13


エスプレッソを飲んで、ジャズバーを出る頃には

リョウジは すっかり

「ボティスさん、ボティスさん」と

輝く眼でボティスを見上げるようになっていた。

ちょっと普通に喋ると、絶対こうなるんだよな。

よく分かるぜ。


店の営業準備で慌ただしくなる前に

「また来るからさ」と、シュリに言っていると

「ステージが見たかったから、今度 泰河くんに

動画 頼んでいいですか?」と リョウジが聞く。


「じゃあ 今、あたしだけで 一曲やるね」


シュリが バックルームにコントラバスを取りに行くと、ピアノとドラム奏者の おっさん二人が 一緒に出てきて

「二曲ほど 音合わせしますが、いいですか?」と

演奏してくれた。


気を使ってくれたことに、オレも礼を言うと

「いつも、その日に演奏する曲目は、このくらいの時間に合わせてるんですよ。

誰かに聴いてもらう方が こちらも楽しいです」と

ピアノのおっさんが オレと握手をしながら

「初めて聴きました... かっこいい... 」と 感動する

リョウジに眼を向けて言った。


店を出ると、リョウジは 家に送るバスの中でも

「楽しかったです!」を 連発し

「本当に教会に行ってもいいんですか?

普段、泰河くんたちもいるんですか?」と 聞いてくる。


「普段は あんまり教会にはいねぇけど、裏にあるジェイドん家に 皆でいることはあるぜ。

今日来てたユースケくんと仁成くんは、よく勉強しに来てるみたいだしさ。

オレ、リョウジにも行くように言っただろ?」


リョウジは 遠慮するタイプのようで、行きづらかったらしいが

「今日 一度 行ったから、また行きます!」と

嬉しそうに言い、榊に 古文を教えてもらう約束をしている。

家の前で降ろすと、ボティスにも

「また お話が聞きたいです」と 約束してもらい

オレにも礼を言って、バスを降りた。


教会墓地の近くにある駐車場にバスを停めていると、スマホが鳴った。

リョウジからのメッセージだ。


言い忘れでもあったのかと 開いてみると、割と長文で入っている。


“本当に楽しかったです。ありがとうございました。

ボティスさんも、教会にいた人たちも カッコ良かったし、泰河くんに最初に会った時は怖かったけど、助けてもらって 嬉しかったです。

いつか、泰河くんみたいになりたいです”...


つい 顎ヒゲに指をやりながら

“おう” と、返信した。




********




教会に戻ると、ルカとシェムハザも戻って来ていて、黒蝗が見えるという人は 三人来たようだ。

ミカエルが加護を与え、ジェイドが簡易ミサをすると メダイを渡して帰し、今は オレらだけだ。


「蝗の人って、あと何人の予定よてー?」


あくびして伸びしながら ルカが聞くと

「二人だな。他にも三人いるけど、今日は 連絡が取れなかったんだよな」と 朋樹が答えた。


「じゃあさぁ、連絡 取れない人のとこには ミカエルが行って、加護 与えちまえばいいんじゃねーのー?」


飽きたんだな ルカ。確かにオレらは暇だ。


『それでもいいけど、そうすると “灰色蝗に触れるな” って 注意は出来ないだろ?』


朗読台の上に座り、後ろ足で 顎の下をカカカっと

掻きながら 露ミカエルが言うと

「あ、そっかぁ... 」と ルカがまた あくびする。

ルカたちは 河川敷のカフェへ行き、琉地を喚んで、走って遊んで来たようだ。


「泰河たちは、どこに行って来たんだ?

ずいぶん のんびりして来たね」


そうなんだよな。もう 19時越える。

ジェイドに「ふむ、ジャズバーよ」と 榊が答え

「シュリには、リラのこと話しといたぜ」と

聞かれる前に言うと、ジェイドが “おっ” というようなツラをした。


どうでもいいかもだけどさ、ジェイドは神父服スータンの時が 一番 男前... というか、麗人に見える。

普段から 立っても座っても、腹立つくらい男前だけど、神父服だと また何か違うんだよな。

清く キリっとした雰囲気。


「泰河、最近 出来るじゃないか」

「どう話して来たんだよ?」


ジェイドが通路を挟んだ向かいに座り、朋樹が前の長椅子に座る。

ルカは元々 ジェイドの後ろの長椅子に座ってた。

朗読台を降りた露ミカエルが、オレの背中から飛び乗って『話せよ』と 肩の上から顔を覗いた。


「もう、シュガールとレヴィアタンのとこから

全部話してさ... 」と、聞かせて

「シュリは、“リンのこと 本当にありがとう” って

泣いてたぜ」と 教えたら

「アカリちゃん、いいこだよなー」と

ルカが嬉しそうに言った。


「おまえ、アカリちゃんのこと、まだ “シュリ” って呼ぶんだな」


朋樹が なんとなく言うと、ジェイドが

「いいじゃないか。もう誰もアカリちゃんのことを、そう呼ばないんだから」と

なにか、懐かしむような顔をする。


なんか あんのかな... ? と、見ていると

「ん? 泰河 どうした?」と ジェイドの方が言うので、「いや」と 軽く首を振る。

過去の何かなんだろうし、聞きづらいよな。

朋樹が 何かに気付いたように、誰もいない方向に

視線を逃した。


『ふうん... 自分だけの呼び名か』


露ミカエルが、肩からオレの鼻を前足で ちゃっとやった。

これは、なんか羨ましかったのか?


露ミカエルの額を 片手で包みながら

「ミカエル、ゾイのこと “ファシエル” って呼んでるじゃねぇか」と言うと、両前足で 額のオレの手を掴んで

『俺は たいてい誰でも、天使名で呼ぶんだよ!』と、手から逃れようと 小さい頭を振る。


「むっ。何故 ゾイが出てこようか?」


あっ。榊、近くにいたんだったな...

ルカの後ろに座ったらしく、一時的に見えなくなっていたが、今はブーツを脱いで ルカの後ろに立ち、ルカの頭の上に 顔を出している。


ボティスの方を見ると、シェムハザと話し込んでいて、榊も退屈らしかった。


『俺が ファシエルを好きだからだろ!

おい、離せよ 泰河ぁ!』


うおっ、言いやがった!... と 手が油断すると

ルカが「きゃあ ミカエルぅ!」と 女子ばりに騒ぐ中、露ミカエルも両前足を離し、するっと オレの手から頭を抜いた。


「痛てっ! 分かったミカエル、ごめんって... 」


カッカッと オレの鼻に 猫パンチを繰り出し、止めようとした手に噛みついてくる。


『お前、俺が今 露だからってな... 』


露ミカエルの真隣を 青い式鬼蝶が飛ぶと、片耳が ぴくっと動いた。


ひらひらと遠退いた蝶が またひらひらと戻ったり

戻らなかったりしていると、露ミカエルは オレの肩からダッと跳ぶ。

露ミカエルの 伸ばした爪の先で、青い蝶が ふっと消え、ただ スタ っと床に着地することになった

露ミカエルは

『お前も やめろよ!!』と 朋樹に飛び掛かりに行った。


「痛っ! マジ噛みすんなって!!

手に穴開くだろ?!」


「む... 」


榊は はっきり聞いたものの、朋樹の両手に捕まり、ぐるんぐるん身体を振って暴れる露ミカエルに 詳しくは聞けずにいる。


『俺がエデンから降りたら覚えとけよ!

足 持って逆さ吊りにしてやるからなっ!』


天使の言うことじゃねぇよな。


「痛てぇって言ってんだろ! 今 吊ってやるぜ!」


朋樹は呪の蔓を伸ばし始めた。


「ミカエルは、もうゾイに伝えたんだよ」


ルカの両肩に手を置いて「むう... 」と 聞く機会を伺っていた榊に、ジェイドが説明を始めた。


「ほう... して、ゾイは?」


「すげぇ照れてたぜ」と、ルカが真上にある榊の顔を見上げて言う。


「ゾイってさぁ、照れちまうとダメらしいんだよなぁ。もう 顔、両手で覆っちまってさぁ」


「なんと... 」


榊の切れ長の眼の目尻が下がり、黒眼が きらきらと輝きだしている。


「ゾイも、ミカエルに憧れてはいるんだ。

ミカエルが とても強い天使だからね。

でも、その憧れの種類を本人が知るためには

そっと見守るのが 一番だと思う」


ジェイドが言うと、榊は 自分がボティスと纏まるまでのことを思い出し、ハッとしたようで

「ふむ。お前達も自然に振る舞うが良い!」と

ビシッと決めて見せた。いやいや...


「榊、おまえこそさ... 」


オレが言う途中で、榊は ルカの頭に片肘を付き

その手の指の甲に 自分の顎を乗せ

「... “人の子の 恋をもとむる唇に 毒ある蜜をわれぬらむ願い”」と、遠い眼で なんか言った。

オレの言葉は聞いてねぇな。

ふ... と 悦にったようなツラしてるしさ。

まだ纏まっては ねぇのに。


「毒?」「何の呪文だよ、榊ぃ」


なんとか休戦に入ったらしく、呪の蔓を巻き付けられて、ケッ てツラした露ミカエルを

片腕にかかえた朋樹が「与謝野晶子の短歌だ」と

ふう... と 息をつきながら簡単な解説をする。

両手に生傷が目立つ。


「まだ、恋に憧れているような子に

恋ってのは、甘いだけのもんじゃねぇってことを教えてやりてぇぜ... って 感じの意味だ」


「うわっ、榊 生意気じゃね?」

「榊は甘いばかりじゃないか。説得力がない」

「ドロ甘なんだろ? おまえの男が言ってたぜ」


「むう! 儂は 短歌を詠んだだけじゃ!」


しゅっ と ルカの背中に隠れながら言ってるけど、いや、姉さんぶってたよな? 明らかにさ。


『じゃあ、甘くない時は どうなんだよ?』と

朋樹の腕に ぶら下がったままのミカエルが聞いた。


「さあ... 甘くるしい?」

「痛てぇ時もある。やりきれんよな」

「妬いたりしたら怒り?」

「もっと情念的なやつじゃねぇの?

泥みてぇにさ、なんか深いやつ」


「ああ、そういう仕事 多いもんなー」と 納得していると

『それは、独りよがりだからだろ?』とか

やっと朋樹に長椅子に降ろされて、蔓を解かれた露ミカエルが言う。


「... 恋など、独りよがりなものであろうよ」


ルカの背中の向こうから 榊が ぼそりと返すと

『好きなようにして、相手が嫌がったら かわいそうだろ?』と 露ミカエルも返す。


ルカの右肩から、眼まで出した榊が

「そうであるから自制するのであろうよ。

その時の 自身の胸の中身よ」と

我慢したり耐えたりする、心の方を出してきた。

露ミカエルがハッとするが、オレらもする。


榊は、鼻まで出してきたが

「良し、なかなかだ」と ボティスが口を挟むと

ゆっくり頭の先まで沈んでいった。

榊、特には 耐えてねぇもんな...









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