75


「何をして その子が取り返されるのか、わかっているのか?」


シェムハザが 四郎に言い

『ふらんしすこ様』と、エマが呼ぶ。


『私は... 』と、四郎は 一度 口をつぐんだが

『過去の 亡霊です』と ジェイドに言った。


「... “わたしの口の剣を持って、彼らと戦おう”」


黙示録2章にある、七つの教会に宛てられた手紙の内の ひとつの言葉だ。


ヨハネは、イエスにことづけられた手紙を書く。

それぞれの教会の美点や、改めるべき問題点について。

来るべき審判に向けて、改め 結束を固めよ ということでもあったのだろう。


ジェイドが言ったのは、イエスの言葉だ。

“彼ら” と、四郎やエマを惑わす者... 奈落に対して

言ったようだが、“過去の亡霊” と 自分を認めてしまった四郎を祓う気でいる。


ゆりいな というエマの子を、奈落から取り返すには、キュベレの目覚めのための 人間の魂を渡すことになる。そういう訳には いかない。

けど...


「リラは、取り返したよな」と、ルカが言うと

「状況や相手が違う。リラは、天の犠牲者でもあっただろ?」と ボティスが答えている。


それは、分かってる。

分かってるけど、奈落に囚われた子は何も悪くない。

なのに、キュベレに飲まれるのか?


「考えないで、手を動かせ。

ジェイドの分も治療することになる」


パイモンが言っている側から また 一人が吸血されてしまい、ルカが印を出す。


その印を消していると

「主 ジェズの名のもとに、汝、天草四郎時貞にめいずる」と、祓いが始まった。


「今すぐ その身を、土に、塵に返し、

霊は 天に返すことを」


四郎が ジェイドに手のひらを向けると、ゾイが間に立った。


ジェイドに向けられた 過去の空気は、ゾイの前に解ける。


「なんで?」と 聞くと、ハティが

「今 ジェイドの前に立ったのは、人間であるジェイドを護ろうとしただけだが、エマの過去の影響を受けなかったのは、ゾイが過去を失い、新しい生を得始めたからだ」と、さっぱりの解説をし

鎖に巻かれた女を オレらの前に座らせる。


パイモンが血清を打ち、ボティスが祈る。

ルカと 二人掛かりで押さえるが、鎖で巻かれていても、とても女と思えねぇような驚くくらいの力で 身をよじる。


「... “わたしは、あなたのわざと 労苦と忍耐とを

知っている”... 」


ジェイドが、黙示録2章2節を読み出した。


「... “また、あなたが、悪い者たちを ゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、

その実、使徒でない者たちを ためしてみて、

にせ者であると見抜いたことも、知っている”... 」


俯せで鎖を揺らした女が 顔と舌をこっちに向け

また力を入れ直すが、どうしても ジェイドの方が気になってしまう。


本当に 祓っちまうのか?

ジェイドは過去に、あの 田口恵志郎という役人を

悪魔として祓っている。

罪の枷を解くためだったとは 分かってる。


「... “あなたは 忍耐をし続け、わたしの名のために 忍びとおして、弱り果てることがなかった”... 」


3節を読むと、四郎が ジェイドから眼を背け

「... “しかし、あなたに対して 責むべきことがある。あなたは 初めの愛から離れてしまった”... 」と

次の4節が読まれると、四郎は 思わず といった風に、自分の胸に掛かるロザリオの十字架を 片手に覆っている。


「出たぞ、次を」と、ボティスに言われて ハッとする。 そうだ、仕事中なんだよな...


アコが鎖に巻いた人に、パイモンが血清を打っていると「終わった」と ミカエルが隣に立った。


「... “小さい者の ひとりが滅びることは、

天にいます あなたがたの父の みこころではない“... 」


「マタイ、18章だ」と ルカが、ジェイドたちに眼を向ける。

これは、百匹の羊や 十枚の銀貨の話の後に続く節だ。


「... “もし あなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、

彼と ふたりだけの所で忠告しなさい。

もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる”... 」


祓おうと してるのか... ?

四郎が顔を上げ、ジェイドの眼を見る。

涼やかな横顔が 幼く見えた。


「... “もし聞いてくれないなら、ほかに ひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。

それは、ふたり または 三人の証人の口によって、すべてのことがらが 確かめられるためである”... 」


ゾイが 四郎を見つめ、肯定するように頷く。

高い位置に束ねた黒髪と、嬉しそうな横顔。

まだ本当に 子供なんだよな...


「... “よく言っておく。

あなたがたが 地上でつなぐことは、天でも 皆つながれ、あなたがたが 地上で解くことは、天でも みな解かれるであろう”... 」


『ふらんしすこ様』と、呼ぶ方に

四郎は、振り向けないでいる。


「... “また、よく言っておく。

もし あなたがたのうちの ふたりが、どんな願い事についても 地上で心を合わせるなら、天にいます わたしの父は それを かなえて下さるであろう”... 」


『ふらんしすこ様、どうか... 』


祈るように 四郎の名を呼ぶエマを、手を取られている ニナが見上げ、悲痛な顔をした。


「... “ふたり または 三人が、わたしの名によって 集まっている所には、わたしも その中にいるのである”... 」


ゾイが 手を差し伸べると、四郎は自分の手を重ねた。

ジェイドの元に誘導され、ジェイドの でかい両手に、手を包まれる。


四郎は、土や塵に戻らなかった。

祓われなかった ということは、天に 悪魔として見倣されなかった ということだろう。

じわじわと 胸が熱くなる。


「“あなたの信仰が、あなたを救った”」


「よかった、マジで」と、ルカが息をつき

「ふむ」と、榊が 狐で笑う。

炎の蝶を飛ばしまくっている朋樹が、こっちに

明るい顔を向けた。


『... それでは、

わたくしは 自ら、あの子を 取り返します』


そう、エマが言った時

今 目の前で、蝗の死骸を吐き出したばかりの人の

首が落ちた。


「え、なに... 」


一瞬、意味が分からなかった。


「ルカ、背を見ろ」と、シェムハザが指を鳴らして、首が落ちた人の シャツを落とす。


「ある... 」


ルカが筆で、背中に十字を描いた。線が赤い...


「ウイルスだ」と、パイモンが眉をしかめる。


そうだ、確か

吸血される時に、卵が産み付けられるだけでなく

ウイルスにも感染させられる。

それで、断面部分が 一斉に細胞死を起こして...


この人たちの首は、オレの手で繋いだんじゃない。ウイルスが除去 出来ていない ってことだ。


「泰河、早く なぞれ!」


断面から 血が滲み出している。

エマが、断面に掛けた術を解いた。

ほんの幾秒かで 眠っていた細胞が動き出す。


パイモンが焦って 頭部を身体に置き、ルカが うなじの印を出して それをなぞる。


背中の十字架が 線を走るように消えると、ちりちりと音を立てて首が繋がっていく。

大丈夫だ、繋げられる。


「ルカ、印を!」


だが、今まで蝗を出した人の首が 次々に落ち始めた。


「ミカエル! 人の細胞に停止命令を!」


ルカが走り、印を出した順に繋げていくが

吸血首の人たちが邪魔をする。


他の人が吸血されてしまい

「なんで逃がさないんだよ?!」と 怒鳴ると

「外側にも空気の壁がある」と シェムハザが指を鳴らして、ビルの瓦礫を投げて見せた。

瓦礫は 見えない壁に当たって落ちる。


「こっちの人を先に!」「出血が... 」と ますます混乱する。

血が吹き出すことはないが、繋ぐまで間に合うのか?


『エマ殿... 』


四郎が 願うように名を呼んだが、“子は 諦めてくれ” とは、とても言えない。

けど、この人たちも 死なせられない。

とにかく 対処するしかない。


霊魂あにまを渡せねば、あの子は戻らないのです』


「首が繋がった人を こっちに!」

「騒がないで! 背後に固まって下さい!」


ミカエルが エマの近くへ行き

契約を反古ほごにするよう説得を始める。


「子の魂は、今から奈落を開いて、俺がアバドンに交渉する。

不当に奈落に取られたのであれば、天の審判にかけて取り返す。もう 罪を重ねるな」


『いいえ。それでは、この胎に宿すことは出来ません。

また わたくし共は、信仰ひいですはあれど、信徒とは認められておらぬ と聞いております。

どうか、血迷われぬよう 御頼み申し上げます。

あなた様に邪魔をさせぬことも 条件にあるのです。

あの子の霊魂あにまが 失われてしまう... 』


ミカエルが乗り込むようなことがあれば、子の魂は、すぐにキュベレに飲まれるようだ。

契約というより、人質に取られて使われている。


霊魂あにまには、しつがあると 聞きました。

幼児おさなごのものであれば 価値は高い、と。

見合うほどの霊魂あにまと 交換して下さるそうです。

成人であれば、二十や 三十は要ると... 』


「そうしても、子の魂を望むのか?」


右手を血塗れにしながら、印を消す。

助ける。絶対に。それが出来るから。


「出血がひどい。何とか 外に... 」

「榊、月夜見を」

「疾うにやっておるが、扉が開けぬのじゃ」


濃紺スーツの人や 地下倉庫の人の首も なんとか繋ぐだけはしたが、上半身が血に濡れてしまっている人もいる。


「お前も 救いたいんだ」と ミカエルが言うと

エマは『では、あの方と』と、オレを指した。


『二十、三十程の 霊魂あにまが望めませんのでしたら

ふらんしすこ様の 御首を頂戴 致したく... 』と

黒染めの歯を見せる。


「... もう、やめませんか?」


ニナが エマに言う。


「今 このブロンドの人が言った、“救いたい” は

あなたの欲を叶えたい って意味じゃないと思う。

あなたは、ずっと昔に亡くなってしまった方なんでしょう?

どうして また生き直すことにしたんですか?

そんなことしたって、きっと その時と同じようにはならない」


『子のおらぬ あなたには、解られないでしょう』


「ええ。解らないです。

見ての通り、どんなに望んでも母親には なれませんから。

だけど私なら、どんな形でも その子と居られたらいいです。たとえ もう過去でも。

産むことが出来て、抱き締めることが出来て、同じ時に死ねたんでしょう?

あなたは自分で、自分の過去も その子の過去も不幸にしているんじゃないんですか?」


何かが 軋んだような音がした。


「外側の壁が無くなった」

「早く 病院に... 」「ヴァイラ、軍を呼べ!」


ニナの言葉が、エマに届いたんだ と思った。

「なんとか、奈落から 子の... 」と 話していると、

駐車場や 道路、ビルからも 人が集まって来て、手に持った瓦礫で人を殴り、長い舌を伸ばす人の前に 自ら首筋を出す。


「尾長か... ?」


まだ、こんなに?


「尾長なら命が効く」と、アコが 瓦礫を捨てさせ

榊が幻惑を始めるが、吸血の被害者が増えてしまう。広範囲に 広がって行ったら、街中に...


「ずっと入れなかった。ミカエル、許可を」


... ベルゼだ。


隣には 副官のアンジェが立ち、ベルゼからステッキを預かった。


「許可する。なるだけ死なすな」


ミカエルが答えると、ベルゼは左手の手袋を外した。

手首から先が無く、黒く細かい虫が広がっていき、吸血の人の舌が千切れた。

まだ瓦礫を持っていた人の指が崩れる。


わたくしではなくとも、この方が 人を殺められるんですか?』


「そう。私は、論争に名が上がる “ベルゼブル” だ。

伴天連から聞いたことは?」


ベルゼが 空気の壁に近づき、白い手袋の右手で

壁を撫でた。

「悪いが、アバドンに魂は渡せない」


「しかし、ベルゼ。あなたにも渡らないかもしれない。どうか堪えて欲しい。

レスタ、ニルマ。赤色髄を」


パイモンが喚ぶと、レスタとニルマが顕れ

「まず尾長を出して」と オレとルカに言う。


尾長を出すと、指先が失われた人の指の付け根に 赤色髄を投与し、レスタが両手で包む。

手を離すと、指が生えてきた。


「まぁ どちらにしろ、舌や指を失った程度では 魂は取れない」と ベルゼが肩を竦める。


『何故、邪魔ばかりを... 』


吸血の人たちの鼻や口から また蝗が落ち出すが、

落とすと同時に 血も吐き出した。


パイモンが、ひとりの胸に手を付け

「中から喰われてる」と、エマを睨む。


「こっちを差し出すつもりか?」


血に染まった蝗を吐き出す吸血の人たちは、地界の鎖に巻かれても 止まらずに前に進み、肋骨や腕の骨を折っている。


「蝗を燃やせ!」「血清は?!」

「駄目だ、本人の免疫反応などでは もう... 」

「いや、諦めるな。出来ることはやる」

「泰河の血なら?」

「臓器を喰われてるんだぞ?」


「シロウ、どこに... 」と、吸血の人に祈っていた

ジェイドが 警戒の声を出した。


四郎は ベルゼの隣を通り過ぎて、空気の壁の中へ 入って行く。


赤い空の下に 十字架が白く光り

無風の中で、陣中旗が ゆわりと はためいた。


『エマ殿。私を連れていくといい』


エマの正面に立った四郎が言うと

エマは黙って、四郎を見つめた。



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