語で アバドンと言い、

ギリシヤ語では アポルオンと言う”... 」


黙示録 9章11節。

天狗が読むと、アバドンは 一瞬

呆気に取られたような顔をした。


艶のないゴールドの大いなる鎖が

アバドンの胸部と、黒い角を持つ 金属の翼を巻き直して拘束し、

床に落ちていた石釘が、アバドンの両足の甲を

地面に固定した。

残りの二本の石釘は、大いなる鎖の両端を

アバドンの翼の背後の壁に固定した。

石釘も黒く変色する。天狗の術のようだ。


「俺が、“アバドン” になる。

“アポルオン” でもいい」


ザドキエルとリフェルに、階段を昇るように促される。

言葉を失っているアバドンに、天狗は

「母と共に、甕星... 地皇帝ルシファーの管理下に入るから、“底知れぬ所の使” だ」と

淡々と 説明している。


「... 何を ... そんな 事は、天が」


愕然として、声を絞り出すアバドンは

天狗が言った事を否定させようと

「... ミカエル」と

ようやく 天狗から視線を外して、ミカエルに向く。


「アバドン。お前が 血を飲んだのは

お前の軍の副指揮官の、レニエルとミザエルだ」


ミカエルが答えると、アバドンは

「... それが ... 何だと?」と 悪びれずに言い

「... 私は、... 預言に 名がある」と

喉を鳴らして笑った。


ミカエルは 何も答えず、天狗が

「... “彼らは、底知れぬ所の使を

王に いただいており”」と、繰り返して

アバドンを「... 黙れ!」と激高させる。


「底知れぬ所の使を “王に”... 王とは、男だ。

“アバドン”、“アポルオン” という名の。

どこにも、天使とは書いていない」


絶句しているアバドンに

「伴侶の俺が、それに相応しい。

俺は 聖書にある様に、人の魂を取らない」と

重ねて言った。


クルル... と 鳴る喉の音が、唸りに変わり

「... お前が、... 伴侶と など」と

手枷の鎖を鳴らす。


ミカエルが 階段を昇って来る。


「... ミカエル、 戻れ! ... 天に、報告を」


「書斎で読んだのは、黙示録だけじゃない。

愛も無く 寝るのは、“姦淫の罪”。

俺が 伴侶じゃないのなら、これは 罪の報いだ」


「... 馬鹿げた 事を」と言う アバドンに

「時が来たら 働け」と 言い残して

天狗も階段を昇り、扉を閉じた。



「どうするんだ?」


朋樹が ミカエルに、奈落の この状況を聞いてる。


「アバドンの事は、まだ 天には報告しない。

サンダルフォンには、キュベレの事も含め

“奈落には 何も変化は無い” と 思わせておく」


朋樹やオレらに答えた ミカエルが

「書状を奈落ここに持って来た 第六天ゼブルの天使のことは

知っているのか?」と、天狗に聞くと

「“日本神の元に 俺を返せ” っていう書状を持って来て、“囚人リストを渡せ” って言った天使?」と

確認して

「アバドンに呪いが効くまで、邪魔されたくなかったから、レニエルっていう天使に催眠を掛けて

術を掛けさせた」って 答えてる。


「そんなこと、出来るのか?」と

朋樹が ぎょっとすると

「レニエルは、術にけてた。

でも、日本の術は よく知らないみたいだったから

“何日か誤魔化せる術を掛けて” っていう催眠に

掛かってくれた。

本人は、その天使に術を掛けた事は 覚えていなかっただろうけど... 」って、少し落ち込んでる。


「アバドンが、悪魔達や リフェル達を変容させたように、変容する呪いを掛けた。

同じ天使の血を飲むとは、思ってなかった」


天狗は、善神じゃねーもんな...

使う術も、天魔術か悪魔術の分類なら

悪魔術になるんだろうし。


けど、レニエルとミザエルって天使の血を

飲み干して 殺っちまった事を

アバドン自身は、何とも思ってなさそうだった。


オレは、術だけのせいじゃなくて

アバドンの本質なんじゃないか って思う。

他の天使が 同じように呪われて、姿が変わっても

血は飲まない気がする。

ゾイもリフェルも、悪魔の身体で受肉したのに

そんな事しねーし。

もし、呪詛で そういう影響が出たとしても

葛藤するだろうし。


「奈落の天使や悪魔達への 説明は?

アバドンは、幽閉するんだろう?」


ジェイドが聞くと、ザドキエルが

「オベニエルの態度をみたところでは

アバドンが、どんな風に変容したか

大体のところは 解っていたと思うが... 」と

リフェルと 一緒に

アバドンの部屋に居た天使達や、オベニエルが

目覚めたかどうかを 確認しに行った。


「拷問好きの 一部の奴等を除けば

奈落のトップが アバドンでは無くなる方が

喜ぶだろ」


「奈落を、出られぬのですか?」


四郎が 天狗に聞いて

「国の山中に、あなたと御母上の居場所が用意され、また 地界にも、ルシファーが所有する島が

与えられるのですよ」と 教えると

「あなた達は好きだし、母の父神達も好きだけど

アバドンを呪った責任がある」と

寂しそうに答えてる。


「アポルオンに なるのか?」


泰河まで寂しそうになって 聞いたら

「眠り姫の事が 解決するまでは。

眠り姫の目覚めのために 人の魂が要る と

母に聞いてた。

母と俺が、大きな騒動を起こしたから。

影世に棲む者達を 統べるとしても、

騒動は 望んでいないのに」って言う。


「それをさせたのは アバドンだろ?

お前や姫様は、使われてしまっただけで。

責任は、天の俺等にある」


ミカエルが言っても、天狗は 首を横に振る。

「日本の神の 一員になりたい。

使われた事も罪だ。贖いはする」って。


「母を、悪く思わないで」


「そんなこと 誰も思ってねーし」って 答えたら

天狗は 頷いて、嬉しそうな顔になった。


「ミカエル」


ザドキエルとリフェルが、オベニエルを連れて来た。

神隠しのことは知らねーし

人間のオレらが居ることには 驚いてるけど

天狗も ここに居ることで、

アバドンを幽閉したことは分かったらしく

諦めのような 納得のような表情が浮かぶ。


「ジェイド、アシュエルも呼んでおきたい。

天空精霊の解除を」と、ザドキエルに言われて

階段の上に置いていた天空精霊を

ジェイドが 解除する。


また ザドキエルが、牢獄に居る アシュエルを

呼びに行く間に、ミカエルが オベニエルに

干からびた天使の遺体を見せた。


「ミザエル レニエル... 」


仰向けにされていた遺体の前に 片膝を着いたオベニエルは、分かってはいても

「... アバドンが?」と ミカエルに確認してる。


「アバドンは、自己改変を試みた。

結果は、見ての通りだ。

アバドンがしていた事を 知っていた者は?」


「... 幾人かは」と 答えたオベニエルの

声が震えてる。


「城に出入りする者は?」


「天使だけだ。

二階より上は、上級の者達だけで... 」


ザドキエルが、アシュエルを連れて来ると

ミカエルは「オベニエル」と 呼んで

自分の方に向かせ、剣を抜いて

天狗の灰色の翼を 斬り上げて落とした。


「天狗は死んだ。

こいつは、“アポルオン” だ。新しい奈落の主。

城に出入りする者には、“ミカエルのめい” として

箝口かんこう令を敷け。

天からは 極力、俺か ザドキエル、アシュエルか

リフェルが 使者として来るが、

天や地界から 他の使者が アバドンに話しに来たら

お前が話を聞く。罪人の引き渡しの対応もだ」


ブロンドの長いウェーブの髪を、高い位置で括ってる アシュエルは、ザドキエルに眼を向けて

状況の説明させてるけど、

オベニエルは「承知した」と、ミカエルに頷く。


「天には、どう報告を?」


オベニエルが聞くと

「“天狗は 日本神側に返した”。

第六天ゼブルの天使に術を掛けたのは、奈落の悪魔だったが、地界へ引き渡した”」って

当たり障りのない報告をするようだ。


「こちらから 話しがある時は?」と

オベニエルは、アバドンを幽閉している扉に

眼を向けてみせた。


「ミカエル、俺も奈落に残る」


リフェルだ。


「天の記録では、死んだことになってるけど

奈落では なっていないはずだ」


「そうだ」と、リフェルに頷いた オベニエルは

「任務に出たはずが、こうして

第四天マコノムの軍と戻った事にも驚いたが... 」って

オレらに 視線を移す。


奈落って、任務に出たヤツの管理が杜撰ズサンだよな... って 思ったけど、管理していたのは

死んでしまったレニエルらしかった。


「シロウ」と 呼んだミカエルは

「天の正式な預言者だ。日本に居る」と

四郎を紹介して、オレらのことは

「ブロンドが祓魔で、あとは いろいろ」で

終了した。いつも通りなんだぜ。


「リフェル」


“残る” と 言ったことに

ザドキエルが心配して 呼び掛けたけど

「アポルオンが馴染むまで、サポートがいる。

天に居ると、サンダルフォンに見つかる恐れもあるから。額の眼もあるし」って 言ってて

オレは正直 その方が、天狗にとっても

リフェル本人にとっても いい気がした。

天狗を このまま置いて行くのは、心配だったし。


「だから、奈落からの伝達役もやる。

地上で ミカエルに言えばいいから」


ミカエルは、リフェルに

「でも、お前は 楽園の天使だからな。

ここに居ても忘れるな」って 答えてて

リフェルは「はい」って、笑顔で頷いてる。


「幽閉の扉は、俺の立ち会いの場合以外

絶対に開けるな。

鎖で拘束はしてあるけど、アバドンは

ルシフェルに怪我を負わせた」


皇帝に と 聞くと、オベニエルは顔色を変えて

「重ねて封鎖する」と 承知して

「恩寵が戻ったのは、そういうことか... 」って

納得もしてる。

皇帝が封じた恩寵は、皇帝が戻すか

さっきみたいに 気を失ったりすると

封が切れる ってことだ。


「本当だ... 」


リフェルは、今 気付いたっぽい。

手のひらを 白く光らせてみながら

「天に バレてないかな?」って 心配してる。


「翼を治療した時に、ラファエルが細工してるし

受肉して 性質も変わってる」


ミカエルが安心させたけど

リフェルも、ゾイみたいに、何か 新しい能力を

持ったかもしれねーよな...


「姫様は、ここに呼ぶの?」


ジェイドに聞かれた天狗は

「もし、またアバドンにそそのかされて

扉を開けたりしたら 危ないから」と

首を横に振った。

本当なら 一緒に居たいんだろうけど

アバドンが居る奈落に、姫様を近づけるのは

危な過ぎる。


「留守にすることがあっても、奈落の者達は

俺とオベニエルで みておける」


リフェルが言って、オベニエルも

「一部の者以外は、アバドンが幽閉されている事も 知る由もない。会いに行くといい」と 言う。


「うん」


リフェルとオベニエルに頷いた天狗は

「母を 頼める?」と、ミカエルやオレらに聞く。

実際に みてくれるのは、月夜見キミサマやスサさんになるけど、オレも 姫様に会えることがあったら

琉地 紹介したり、姫様自身のことを 何か聞いてみようと思う。


「うん。ファシエルと会いに行くし

お前にも会いに来る」


ミカエルが言った後に、朋樹が

「姫様に何か用事がある時とか、会いに行く時は

勾玉を握って、月夜見キミサマを喚ぶといい」って

月夜見にもらった 小さな白い勾玉を渡した。


「オレらは、榊が居れば喚べるし。

勾玉を渡したことは、話しとくから。

姫様の方から、天狗を呼びたくなった時の方法も、月夜見キミサマたちに相談してみる」


「姫様に会えたら、髪を結うよ」


ジェイドに、天狗が笑うのを見て

アバドンの城を後にした。






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