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「... 皇帝、あれ は?」


聞く声が掠れる。

祭壇の周辺に座る、赤く汚れたローブの男たちは

口から生えた赤い百合に 顔を覆われ、エジプト神のラーやバステト、獣頭人身の花の神のように見える。


「血の花だ」


皇帝はオレに、笑って答えた。


周囲に座った裸のままの参加者からも

花が開き続けている。

広場に溢れた色は、炎に影を揺らす。


広場中央では、モレクが首と腕を 大いなる鎖に巻かれ、鎖を握るミカエルの 隣に立つ月夜見キミサマが 三ツ又の矛で地面を突いた。


矛の下から闇色の靄が染み出して 地面を這うと、モレク足の先から取り込んでいく。


「無駄だ」


牛の頭蓋の下から、くぐもった声がした。

頭蓋には染み入った靄は、モレクの足を取り巻いているが、肉体には染み入ることがないようだ。


月夜見の靄は、天使にも染み入る。

秩序のために 異教神同士の制約があるのか

モレクも靄も “サタン” だからなのか...


「触れることは出来ない」と、ベルゼが 眼鏡の奥の眉ねを寄せ、ワインの眼をしかめた。


「天に連行する」


エデンのゲートを消したミカエルが

天の門を開こうとするのを、皇帝が手で止め

朋樹を振り向いた。


白い鳥の式鬼を飛ばすが、モレクの皮膚を掠め裂いても、傷は すぐに修復された。

無数の炎の蝶を飛ばし、ルカが風で巻くが、炎が止むと 焼けた肌も修復されていく。


「クソ! 弱ってんじゃねぇのかよ?!」


朋樹が また式鬼札を出すと

「待て... 」と、祭壇の近くでシェムハザが言う。

眼は、ローブの赤い百合の顔の 男のひとりに向いている。

その男は、何かに弾き跳ばされたように地面に倒れていた。


「風が巻いた時に、吹き飛ばされた」


どういうことだ... ?


「攻撃が跳ね返るようだ」と、ハティが呟く。


... 河川敷で、ミカエルが モレクの幽体に切り付けると、天衣が裂けた。

奈落からモレクの身体を出した時は、風の精を使ったルカが 吹き飛ばされた。


今は なんで、攻撃した本人にでなく、他のヤツに跳ね返るんだ? 儀式をしていたヤツらに...


「黒蝗に憑かれた奴等だ」と、ボティスが言った。

「そいつ等の身体の中には、黒蝗がいる」


モレクが幽体の時、河川敷では 攻撃されると身体から死んだ蝗を落として、また蝗を吸収していた。

ミカエルが剣で切り付けた時や、浅黄が薙刀で突いた時。

それから、精霊となって出た胡蝶が 手首を握り千切った時に。


ローブを着た男たちは、ボティスが言うように モレクの黒蝗に憑かれているようだ。

モレクとの間に、繋がりがある。


ジェイドに「ナイフ」と 手のひらを向け、黒柄のナイフを受け取ったボティスが、ミカエルの隣... モレクの正面に立ち、モレクの顎の下にナイフを突き付けた。


大いなる鎖に巻かれていても、ボティスが鎖に弾かれない。

聖職者のジェイドのナイフだからだろうか?

でも モレクの喉を突けば、ローブの男の誰かが

喉を突かれるんじゃないのか... ?


「“身代り” を立てるのは 何故だ?」


ボティスが聞くが、モレクは牛の頭蓋の下で沈黙している。


「何故、攻撃した本人に跳ね返さん?

“出来なくなった” のか?」


モレクは黙したままだが、モレクの背後に立つ

ハティが

「... 身体と幽体が離れていなければ、跳ね返せないということか?」と、気付いたように言う。


そうか...  河川敷では魂や幽体だけだったし

一の山で、ルカが 跳ね返りで吹き飛ばされた時は

牛の頭蓋に残った魂は、まだ モレクの身体に戻っていなかった。


でも今、もし また身体を抜け出しても、ベルゼに大部分の魂を吸収されたせいで 頭蓋に籠るしかなくなる。

そうすると、身体は鎖に捉えられているし、また頭蓋に魂を拘束される恐れもある。

身体を抜ける訳にもいかねぇんだ。


「それならだ、お前が蝗を退いて、身代わりを解放したらどうなる?

攻撃をされると、もう 受けるしかなくなるのか?」


モレクは答えない。

けど もし、身代わりとの繋がりを解消しても モレクには攻撃が届かない... としても

繋がりを解消... 蝗を出せば、身代わりのローブの男たちに 攻撃が跳ね返ることはなくなる。


「印が見つかれば、蝗を出せるかも」と、ルカが赤い百合の人たちの前に しゃがみ込み、筆でなぞるべきものを探す。


「いや、子供からだ」と、祭壇に向かって立つ

アコが言った。

「触れられない。祭壇から 抱き上げられない」


「あ? どういう... 」


赤い百合の人を避けて アコの隣に立ち、ハーフケットに包まれたまま眠る 小さな男の子に手を伸ばすが、空気の膜があるかのように抵抗されて、触れることが出来なかった。


ルカが立って、祭壇の向こう側に回り、男の子を凝視するが、首を横に振る。


「... それは、私に捧げられた 贄だ」


ボティスが突き付けるナイフの先で、モレクが

くぐもった声で言った。


「触れられるのは 私だけだ。さあ、火に通せ」


赤い百合のひとりが、ふらりと立ち上がった。

生贄を屠る役だった ナイフを持ったヤツだ。


血にまみれたローブと同じように、柄まで血まみれのナイフと手。

オレとアコの向かい、モレク像の腹の火と 祭壇の間にいる ルカに近付いて行く。


ルカが蹴ろうと身構えた時に、赤い百合の男は祭壇にナイフを振り上げた。ルカにじゃない...


間に合わない... と 思った時に、男の皮膚が破裂した。

血肉とナイフを地面に落とし、赤い大輪の百合と 骨が崩れ落ちる。


皇帝だ。


「何をしている? いつまで遊んでいるんだ?」


「人を... 」と、ジェイドが言い

ミカエルが振り返る。


「俺の “罪を量る” か? ミカエル」


悪魔や天使は、人間を傷つけることを許されていない。

だけど今 皇帝は、この子を救った。


「ジェイド。悪魔や天使なら滅してもいいが

お前と同じ人間だけは駄目だと?」


ミカエルが「... いや。それは異教徒だ」と 秤を出さずに前に向き直る。

ジェイドは、何も答えられなかったが

オレが聞かれていても、答えられなかっただろう。

ルカが 地面の血肉にまみれた骨から 眼を逸らした。


もし、シェムハザやハティと、知らない人間の

どちらかしか救えないようなことがあるとして、

その選択を迫られたら

オレは、シェムハザやハティ... 悪魔を選ぶ。


けど、知らない人間であっても

今こんな風に、目の前で 人が殺されたことは

ショックだった。

奈落の牢獄では、悪魔が同じように殺戮されても

ただ、皇帝や状況が怖いと思っただけだった気がする。今とは 違うショックだった。

種が違っても、同じ命のはずなのに。


「同種をかばうのは当然のことだ。気にするな」と

シェムハザが祭壇に近付き、手のひらをかざして

呪文を唱える。

祭壇から解放されるように、術を試しているようだ。


「そうだ。種の存続のために、どの生物にも同種間で 仲間意識のようなものが組み込まれてるんだ。そうじゃなくても、人間は人間を庇うべきだ」と、アコも オレとルカに言い

「印が見えないのなら、子どもに蝗は入ってない。たぶん術で固定されてる。

また赤百合たちが操作されて、皇帝に殺られるのを防いでくれ」と、肩を竦める。


オレとルカが頷き、祭壇から離れようとすると

「ハティ、お片付けしてくれないか?」と

またアコが言い、ハティが軽く息を吹く。


祭壇とモレク像の間に落ちた血肉が 白い砂になり、さらさらと地面から森へ流れ、赤百合と骨が残った。


オレらは、赤い百合の人たちが座り込む方へ行き

ルカが、筆でなぞるための印を探す。


ボティスたちの方を振り返ってみたが、身代わりの人が死んでも モレクは無傷のようだった。

モレクが自分の身を守るための 一方的な繋がりらしい。


「お前の贄だと?」


ナイフを突き付けたまま ボティスが言う。


「言っとけ。

何にしろだ、お前を殺りゃあ 祭壇のガキも解放される。

お前と身代わりに 繋がりがなくなりゃ、このまま喉を突けるが、繋がりがなくなる前でも 痛ましいことに、身代わりは破裂する恐れもある。

見ただろ? どっちしろ じきだ」 


そんなこと言うなよ...

もしまた、皇帝が破裂させたら... と、皇帝の方を見ると、皇帝の眼は モレク像の方に向いていた。

べリアルが皇帝の傍へ歩いて行っている。


ジェイドが 近くに来て「蝗は?」と聞くが

ルカは「何もねーし」と 答えた。


男たちの口から生えている 赤い百合の花びらを指でつまみ、額や瞼を見ながら探しているが、印が見当たらないようだ。


「モレクの時みたいに、胸じゃねぇか?」

「だとしたら、ローブ脱がさねーと... 」


男たちが着ているローブは、頭から すっぽりと被って着るもので、足首まで丈がある長いものだ。

脱がせるのには手間がかかる。


「ボティス、退いてくれ」という

朋樹の声に また振り向くと、朋樹が式鬼札を飛ばし、白い鳥の式鬼で モレクの右手を裂いた。


身代わりのローブの人たちを見回したが.、誰の手にも傷はない。


「式鬼なら、跳ね返らないんだ... 」


ジェイドが思い出しながら といった感じで言う。


「河川敷でも そうだった。

朋樹の式鬼だけでなく、浅黄が薙刀で突いても

二人に それが跳ね返ることはなかった」


一の山でも、ルカは吹き飛ばされたが

朋樹には、式鬼鳥の跳ね返りは起こっていない。

切り刻まれたり、焼かれたりしていなかった。


「... 贄を」


モレクが言い、オレとルカは ゾッとして眼を合わせた。追い詰められているのか

モレクは生贄を火に通して、力を取り戻す気だ。

でも また...


祭壇で術を試すシェムハザの前に アコが立つ。


少し離れた場所で立ち上がった 赤い百合の男が、

ふらりと祭壇に歩を進める。


皇帝の眼が動いた時、ジェイドが 男と皇帝の視線の間に立った。


「ジェイド... 」と、皇帝のくちびるが動く。


空気中の何かが、ジェイドの前で弾けた。

ジェイドには傷はない。


「ルシファー、待ってくれ」


ジェイドが言う間に、オレは祭壇に向かおうとする男に駆け寄り、ローブの肩を掴もうとしたが

祭壇の子に触れようとしたように、手は抵抗に合う。百合には触れられたのに...


「何とかする。信じて欲しい」


男は、ふらふらと祭壇に進んだが

アコの すぐ目の前で立ち止まった。


ジェイドの影が、男の影を掴んでいる。

影なら... でもなんで、効くものと効かないものがあるんだ?


「モレクは、この国のことを よく知らない。

たぶん この国のものに、対処 出来ないんだ。

ルカの精霊のことは知っているんだろう」


ルカの精霊は、アリゾナで縁が出来たものだけど

ジェイドや朋樹が 影を動かすことは、里で玄翁に習ったことだ。


「浅黄は... 」と聞くと「薙刀が幽世かくりよのものだ」と

こっちを向いた月夜見キミサマが答え

「俺が玄翁に授けた。故に幽身かくりみも打てる。

それらに術が効くのなら、話は早い」と、呪を唱えると、赤いユリの男たちは座ったまま 地面から伸びた木の根に足を囚われた。


「幾らかは足止めになろう。早よう蝗を出せ」と

月夜見は モレクに向き、朋樹が炎の式鬼鳥を モレクに何度も追突させている。


「探せ って言われても... 」


ルカが他の男の額や瞼なども確認するが、印はなく、ローブを脱がせるにしても 抵抗にあって触れられない。


「... 贄を 火に通せ! 私を崇めろ!」


モレクの顎、牛の頭蓋の下から、黒蝗が ざわざわと這い出し、広場へ散らばっていく。


「クソ、こいつ!」


朋樹が炎の蝶の式鬼で焼き、ボティスが天使の助力円を出した。

ハティが息を吹き、石化させて崩すが、まったく数に追い付かない。


円を蝗が通った時に「助力、ウリエル」と

ボティスが 一斉に蝗を焼いたが、焼かれる前に

裸で花を咲かせる人の耳に入った蝗がいた。


蝗が入った人が、片眼や口から花を咲かせたまま

ゆらりと立ち上がる。二人、三人...

モレクの頭蓋の下から、また蝗が溢れ出た。

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