御大切 7
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城内から、話し声が減りました。
南蛮の助け という望みが、絶たれたからでしょう。
蓄えておりました干し肉なども 底を尽きましたが
幕府方の 夜間の監視も厳しくなり、
いよいよ
私は、日に 一度の白湯と海藻。
何か取れました日は、ひと口 ふた口程の
獣肉や 山菜などを頂いておりますが、
皆は、どうなのでしょう?
『ふらんしすこ様』
有家殿と 益田殿が いらっしゃいました。
私は、
『如何 致しました?』と 問うてみました。
また、矢文が入ったのでしょうか?
同じように 胡座をかかれた 御二人は
『ふらんしすこ様も、もう 十六で御座いますな』と、微笑まれました。
何で 御座いましょう?
何か、落ち着かぬ雰囲気で御座います。
『妻など、取られては 如何か?』
『何を... 』
私は、
籠城しておるのです。
十二万五千の兵に囲まれ、渇え殺しに合い
食糧も底を尽き、南蛮の船からは 砲撃を...
『皆、暗く 沈んでおります』
『
まだ 残っておるのです』
人の子として 御生まれになられた
私共は、
御言葉を捧げ 祝い、
皆で、少しの赤酒を頂いたのです。
赤酒と申しますのは、土地の酒で御座いまして
杯に注ぎますと、時の経過ごとに 赤味を増すものです。空気に触れることに 因があるのでしょう。
杯を 交わし合いながら、
“いつか、南蛮の酒を飲んでみたいものですなぁ”
... と、笑うて 話しておりました。
笑い顔と 笑い声の多い、明るい夜でありました。
しかし...
『妻、と... ?』
私が... ?
有家殿が、胡座を解かれて 立たれ
開いておった襖の影に 顔を向け
『中へ』と 誰かに
水の色の地の 袖下や裾に、桃の花の咲く着物を召した
先に座られた 有家殿の隣に、す と、正座されました。
『私の娘で御座います』
俯き気味であられた女子は、異国人のような
大きな眼を上げ、『まりや で御座います』と
緊張した声を出され、視線が合いますと
また 瞼を臥せられました。
『嫁入りに取っておいた衣で御座います。
籠城の際に、持ち込んでおりました』
有家殿の言葉が、耳を通ったように思いますが
私は、黒く長い髪を 背に流された まりや様に
見惚れてしもうておりました。肌の白きこと...
父上... いえ、益田殿に
『ふらんしすこ様、如何か?』と 問われ
ハッ と 焦り、急いで 眼を畳に向けました。
正面より見つめるなど、大変に無礼であったことでしょう。頬が熱くなる感触がありました。
肌の、色のことなど...
『歳は、十五で御座います。
実のところ、籠城 致します前に
ふらんしすこ様を 御見掛けしておりまして、
“ふらんしすこ様、ふらんしすこ様” と... 』
『父上... !』
“まりや” と、名を告げられた時より
焦られた声を出され、その声に
胸の内を掴まれたような、芯の蕩けるような
形容出来ぬ心持ち と 言いましょうか...
いえ、心持ちでは無く、知らぬ情 と言いましょうか、心地 と言いましょうか...
ふわりとし、少し 汗ばんだようにも思えるのです。まだ 冬であろうのに...
顔の熱きことが やけに気に掛かり
そわそわと 落ち着かぬ私に、有家殿が
『如何でしょうか?』と、問われました。
先程、益田殿にも 聞かれたように思います。
私は 何と、答えたのでしょう?
いえ、答えては おらぬであった気が致します。
人の記憶とは、曖昧なもので御座います。
幾度も 同じ事を問わせては、まるで私が 渋っておるように 思われるのではないでしょうか... ?
『私 で... 』
声が掠れ、喉が鳴りました。
『よろしい のであれば、是非... その...
あなたの、夫に... 』
まりや様は、頬を染められますと
両の袖で、口元を隠され
『はい... 』と、了承されたのです。
私の顔は、焼け石のようで御座いました。
********
その夜は、益田殿と 有家殿、りの殿と
城内 それぞれの持ち場の
私と まりや、は、祝言を挙げました。
ええ、“まりや” と 呼ぶのです。
私の妻 なのですから。
しかし 私共は、切支丹は どのような式次第で
祝言を挙げるか... ということは、知らぬでありました。
確かで御座いましょう。
ですので、益田殿が
私達 二人に、
『... “創造者は初めから 人を男と女とに造られ、
そして言われた、
「それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は 一体となるべきである」
彼らは もはや、ふたりではなく 一体である。
だから、神が合わせられたものを、
人は 離してはならない”... 』
有家殿に 杯を渡され、赤酒を受けました。
三度で干しますと、杯を まりやに渡し
受け取った まりやも、同じように三度で干したのです。
何故、誇らしいような 心持ちになるのでしょう?
私は、私と まりやの事を
この日から まりやは、私の寝所に居るようになりました。
私が御簾の向こうで 祈りを捧げておる間、
まりやは、明かり取りの空を 見上げて祈り
私が
じっと座って、聞いておるのです。
黒髪を ゆったりと弛ませ、後ろで ひとつに括った まりやは、中心で分けた長い前髪が 耳の上を通り、揃った毛先は 顎の辺りにあります。
まりやが 横を向いておる時、毛先が 顎に掛かるか 掛からぬか... という具合を、大変 好ましく感じました。可憐に思うたのです。
夜は、二つの布団が伸べられ
隣に 横になるのです。
私は、恐ろしく 悩みました。
心の臓が どんどんと、内から
まりやの居らぬ方に向き、落ち着くように と
静かに 深呼吸せねばなりませんでした。
そういったことになるのでしょう。
しかし 私は、籠城中の今では ないのでないか?
... と、どうしても 思うてしまうのです。
私を、“ふらんしすこ様” と呼ぶ 皆は
飢えに苦しんでおるのです。
そして 私は、まりやに
まだ何も してやっておらぬのです。
まりやが、嬉しく思うような事を。
それは 何か?... と 問われれば、私自身にも具体的には解らず、例えば “花を手折って渡す” など
全く陳腐な事しか浮かばぬのですが
そういった事すら、しておらぬのです。
... しかし、そういったことに ならぬのであれば
まりやは、それを どの様に取るでしょう?
私がもし
どういった心持ちになりましょう?
“自分に 不満や不足があるのでは?”... などと
かなしく思うたら...
私は 起き上がり、布団の上に 座ると
『まりや』と、妻の名を呼びました。
まりやは、びくりと 肩を揺らしたように見えました。
明り取りの窓から入るのは、月明かりのみですので、定かでは 御座いませんが。
『もう眠っていたのであれば、すまない。
話が したいのです』
私が言うと、まりやは『はい』と 答え
緊張した面持ちで 布団に正座をし
私に 向き合いました。
差し込む月明かりで、互いの顔が見えるのは
半分だけ... と、いった具合です。
『その... 』
どう、申しましょう?
少し詰まってしまいましたが、やはり 正直に
申すことに致しました。私達は、
『まりや。私達は、夫婦であり
夜は、つまり、そういったことになるのが
普通なのでありましょう』
しかし、それを 何と言い表したものか
私には 解らぬでありました。
... いえ、
『互いに 知る、結び合いで御座います』
解りましたことで、私は すっと致しましたが
私の言葉に、まりやは 余計に緊張した面持ちとなったのです。
これは、なりません。
“いや、まりやは 私と、そういったことは
望んでおらぬのではないか?
私ひとりが、勝手に要らぬ気を回したのではなかろうか?”... と、目まぐるしく考えもしましたが
兎も角は、私の心を伝えておかなくては... と
気を取り直しまして、思うておることを告げました。
『私は、そういったことは
しあわせな
まりやは、まだ黙っております。
これは、私の言葉が足らぬせいで御座いましょう。
しかも これだけでは
“今は しあわせではない” と 言うておるようにも
取れる気が致します。
『今も、しあわせには 思うておるのです。
あなたが、私の妻となられたことが』
まりやは ようやく、私の眼を見ました。
『しかし、宗門が認められました折には
城を出まして、二人の家が欲しいのです』
『ですが... 』
まりやは、つい と いった様に
言葉を洩らしました。
私共が、君主様等から
赦される事は 無いのでしょう。
私は、頷きましたが
『
では、南蛮へ逃れては どうでしょう?
私達と、家族と、希望する者等の 皆で』と
まりやの 異国人のような大きな眼に 答えました。
長崎に留学した折、私は
教えを受けた
大変に背丈があり、艶のない
薄茶の眼をしておる方です。
“商人によって、武器弾薬と 人質とを交換する
奴隷貿易が行なわれているんだ。
下働きとして買い取られた、ということにして
僕の国へ来ないか?
シロウは もっと、広い場所で学ぶべきだ”
私は、“父上や母上に許しを得て参ります” と
答えたのです。大変に 嬉しくありました。
南蛮の船に 砲撃を受けたことには
まだ 胸が疼きます。
しかし、何か事情が あったのではないのでしょうか?
そして、私が友になった
あの船には乗っておらぬと思うのです。
此処での 私の使命は、宗門が認められること。
誰しもが、御大切に 触れられるようになることです。 人は、ひとりではない と。
そして、私共首謀者以外の者等の
身の安全と生活を 保証して頂くこと。
家と田畑、切支丹としての居場所。
その後は、
まりやと暮らしては、ならぬでしょうか?
『父上等は、私の為、皆の士気の為に
私と あなたを、
事実、城内の雰囲気は
幾分 明るくなったのです。
私共... 益田殿や 有家殿、りの殿、
それぞれの持ち場の頭は、
南蛮の船の砲撃など、気にしておらぬ... と
いった風な態度を取っておりました。
私共が愛し、誠心を尽くすのは、
南蛮の
“大将等は、気にしておられぬ”、そして
“ふらんしすこ様が、妻を取られた” という事が
その先の生活を想起させる、といった
前向きな印象となったのです。
『しかし、私は違う。
“こういった状況だから” ではなく、
あなたを 妻にしたかった』
まりやは、顔の半分に 月明かりを浴びたまま
私を見ております。
『宗門が認められました折には、城門を開きます前に、共に 海へ降りるのです。
崖には、海底を通っておる 抜け道が御座います。
熊本は大矢野の
繋がっておるのです。
私は、大矢野で 布教しておりました際に
この事を知りました』
抜け道は、一揆が始まる前より
父上と有家殿等が、大矢野から掘らせておったものです。
城内の他の者は、まだ 存じて御座いません。
幕府方に洩れ、閉じられてはならぬので。
私は、宗門が認められたなら
死に臨む覚悟で御座いました。
まりやを 娶るまでは。
『大矢野に着きましたら、頃合いを見て
船で 長崎の出島に向かいます。
此処に 南蛮の商館があるのです。
商館にあなたを預け、私は友の
そして 必ず、あなたを迎えに上がります』
信用 出来ぬでしょうか?
『まりや。私は、あなたが良い。
共に生きてくださいませぬか?』
まりやは、声を詰まらせながら
『はい』と、答えました。
私は また、芯の蕩けるような心地となりました。
『では、こうして ふたりの時は
名を呼んで 頂きたい。
四郎でも 時貞でも構いません』
まりやは、白い肌の手を 頬に当てられ
『では、四郎様と... 』と 言い
『異国に、参りました折には、時貞様と』と
言うたのです。
この身すべて、指先までが熱くなりました。
『まりや。あなたのことは?』
『みつき と... 』
『どういった字を?』
私が問いますと、まりや... いえ、みつきは
布団の上に 指で書かれました。
“
夏までには、必ず...
『みつき』と、呼びますと
『はい、四郎様』と 仰られたのです。
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