93 泰河


「ルシフェル、待てよ。

鏡の中にいても 釣れるだろ?」


「いつになる?

お前の妻を像に取った時は、サカヲの母が

天狗を喚んだのだろう?」


「また 術 敷かれて、逃げられても困るだろ?」


「俺の鎖は、術も封じる」


「えっ!マジすか?!」

「すごいっすね! 万能じゃないすか!」


オレらが 騒ぐと、ボティスが

「だが ミカエルや熾天使など、強大な者は捕えられん。地界の鎖だからな」と 言って

皇帝が ぼこぼこ言わせた。四郎が見ている。


ボティスが、四郎越しに 皇帝から グラスを取り

「シェムハザ、ストローは要らん!」と

アイスコーヒーを替えさせた。

ぼこぼこが我慢ならんようだ。


ストローのないグラスを受け取った皇帝が

「ふん... 」と、鼻から息を抜いている内に

「終わったようです」と、四郎が立ち上がり

酒呑たちに眼を向けた。


狐火の灯りの下、青白い肌の鬼が

最後に落とされた 三眼鬼の首の額に

両手に握った槍を突き込むと、法螺貝が鳴り

「おおおーーーっ!!」と 勝鬨が上がる。


白い陶器の瓢箪の酒を煽りながら

酒呑と史月、鬼たちが戻り、

師匠が 阿密哩多アムリタとバルフィを振る舞う。


スサさんも 鬼たちに頷き、四郎が

「酒呑童子、皆も 無事に戻られて... 」と ねぎら

ハティに頼まれた ボティスの配下たちが

折られた翼骨を 拾いに向かっていると

「ギャーーーーーーッ!!」と

姫様の 雄叫びが響き、「何だァ?!」と

人化けした史月が また化け解いて 構えた。

悪魔たちも、警戒して 振り向いている。


出しちまったのか... とは 思ったが

オレ、姫様には 割と慣れてきたぜ。


「待て って言っただろ?!」


ミカエルが言うが、皇帝は「天狗むすこを喚べ」と

すでに 赤黒い鎖に巻かれている 姫様に言う。


「ギャッ! ギャーーーーーッ!!」


「あれが、天逆毎あまのざこ姫と?」

「興奮されておるのう... 怖がれておるのであろうか?」と、桃太と浅黄が話しているが

玄翁や真白爺、鬼たちは

姫様を知っているようで 無言だ。


「キャアアアーーーーッ!!」


姫様は、鎖ごと転がり出した。

四郎もボティスも 唖然としているが

「姫様」「せっかく出れたのに」と

朋樹とジェイドが近寄り、支え起こそうとして

ガチガチ歯を鳴らす 姫様に噛まれかける。


「アアアーーッ!! ギャッ!キャアアーー... 」


逆毎ザコ


スサさんが呼ぶと、姫様は ピタっと叫び止めた。

「おっ? さすが 父さん」と

河で遊んでいた琉地を 呼ぼうとしていたルカが

感心して言った。


けど 姫様は、叫びたくてムズムズするらしく

座らされたまま、身体を小刻みに揺らして

鎖を カチャカチャカチャカチャ... と 鳴らし出し

「んんーー... んんんんーーー... 」と

喉からか鼻からか 声を出す。カチャカチャ音

でかくなってきたし、時間の問題だろう。


「ほら、喚ばねぇだろ? 考えてもみろよ」


ミカエルは いつの間にか、ゾイの近くに移動していた。

姫様は喚ばないだろう とは 考えていても

もし 天狗から来たら... と、警戒しているようだ。


「さっきの奴等を 送り込んでるんだから

影穴から、俺等を見ては いるんだぜ?

攻撃させて、何とか隙きを作って

姫様の鏡を奪う。それでまた 影穴に逃げて、

炙りが終わるまで潜んだ方が 利口だからな。

姫様だって、これだけ敵がいる所に

息子を喚んだりはしないだろ?」


鎖がガチャガチャ鳴り出して、またスサさんに

「逆毎」と 注意されている。

悪魔たちが 翼骨を集めて戻って来た。


やたらに 人が大人しいな... と、河辺の方を見ると

全員、術で眠らされていた。

見張りのためか、悪魔が二人付いている。


「印は?」と、ボティスに聞かれ

「鏡に入ってもらう前に 消したー」と

ルカが答えた。

「これが 常態だということか... 」って

首をブルブル振り出した 姫様を見て言う。


「人間たちは どうなんだ?」


シェムハザに聞かれて

「おっ、そうだよな」と ルカと見に行く。


「姫君。相変わらずであるのう」


月夜見キミサマが 言い

「逆毎。お前は、何をしておるのだ?

多少の混乱ばかりでなく、俺を滅しようと謀ったな? 此度の罪は重い」と

姫様の近くに立った スサさんが言っているが、

首をガクガク縦に振る 姫様が見えた。


「それって、天狗魔像が スサさんの神気を吸収したこと... すか?」

「あの時は、封じた姫様を預けようと

僕らが 月夜見キミサマを喚んだんです。

姫様は、スサさんが出て来ると思ってなかったんじゃないですか?」


朋樹とジェイド、姫様を かばい出したな...


「うーん... 印、無いんだけどー」


河辺に転がされている人たちには、額にも胸元にも 印は無いようだ。

蝗も闇靄も無し ってことになる。


「普通の人が、影穴から?」

「おかしいよな... 」


“居酒屋に入ったのに” とか、言ってなかったか?

店のドアが開いて 入ったら、ここに出た って

ことだろうか?


「こいつ等、最初は 移動して来たことを

不思議がってたんだけど

さっき、ミカエルとシェムハザの 火が弾けたのとか、鬼たちが 影穴から出て来たのを見て

怖がり出して... 」


イゲルだ。

“よう” とかは無く、喋るタイプっぽいな。


「まぁ、この人たちが 怖がるのは

無理もねーよなぁ」


「でも、天空精霊とかで囲ってるし

河川敷から出せないだろ?

なんで影穴に入れたかも 調べた方がいいし

“帰せ” って めいもないから、みてたんだけど... 」


寝かされてるヤツらは、最初は不思議がっていたが、三眼のヤツらが見えなかったので

ミカエルやスサさん、オレらが

そいつ等の相手をしているところを 見て笑い、

火を見ると 怖がって

“頭おかしい。もう 帰りたい”

“あんたたちが騙して連れて来たのか?”

“犯罪じゃない? タクシー代 出してよ”

“時間 潰させた分も... ” と なっていき

酒呑や茨木たちが出て来ると、パニックになりかけたので、寝せた ってことだ。


「で、俺、多少 霊視出来るから

視てみてたんだけど、この二人は 詐欺師。

お年寄りから 預金騙し取ってる。

こいつは、気に入らないヤツを 会社辞めるまで

追い込むのが好き。学生の時からやってる。

こいつは、盗撮で稼いでて... 」


全員が、そういう感じ らしかった。

人も 人に害を及ぼすんだよな。

こっちの方が 妖しや悪魔の害より ずっと多い。

後で 沙耶ちゃんの知り合いの刑事さんに

纏めて 情報渡すけどさ。


「悪いことをしてるって 自覚はあるのに

罪悪感が 欠片も無い。

“バレたら捕まるかもしれないから ヤバい”... ってだけ。被害者のことは、間抜け だと思ってる」


がっかりするし、恥ずかしくなるぜ。

オレも 賭けやってた時は、相手に対して

幾らか そういう気持ちもあった。

イカサマも多かったしな...


「こういうのも、俺等がそそのかした ってことになるんだよ。俺等、“悪魔” だから。

こいつ等の内側なかに そういうものがあるのに

“憑かれた” って 言い出したりするしさ。

自分に憑かれてんだろ?

いっつも、自分以外の何かのせい だ」


「まいるよ」と ため息をつくイゲルに

「ごめんな」「反省するからさ」と 答えると

「いや、俺も グチったりしたし。

こういう奴等って、影穴 通れても

不思議じゃないけどな」と、寝てるヤツらを

残念って顔で見下ろした。


人間の中には、三毒の鬼がいる っていうもんな。

赤は “貧”... 欲、青は “瞋”... 怒り。

赤と青は、入れ替わってることもあるが、

黒は “痴”... 愚痴。恨み嫉みとか。


仏像だと、四天王像や 仁王像に踏み付けられてる 天邪鬼もいる。

これは、仏教の教えや それを信じる人々に

害をおよぼす 邪鬼。誘惑する悪魔だ。

ミカエルの絵画や像も、たいてい悪魔を踏み付けてるもんな。


おに” は、“おぬ” からきてるって聞いたことがある。

他にも説はあるみたいだけどさ。

病気や 災厄を起こす力。

祟りをする神、物の怪、怨霊。

隠れていて 見えないものだ。


中国では、は 亡者や悪霊だが

日本でも 亡くなった人の祟りで

病気になったり、災害が起こるとも考えられていた。


陰陽いんよう思想だと、死... 鬼は陰、生... 生者や神は陽。

そういう、見えないものを

見えるものにしようとしたり、

普通は見えないものが 見える人たち が

災厄を避けたり、祓ったりした。

陰陽師や 密教僧だ。


リン... と、れいが鳴った。


「また... ?」と ルカと眼を合わせる。


オレらでも身をかがめずに そのまま通れそうな

影穴から、頭を屈めて 窮屈そうに出てきたのは

ドレッドの赤髪を、頭頂部でひとつに括った

黒い肌の大男だ。

上は 銀の胸甲を付け、下は 黒い裳の上に赤い巻布を巻き、前楯を着けている。腰に大刀。


「ラーヴァナ」と、師匠が呼んだ。

それ、羅刹天じゃねぇのか?


同じように思った朋樹が

「羅刹天? 白い獅子に乗ってるんじゃ... ?」と

聞くと

「あれは、チベットから こちらに渡る際の姿だ」と 答えている。


“羅刹” というのは、インドでは ラークシャサ。

インド神話での悪魔だ。人喰い鬼。

女型は ラクシャシー。

流産を起こさせ、子を死なせてしまう。


この羅刹ラークシャサたちの王が、“ラーヴァナ”。

十の頭に二十の腕があるという 想像力が及ばない姿で、赤髪に黒肌、山の様な巨体。

今、影穴から出て来たラーヴァナは

頭 一つ、腕は二本だけどさ。


羅刹ラークシャサの王 ラーヴァナは、夜叉ヤクシャの王 クベーラと

異母兄弟だ。


クベーラは、地中の財宝を司り

ラーヴァナは、破滅と滅亡を司る。

仲が悪かった二人の間に 争いが起こり

元は、クベーラの配下であった羅刹ラークシャサ

ラーヴァナの配下に収まった。


インド神たちは、インドでは 貴人の姿で

中国に渡ると 甲冑を着けた武人の姿になっていくが、夜叉や羅刹は、悪魔の性質を保ったままの

妖物の類だった。


羅刹が、地獄卒... 地獄の看守や罪の罰を与える役 にもなったのも、中国からで

牛頭馬頭鬼ごずめずきという、頭が 牛や馬の羅刹にもなった。

百鬼夜行に参加するので、行き会った人が見ると 死んでしまうこともある。


だが インドから中国を経て、日本に渡ると、

クベーラは 毘沙門天に、ラーヴァナは 羅刹天に変容し、それぞれが従える 夜叉や羅刹共々

仏教を守護する 十二の天尊に含まれた。


羅刹天は、涅哩底王ねいてりおうとも呼ばれ

十二天の西南を守護する。


「“渡る際の姿”?」と、ジェイドも

師匠に聞くと

「うむ。つまり、羅刹ラークシャサとしての性質が強い。

先程のチベット展に、宝塔を持たぬ 毘沙門天らしき像もあったであろう?

あれは、変容しつつあった羅刹天ラーヴァナであろうな。

いくら何でも、いきなり羅刹の王のみが

天部神には ならぬからな。

中国から渡る間に、混同もしたのであろ」と

適当に答えた。オレは見てなかったぜ。


「なら、博物館で 姫様が

羅刹天を喚んだ ってことなんすか?」


また朋樹が聞くと

「配下の羅刹女ラクシャシーを喚んだものかも知れぬが。

息子を歓喜仏ヤブユムにしようとしておっただろう?」と 顎を軽く上げて、影穴を示した。


羅刹天ラーヴァナと同じように、赤い髪で黒い肌の女たちが

赤い腰布のみ という姿で顕れた。

手には 槍や剣、楯を握っている。

羅刹女ラクシャシーは、美しい女の姿で誘って人を喰う とも

聞いていたが、騙すつもりはないらしく

戦闘態勢で来たようだ。


「仏道の触りとなる 外道等め... 」


羅刹天は、師匠には眼を止めず

口から 黒い靄を吐き出しながら

ミカエルや 皇帝、月夜見キミサマやスサさんを見て言った。外道って、異教神だからか。

半分は 羅刹天っぽいな...


シューニャ


師匠が言うと、羅刹天は 赤いドレッドの髪を

ゴールドの炎に靡かせたが

「魔境に堕ちたか、迦楼羅ガルダよ!」と

師匠に 怒りの眼を向け

「ぬんっ!」と 気合で 炎を消しちまった。

口から靄は 出なくなったけどさ。


「ラーヴァナ... 」


「黙れ、迦楼羅ガルダァっ!

我々は ここに、新しき国を建てる!

人鬼共を ことごとく喰らい尽くしてくれるわ!」


人鬼... 鬼のような 人間のことだ。


ぞろぞろと出て来た 羅刹女の後から

赤髪に黒肌、筋骨隆々で腕が長いヤツらも出て来た。

こいつらも腰布だけだが、鼻は イノシシか豚だったり、皺くちゃでヨダレを垂らしていたりと

醜悪で 下卑た雰囲気だ。


「蝗か?」


ボティスが 一応聞くと

「入ってもおろうが、混乱しておるの」と

師匠は ため息をついた。

インドや中国では、悪魔や悪鬼だもんな。


羅刹天が「天狗王のもとに!!」と 叫ぶと

「おおーっ!!」と 歓声を上げ

羅刹たちは、背負っていた棍棒や大刀を握り

地面を打ち鳴らし出した。

姫様も「キャアアアーーーーッ!!」と

歓声を上げちまってる。


「俺の国で、何を たわけた事を言うておる?」


姫様を睨み、ムッとしたスサさんが言うと

「まずは、外道共からよ! かかれ!!」と

羅刹天が号令を掛けた。


吼えながら 走り出した羅刹や羅刹女を見て

ミカエルが「量っていいのか?」と 秤を出すと

「羅刹共はの。ラーヴァナは引き取るが... 」と

背に赤く輝く翼を広げた。


走り寄る羅刹や羅刹女の前に、聖火の壁が立ったが、羅刹たちは 構わず突進して来る。

影穴からは、まだ続々と赤髪黒肌のヤツらが

雪崩出して来た。


「外道丸、茨木!」


スサさんが 名を呼ぶと、法螺貝が鳴り

立ち上がっていた酒呑や鬼たちが、剣や槍を手に走る。

浅黄が月夜見を見ると、月夜見が頷き

「行って参る」と 薙刀を手に走り

人化けを解いた史月も オレらを飛び越えて参戦する。


ボティスが「イゲル」と呼ぶと

イゲルが指笛を吹き、八の軍も向かわせた。













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