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「高まってきたようだな」


腕を組み、広場を見守る皇帝の背後を なんとかすり抜けてきたルカが

「こないだと違わね?」と、警戒するように言った。


そうなんだよな。単に乱交を楽しんでる訳じゃない感じだ。本気でやってる感がある。


「ボティス達には... ?」と 連絡を促してみると

「広場の向こう側にいる」と、シェムハザが答えた。

さっき 皇帝がビデオ通話を切ってから、すぐに動いたみたいだ。


べリアルが歩いて見回り、背中に何か囁く度に

参加者たちの熱が高まっていく。

寒さなど 全く感じていないようで、衣類や下着を着けている人は、もう 一人もいなかった。


点在する焚き火缶の火と、祭壇に向けて集中した

ライトの間の 絡み合う参加者たちを見て

「人間の身体というのは美しい。

俺が最も愛するのは、女の窪みだ」と

皇帝が笑う。


隣でルカが「ん」と「ぬ」の間くらいの音を出したが、オレも つい噎せちまった。


シェムハザが、取り寄せたワインのグラスを皇帝に渡し、オレらには青い瓶のフレーバーウォーターを渡してくれた。

飲んでやっと、喉が渇いていたことに気付いた。


オレンジフレーバーの冷たい水を飲みながら

余計なことが頭をよぎる。


... 窪みってさ、鎖骨とか膝の裏とか か?

脇とか 骨盤の... ?


グラスに 整ったくちびるを付けた皇帝が、ワインを喉に通して、頭をよぎったものを見越したかのように、碧眼をオレに向けた。

途端にカッと顔が熱くなる。

水 飲んで また噎せた。危ねぇ...

考えるのは良くねぇな。

後で朋樹に、気枯れ式鬼 打ってもらうか...


「見ろ」と、シェムハザが

広場の入口を指差した。


「嘘だろ?!」


ルカが でかい声で言うが、オレも口が空いた。


白いローブを着た男に、牛が引かれて来る。

後には、山羊と羊、仔牛が それぞれ、同じような白いローブの男に 引かれて入ってきた。

両足を括られて暴れる鳩を 逆さにして持った男が

厚紙の重たそうな袋を抱いて歩いて来る。


「小麦粉だろう」


シェムハザが、オレらの手から からの瓶を取って消し、皇帝からグラスを受け取った。


生贄って、本当に祭壇トフェトで殺るのか?


オレらも、普段 牛肉とか食ってるけど、これは何か違う。

食うためじゃねぇし、“神に捧げるため” と言えば

聞こえはいいけど、この状況の中で それをやるのは、やる側の興奮を 更に高めるためでもあるんじゃねぇのか... ?


「人間は、俺等あくまですら凌ぐ程の狂気を眠らせている。べリアルは、大したことはしていない。

欲望を肯定しただけだ」


眠気を誘う声で、皇帝が続ける。


「ただそれだけで、狂気は目を醒まし 露出する。

赤い鮮血を知れば、その高ぶりは 最高潮に達する」


すぐ近くを、牛や山羊が引かれて行くのに

誰も気付いていない。


目の前の ひとりかふたりの身体に芯から囚われているようで、くちびるや指で、肌を撫で掴み

愛とも欲ともつかず、もしかするなら そのどちらでもない行為に没頭している。


どうしてかはわからないが、これが本来なのかもしれない... と、思考が揺れた。

誰も、相手の身体を傷つけるようなことはしていないからだ。ただ 求め合っている という感触だ。


多数だとか、知らない相手だとか、そういうことを越えている気がする。

昇華する... ということだけなら、これが その境地なんじゃないのか... ?


「... これ、殺らせるんすか?」


ルカの声で我に返ると、厚紙の袋を持った男が

祭壇の端に 袋を置いた。

暴れる鳩を白い祭壇に押し付けると、他のローブの男が 革の鞘から抜いたサバイバルナイフを渡している。


広場の向こう側にいるはずの ミカエルやボティス、朋樹やジェイドは、まだ動かない。


... 良くないんじゃないか?


シェムハザに眼を向けるけど、皇帝が

「まだハダトの気配はない」と言う。


ローブの男の背の向こうで、ナイフの刃が 鳩に当て引かれたようで「ギャッ」という音のような声がした。


参加者たちは、まだ誰も気付いていない。


ナイフを渡した男が、またナイフを受け取ると

だらりと下がった鳩から、黒く見える血をしたたらせながら、その男は祭壇の向こうへ回り

ぽっかりと空いたモレクの腹の影の中に 鳩を収めた。


祭壇を振り返った男の白いローブには、したたった 赤黒い血の筋が残っている。

祭壇から厚紙の重たそうな袋を取ると、それもモレク像の中に収める。


次に、山羊が引かれてきた。


血が落ちた祭壇に 横たわらせられ、前足と後ろ足を括られ、二人の男に 頭と臀部を押さえ付けられている。


鳩と厚紙の袋を収めた男が また祭壇を回り、ナイフを受け取った。この男は、神官役のようだ。

全ての生贄を屠る役だろう。


山羊が喉を突かれ、何度か 走るように括られた足を前後に動かすと、痙攣して動かなくなった。


神官役の男が山羊の足の紐を外し、抱きかかえて、モレク像に収めている。


また羊も同じように屠られたが、紐を外して、丁寧に収められた。

儀式として やっている... という感じだ。


白い祭壇は赤く濡れ、草のモチーフが彫られた前面にも、幾本かの血が筋を付けた。


羊を収めて振り向いた 神官役の男のローブは

ライトの先で、胸も腕も 赤く濡れ染まっている。


ようやく 祭壇の少し先で、女の上になっていた男が気付き、呆然とした顔を 祭壇の向こうに立つ赤い男に向けた。


何が起こっているのか、何をしていたのかを必死で理解しようと 頭を動かしているようだ。

現実に戻ろうとしている。


その内に 他の参加者たちも、祭壇の異変に気付き始めた。


男の背中に、黒いローブのべリアルが囁くと

男の眼には、愉悦の色が浮かび、下から首に腕を巻いてくる女に眼を向け、尚一層 励み出した。


血に濡れたナイフを持った神官が、ナイフを上に上げると、参加者たちは 何故か どの人も笑った。


引かれて来た仔牛が横たわられ、屠られると

悲鳴に似た歓声が上がり、顔を上気させ 眼を潤ませている。身体をびくびくと震わせ、堪らず到達したといったようなヤツもいる。


べリアルが囁くと、また女の肌に 口を付ける。

昇華が狂気へ すり変わっていく。


最後の牛が屠られると ノコギリが出され、神官役ではない男二人が 牛の頭部を切断し始めた。

さすがに牛一頭は、モレク像の内部の棚に収まらないからだろう。


「泰河。ルカ」


シェムハザに呼ばれて、一拍 でかい鼓動が鳴る。

儀式を見ている内に、どこかが麻痺したような感覚があったことに気付く。


ルカが片手で、自分の眼を塞いで 長い息をつく。

オレも 一度 瞼を閉じて、深呼吸した。


怖い。簡単に揺らぐ。


切断された牛の頭部が、モレク像の腹の棚に収められると、端のテントの脇に置かれていた麻袋の幾つかを ローブの男たちが 祭壇の近くまで運び

中から薪や枯れ枝、新聞紙を取り出した。


モレク像の腹の中に 固形燃料を置き、細い薪と枯れ枝を重ねていっている。


細く丸めた新聞紙の先に、ジェルの燃料を付けると、火を付け、枯れ枝や薪の下の固形燃料に差し入れた。


赤い祭壇の向こうで、モレクの腹が燃える。


「生贄が... 」


ルカが呟く。生贄は、火に通された。


... でも、赤ちゃんや子供はいなかった と

思い直そうとした時に

広場の入口から、白いローブの男が入ってきた。

ハーフケットに巻いた、小さな子を抱いて。


「ちょっと!」

「いや... 」


ザッ と 血の気が引いた。

べリアルが 男に視線を向ける。


「生きているな。眠っている」


広場に出ようとすると

「待て」と、シェムハザに止められたが

シェムハザ自身は姿を見えなくし、祭壇の隣に立った。近くにアコも立つ。


小さな子を抱いた男は、まっすぐ祭壇に向かって行く。... ミカエルは 何してるんだ? ボティスは?


「どう するんすか?」


あの子を、モレク像の両手に乗せる気なのか... ?

心臓が バクバク鳴り出す。


祭壇の前に、男が立った。


「来た」


皇帝の眼は、広場の中央に向いている。

先にいるのは、モレクだ。


黒髪に青黒い肌。袴のような黒い法衣の下を穿いている。

赤く長いトーガを前に掛け、顔には 額から模様が彫られた 二本角の白い牛の頭蓋の面。


祭壇に小さな子が寝かされると、朋樹の炎の式鬼鳥が 男を弾き飛ばした。


「地」と、ルカが地の精霊を呼び、ローブの男たちを拘束する。

アコが、祭壇に寝かされた子に 両手を伸ばした。


祭壇の脇に、光の珠が浮いて弾ける。

エデンのゲート

赤いトーガと脛当てを付けた 天衣のミカエルが

白い翼を広げ、アイボリーの階段を飛び降りる。


森の中の召喚円に、白い光の人型の精霊が降り

広場の中、参加者たちを巻くように召喚円が浮き出すと、青い光の人型の天空の霊たちが降りた。


朋樹の呪の赤蔓が、モレクの足元から這い上がり

燃え落ちては また新たに這い上がって行く。


琉地が、エデンの門から走り出て来た。

大いなる鎖の端を咥えて。


ミカエルに渡すと、ミカエルは鎖を持つ手を モレクに向けて伸ばし、短い呪文を唱えた。

艶のないゴールドの大いなる鎖は、モレクの両腕を後ろ手に巻いていく。


参加者たちは 完全に動きを止め、モレクやミカエルを見ている。


べリアルは 皇帝に顔を向け、片手を上げた。

囁きが届かないようだ。


ドン と、光の矢が落ちると

白い御神衣かんみそに 幾重もの細い翡翠の数珠を掛けた 月夜見キミサマが、ミカエルの隣に立ち

ベルゼとハティが、モレクの背後に立った。


「さて、騒がれても困るな」


皇帝は、手のひらを上に向け、その手に息を吹いた。


「泰河。聖ルカ」と オレらを呼ぶと、そのまま広場へ歩き出す。


皇帝の後に着いて 広場を出ると、向かいの森から、ボティスや朋樹、ジェイドも出てくるところだった。


「泰河... 」


ルカは、近くに座る参加者に眼を向けていた。


「は... ?」


思わず立ち止まった。


参加者の男の右眼の位置から、水色の花が咲いていた。

隣に半身を起こした女は、口が白い花になっている。


「何... ?」


さっき、皇帝が吹いた息か?


他の参加者にも視線を向けてみると、同じように片眼や口から花を咲かせた人や 耳から咲かせた人、へそや陰部の人もいる。


ピンクや黄色、アイボリーに赤や青の花が

次々と 参加者の顔や身体に咲いていく。


花を咲かせた人たちは、皆 ぼんやりとしていて

花のことなど疑問に思っている様子はなかった。

何かが抜けたような顔で、薄く笑っている。

焚き火缶の火が、花の薄い影を揺らす。


「欲望の花だ」


赤く濡れ、炎の影を映す祭壇に 碧眼を向けた皇帝が、短い呪文を唱えると、祭壇の下から細いつたの蔓が伸び出した。

蔦は、ルカの地に拘束されたローブの男たちに

這い上がり巻いていく。ルカが精霊を退いた。


するすると顔まで伸び上がった蔦の蔓の先が 男たちの耳の穴に入り込むと

「咲け」と、皇帝が くちびるを動かす。


男たちは、祭壇の周辺に力無く ぺたりと座り込んだ。開いた口に舌が見える。

舌は蕾に変形しながら 長く伸び膨らみ、顔を覆う程の赤い百合ゆりを咲かせた。


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