18 泰河


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「おい... 」


すぐ先に 倒れているオカッパに駆け寄る。

... なんて、呼べばいいんだ?

黒い羽織に黒袴。あの時のままだ。


「 師 匠... 」


“オカッパ” と迷ったけど、あんまりだろうし、

師匠 と呼ぶ。照れたけど 相手は倒れてるしさ。

流せちまう範囲だ。


「師匠?」と、肩を揺するけど

オカッパは 瞼を閉じて、呼吸が無く見えた。


「おい、ちょっと... 」


オレの右腕に 焔の模様が浮き出した。

人差し指と中指で、オカッパの瞼に触れると

瞼を開いて 二度瞬きをし、ガバッと起き上がった。


「泰河... 」


名前、覚えてたのか。ちょっと 感動する。

脳内では、オカッパ師匠って呼ぶかな。


「髭など生やしおって」って

顎ヒゲ はじかれたけどさ。


「どうしたんすか?

阿修羅あしゅら像に入っちまってた様に見えたんすけど。

で、阿修羅像 無くなっちまったし」


オカッパ師匠は、軽く息をくと

胡座の膝に 片肘を乗せ、頬杖を着いた。

結構 余裕じゃねぇか。


「うむ。お前の陀羅尼が 成った時だ... 」


オカッパ師匠は、ここで陀羅尼を唱えるオレを視て、修行の完成を知り、本堂を出た。


洗ってくれておいた衣類を畳に置き

感慨深く酒を飲む。


「お前の陀羅尼は完成した。

しかし 問題は、像にあったのだ」


あの阿修羅像に、阿修羅天自身が

取り込まれていたようだ。


「へっ?

“像に阿修羅天が降りた” とかじゃねぇの?」


「うむ。先に取り込まれておったのは

俺であったのだ」


訳 解らねぇよ。


「薄々 気付いてたけど

師匠、人間じゃないっすよね?」


「うむ。日本ここでは、天部に属する」


「えっ?! ... 誰?」


オカッパ師匠は「まぁ... 」と 咳払いした。

もしかしたら 大したことねぇのかな?

例えば、八部 “衆” の 阿修羅天...

阿修羅天の下に いっぱい配下がいるんだよな。

阿修羅族のトップが 阿修羅天... って 感じだ。

まぁ、別にいいんだけどさ。師匠は師匠だし。


「なら、それで?」と 話を促すと

オレを「うん?」と 潜めた眉の下の眼で ちらっと見て「... うむ」と 続きを話し出した。


「像から俺をかいしたのは、阿修羅アスラであったが

次に 阿修羅が取り込まれた。

象は、ひとり出せば、ひとり望むのだ。

取り込んだ者の形を取る」


ええ... ヤな感じの像じゃねぇか...


「しかし、お前が阿修羅アスラを解した」


「“従える” っていう、修行で?」


「うむ」と、オカッパ師匠が頷く。

オレが従える... 使役契約を結ぶ という形を取って

強引に像から出させたらしい。


「けど オレ、何日も

阿修羅に打たれたんすけど... 」


「例え 像から解されるのだとしても、

阿修羅アスラは、使役する度量の無い者には 従わん。

また次に度量のある者が現れるまで 待てば良い」


じゃあ、阿修羅に認められたのは 本当なのか...

今になって じわじわ嬉しいぜ。

けどオレには、あの獣がいるしな...


ん? 待てよ

“ひとり出せば ひとり望む” って...


「師匠、像にオレを 売ろうとしたんすか?」


「馬鹿を言うな。

“ひとり” と言うても、人間ではない。

俺が売ろうと考えたのは、お前に憑いておる

白い焔のなにがしかだ」


獣を売ろうとしたのか...


「とは言え、外側から引き出さねば

取り込まれた者は、像から出られぬ。

阿修羅アスラは 軍神であるからな。

あの性分であり、例え 自らが助かろうと

認めん者には従わん」


「... “獣を売ろうとした” ってことは、

“オレ自身” が 認められた、ってこと すか?」


「無論。阿修羅アスラが認めたのは 白い焔ではない。

お前自身だ。よう 修行を為した」


やばい。ちょっと 涙出そうだ。


「しかし、阿修羅アスラは像を出たものの

お前の白い焔は 取り込まれぬであった」


... だよな。獣は 居るもんな。


「また、像の姿も変容せん。

これは 阿修羅アスラが出た後、まだ誰も取り込まれて

おらぬであったからだろうが... 」


「で、師匠は なんで?」と 聞いてみると

「まだ話の途中だ」と 叱られたが

「すんません」と 片手上げて謝って

また 続きを話してもらう。


「明けに近くなり、お前の陀羅尼が終わった時、

何かが 本堂に降りた」


「えっ? 何も来なかったけどな... 」


オカッパ師匠は「お前が本堂を出たのちよ」と

また軽い息を吐く。

オレもう、黙っといた方がいいな。


何かが降りた、と 感得したオカッパ師匠は

本堂の阿修羅像の前に立ったらしい。

オレが 家の方で、畳まれた服や徳利を見た時だ。


「女であった。女は自ら、像に取り込まれた」


女? と 眼で聞くと、うむ と 頷き

九天くてんの王、天魔雄神あまのさかをのかみが母、天逆毎あまのざこ」と 言った。


「それ、スサさんの?」


うむ と、また オカッパ師匠が頷く。


天逆毎あまのざこ姫は、建速須佐之男命たこけはやすさのおのみことの 胸や腹に溜まった猛気が、口から出て生まれた女神... だとされる。


身体は人間らしいが、顔は獣で

高い鼻に 長い耳と長い牙。

天狗のような絵に 描かれているものもあるけど

文字で読むと 何となく、いぬや狐を彷彿ほうふつとする

特徴だと思う。


自分の意にならないと暴れ狂うらしく

大力の神も跳ね飛ばし、刀や槍も噛み壊す。

右は左、上は下... と、逆のことばかりを言い

天の逆気を呑み込んでは、一人で子をはらむ。


相手がいる訳じゃねぇんだよな。

天逆毎あまのざこ自身も、スサさんの猛気の吐気から生まれてるし、悪い気を呑んで 子を生む。

で、天狗や天邪鬼あまのじゃくの母だとも言われている。


天逆毎が生んだ 一人に、天魔雄命あまのざこのみこととも呼ばれる

天魔雄神あまのさかをのかみがいる。


天魔雄神もまた、天祖... 天照大神や天津神に従わず、八百万の神たちは 皆、持て余した。


けど アマテラスさんは、天魔雄神を赦して

九天くてんの王にする。


九天くてんというのは、地球を中心として回転する

九つの天体のことらしく、

日天、月天、水星天、金星天、火星天、木星天、土星天、恒星天、宗動天... で あるらしい。


同じ “九天きゅうてん” でも、古代中国では

天を 方角により、九つに分けたものがある。

中央が 鈞天きんてん、東方が 蒼天、西方が 昊天こうてん 、

南方が 炎天、北方が 玄天、東北方が 変天、

西北方が 幽天、西南方が 朱天、東南方が 陽天。


でもこれは、中国の 天の分け方だし

道教の神で “九天応元雷声普化天尊きゅうてんおうげんらいせいふかてんそんっていう雷帝が

いるんだよな。雷神の中の最高神。


だから 天魔雄神の九天くてんは、九つの天体の方だろうと思う。“天体” って すげぇよな。

けど、ていよく 地球から出されてねぇか... ?


まぁ、いいか。

“天狗” にしても、中国では流れ星のことで

日本の それとは異なるしさ。


流れ星を見た日本人が “流星だ” って言った時、

大陸から渡って来てた中国人が

“違う。あれは天から落ちたいぬだ” って

言ったらしいんだよな。

大気圏を突入した隕石が 地上に落ちる音が

犬の吠える声に聞こえたから。中国では凶兆。


日本の天狗は、天狗神あまのざこがみの天逆毎が生んだ... ってのもいるし、煩悩を捨てきれない仏教僧や修験者が

魔道に落ちて 天狗になる... ってのもあったり

山神になったりもする。


和漢三才図会わかんさんさいずえっていう、百科事典的な書物には

“天祖、赦して、天魔雄神をして

九虛に王たらしめ、さかふる神は皆、これに属す”... と

ある。


九虛は九天。“荒ぶる神や逆らう神は、皆

この 天魔雄神に属した”... って ことで、

この魔神たちが人の心に取り憑くと、心を乱され

さとい者をたかぶらせ、愚かな者を迷わせる... と

結構 散々だ。天狗や鬼も これに類するだろう。


天逆毎あまのざこは、像が取り込んできた 累々の神等の

気の残滓を呑み、子を孕もうとしていた」


あっ。オカッパ師匠の話、まだ途中だったな...

天逆毎が阿修羅像に降りたんだった。

で、子を... ?


「それ、マズイんじゃ... 」


「うむ。阻止しようと、俺もまた 像に降りた」


オカッパ師匠は、天逆毎に 子を産ませまいと、 口を押さえてやろう と思っていたようだが、

天逆毎は、像に降りて すぐに孕んでしまっていたらしく、像内に 子を吐き落とすと

その子を残して逃げた。


オカッパ師匠が像に入ってきたので、天逆毎は

“産んだ子も すぐに像から出られるだろう”... と

踏んだようだ。


オカッパ師匠は、像の中で産まれた子を

外に出すまいと 押さえ付けていた。

何せ、天逆毎と 神々の気を引き継いだ子だ。


そこに今 オレが来て、像から オカッパ師匠を

引っ張り出してしまった...


「なら、阿修羅像は... ?」


「天逆毎の子と共に消えたな」


えぇ...  オレ、とんでもないことしたんじゃ...


「しかし、あのまま像の内にれば

俺も 天逆毎の子に、融合してしまっておった」


オカッパ師匠の意識は、すでに遠退いていたようだった。


「俺が融合しておれば、神々の気の残滓になど

到底及ばぬ 邪神となっておっただろう」


「じゃあ、でかい邪神になることは 阻止出来た... って ことなんすか?」


「うむ。ようやった。

だが、油断するな。邪神には変わり無い。

大天魔と言っても良かろう」


「それって やっぱり、本堂ここから出ちまったし

何か 悪いことするんすか?」


「する気で出たのであろうな。

阿修羅アスラや お前から、逃げたものかもしれんが... 」


そのままここに居りゃあ、オレだけでなく

像から出た師匠も 相手にすることになるもんな。


「更に気になるのは

天逆毎が、一度戻って参ったことよ。

なかなか出て来ぬ子を、心配したのだろうが... 」


「戻って来たんすか? いつ?」


「うむ。像にっては、時間の感覚は

現世のものとは違うのだが、二日 三日前... という

ところであろう」


つい最近じゃねぇか。

子を放ったらかして、何年も来なかったくせにさ。神とか天とかって、時間の感覚 違うよな。


「天逆毎は、像には近寄らぬであった。

俺がるのを知っており、引き入れられるのを

警戒しておったからな」


「様子だけ見に来たんすか?」


「それもあろうが、虫などを像に入れた」


「虫?」って 聞きながら、イヤな予感がする。


「うむ。形は蝗よ。

藍の色をしておったが、魔虫であろうな」


出た...  絶対、奈落のやつだ...


「その蝗は、どう... ?」


「子が呑んだ。

天逆毎は、それを見て消えた」


うおぉ...  目眩がして 瞼を閉じる。


「知っておるのか?」と 聞かれたから

オレは、獣や キュベレのことを説明しようとしたけど「... 成る程。異教の大母神か」って 言った。


「読めるんすか?」


「大まかにはな」


そうか、修行に来た夏も

“修行に来たのだろう?” って 言われたもんな。


しかし、大天魔とか 天逆毎が相手か...


「家に行くか。久々に出た。酒が飲みたい」


「... あっ」


やべぇ。朱里しゅりのこと、忘れてたぜ。


本堂の入口を見て、ギョッとする。

朱里は 引き戸に片手を掛けて、停止していた。


「あの娘に、こういった話は解らんだろう?

退屈させるで あろうからな」


オカッパ師匠が 停止させたようだ。

「なに。気付けば、お前が本堂に座ったとこだ」と言うし、朱里の時間を止めたようだ。


「ここの時間って、どうなってるんすか?」


「俺が結界を敷いており、結界内であれば

如何様いかようにもなる。

お前が去った後、俺もまた 像に囚われておった。

結界内の時は 流れておらぬであったのだ」


修行の夏は 逆に、結界内の時間は

外の流れより 何倍も速かったらしい。


「記憶が曖昧であっただろう?」


胡座あぐらを解いた オカッパ師匠が

本堂の床を立ち上がりながら言うのに 頷くと

「高速の時を過ごしておったからな」と

同じように立ったオレを従えて、入口に向かい

朱里を ひょいと肩に担いた。







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