息吹 ゾイ (第八日)

1 息吹 ゾイ (第八日)


水曜日の午前中。


教会の両開きの扉を開けると

めずらしく神父服スータン姿のジェイドが 長椅子に座って

助祭の本山さんと笑って話してた。


「ゾイ。おはよう」

「おはようございます」


私も二人に挨拶を返すけれど

本当ならもう、“こんにちは” でも大丈夫そうな時間。つまり、早くはない時間ってこと。


「朋樹たちは?」と 聞いてみると

「あいつは本を読んでたけど、ルカと泰河は

客間で まだ寝てるよ」ってことみたい。


「さあ。じゃあ少しずつやろうか」って

ジェイドは長椅子を立ち上がると、朗読台に置いた聖書を取って、後ろの方の席に私を呼ぶ。


「本山さんは?」


「僕は、信徒さんとお話ですよ。

相談の予約が入っているので」


「お願いしますね」と、ジェイドが本山さんに言った時に、教会の扉が開いて

相談の予約をしたらしい男の人が入ってきた。


遠慮がちに会釈して、ジェイドや私に眼を止めた彼に「こちらへ どうぞ」と、本山さんが

前の方の長椅子を示して呼ぶ。


すれ違う時に「司祭のヴィタリーニです」と

ジェイドが自己紹介して握手すると

その人は、ちょっと緊張が解けたみたいだった。

私も会釈だけして、ジェイドと後ろの方の長椅子に座る。


ジェイドは背が高いし、アッシュブロンドの髪に

薄いブラウンの眼。高さも形も整った鼻に

桜色の くちびる。

シェムハザ程でなくても、麗人と形容するのが

相応ふさわしい人。

ただでさえ、この国では “外人” ってことで目立つし、本人も気を付けているようで、物腰は いつも

とても柔らかい。


「どうかした?」って、ジェイドに

聞かれてしまって

「ううん」って、明るい陽光を浴びるステンドグラスに、一度眼を移す。

見惚れてしまった とは、何か言いづらくて。

「始めようか」って言った ジェイドに頷いた。


私がここに来たのは、聖書に馴染みがない人に向けて、聖書の内容を解りやすく伝える小冊子を作る手伝いをするため。


ジェイドとは 時々、福音や詩編について話したりするけれど、小冊子はもちろん、旧約聖書から。


「まず創世記だね。なるべく大まかにいこう」


ジェイドは、私に聖書を渡して開かせると

自分は紙の上にペンを持った。


「パソコンとかでやるのかと思ってた」


「清書はね。でも僕は、手書きでメモする方が

好きなんだ。手ずから言葉を 文字に眠らせる」


「言葉を?」


「そう。手紙や本の中。

文字には、言葉が眠っているだろう?

声に出して読むによって、それは目覚める。

主のように、気息でね」


「うん。素敵だ」


私が言うと、ジェイドは少し笑って

「創世記からだけど、最初にヨハネを持ってこよう」と、新約聖書のヨハネの福音書から

第1章の言葉を、4節まで記した。


“初めにことばがあった。言は神と共にあった。

言は神であった。

この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。

できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

この言に命があった。

そしてこの命は人の光であった”...


「主は、言葉によって全てを創造した とあるからね。それじゃあ、創世記。まずは天地」


「父が “光あれ” と言うと、光があって

光を昼、やみを夜 って名付けた。

夕となって、朝になった。これが第一日」


「第二日は、天だ。

“水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ”

“おおぞら” で、水を空の上と下に分けた。

夕となり、朝となった」


「次の日は、海と陸だね。

“天の下の水は 一つ所に集まり、かわいた地が現れよ”

そして、植物。種のある草や果実を結ぶ木。

“地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ”

夕となり、朝となった。第三日」


「それから、太陽と月と星。

“天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、 天のおおぞらにあって地を照らす光となれ”

“また星を造られた”

夕となり、また朝となった。第四日」


「その “夕となり、また朝となった” は

いつも入れるの?」


私が聞くと「そう。好きだから」って

ジェイドは答えた。そのまま

「第五日は、水中生物と鳥だね」と、文字に

そのことを眠らせる。


「“水は生き物の群れで満ち、

鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ”

そして、これらに祝福される。

“生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、

また鳥は地にふえよ”

... 水の中と、翼のある生物からなんだね」


「そのようだね。そして、“海の大いなる獣” も

創造されてる。

これは鯨などではなくて、海の竜なんじゃないか? とも言われてるね。僕もそう思う。

鳥には、翼竜もいたと思うんだ。

神の獣... 海のレヴィアタン、陸のベヒモス、空のジズ、という風にも言われているけど

彼らは 中世から、大悪魔のイメージが強くなってしまった。

聖書への入り口から、主は “悪魔も創造した” と

なってしまうから

ここはまず、実際に化石も残っている 恐竜がいいかもしれない。

ルカに挿し絵を描かせて入れよう」


うん、って 頷くと、ジェイドも頷いて

“drago” って書いて丸で囲む。

イタリア語でドラゴンのこと。


「“夕となり、また朝になった”?」


「もちろん。次は第六日、動物と人だ」


「まず、家畜と這うものと、地の獣だね。

“地は生き物を種類にしたがっていだせ。

家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ”」


「それから、人だ。

“われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう”」


「一番 最後に作ったけど、最初から

“他を治める者” として創造されたんだね」


「そうだね。それは、他に対する責任も負う ということだ と思う。愛し慈しむこともね」


そっか。統治者って、そうなのかもしれない。

私は また頷いて

「でも この部分は、どう書くの?」と

1章26節の “われわれ” の文字を指差した。


「そうだね。主は “唯一神” だからね。

ひとりのはずだ。

だから、この時は すでに天使たちがいて

“人をどんな形に造るか?” っていう協議がされたかもしれないね。

もしかすると、受肉する前の聖子もいたのかもしれない。話し合う天使たちの挿し絵を入れよう」


“angeli”、天使の複数形を また丸で囲む。


「次の 27節も どうする?

後の肋骨を取り出した話と、齟齬そごがあるよね?」


私がまた指したのは

“神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された”

... って ところ。


「そうなんだ。この女性は、“リリト” だという話もあるね。

リリトは、大母神キュべレの娘 だという。

キュべレは、主が抜き出した自分の悪の部分だ。

“創造主” であった主から 悪を抜き出したからこそ

善という観念も出来て、主は “善” となったけど...

うん。ともかく、この女性が リリトだった場合なんだけど、彼女は寝る時に

“自分が上位でなければイヤだった” っていう話があるんだ」


私は、ジェイドの透き通るような肌の頬の辺りから、薄い色のブラウンの眼に視線を移したけれど

彼は真面目に頷いた。


「つまり、男性側に 好きにされたくない女性だったようなんだ。

それで楽園から逃げて、天使が追って説得したけど、戻ることはなかったようだね。

今 彼女は、ルシファーの城にいるようだし」


つい「ルシファーは、その... 」って聞くと

「好きにさせてるんじゃないかな?

“父絡み” の女性だしね」と、肩を竦めた。


黒いウェイブの髪に、陶器のような白い肌

整った眉の下の、また恐ろしく整い

長く黒い睫毛に縁取られた碧眼を思い出すと

小さなため息が出た。


「それで、この箇所は どうするの?」


私がまた、“男と女とに創造された” という箇所を

指差すと、ジェイドは

「そう。それなんだけど、次の2章に

人の造り方の話が詳しく出てくるよね?

“土のちりで男を造って、肋骨を抜いて女を造った”

って。

実際は、その概要を先に言ったんじゃないかな?

1章は、“天地の全てを六日で造った” という話で

“第六日に人も造った”

2章で、その “造り方” を書いた」と

自分の膝に頬杖を着いた。


「リリトは?」


「もしかすると、肋骨を抜く前に

土の塵から造られた男といたのかもしれないね。

ただ、混乱を招くといけないから

“神は自分のかたちに人を創造された” だけにしよう」


さっきの丸で囲んだ “angeli” の後に

その 一文だけを書いた。


「それから、祝福しているね。

“生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。

また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ”

この時は、もう人は 一人じゃなくて

複数いる って感じがするね」


「そうだね。“種を結ぶ草” や “種のある実を結ぶ木” を、“あなたがた” に与える、とあるからね。

獣や鳥、地を這うものには “青草” が、食物として与えられた」


「“夕となり、また朝となった”」


「第六日だ。

休息日は2章からだね。

“こうして天と地と、その万象とが完成した”。

“創造のわざを終わって” 、“第七日は休息”。

第六日の、人の造り方に触れてあるから

その辺りも入れておこう。

“主なる神は土のちりで人を造り、

命の息をその鼻に吹きいれられた。

そこで人は生きた者となった”」


「言葉で造ったんじゃないんだね?」


「そうだね。

人だけは最初から、主が手で身体を造って

自分の息... 霊を込めたんだ。

そうして、言葉で造ったすべてのものを治めさせた。エデンの園に、造った人を置いた」


「それから、“見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、

更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とを

はえさせられた”

園を潤すための、ピソン、ギホン、ヒデケル、

ユフラテの、四本の川が流れた」


「生命の木や善悪の木、他の木々と川も

挿し絵にしよう。エデンの園の絵だ。

人に園を耕させ、守らせたとあるね。

そして、“あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。

しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう” と、忠告してる」


「どうして、食べてはならない木を置いたんだろう?」


「ルールを守ることを教えたかったのかもしれないね。

きっと、“食べていい” と言われた 他の木より

いい匂いがして、おいしそうだったんだろうけど

誘惑に勝って、食べずにいてほしかったんじゃないかな?」


そっか... それはあるかもしれない。

したくても、しちゃいけないこともある ってことを、教えるためだったのかも。


「今度は、“人がひとりでいるのは良くない。

彼のために、ふさわしい助け手を造ろう” と

わざわざ “野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、

彼がそれにどんな名をつけるかを見られた” って

すでにいる動物や鳥を、土で造って持ってきて

名前を付けさせている」


「父のものとする “聖別” みたいだね。

こうして、動物や鳥を人のものにしたのかな?」


「そうかもしれない。だけど、動物や鳥は

人にふさわしい助け手じゃなかったようだね。

それから、肋骨の話だ」


父なる主は、人を深く眠らせて

その あばら骨を 一つ取ると、そこを肉で塞いだ。

そうして、あばら骨から ひとりの女を造り

人のところへ連れてこられた。


「... そのとき、人は言った。

“これこそ、ついにわたしの骨の骨、

わたしの肉の肉。

男から取ったものだから、これを女と名づけよう”

“それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、

恥ずかしいとは思わなかった”」


“これは 女だ” って、目を開いたアダムが言うところを

想像すると、よくわからない 小さな息をついた。


「2章までは終わったね。休憩しようか?」


ジェイドが笑って、文字が眠るメモを折ったから

私も聖書を閉じて、長椅子を立った。

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