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「四郎殿、ならぬ」


榊が 空気の壁に駆け寄る。


「そのようでは、エマ殿は救われぬ。

死して尚 我欲がよくを通すなど、天狗道に堕ち、魔縁まえんとなられようよ」


わたくしの罪は 赦されぬでも良いのです。

無惨に あの子が斬り捨てられたことを恨み続け、

それこそ 地獄いんへるのにおりましたから』


『エマ殿... 』


四郎を見上げる エマは涙ぐみ、その言葉通りの表情ではなく見えた。


恨んでいる という風には見えない。

なんだ? 教会の通路を彷彿とする。


『あの方達の お生命いのちは、どうか残されて下さい。

あの方達では、エマ殿の御気持ちも晴れますまい。私を獲られるがいい』


血の蝗を吐く吸血の人の ひとりが、鎖に巻かれたまま倒れた。 エマは まだ黙っている。


『さあ、エマ殿。早く』と、四郎が エマの前に正座をする。


『何故 ぐに 獲られなかったのです?

そのために、私を現世に戻されたのでしょう?』


穏やかに四郎が聞くと、エマは

わたくしの手では... 』と 声を震わせた。


『ふらんしすこ様は、天人様です』


エマは、四郎が 天人... イエスの生まれ変わり だということを 本当に信じていたようだ。


御受難パツシヨには もう、遭われました。

やはり、なりません。どうか、あなたの御首ではなく 異教徒ぜんちょの方々を... 』


十字架に掛かる陣中旗から、白い炎のかたちの何かが 無数に降りて、四郎の周りに揺らめいた。


『... “あなたがたに言っておく。

わたしの父の国で あなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後 決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない”... 』


マタイ26章29節。今、四郎が読んだのは

イエスが、パンとワインを弟子たちに分けてから

言った言葉だ。


『私のみで不足があれば、

皆、“共に参る” と 申しております』


白く揺らめく炎たちは、四郎と共に 原城に籠城した人たちの魂のようだ。

“来世の友”...


『“南蛮の葡萄酒などを 飲んでみたいものだ” と

食わず飲まずの城内にあっても、皆で よう話しておりました。

共に 南蛮の酒が飲めずとも、また会えるとは... 』


赤い空と十字架の下に、白い炎が満ちて揺れる。

エマは、動けずにいる。


『さあ、早く。

見知らぬ方たちを 巻き込んではなりません。

過去の亡霊の私共で 片を付けるべきです。

エマ殿。どうか あなたの御無念を、新しき世に

拡げられませんよう』


「... 駄目だ。心拍が停止した」と ボティスが舌打ちをし、吸血舌が千切れたままの人の心臓マッサージを始めだした。


「とにかく、蝗を出せ!

後は まだ エマの術が効くうちに、赤色髄で臓器を再生する!」

「出ねぇんだよ!」「泰河の血を... 」

「蝗を出す前に死ぬ。本人が弱っている」


「あなた、我が儘だわ」と、ニナが立ち上がる。


「この人も、この白い霊も、みんな殺された人たちなんでしょう?

殺されたのは、あなたや あなたの子だけじゃないのに、こうして無関係の他の人も殺すの?」


エマの手を振り払い

「私は また、この身体に戻ってしまった」と 平らになった自分の胸の 花々を指す。


「だけど、あなたとは寝ないわ。

例え寝たとして、“ゆりいな” って子の魂が あなたに宿ったって、その子は もう “ゆりいな” じゃない。私は、“リノ” じゃないから。

どれだけ殺したって、もう 戻らないのよ。

それに、“ゆりいな” の心だって無視してる。

“あなたのために たくさん殺したわ” って言うの?

それとも、“天人様を殺したの”って?

その子は きっと、そんなママじゃ 哀しむ」


「... ワガママで、何か 悪いの?」


十字架の背後から、女の声がした。


「お姉さまは、“生き返れた”んだし。

欲しいものに手を伸ばすのは 当然でしょ?」


シイナだ。右手にペティナイフを持っている。

夜 見たままの服なので 店で寝ていたか何かだろうが、今 出て来たのなら、エマが呼んだのか... ?


シイナは、ニナの視線が ナイフに移るのを見て

「これ? 店には これくらいしかなくって」と言い、周囲の惨状に眼を向けると

「すごい... 映画みたい... 」と 眼を輝かせた。


目の前で、鎖に巻かれた人が 舌をだらりと提げ

口や鼻から だらだらと血を流す。


「無理でも、オレの血を... 」と パイモンを見ると

「あの... 」と、背後から 遠慮がちな男の声がした。

振り向くと、濃紺スーツの人が立っている。


「何してんすか? うろうろしないで固まっといてもらわねぇと 困るんすけど」


「あの、私の血を使われてみて下さい」


意味が分からず、男の眼を見る。


「私も、この方みたいに なりましたよね?

多分ですけど、この虫を駆除 出来ます」


「いや... 何で ですか?」


男が「ほら、見ててください」と 血にまみれた蝗を拾い、自分の手の甲に乗せると、蝗は男の甲に食い付いて吸血し、ぽたりと落ちた。


「さっきも こうして死んだんです。

あの子が、十字架の下に立ってから」


男は、“あの子が” と、四郎を指した。


「私は、人の血を飲みました。

この方たちのように、舌を伸ばして。

お返ししたいんです。

それで赦されるとは 思っていませんが、今は役には立てるかもしれない。

あの子も、この方たちを 救って欲しい と思っています」


「僕の血も... 」と、地下倉庫の人が 近くに来る。


「同じようになった方なら、助けられます。

何か、繋がっているのが 解るんです。

何故 解るのかは、分からないけど」


「分かった。採血を... 」と パイモンが注射器を出すと、背中を向けたままの ベルゼが

「それでは 時間が掛かる」と、左手に手袋を被せて 手に虫を戻し、アンジェから受け取ったステッキの先で 二度 地面を突いた。


赤く照らされる地面に、何かが きらきらとうごめいたように見えたが、それは透き通った蜻蛉トンボのような虫だった。


「地界から呼んだ。

蝗が消えた者等から、蝗憑きに血を移す」


ベルゼが もう 一度 ステッキで地面を突くと、透き通った 3センチ程の小さな蜻蛉たちは、濃紺スーツの人や 地下倉庫の人にたかり、吸血して腹を赤くする。


膨れた赤い腹で飛び立つと、血と蝗を吐き出す人に止まり、腹の中身を注入し出した。


十字架の下、空気の壁の向こうでは

「お姉さま、どうしたらいいですか?」と、シイナが場違いな笑顔で聞いていて、腹を立てるのもバカらしい という気になる。


「お役に立てたら、罪は消えるんですよね?

復活された天人さまと、ヨナオシを されるんでしょ? 赤ちゃんを育てながら」


ヨナオシ って、世直しか... ?


シイナは、薄い。

なんていうか、本当に生きた人間なのか と違和感を持つ。


いや、ただの 生きた人間 ってことは分かってるけど、別の生き物 って感じがする。

きっと何を話しても、その意味は伝わらない。


ベルゼの蜻蛉に 血を移された人たちが、鎖を巻かれたまま 地面に膝を着き出した。


「鎖を解け」「まだ油断は するな」


「大丈夫、頑張って」「助かります」と、ジェイドやゾイが声を掛け、倒れた人たちの肩や背中をさすり、手を握る。


濃紺スーツの人も 同じように背中を擦り、地下倉庫の人が「大丈夫。家に 帰りましょう」と 両手で 手を取ると、手を取られた人は まだ長い舌を出したまま涙をこぼした。


「シイナ。あんた、何 言ってるの?」


ペティナイフを警戒しながら、ニナが口を開く。


「ニナ。やっぱり男の方がマシね。

あんたは、お姉さまに従っていればいいのよ。

種だけ提供すりゃ、もう要らないけど」


「じゃあ、シイナは何なの?

何も関係ないんでしょ?」


「私は、お姉さまのために働いているのよ。

スウコウな使命。こんな特別なことってないわ。

天人さまが “王” になって、世を治めるためにね」


ニナは シイナに、何も答えなかった。

ここで “何を言ってるの?” とか、説得を始めても

たぶん 無駄だからだろう。

少し話を ずらし

「“崇高な使命” なんだったら、そのナイフは 必要ないんじゃない?」と 聞いている。


「要るわ。まず、世界に不要なモノの排除よ。

天人さまは、手を使わずに これだけのことが出来るけど、逆に “直接には手を下せない” の。

“神” で “王” なんだから、血に汚れちゃ困るでしょ? まぁ “出来ない” だけ らしいけど」


「“天人様”が?」と、ニナが聞き直す。

四郎は、さっき目覚めたばかりだ。


「そうよ。神の骨だったんだから。

その力を使えるのは、天使と契約した お姉さまだけ。

首が抜けたりしたの見なかった?

骨に残ってたジュツリョクを、お姉さまが使って やったのよ。

みんな、血を吸われるために平伏ひれふすの。

出来るのは、同じ時代に生きた お姉さまだけ」


四郎の骨に、呪力があったのか...

“妖術使い” という逸話は、本当だったみたいだ。


心臓マッサージをするボティスが 一度止め、両手の手のひらを 肩の下と横っ腹に当てると

「助力、ラミエル」と、電気ショックを与えた。

少し様子を見て、心臓マッサージを再開する。


舌を失い、首まで血塗れになった人が苦しそうに 横になった身体を反転した。

「大丈夫、大丈夫です」と 何の保証もなく、胸で必死に祈りながら、背中を そっと擦る。

なんでオレは、何も出来ねぇんだろう?


「そう」と、ニナは シイナを刺激しないよう頷き

「だから、シイナ。

あんたには関係 無いんじゃない?」と もう 一度 聞いた。


「私は、排除のために 手が下せるわ。

お姉さまのために働くってことは、天人さまのために働く ってことよ。

そのために犯すことなら罪にならないし、働けば 他の罪も ゆるされるの」


「あんたが、罪を気にするなんて」


ニナが言うと、シイナは

「独りなのが 罪なのよ」と 答えた。


「... 良し、戻った」と、横たわっている人の胸に手を当てた ボティスが、後を ニルマに任せ、まだ生きた蝗を吐く人に祈り始める。


オレが背を擦っている人も、まだ蝗の死骸を出さない。

口や鼻からは 血が流れ続けている。

... 主の祈り って、どう言うんだった?

最初の言葉すら 出てこない。


背を擦る右手の 白い焔の模様が 眼に入る。

こんな時に何も出来なくて、何の意味がある?


「死骸が出た! レスタ、赤色髄を頼む!」と

朋樹の声がする。


「大丈夫。もうすぐです、もうすぐ... 」と

血に濡れた手を握り「マラナ タ」と ルカが祈る。


「... 罪が ゆるされるから、私は 独りじゃなくなる。お姉さまが、私を 傍に置いてくれるから」


シイナは、甘えるような顔を エマに向けた。


背中を擦っていた人が 噎せ始め、横になった身体を ぐっ と丸めると、蝗の死骸を吐き出し始めた。

やった...  やっとだ 胸も目頭も 熱くなる。


「助かります、もう少しです。頑張って... 」


臓器の修復を... と 顔を上げると、ハティが立ち

死骸を吐き出した人の 身体に手をかざして

必要な場所に 赤色髄を打ち始めた。


「皆、シロウと繋がっている。

シロウの身体を造ったよう、赤色髄 及び本人の脂肪の間葉系幹細胞が、必要な細胞に分化する」


ルカも「レスタ、ニルマ!」と 明るい声で呼ぶ。

よかった 本当に。他の人のところにも...


「ね、お姉さま。そうですよね?

私を ずっと、隣に居させてくれるって... 」


明るいシイナの声に、エマは 何も答えない。


「シイナ... 」と ニナが 諭すように名前を呼ぶ。

ふと見ると、シイナと眼が合った。


シイナは、オレの周囲を見渡し

「... どうして、あの人たちが起き上がるの?」と

蝗の死骸を吐き出した人たちを見て言う。


「死んでないじゃない。

お姉さま、不要物を掃除するんでしょう?

世界を全部、天国にするために」


エマは、まだ答えなかった。シイナは

「殺されちゃった子を 返してもらうんでしょ?」と エマに近付き

「シイナ... 」と 間に入ろうとした ニナに、ペティナイフの先を向けた。


「出来損ないの失敗作は 黙っててくれる?

バカみたいに金かけて、必死に女の身体 造ったって、あんたは女じゃなかったけど。

戻されたからって 勃つの? 役に立つ?

そっちがダメだから 女になったんじゃないの?」


「シイナ、落ち着いて... 」


「どうして、不要物ゴミが起き上がるの?

お姉さま、どうして何も答えてくれないの?」


エマは、迷い出しているように 見える。


子まで処刑されたことを恨み続け、アバドンのそそのかされて、盲目に ここまで来てしまったが、再び 天人だと信じる 四郎と向かい合い、原城で同じように処刑された人たちまでが 自分のことで犠牲になる と言う。

シイナを利用していることにも 罪悪感を感じ始めているようだ。


「いいわ。私が 掃除する」と 空気の壁を出ようとした シイナの胸に 炎の蝶が追突し、シイナは後ろに腰を着いた。




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