御大切 8


********




寛永十五年  正月 二十三日


... “天地同根万物一体、

一切の衆生しゅじょう貴賎きせんを選ばず、また 木石ぼくせきあらず。

思召おぼしめされ、無名むみょうを捨て、実源じつげん無く、思し召し緩点かんてん厚薄こうはくを捨てられ、惶軽こうけいを顧みず 矢文をささげおわんぬ”...



私共は、幕府方 総大将、松平様に向け

矢文を放ちました。


宗門を 認めて頂きたいだけなのです。

私共 首謀者は、斬首されて構わぬので

妻子等や他の者等は、助命して頂きたい... といった 内容のものです。


幾人かの者が、私共に 相談も無く

幕府方に夜襲を掛けました。


飢えて、人死が出た為です。


骨と皮ばかりになった 遺体を焼く途中

火を消し、争い食うた... と いうのです。


“これでは、地獄いんへるのではないか”

“人の尊厳まで 失うものか!”


夜襲を掛けに参った者等は、そう言い残し

敵陣に届くこと無く、矢で討たれました。


このような事が 起こらぬ世になるため

御大切が 必要なのです。

愛を冷やしては ならぬのです。

心が 渇くからです。


松平様より、矢文が入りましたが

私共の願いは、聞き入れられませんでした。


“では、宗門が 叶いますなら

男児は全て 成敗されて良いので

妻子等だけでも 助命を”... と、再び 文を放ちましたが、それも聞き入れられません。


宗門も叶わぬ、助命も叶わぬ。

それでは、投降する理由も御座いません。

しかし、私共が 全て飢え死にましたら、

此度の 一揆を終息させた... という事に

なるので御座いましょう。


これは、艱難かんなんなのです。

最後まで 耐え忍ぶ事が出来ましたら

宗門は認められ、地は 天国はらいそとなるのです。


百匹の中の 一匹の羊のように、誰かが迷えば

探しに参ります。必要だからです。

そうして見つかれば、皆が喜ぶのです。

見つかった者のことも、見つけた者のことも。

そういった世になるのです。必ず。

投降など 致しません。


『ふらんしすこ様』『救主様』

『ふらんしすこ様が居れば... 』と

私を信じる者等がおるのです。


御簾の向こうで 祈っておりますと

みつきも、祈っておりました。


なかなか寝付けぬであった あの夜が明け

明るい中で、みつきと顔を合わせますと

互いに、どうしようもなく 照れ臭くなり

ろくに 言葉も交わすことが出来ませんでした。


それから すぐに、飢えて 人死が出たのです。

連日 話し合いとなりました。


ただ、眠る前に『みつき』と 呼びます。

みつきは『はい、四郎様』と 応えるのです。


日に 一度、名を呼び合うだけで

私達は、あの夜に 約束を交わした事、

互いの心は 確かである事を、信じることが出来ました。



私共は 天守の戸を開け、りの殿や 有家殿と

碁を打ちました。

投降などせぬ。城内は平和である... と

幕府方に見せる為です。


その日、有家殿と 碁を打っておりますと

火縄の弾が 私の袖を貫き、腕に怪我を負うてしまう... という事が 御座いました。


『ふらんしすこ様!』

『ふらんしすこ様が... 』


これにより、城内の者等は

大変に動揺してしまう事となったのです。


“ふらんしすこ様には、弾も矢も当たらぬ。

天人様である故”


そうした偶像が、綻び始めたのです。


そのような中、信じられぬ事に

わらしが、城に向かって 歩いて来るではありませんか。


小兵こへいではないか!』


益田殿が 眼を剥きましたが

私も、息が止まり掛けました。

嫁ぎました姉が産んだ、私の甥っ子です。


小兵は、私に 文を差し出しました。

母や 姉からの物でした。 何と いうことを...


指の震えを抑え、文を開きますと

“去年、今年に 城内から逃げて来られた方々は

助命され、金銀や畑を与えられ、この歳の年貢は免除されて、畑仕事に精を出している” 事。


“切支丹は 全て処刑となっているが、

実際は 異教徒ぜんちょであるのに、無理に立ち返らせられた者は、助命せよ との上意であるので

異教徒ぜんちょは解放せよ” との事。


“立ち返りはしたが、今は 異教徒に戻りたいと希望する者も 助命する” 事。


“聞けば 天草四郎は まだ、十五や十六の子供であり、これだけの者等を 唆し 扇動したとは考えていない。周囲に 総大将に立てられただけなのであれば、四郎本人であっても助命する” 事が

書かれておりました。


... “時貞”


私に向けられた 母上の温かな笑顔が想起され

胸に熱きものが 充満 致します。


... 母上 姉上 申し訳 御座いません

どうか、助命されますよう...


身が斬られるような 心地です


『... 小兵、よう来てくれました。

嬉しく思います。

少し見ぬ内に、大きくなりましたね』


小兵に、文の返事を 持たせる事は

御座いませんでした。


この文の話が、皆に回りますと

“水汲みに... ”、“罠を見に... ” と、城を出て

投降する者も増えました。

責められる事では 無いのでしょう。


ですが、『これでは、宗門は認められぬ』

『今まで 死した者等の遺志は... 』と

城内に於いても、争いが起ころうとしておりました。


籠城し、ふた月が経っており

改めて、心を ひとつに致たすよう

“申すまでもないが、一つ 書を以て申し渡す” といった、“四郎法度書” を 城内に貼り出しました。


籠城した我等には、数々の罪過があり

後生も不確かな身であるが、

城内の 一員に加えて頂いたことは

天主様の この上ない慈悲によるものと感謝し

御奉公に励む事


御奉公は、祈祷おらしょ断食ぜじゆん鞭打じしひりいなの苦行だけでなく

城内の普請... 造営や修理、ゑれじよと戦うことも御奉公である


人生は短いが、城内にある我々の人生は

更に短いものであろう


重ねて、これまでの天主様の恩寵がらさに感謝を延べると共に、

親類縁者の忠告に耳を傾けず、我儘を通し 堪忍の足らなかった事、謙譲の徳に欠けていた事が

この事態に至ったことを反省し、

城内の者は 現世のみならず、後世までも友なのだから、互いを大切に思って 意見を交わすべき事


現在、四旬節... 復活祭の前の期間 であるので

昼夜 御奉公に勤しむべき事


以上の事が理解らず、犬死してしまう者がないよう、持ち場に念を入れるべき事


薪取り、水汲み等と言い、城外に欠落する者もある由ではあるが、それぞれの頭の者は注意すべき事


以上の事を、一人一人に合点がゆく様、

皆から よく聞かせて頂きたい。


     二月朔日  益田四郎 ふらんしすこ 



『幕府方から、また 矢文が入りました。

“双方の代表者で 会談を希望する”、と... 』


私共は、大変に悩みましたが

このままでは、宗門は認められず

ただ 飢え死ぬ... という事になりましょう。

会談には、りの殿が出る事になりました。


しかし、戻った りの殿が言うには

話した内容は、矢文と変わらぬ との事。


『ふらんしすこ様の 母上や姉上と

首謀者以外を交換、とも 持ち掛けられましたが... 』


城に、母上や姉上を?

飢え死にを、と?


益田殿が 口を開きました。


『ならぬ。兵がおらねば、城は すぐに落ちる。

交渉にも なっておらぬではないか... 』


私も、頷きました次第です。




********




時のみが 過ぎてゆきます。

気付けば、二月も中頃で御座いました。


私は、また 寝所で祈りましたが

部屋を出て、皆を励ましに参りました。

城内おる者の顔を見て、声を交わしたくもあったのです。


『ふらんしすこ様!』

『下まで 来られては... 』


皆、大変に驚いておりましたが

『良いでしょう?

私が、皆と会いたかったのです』と 言いますと

私に向かい『有り難い』『有り難い』と

合掌を始めました。


止めることも 出来ませんので

御言葉おらしょそらんじることと致しました。


『... “一 には、ただ御一体の 天主でうすを万事に こえて、御大切に うやまたてまつるべし。

二 には、我身のごとく、

ぽろしもを思へという事 なり”... 』


『ふらんしすこ様』

『ふらんしすこ様... 』


不必要であるものが 霊魂あにまから流され、満ち足りた ... といった、表情や 涙を見ますと

私は、言葉に詰まりました。


しあわせな顔を、されるのです。


『ふらんしすこ様、見て下さい』


幼児おさなごが、手のひらに載せて

差し出しましたのは

小さな小さな 十字架くるすでありました。


周囲の大人等は、まずい といった雰囲気です。

弾薬である 鉛玉を溶かし、型に入れて造ったものでしょう。

鉛玉を溶かしたことを、私に叱られると思うたのでしょう。


ですが 私は、これを見た時

“成ったのだ” と わかりました。


こういったことなのです。

幼児おさなごの 手のひらの上に、他の生命を奪う物が、

御大切あいに 成っておるのです。


これこそが、はらいそ なのです。


『御大切』


私は、幼児の手ごと、両手に包みました。

小さく、温かな。確かなもの。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る