26


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「まだ そんな遅い時間じゃねーんだよなぁ」

「な。なんか今日、一日 長ぇよな」


教会からホテルに戻ると、レストラン階で 飯を済ませ、ついでに風呂も入って、部屋に戻って来た。


今日も ジェイドに、バスタオルで わしわし拭かれてる狐榊の近くには 琉地がいて

クアっとアクビすると、榊のヒゲがビクってなった。身体に添わせた三つ尾もビビり気味。


「まだ慣れんのか?

コヨーテは、狐と近縁だと教えただろ?」


シェムハザに取り寄せてもらった オレンジのフレーバーウォーター飲みながら、ボティスが平気で嘘つくのを、ミカエルが “ふうん” って顔で見てる。


「ぬうう... 尾などの形は近くあるが

どうにも 狼の如きに見えるのじゃ... 」


「でも、榊さ

一の山で 琉地のことハグしたよな?

あれ、やせ我慢だったのか?」


めずらしくベッドに転んで、立てた片肘に 濡れた髪の頭を乗せた 朋樹が聞くと

「痩せ我慢などであるものか。

儂は怖いのではない。まだ慣れぬだけよ」と

ヤセガマン的な答えを 出してきた。


「うん、いいかな」


ジェイドが バスタオルを引いて、浴室のランドリーバッグに入れに行くと、剥き出しになった榊の前に 琉地が転がって白い毛の腹を見せた。

「遊びに誘っているんだ」と シェムハザが笑う。


「むうう... 」


そ... っと、前足を上げた榊は

琉地の腹に そろそろと、その前足を乗せてみた。


「のっ!!」


途端に白い煙になった琉地は

榊の背後に凝って出現し、背中に覆い被さる。


「!!」


反射的に黒炎を吹いた榊に、琉地が少し怯んだ。


「うわっ! 榊!!」

「落ち着け!!」


榊は 大きくジャンプし、途中のベッドにいた 朋樹の脇腹を踏み石にして逃げた。

「痛ぇ!!」って言った朋樹を、琉地も踏み石にして、榊を追う。


「おーい」「あばれるなよー」


聞いちゃいねーし。


ふたりが 二周くらいした時に、ミカエルが

「琉地!」って呼ぶと

ミカエルの隣で、白い煙が凝り出した。


ソファーに座るミカエルの隣が ボティスだ。

ボティスの所に避難するつもりだった榊は

オレと泰河のソファーの背凭れの裏で ぴたっと止まり、前足を背凭れに乗せると、オレらの間から

長い鼻先を出して、様子をうかがう。


「榊」と、ボティスが上向きの人差し指で呼ぶけど「ふむ」って返事したまま動けねーの。


「榊、バラキエルと座りたいんだろ?

ここ座れよ」


おっ? ミカエルが 譲るのって初めて見た気がする。ソファーを立った。

けど別に、詰めれば もう一人座れるのにさぁ。

まあ、琉地が近すぎるけどー。


「俺、琉地と 風呂に入ってくるから」


ミカエルは、オレに眼を向けると

「仕度しろよ」って、バルコニーを指差した。


「嘘だろ?!」

「真冬だぜ ミカエル!」


「昼間 入ってなかったし。

温泉って、冬に楽しむのがいいんだろ?

テレビで言ってたぜ?」


「いや、そーかもだけどさぁ... 」

「それは、元々 温泉の所のことだって。

あれは “外にある風呂” じゃねぇか」


けど、ミカエルはムッとする。

そろそろとボティスの隣に収まった榊に、琉地の眼が向くと、シェムハザが 指 鳴らして

バルコニーの風呂に湯を溜めてくれた。


「バン ムソンだ」


バブルバスのことらしく、また 青い瓶のフレーバーウォーターも取り寄せる。


「よかったじゃん」

「ジャグジーでモコモコし出したな」


「そうだな。琉地、行くぜ?」


ミカエルは、バルコニーの方に歩いていって

鏡台のテーブルに、脱いだ服を置き出した。

機嫌 直ったっぽい。


「お前等も早く脱げよ。水も持って来いよな」


やっぱ オレらもかぁ...


「おう、行って来いよ」って

爽やか感を出そうとしながら言う泰河に

シェムハザが 取り寄せたバスタオルを渡した。



「ぎゃあ!寒ぃっ!!」「足っ! 足 冷てぇ!!」


丸出しで寒風に向かう勇気ねーし。

腰にバスタオル巻いてバルコニーに出たけど

一気に頭まで 毛穴 縮む。


すでにミカエルと琉地が浸かる 花っぼい匂いの白い泡に ザブっと入って座ると、ちりちり小っさい泡の音が立つ。

湯の中で じわぁ... っと、毛穴も身体も緩んだ。


ぬくいー... 」「入っちまうと気持ちいいよなぁ」


「そうだろ? 俺、泡の中って 初めて入った」


琉地の鼻先に付いた泡を ふっと吹いて、両手に絡んだ 細かい泡が弾けるのを見る ミカエルはゴキゲンだ。

ジャグジーで どんどん沸く泡は、バルコニーまで侵食して、冷たい空気も花の匂いに染まる。

時々 潮の匂いも届いてきた。


「晴れてんな、今日は」


顎ヒゲに泡を付けた泰河が、海の上の 空を見上げる。

星が瞬いているのを見て、リラがいた砂浜の

うたかたの波を彷彿とした。

こういう夜だったのかもな... と 少し思う。


「あの神父さんさぁ、大丈夫かな? この先」


さっきの教会で、神父の話を聞いて

オレは、“ああ、そうだったのか” って

諦めみたいな納得をしたり、やっぱり しくしくと

胸が痛んだりもした。


神父は、自分に絶望してしまったようだった。

自己嫌悪で。

二人も自死に追い込まれてしまったことや

長い間、悪魔ダビに憑依されたまま

教会で信徒と向き合っていたことに。


“導く者に なりたかったのです。

顔を 神に向けるよう。

明るい方へ、愛の方へ と。

皆 等しく愛されているのだから

それに気付かれるよう 手助けがしたかった。

生きることは、素晴らしい と...  なのに... ”


神父は、小さい頃に天使を見て

主に祈り 感謝をし

博愛の精神の中に生きてきた人だ。

ただ護られて愛されてきたようなオレとは違う。

幼く まだ護られ生きるような時期から

困っている友人に手を差し伸べ、泣いている友人を慰めるような、温かい働きかけをしてきた人。


悪魔に抗うことも出来ず、身体や 精神にまで

侵食を許したことは、単純なショックではなく

生きた これまでの全てを、根底から打ち崩すようなことだった。足下あしもとから地面が無くなるかのように。


やったのは神父じゃなく、悪魔ダビだ... と、本人じゃないオレらは思う。

けど 神父からは、自分が言葉を使って 二人を犠牲に向かわせた... っていう 深い罪の思念が届いた。


“西原司祭... ”


ジェイドは、何も言えなかった。

同じ聖職者の立場だし

もし自分なら... と想像すると

何を言われようと、自分が許せない ということが

解るからだろう。


長椅子の神父の隣に座っていたミカエルが

神父の向こうから、通路を挟んだ長椅子に座る

ボティスに眼をやった。


“ヨハネの手紙 第一、1章6節”


神父が 上げた顔を、ボティスに向ける。


... “神と交わりをしていると言いながら、もし、

やみの中を歩いているなら、

わたしたちは偽っているのであって、

真理を行っているのではない”... と いう箇所だ。


次の1章7説を、ジェイドが読んだ。


... “しかし、神が光の中にいますように、

わたしたちも光の中を歩くならば、

わたしたちは互に交わりをもち、

そして、御子イエスの血が、

すべての罪からわたしたちをきよめるのである”...


これは、罪を犯したという人が

教会で 罪の告白をした後などに、よく引用されて読まれるものだろう。


1章9説には

... “もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、

その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる”... と ある。


ジェイドの教会の前神父、淺井神父の声で聞いたこともあるし、ジェイドの声でも聞いた。

西原神父も、何度も教会で読んだだろうと思う。


“お前は 自分の罪を、教会ここで言い表した” と

ゴールドの眼で 神父の赤い眼を真っ直ぐに見て


... “すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く 古き人を脱ぎ捨て、

心の深みまで新たにされて、

真の義と聖とをそなえた 神にかたどって造られた新しき人を着るべきである”... と

エピソ人への手紙の4章22説から 24説を読んだ。


再び “今 目を覚ませ” ... と。主の光の中に。

生き直せるし、やり直せる。


“私が、神父でいることは... ” と

震えて掠れた声で、ボティスに、ジェイドに、

教会に、主に問う。

きっと 天使ミカエルや、オレらにも。


“自分の罪が許せなくても、人の罪を許せりゃいいだろ? 聖子は何故、受肉して降りた?”


イエスは、人なのに

神のように 人の罪を赦した。


“人が 人を、許すためです... ”


ミカエルが、見えない片翼で 神父の肩を包み

加護を与えると、人化けした榊が

もう冷めた 自分のカフェオレの缶を神父に渡して

オレらは 教会を出た。


「大丈夫。またきっと、父や聖子と共に歩む」


くせっ毛ブロンドの中の笑顔が

なんか天使らしい顔になってやがる。

目眩まし掛けた 見えない翼が、泡で象を現した。


きれいだよな って思う。ミカエルなのにさぁ。

ま、泡だらけの手のひら見せて

「水の瓶 開けろよ」って言うくらいまでだったけどー。


「泡 付いてる」「しょーがねーじゃん」


青い瓶の口 見て 文句 言いながら

ミカエルは 一口 飲むと

「俺、シェムハザとフランス行って来ただろ?」って、昼間の話を始めた。


ボティスたちに話さなくていーのか? って

部屋の方見てみたら、皆 テーブルに固まってるし

シェムハザが話してるっぽい。


「向こうは夜だったけど、まずシェムハザの城の前に、人間のアリエルを連れて来させて

俺の加護を与えた。天使のアリエルとは違った」


オレも泰河も、青い瓶の蓋開けながら

「マジで?」「おお、良かった」って 安心して

黒髪のアリエルを思い出す。

しっかりしてるけど、かわいいんだよなぁ...

結婚式で、ベール上げた時は

繊細な黒い睫毛 見て、胸 熱くなったしさぁ。


「それで、魔人の子たちにも会った。

半分 悪魔だから、加護は与えられなかったけど

俺の羽根やってきた。御守りに」


「それ、大丈夫なのかよ?」


「大丈夫だったぜ?

羽根は、大抵の悪魔と天使に威を示せる。

“なんかあったら喚べよ” って、俺が天の許可 出して、葵と菜々は抱っこしたし。

葉月をハグしようとしたら、シェムハザに

“握手にしろ” って止められたけど」


葉月は 中学生だもんなー。

ミカエルに何の気がなくても、オトシゴロだしな。


「アリエルは?」って 泰河が聞いたら

「シェムハザが ずっと肩 抱いてた」らしい。


「その後に、ジャンヌの 一族のとこ回ったんだけど」


「うん。オレらも こっちで回ったぜ」

「で、神父さんとこ行ったんだぜ」


オレンジフレーバーの水飲みながら、ミカエルの話の続きを待ったけど、ミカエルもまた青い瓶を口に運んだ。


「ミカエル」「続きは?」って聞いたら

ミカエルは、琉地を片腕で引き寄せて

「あいつにも 話しておいた方がいいと思う?」とか言う。


「あいつ?」


泰河は瓶 持ったまま、ほけっと返したけど

オレが小声で「... ゾイ?」って 聞いたら

「うん」って、手の瓶 見てやがる。


パッ と、泰河と眼を合わせちまう。

ダメだ... 口が笑う。

ニヤけちまって しょーがねーし。


「風呂から出るなよ?」って 注意したら

「うん。喚べよ」って、瓶を空にした。


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