御大切 9


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寛永十五年  二月 二十五日


... “天草四郎大夫時貞、

この度の一揆の意趣をひらきていわく、

近年キリシタンの形方けいほうが異なることはなはだしく

或いは 上をうやまい刑をも恐れ、みな身命を惜しみ、

妻子のうれいを嘆き

信仰の深き者は たちまち血涙を押さえて

宗門改めるといえども、呵責かせき止無とどむることなきか”...



りの殿... 山田 右衛門作の 裏切りが

発覚 致しました。


幕府方と、内通しておったのです。


“小舟にて逃す” と、私を誘い出し

幕府方に渡そうとする計画が書かれた文を

人知れず、城外へ出そうとしていた所、

矢文を飛ばす役を しておりました者が

“矢文を出すとは、聞いておりません” と 咎め

事が 発覚した次第。


異教徒ぜんちょめ!』『恥を知れ!』

『妻子共 捕らえよ!』


山田 右衛門作、及び 妻子は

城の牢に 繋がれることとなりましたが、

『妻子だけは... !』と 泣き叫ぶ 右衛門作の前で

『幕府方は、妻子であっても赦さぬ と』... と

妻と 子は、処刑されたのです。


みつきは、まだ染めておりませんでしたが

右衛門作の妻は、剃り落とした眉に 黒染めの歯。人の妻と 分かるようにしておりました。


子は、まだ 幼児おさなごでありました。

幼児おさなごであったのです。


手のひらの 十字架くるすよぎり...


罪は 赦されるのでは、なかったでしょうか?


... “もし あなたの兄弟が罪を犯すなら、

行って、彼と ふたりだけの所で忠告しなさい。

もし 聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる”...


天人ゼズ様なら、罪人を 赦されたことでしょう。


私は、何をしておるのでしょう...


『みつき』


『はい、四郎様 』


瞬間、恐ろしい程の いのちの衝動が突き上がり

床に倒し 押さえ付け、手籠てごめにしたらば どんなにか... と、欲望に支配されようとなりました。

何故、いつも通りに 返事など...


指すら、動かさぬで ありましたが

みつき の 怯えた眼に、私は 初めて

大罪を考えました。


私は、どんな顔を しておったのでしょう... ?


『すまない』


みつきは、私を見上げたまま

何も言えぬでありました。


そうして、幕府方に 文を書いたのです。


生きられぬ


そう思うたのは、私だけでは 御座いませんでした。


このような罪を 犯しておきながら

御大切の世を、はらいそ を、諦め切れぬのです。


何たる 我儘 何たる 強欲


『ふらんしすこ様... 』

『ふらんしすこ様、どうか お願い致します... 』


早く、衝突を と、皆 望んでおるのです。



寛永十五年  二月 二十七日


幕府方の 総攻撃が開始されました。




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『... “義のために 迫害されてきた人たちは、

さいわいである、天国は彼らのものである”... 』


その日、私は 寝所に居りました。

みつき と、共に。


『四郎様』


火縄の音。硝煙の匂い。

“さんちえご” という、聖ヤコブの名を叫ぶ声。


鉛玉の 十字架を、着物の衿に仕込み

弾薬の尽きるまで、あにまの尽きるまで


『... “わたしのために 人々が あなたがたをののしり、また迫害し、

あなたがたに対し偽って 様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである”... 』


『今生でなくても、良いのです』


“はらいそ へ、ゆけるのですね

かあさまと いっしょに”


幼児おさなご等までが、晴れやかな笑顔で

幕府方の兵等に向かい、駆けて行ったのです。

私の 名のもと


私に、後の生など 御座いましょうか?


『... “喜び、よろこべ、天において

あなたがたの受ける 報いは大きい”... 』


城より、火が上がりまして御座います。


母上、姉上。小兵。

申し訳 御座いません。


父上。益田殿。

私は、人間と成れておったでしょうか?


ですが、あなたの息子で 良かった。


『嬉しゅう 御座いました』


みつき 私の妻


『名を、呼んでください。どうか... 』


『... 居たぞ! 四郎だ!』

『退け! 儂が獲る!』


みつき


あなたを、護れぬでありました。

なんと 不甲斐ない。泣いておられるのに


『四郎様っ! 四郎様!!』


脇腹を、刺し貫かれてしまい...


『みつき』


『... はい 四郎様 』


私の首が、落ちました


みつき


みつきが斬られ、血が混じりましたところ

私は、視界を 喪いました


あの日の、白い鳩を見上げ追う 幼児おさなごの顔


光は あるのです 眠っておるだけなのです


... “一 には、ただ御一体の 天主でうすを万事に こえて、御大切に うやまたてまつるべし。

二 には、我身のごとく、

ぽろしもを思へという事 なり”...


どうか、互いに 愛を




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「涼二... 」


河川敷は、夕にちこうなっても

まだ暑う御座います。

川面は きらきらとしており、宇土の船場川を想起致しました。幼き頃を 思う日がくるとは...


少し、迷うたのですが

涼二に 話してみました。


迷うた割に、話してしまうと

何やら、ほっとするものです。


きっと、こうして 聞いて欲しかったのでしょう。

私を、“四郎” と呼ぶ 友に。


のんびりとですが、たくさん話しまして

喉が渇きました。生きておるので。

しかし、スポーツドリンクのペットボトルは

もう からなのです。


涼二は、立てた片方の膝に 片方の腕を載せ

腕に 両の瞼を押し当てておるのです。

つまりは、「... うっ ... くっ」と 泣いております。


「涼二。喉が乾いたのですが...

涼二も 渇いておるでしょう? 泣いておるので」


少し、しゃくり上げが 止まりました。


「何か 飲み物を買って参りますので... 」


私が 立ち上がろうとすると、瞼の載っておらぬ

もう片方の腕を伸ばし、しゃつ を握ります。

涼二の立場になりますと、木陰で 一人泣いておるのは、何か加減が よろしくないのでしょうが...


「私は、しあわせ なのですよ?

こうして、友と居るのです」


まったく、夢の様です。

皆と 隣に居るのです。同じ制服を着て。

ふらんしすこ様 であった私には、同年代の友など

おらぬでありました。

しかし 今は、皆と同じなのです。


兄様方は、私を 実の弟の様に接するのです。

私は 見上げ、叱られたりもするのです。

丸切り わらし扱いなさるのです。

私は 大人からも、そういった扱いは受けた事が

御座いませんでした。

男兄弟は おらぬでありましたが

おれば、こういった様なのでしょうか?

なんと 心強いことでしょう。


「涼ちゃん」


「だから、やめろって。もー... 」


鼻声で 笑うております。

ようやく、瞼を ごしごしと擦り

ぽけっと から出しました、はんかち で

鼻をかんでおるのです。

後に 洗うて下さる母上が、少々 不憫な気が致します。これも しあわせかもしれませんが...


「兎も角、私は 喉が渇いた と 言うておるのですよー。水分や塩分を 余計に摂らねば、熱中症になると... 」


「カフェに 入ってみる?」


立ち上がって、制服の尻を叩く 涼二が言いますが

「二人で... ?」と、問い返しました。


私共は、沙耶夏の店と、ファーストフード店であれば、気安く入れるのですが

先払いでは無い カフェや、れすとらんには

あまり入った事が無いのです。


河川敷のカフェであれば、兄様方と 涼二とも

入った事は あるのですが、少し 大人の印象で御座いました。まず、制服の者など おらぬのです。


「あっ。ビビってるんだ。天草四郎なのに」

「いえ。そのようなことは... 」


「何してんの?」


聞き覚えのある 声に振り返りますと

ああ、何という...


「私たち、ご飯なんだけど。

ここ、美味しかったし」


シイナ、ニナ お姉様方で御座います。


「何その、迷惑そうな顔」

「あっ。私が、エモサクさんの子孫だからなの?」


「いえ、そのようなことは、断じて... 」


「うん、冗談。別に知らないヒトだし」


おお、冗談になさるとは...

御二人は、私が 天草四郎である事などは

どうでも よろしいのです。

いえ勿論、それで よろしいのですが

如何せん、私の方に、まだ 慣れというものが...

涼二は、借りてきた猫となっておるのです。


「で、カフェ入るとこ?」


「いえ」

「出たところです」


「ふうーん... 」


何故 そう、迫力が あられるのでしょうか... ?


「ねえ、シロちゃん」


私のことで ありましょうか?

涼二が 半分笑うておりますが、ニナさんに向いてみますと

「たまに、店でアルバイトしない?

コスプレの方」などと 申されます。


「天草四郎、評判 良かったし」

「そう。どう? “ザンゲ ショー” とか」


ざん...  なんと 不遜であります事で...


「私は、預言者でありますし

未成年者で御座いますので、兄様方に御伺いを立てねば ならぬのです」


「えー」

「やだぁ。怒られるの、私達だもん」


存じては いらっしゃるようです。


「今日は、仕事で おられませんが

普段でしたら、教会に来られれば... 」


「うん、知ってるー」

「とりあえず、コーヒー 付き合いなよ。

かき氷でもいいけど。行くよ、リョウジ」


目眩が 致しますのです。



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