64 泰河


「もう、何か どうなんだよ?」

「な。分からねぇよな」


「ピザ食いたくね?」って言った ルカと

カフェに買いに来た。

平日で 飯時も越えたので、店は空いている。


さっき、ミカエルは ゾイに笑いかけて行ったし

ゾイも『はい』と、照れて返事をしてた。

昼の弁当や おやつデザートを渡す時も

どっちも嬉しそうだしさ、二人の間で何かが変わった訳じゃ なさそうなんだよな。

けど、見てて何か しっくりこねぇ。


「ミカエルがさぁ、何か自制してね?」

「ならやっぱり、ゾイが 犠牲志願してんのか?」


魔像には、ミカエルは取り込めない。

力が 強大過ぎるからだ。ゾイなら取り込める。


「海のオトリの時は、ミカエルが 一緒だったから

まださぁ... 」


カフェのカウンターで、話していると

店員の女の子が「焼けましたよ」と

ピザを入れた 紙のパックを出してくれた。

カフェには何度か来てるけど、初めて見る人だ。


「ありがとう」「いくらっすか?」と

財布を出しながら、女の子の手が 震えていることに 気付いて、手が止まる。


ルカも気付き「え? 大丈夫っすか?」と 聞くと

「いえ、雨が降り出してから 急に... 」と

震えをとめようと、自分の両手の指を かみ合わせる。雨が 怖いようだ。


「ちょっと ごめん。前髪上げてみて」


ルカが 店員の子に言う間に、朋樹に電話した。

その子は「えっ、髪を... ?」と 戸惑ったが

オレもルカも真剣なので、圧されたように 指で前髪を横にずらして 額を見せた。印があるらしい。


「シェムハザ」と、ルカが喚ぶと

すぐにカフェの中に シェムハザが立った。

店員の子が、震えながらも見惚れる間に

シェムハザが 店全体に催眠を掛ける。


ルカが、筆で 額の印を出していると

朋樹も入って来た。

店員の額に出た印は、“糧” だ。


「カテ?」

「食いもん ってことか?」


とりあえず文字を消してみるが

しゅう っという音を立てて、文字が消えた以外には、何も起こらない。


「なんだ... ?」


「他の者は どうなんだ?」と シェムハザに聞かれ

まばらな何人かの客を見に行くが、印は無いようだ。


ルカは、カウンターを抜けて キッチンに入り

「あったぁ」と でかい声で報告してきた。

キッチンは 狭いので、シェムハザに催眠で誘導してもらうと、調理担当らしいコックコートを着た男が 虚ろな眼で出て来る。


額の文字は “蜘”。


「チ?」「クモじゃねぇのか?」


蜘蛛って...


額の文字に触れると、しゅううっと 黒い靄が吹き上がり、カフェの入口付近の天井にこごる。


「“けまくもしこき”... 」


黒い靄は、朋樹の祓詞を無視して

どんどんかたちあらわにした。


「ヤロウ... 」と、朋樹は くやしそうだが

靄は 予想通りのかたちになり、ルカがゲンナリする。


上半身は 女。腰から下は 丸く膨らみ、黒と黄色の縞模様。腰の切り変わり部分から ざわざわと長細い脚が生える。下腹だけが ショッキングピンク。

女郎蜘蛛だ。すげぇ...


「こんなもんまで出んのかよ?!」


「素晴らしい... 」と 輝いたシェムハザに

思わず同意する。オレも初めて見たぜ。

朋樹は ジェイドに電話してやっている。


長い黒髪の 女の額には、黒くて丸い虫の眼が

横並びに四つ、その上に二つ 並んでいる。

口の端から、黒い牙が二本生えた。

先がギザギザになったそれを 左右に開閉して

『シャーーーッ』と 威嚇してきた。


「朋樹、燃やせよ」


ルカが言っているうちに、女郎蜘蛛は

ケツから放出した糸で、ルカをぐるぐる巻きにして 転がした。マトをルカに定めたらしい。


「おい、なんでだよ?!」


女郎蜘蛛は 天井を這って、ルカの真上に移動した。計八つの眼で ルカを見下ろす。

牙 開閉して 笑いやがったぜ。喰う気満々だ。


「おまえ、虫にモテるよな」

「印は あるのか?」


「ある!胸!」


女郎蜘蛛は、ケツから伸ばした糸で下り

逆さに そろりと降りて来た。

確か、首に喰らい付いて 生気を吸うんだよな。


「ちょっとおぉぉーっ!!

こいつ ねじり切ったら、普通サイズの蜘蛛だらけになるんだけどっ!!」


「まだ ジェイドが見ていないだろう?」


シェムハザが指を鳴らすと、ルカを巻いていた糸が 消えた。シェムハザの 甘い匂いと輝きが増し

女郎蜘蛛の八つの眼が向く。

クギヅケが効いてやがる。シェミー、怖ぇ...


「おっ!」と、ルカは 横に反転して起き上がり

筆で、逆さ蜘蛛の 胸の文字を出した。

“天” の 逆さ文字。蝗だな。


入口のドアが開いて、ジェイドが入って来た。

ボティスと榊、ゾイも続く。結局 全員だ。


「身体付きか」「すごい... 」


ハティのとこにいるのは、頭だけだもんな。

ジェイドが近付いて、牙を観察し出したが

とりあえず、天の逆文字は消す。

牙の間から出た藍色蝗は、朋樹が炎の蝶で焼き消した。


「あの、この蜘蛛の人は どうするの?」


ゾイが 殺すのは忍びない という風に 首を傾げたが、蝗が入ってなくても、相手が死ぬまで 生気を喰うからな...


「外に逃しても、禊雨に ミカエルの炙りだぜ?」


どっちみちなんだよな。


「マダムの友にどうだ?」と

ボティスが シェムハザに聞いているが

「シアンすら、城に置けんというのに」と

女郎蜘蛛に見惚れられながら、シェムハザは肩を竦めた。


「ハティ」と、ゾイが喚ぶと

顕れたハティは、女郎蜘蛛とゾイを見比べる。


「レディの友達に どうかな?」


「レディって?」「蜘蛛頭じゃね?」

「大切にされてる」

「けど、生物域に野放しにしてるんだろ?」


ハティは「二体は必要ない」と、答えたが

パイモンを喚んだ。


「どうした?」と 顕れたパイモンは

「完全体の蜘蛛レディじゃないか!」と

眼を輝かせ、上向きの手のひらを軽く上げて

地の鎖で 女郎蜘蛛を拘束する。


「食事は心配しなくていい。魂の貯えがある」


女郎蜘蛛は、シェムハザにクギヅケのまま

鎖と一緒に 地界へ沈んでいった。


「ハーゲンティ、尾長と交配してみよう」と

良からぬことを言いながら

興奮気味のパイモンと ハティも消える。


「あの、ハティ。ありがとう。

お弁当 作るからね」


ハティとパイモンが消えた場所に向かって

ゾイが言うと、カタ と 何かが落ちた。

両手に収まるくらいの 純金の花だ。


カップのような形になっていて、中には

水のクッションのようなものが入っている。

拾って 両手に乗せたゾイは、明るい顔になった。


「それ、何?」と 聞いてみると

ゾイは エステルを喚んだ。

「たぶんね... 」と、花の中に エステルを乗せる。

エステルは、真珠色の蝶の羽を立てて

水のクッションに座った。ベッドか...

「ほう... 」と、榊が 眼を輝かせる。

ハティ、ゾイが かわいいんだろうな。


シェムハザが催眠を解くと、急に 店内の人数が増えていることに、店員も客も ギョッとしていたが

特に説明もせず、ピザの代金を払って

外に出ることにする。

飲食店で “でかい蜘蛛が出て... ” は ねぇしさ。


ドアを出ると、榊とシェムハザが

「禊雨対策だ」と 傘を差す。

内側に防護円が描いてあった。


「シェムハザ、ミカエルや四郎と行けたんじゃねぇの?」と 聞いてみると

「行ったとしても、クギヅケや催眠以外では

防護円にいることが多いが... 」と、ため息をつく。

「なるべく、“供養する” など

この国に合わせた対処をしている。

ミカエルですら 斬首を選ばず、四郎のサポートといった感じだ」


へぇ... 考えてくれてるよな。

しかし四郎、すげぇ。対処出来る 幅が広い。


パラソルの下で、ピザ食ってたら

ザバッと 水柱が上がった。


「は?!」「なに?!」


何かが 河に落ちたんだろうと思ったが、違う。

河面から 菫青きんせい色に輝く大蛇が立ち上がり

牙を見せ、何かに威嚇している。


蒼玉そうぎょく殿!」と、榊が声を掛ける。


ルカは「あっ、花屋さん?」と 言っているが

「知り合いなのか?」と 榊に聞くと

「この河の 守護の神よ」と 頷いた。


頭から二本のツノを 後ろへ伸ばした大蛇は、

禊雨に すみれ色のウロコを立て

河の中の何かを目掛けて、頭から 飛び込んで行った。大量の水飛沫みずしぶきが上がる。


菫青に輝く鱗身が 山波を描き、

水中に 流れ入っていく。

また水飛沫が上がると、牙を剥く 二本角の頭を出した。そのすぐ前に、水竜巻が上がり消えた。


「あ?」「天狗が居たのか?!」


空を仰ぎ、ガアアッ! と 大きな口を開いた大蛇は

「蒼玉殿!」と 傘を持って走り寄る 榊に

やっと気付き、岸へ上がると人化けをした。


やんわりとした男で、たった今の大蛇とは

まるで別人のように 穏やかな雰囲気だ。


榊が、防護円付きの傘に 男を入れると

「榊様。大変、お見苦しいところを... 」と

丁寧な挨拶をしている。


榊が、オレらに蒼玉を紹介すると

まず ボティスやシェムハザと握手をしたが

ボティスの手を離した時、榊に

「この方が、異国の... ?」と 普通に聞いて

「むっ... うむ ふむ... 」と、榊を ナチュラルに

大人しくさせている。


「そうだ。こいつ等は... 」と

オレらはボティスに サクサク名前だけ紹介され

シェムハザが、蒼玉にグラスを渡し

取り寄せた赤ワインを ジェイドが注いだ。


「さっきのは?」


「柘榴様を取り込んだ、天狗の魔像でしょう」


二の山の蛇たちから 話は聞いているらしく

蒼玉は 夜間、自分が守護する河や 他の川

各山の川まで 見回っているようだ。


「我等 蛇の種は、水に縁がある者が多く

柘榴様を取り込んでおるのなら、水の場を移動することも推測いたしまして... 」


川が荒れねぇように祈ったりとか

逆に、雨乞いする対象の “水神” って

蛇とか龍が多いもんな。

蛇が湿地を好むことにも由来しているんだろうけどさ。


インド神話では、川を神格化した神のサラスヴァティは、ヒンドゥー教では技芸や学問などの神ともされる。ついでに、梵天... ブラフマーの妻だ。

サラスヴァティは、仏教に取り入れられると

弁才天となった。この弁才天の神使が蛇とされるが、蛇や龍自体を、弁才天の化身と 見ることもあるようだ。


「水の場を移動する?」

「獣道や霊道のように、河川や湖だけでなく

地下水脈などにも、我等の種の道があるのです」


「何?」


取り寄せた生ハムやチーズの皿を勧めようとした シェムハザが、明るいグリーンの眼を軽く見開いたが、オレらは うお... と 眼ぇ閉じちまった。


「そのような道があろうとは... 」


榊も知らなかったようだが

「人神様などに成敗されるような 荒神の類も

多くおりますので、あまり知られておらぬのです」ってことだ。

逃げる時とかに潜る道 でもあるみたいだな。

柘榴が取り込まれているから、天狗も通ることが出来るらしい。


「な、蒼玉や柘榴って、まだ蛇なのか?」


朋樹が謎の質問をすると、蒼玉は

みずちでございます」と 答えた。

おお... 蛇と龍の間くらいのやつだ。

蛇が修行して 龍になる... って 聞いたことがある。


「ミズチって?」と、ジェイドが聞き出しているが、ボティスが「天狗は、どう見つけた?」と

話の方向を修正した。


「二の山と三の山より下る、川を見回っておりまして、柘榴様の気配を感知いたしました」


「気配が分かるのか?」


「柘榴様も私も、互いに 水に入っております時であれば、水を介して分かります。

また柘榴様は、水中では 竜巻になられません。

天狗魔像は、地下水脈を通っておりましたので

同種の者等に呼び掛け、一時的に水脈の道を閉じ

この河まで 追い詰めたのですが... 」


蒼玉は、柘榴と入れ代わろうとしたようだが

柘榴の方が、呪力は上だ。

力が見合わす、入れ代わりとはならなかった。


「どうして、入れ代わろうと... ?」と

遠慮がちに ゾイが聞く。


「柘榴様は、六山含む 周辺全体の水を治めておいでです。また、鬼等を含む 他の妖しを統率される力が お有りです。必要な方なのです」


「ええー... 」「結構、大モノじゃね?」


ふわっと言っちまった オレとルカにも

蒼玉は、真面目に「はい」と 頷いた。


「ですので、魔像を飲み、捕獲しようと... 」


「ならぬ、蒼玉殿!」


榊が厳しい声を出した。


おう、やめてくれ。

蒼玉自身が 中から操作されるだろうしさ。

相手が どんどんパワーアップしちまう。


「ですが、柘榴様が関わっておいでですし

このままでは、人等にも迷惑が掛かりましょう。

同種の者等で責任を、と」


... これ、“飲んだ自分ごと殺れ” ってことか?


「蒼玉殿には、菫や 一花がおるではないか!」


あっ、婿入りした蛇神がいる って

榊から聞いたことがある。蒼玉だったのか...

そういや、この河の守護の神が って言ってたもんな。


「おるから、なのです」


蒼玉が穏やかに言うと、榊は

「護るためであると?」と、先を引き取り

「ならば、菫や 一花には、それで良い。

残されたとて、“立派な父君や主人であった” と

いつか 思えようからのう。

しかし、柘榴様は 如何であろうか?」と 聞いた。


「飲んだところでだ、お前が中から破裂すれば

無駄死ムダじにとなる」と、ボティスも辛辣なことを言う。


多分 蒼玉は、今まで “争う”って こととは

無縁だったのだろう。守護の神だもんな。

大きな守護のために、犠牲を選んじまう。


それに霊獣たちからは、よく “同種の者” という

言葉を聞く。種に対する責任感も強い。

同種で争う人間たちより、ずっと結びつきが強い気がする。


「月夜見尊の神使として 言い渡させていただくが、勝手はならぬ。

もはや 種の問題にも留まらぬ故」


「責任問題ならば、天にある。

天狗を使っているのは、奈落... 天の者だからな。

柘榴は 須佐之男を庇い、巻き込まれただけだ。

また 天逆毎の子ということで、この国の神等の絡みもある。しかし、協力を要請したい。

再び 天狗魔像を見つけたら、ここに追い詰め

俺の名を呼べ。ここで捕えよう」


シェムハザが、手を差し出す。


小さな子がいる 父親なんだしな... と 思った時

“まま、おそとがみえる せきがいい” と

カフェで 隣の席に座った、黄色いカーディガンの女の子がぎる。


「... 生きて 護ってほしい」と、突然 言葉が口をついた。

蒼玉は その言葉に頷き、シェムハザの手を握った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る