19 泰河


小屋のような家に入ると、土間の向こうには

膳の仕度がされていて

奥の座敷には、布団が伸べてあった。

オカッパ師匠の肩から、朱里が布団に降ろされる。


「うん? 徳利とっくりが無い」


「あっ、師匠がオレに くれたんだ って思って

持って行ったんだ。車にあるぜ」


「ならば、やろう。水や酒が湧く」


神器じゃねぇか...


「そんなん、貰っちまっていいのか?」


「構わん。さて、娘にも 後で食わせてやるが

今は お前が食え」


土間から鍋を持って来るように言われて

ぐつぐつ煮えた鍋の蓋を開けると、

南瓜と芋の煮付けだった。修行の夏を思い出す。


膳には、川魚の塩焼きや山菜の煮浸し。

白飯と梅干し、麩と根菜の吸い物。


オカッパ師匠は、いつの間にか持った 青い徳利から、杯に酒を注いで飲む。


「この料理って、誰がしてんの?」


「配下の者だ。身の回りの世話をする者がおるが

眼には見えん。

しかし、四六時中 共にる訳ではない。

必要な時のみ、必要なことを為す」


へぇ... 式鬼みたいなもんなのかな?


「ここに来たということは、迷うて来たな?」


仕事のことだ。というか、オレの罪のこと。


「読んだんじゃねぇの?」と、川魚の身を

骨から外しながら聞いてみる。


「行動や事実は読むが、心は読まん。

口で話せば良い」


うん。そうだよな。


「人を、殺っちまって。

そのことから、眼を背けてたんだ」


「うむ」


「被害者なんだ。その人は、何も悪くない。

オレらが相手をしてるヤツらに利用されてて。

それを知ってた」


「楽しんだか?」


「いや... 」


楽しんではない。

“リョウジを殺りやがった”

それだけだった。


けど、脳が 甘く強い酒に浸るような感覚を思い出す。盲目な愉悦感。

人であることも辞められず、人でもない。

オレは、すべてから離れていた。


「ならば、どうする?」


「生きる」


師匠は、注いだ杯から眼を上げた。

ちゃんと 生きる。


「ここで学んだことを 思い出したんだ」


「ほう。口に出して、言うてみよ」


「無にすことも、されることも 等しい。

オレが相手をすことは、オレがされること」


その上で なければならない。


ミカエルも 皇帝も、ボティスも

自分のために 相手を殺ってるんじゃない。


心も手も 激情に 翻弄させてはならない。

憎しみも喜びも、実体は くうだ。


オカッパ師匠は「うむ」と 軽く口角を上げ

杯を空けた。


「立ち返る。その必要があって ここに来たのだ。

お前は ちゃんと知っておる。歩め」


「はい」と 返事をすると

止めていた箸を動かすよう、視線で促される。


「だが、忘れるな。いつまでも 未熟で構わん。

支えられて良いのだ。

お前と共におる者等、そこの娘。俺にも。

天と大地。お前が屠った者等にすら。

そうして、人であれ」


川魚を噛みながら、胸や眼を熱くする。

返事が返せず、師匠の眼を見て 頷くと

「何じゃ。まだまだわらしであるな」と 笑われた。


南瓜も食って、吸い物で飲み下しても

師匠は黙ってるしさ。照れくさくなって

「それで、師匠は誰なんすか?」と

箸で山菜取りながら聞いたら

「ようやく それを聞くか... 」って

また ため息をつかれた。


「さて、これで分かろうか?」


「おっ?」


黒い羽織の背に、輝く赤い翼が開く。

いきなり神々しい。

日本ここでは天部” って 言ってたよな... ?


「... 迦楼羅かるら天?」


「そうだ」


おお!! すげぇ!!


「師匠、そんなカッコいいヤツだったのか!

言ってくれりゃあ良かったのに!」


「お前が聞かぬであっただろ。先程 本堂でも」


翼を仕舞いながら ぼやいてるけど

「だが俺は、俺として お前と居ったのだ。

天部神では無く」と、また笑った。


迦楼羅天は、天部の神界で 仏教守護をする神。

阿修羅王と同じく、八部衆... 釈迦如来の眷属や

二十八部衆... 千手観音の眷属として安置される。

まぁ 阿修羅は、戦い続ける “修羅界” に下ったって話もあるけどさ。


迦楼羅天像の 見た目の特徴は

鼻や口の部分が 鳥のくちばしになっている。

鴉天狗みたいだし、分かりやすいよな。


前身は、インド神話の “Garuda”

... ガルダやガルーダと呼ばれる聖鳥だ。

悪いものとされる蛇やナーガ族を食べる鳥。


帝釈天の前身は、インド神の “インドラ” だが、

ガルダはインドラを 退治出来る。

仏教では 煩悩を滅し、仏法を守護する。


鳥と言っても、経典中で描かれる姿は

336万里... 中国の寸法で、なんと17億メートル。

170万キロメートルだ。

日本列島の8倍に相当するらしい。

もう、訳 解らねぇよな。でか過ぎてさ。

それだけ強大な力を持つ ということだろう。


一頻ひとしきりマジで感動してたら、師匠は機嫌良くなったように見える。いや 別に、悪くはなかったし

「“オカッパ” などと呼んでおったな?」って

確認されたけどさ。バレてたか。


「師匠は、ここで何してたんすか?

っていうか、なんで像にとらわれたんすか?」


「うむ。俺は このように人世に降りるため

幾つかの山に 結界を張っておるのだ。

世は餓鬼にある。

人心には、より強い守護が必要であるからな」


神々って

知らないところで 護ってくれてるんだよな...

天もそうだ。誰のことも独りにしない。

なかなか 気付けねぇけどさ。


「その折り、隣山に 不穏な気を認めたのだ」


「隣山?」


モレク儀式の山だ。

元は、割と でかい寺があったんだよな?


「山の頂上にあったのは、打ち捨てられた

異教神像であった」


「異教神像?」


「うむ。観音像の形を取っておったが

あれは 観音菩薩ではあるまい」


... マリア観音じゃないのか?

キリシタン弾圧の際、隠れキリシタンたちは

仏教を隠れ蓑として 信仰を続けていた。

観音像に見立てたマリア像などもあったようだ。


けど、聖母は天にいる。

その像の中にいたのは、聖母じゃない。


「俺は、その像を ここへ運び

本堂に安置すると、対話を試みた。

中におった者は、異教の天女であり

“地に迷う信徒の魂を 天に導く任のために

地上に降りている。

その折に 像を見つけ、中にった者等を解放した折りに、自らが囚われた”... と、話した。

像は、人の形はしておったが、多面であり

身体中に顔を持つ 魔像であったという」


異教の天女が、天使だとすると

迷う魂... 自殺者の魂を導く使命を持った天使だということか?


「その、“中に居た人たち” って?」


「人間の魂だ。

死因も信仰も、様々な者等であったようだ。

その者等の叫びを聞き、天女は魂を解放した」


信徒も、信徒でない人の魂も、全員 像から解放してくれたのか。ありがたい気持ちになる。


「俺は、心を打たれた。

天女を 天に返さねばならぬ。

だが天女は、俺に “放って置くが良い” と 言うた。

“救われても、お前を救えぬ” と。

使命が無くては、天より地に戻れぬようだ。

異教の神である俺を救うために、という理由では

再び地に降りる許可は 出されぬ... と」


師匠は、ますます心を打たれ『構わん』と

強引に 天使と入れ代わったらしい。


天使は天使で『余計なことを!』と 怒ったようだが『あなたを忘れない』と、涙を拭って感謝し、

『異教の天界には入れないが、仏教神であるなら

天界でなくても、仲間はいるな?』と

天に戻る前に、師匠の仲間を探して

師匠のことを 伝えに行ったようだ。

それが、修羅界にいた 阿修羅だった。


『お前は、仏法守護せねばならぬ』


そう言った阿修羅に

『お前もだろう』と、師匠は言ったようだが

『配下が戦っておる。休憩も良い』と

自分が像に入ると、師匠を投げ出した。


『煩悩の多き世よ。滅しにかかれ』


そうは言われても、人々には信仰心が薄い。

煩悩消滅も願われない。なんかオレが反省する。


『お前を救い出すまで、俺は ここを動かん』と

言った師匠に、阿修羅は

『ならば、像の破壊を考えよ。

入れ代わってばかりでは キリがない』と 答えた。


「そこに、お前が現れた。

得体の知れぬ、白い焔のなにがしかと共に」


師匠はオレを見て、オレの方は

獣の存在に気付いていない... ということを

見抜いた。

そして、“何らかの眼が付いている” とも。


「天女の界に類する者の眼だ」


サンダルフォンだ。


「いずれ、何らかに巻き込まれよう。

ならば 自衛くらい出来た方が良い」


師匠は、阿修羅のために

オレから獣は取る腹積もりだった。

獣を像に入れて、破壊焼却するつもりで。

天の眼は 獣に付いてるし、一石二鳥... くらいの

感じだったらしい。


「後は、起こったままだが

白い焔は、お前から離れなかった。

像の中から 阿修羅アスラも、お前と白い焔を見ていた。

そして、“現世にて 修羅道を歩む” と 予見した。

俺が 阿修羅アスラに、“共に歩むのは どうだ?” と 促すと

“ならば小僧に、俺を従わせてみせよ” と 答えた」


それで、オレは認められたけど

また師匠が入っちまったのか。


で、像は 天逆毎あまのざこの子になって消えちまった。

奈落の蝗入りで...


「あの像は、魔像であるのだ。

廃仏毀釈はいぶつきしゃくの折りに、地中に埋められておったものが、魔道に堕ち、怒りによって

魔縁となったものであろう」


廃仏毀釈... 仏教を廃除しようとする動きだ。


インドでは 前2世紀に仏教徒迫害、

中国でも3世紀に 廃仏の動きがあったようで、

日本では 江戸時代末期から、神道や儒教の学者らによって、神国思想が表面化してきたらしく、

1868年... 明治元年の “神仏分離令” 発布により

神職者らが先頭に立ち、仏教を排撃。

各地で、寺や仏像、仏具や経巻に至るまで

破壊が行われた。


キリシタン弾圧だけじゃねぇんだよな。

次は仏教もか... って 感じだ。


なんかこう、海に囲まれた 狭い国だからこそ余計に、多様性が無いと

おかしな方向に傾いていく気がするんだよな。

より野蛮になって、それに気付かない。

みんな 同じ方向を向いてて

違う方向から見られる ってことがねぇしな。


この時なら “日本は神国だから” って

他方... 仏教を破壊攻撃して、それが正義になる。


たぶん、教えが どうこうだけじゃなくて

その団体に 強大な力を持たれちゃ困る... とか

政治的な絡みも あるんだろうけど、

“返しなさい、カイザルの物は カイザルに、

神の物は 神に”... って、聖子も言ったように

政治と、神々や信仰心は 関係ないのにさ。

人間って、勝手だよな。

神... 宗教を 政治にも利用したりして。


この時は、仏像や経巻を何とか護ろうと

土に埋めて隠したりもしたようだ。

あの像も、その中の ひとつらしい。


「魔縁となり、人の魂を喰うものとなっておったようだな。その怒りと、天逆毎の子が結び付き

天魔となった。心せよ」


「うい... 」


返事して、芋食ったけどさ。

鼻から ため息出たぜ。

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