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「... 泰河。おまえさぁ、また何か考えてただろ?

真面目にヒゲ触ってたぜ」


小声気味に ルカが言う。

森は、たまに鳥か何かの声がするくらいで

静かだ。小声でも全然聞こえる。


「... 何でもねぇよ」


「... ふうん。ま、いいけどさぁ」


木で影になる暗い箇所は、スマホのライトで

多少 足元を照らして 確認しながら進んでいるが

広場の火やライトで、暗視スコープが要らない程度には明るい。けど本当なら 付けた方が

よりスパイ感は出るんだけどな...


「あれ? 琉地は?」

「テント付近の穴堀り。アンバーは飛行訓練」


そうか。好きだよな、穴堀り。

アンバーの飛距離は なかなか伸びない。


適当な所で、広場の方に近付く。

オレらは また、木の影に隠れてしゃがみ

そっと顔を出す。


広場からは、もう緊張は感じられなかった。

屋根だけのテントの間に設置された 野外用ライトと、焚き火缶の火で 明るく、何人かで集まって話している参加者たちは、皆 笑顔だ。

コンパニオンが酒を注いで回っている。


風の少ない夜ではあるけど、薪ストーブや焚き火缶、ライトの熱で 広場は相当暖かいようで

ほとんどの人が上着を脱いでいたり、前を開けていた。手で扇ぐような動作をする人もいる。


姿を見えなくしたシェムハザは、あちこちに移動して、参加者が話すことを聞いているみたいだ。


「野外パーティー、楽しそうだよなー」

「オレら、なんか寂しいよな。あっちより暗いしさ」

「マッチ売りの少女って、こーいうきぶん?」

「寂しさ的に、そこまでいってねぇだろ... 」


気を取り直して

「何かスパイらしいことがしたいよな」と

ルカと ぼそぼそ話し合う。


「もうちょい近付くか?」

「この木より広場に近い木ねぇじゃん。

やっぱり、本部に連絡じゃね?」


ルカがスマホ出して、ジェイドに電話する。


ビデオ通話にして「見えるー?」と、確認すると

『何かあったのか?』と 聞かれて

「今、こんな感じ」と、広場の様子を映した。


『参加者同士で 随分打ち解けたようだが

変わりはないみたいだね』


「そうなんだよなぁ」


ルカがオレにスマホ画面向けたので

猿の顔マネしてやったら

『いいよ泰河。そのままでも面白いし』とか

言いやがった。

ジェイドの隣から、くせっ毛が顔を出す。


『なんだよこれ!?』


ブロンド睫毛の碧眼を見開いているが、声でけぇよ。ルカが焦って音量を調節する。


『テレビみたいになってる!』


ミカエルは、ビデオ通話は知らなかったようだった。ちょっと前の榊並みだ。

榊は未だに “スマホン” って言うしさ。


「あれ?」と、ルカが何かに気付く。


「ミカエル、映ってるよな」


「あっ、そうか!

クライシのセミナー動画には映ってなかったよな!」


そういや、榊や浅黄も 写真には写らねぇけど

ビデオ通話だと映るんだよな。


ジェイドからスマホ奪ったミカエルが 口を開きかけて止め、目付きが変わった時に、背後から

「“記録” には残らないということだ」と 眠気を誘う声がした。


... 皇帝だ。


「カメラであれば、レンズ越しにも シャッターを切っても、そこに俺はいるが、フィルムには記憶されん」


今は...  一般の場合だと、フィルムはあんまり...

まぁ、言わねぇけど。


「ビデオカメラでも同じだ。映るが 残らん。

残したければ、お前の眼で見て、その手でえがけ」


絵画か...  背後から 一歩 近づいた皇帝に

ルカが「わかりました」と 多少 震える。


『何 彷徨うろついてんだよ、ルシフェル。

ルカはもう、俺の絵 描く って決まってるんだぜ。

泰河に描いてもらえよ』


やめろよ。オレも多少 震える。


皇帝は、振り向いたオレの額を じっと見て

「新進気鋭という気がしなくもないが、遠慮してやろう」って言った。

ありがたいけど、微かに切ねぇ。


「そうか、聖ルカ。ミカエルなら描くという訳か。俺ではなく... 」


皇帝は、俺とルカの間にしゃがみ、ルカの肩に腕を回した。

「うおっ...  いや... う うん、あの... 」

やっべぇ... ってツラして ふるふる震えてやがる。


『俺は、何してるんだ?って 聞いてるんだぜ?

お前の気配で、モレクが来なかったら どうするんだよ?』


「気配は完璧に消せる。俺は お前ではないからな。また、見ての通り 散歩中だが。

チェスが終了して 退屈になった」


『俺の気配は バラキエルが隠してんだよ!

ハーゲンティとベルゼブブは?』


「ワインとテレビ観戦。だが、ここも退屈だ」


皇帝は、ふう と 小さいため息をつくと

ミカエルが『ルシフェル、お前』と言いかけたが

皇帝は、通話終了のマークに触れた。


「さあ、聖ルカ。泰河」


聞き心地の良い眠気を誘う声で

「始めるか」と言うと

前を向いたまま 片腕をオレの方へ伸ばし、白い指で 顎ヒゲの先に触れる。

しゃがんだままでも眩暈めまいはするらしかった。


「べリアル」


「えっ?!」「べリアルって... 」


オレとルカが 更にビビっている内に、目の前にべリアルが立った。


皇帝ルシファー


ブロンドの髪にパープルの眼。

中性的な面立ちで、妖艶な何かを発散している。


以前召喚した時は、炎の馬車に乗って 二人になって顕れたが、皇帝に喚ばれたからか、今日は最初から 一人で、翼も無し。

フード付きの上等な黒いローブを羽織っている。


オレの視線に眼を止めると

「サリエルのローブだ。魂を刈る際の」と

ローブの胸の位置を指し、楽しそうに笑った。


サリエル。エデンでミカエルに首を落とされたが

生きている。

魂が抜け出せないように、べリアルが身体に魂を固定した。


サリエルは、リラの天使の身体を奪っていた。

エデンでオレの前に現れた時は、リラの姿だった。


「見ろ」


べリアルが片手を広げると、忽然と宙に首が浮く。

長く真っ直ぐな黒髪。ごく薄い水色の眼。

人形のような顔をした男。... 元のサリエルだ。


「戻ったんすか?!」


思わす声を上げて 自分で口を塞ぐと、顎ヒゲから皇帝の手が外れて ムッとされた。

「あっ、すいません」と謝ったが、まだ表情が変わらないので、胸の前にある白い手と握手する。


「体温が高いな、お前は」


やべぇ...

笑って誤魔化すが、手は握られて離れない。


「そう、戻った。私を堕天させた男の顔に。

毎日 少しずつ お喋りしているが、いちいち身体に繋がなければ話せない。まったく手が掛かる... 」


「聞いたところで、まだ口は割らんが」と

べリアルがサリエルの首に息を吹くと、首は消えた。

「ゆっくり楽しむとしよう」


怖ぇ。けど、手が離れねぇのも怖ぇ。

「汗ばんできてるじゃないか... 」

「すっ、すいません!」

皇帝は笑顔だ。頼む、もう勘弁してくれ。


皇帝ルシファー、これは?」


べリアルが、広場を見渡した。


「儀式だ、べリアル」


「モレク像か? ハダトの?」


二本角の牡牛の顔をしたモレクの黒い像は、白い祭壇トフェトの向こうで ライトに照らされ

両手のひらを上に向けた形で、ぽっかりと腹の穴に 暗い影を抱き込んでいる。


「そうだ。ハダトは今、弱っている。

是非 滅して、俺は父を超えるつもりだが、なかなか儀式は進まず 退屈している」


皇帝が答えると

「手伝いを?」と、べリアルが微笑む。


バアル・ヤアル」


皇帝が微笑み返すと、べリアルは楽しそうに 軽く声を出して笑い、振り返って 広場に歩いて行く。


「バアル・ヤアル って... ?」


怖々とルカが聞くと

「バアル・ヤアル... べリ ヤール という訳だ。

べリアルは堕天後、バアルとしても崇拝されていた。

天の忌むバアルの 一人となって、父をからかっていた」と、やっとオレとルカから手を離して 立ち上がった。


広場では、姿を消したシェムハザが、歩いてくるべリアルに気付いて 祭壇を立った。

シェムハザの隣にアコが立つ。


べリアルは 姿を消さずに歩いて行くが、不思議なことに、参加者の誰も 目に止めなかった。

黒いフードの姿は かなり異質だ。

着ていなければ、もっと目立ったかもしれないが。


ブランデーの瓶をテントに置きに行った コンパニオンの 一人の背後から、何か声を掛けている。

黒いロングのダウンコートを着て、赤いブーツを履いたコンパニオンの女は、べリアルに振り向き

ふわっと浮き立つように表情を変えた。

眼や口元も、発する雰囲気も 魅了された時のものだ。


べリアルが差し伸べた手に、コンパニオンが自分の手を乗せると、べリアルは祭壇に誘導する。


一度 祭壇に座らせると、女の頬を両手で包み

短い呪を唱えて くちづけた。


女は、べリアルを ぼんやりと見つめ

祭壇の上に立ち上がる。


べリアルは、すぐ近くで談笑しながら飲んでいた

参加者の男の 一人の肩を抱き、祭壇へ連れて行く。

肩を抱かれた男は、驚いてべリアルを見たが

すぐに浮き立つような眼になった。


男を祭壇の前に立たせると、べリアルはパープルの眼で 祭壇に立つ女を見つめて微笑んだ。

女がコートのジッパーを開く。

中には何も着けてなかった。白い肌がライトに浮く。


祭壇の下に立つ男が、コートを落として 肌をあらわにした、赤いブーツの女を見上げる。

男の手のブランデーのカップを べリアルが取ると

男は 女の恥丘ちきゅうの奥にくちづけて、顎を動かし出した。


「あれ、べリアルが... ?」


何か間が持たず、わかりきっていることを

ルカが聞く。


「勿論。“最もみだらな悪魔” だ」


べリアルが、カップのブランデーを 一口 飲んで

祭壇の端に それを置くと

ライトが集中する先で、女が声を洩らした。


祭壇の近くで話していた参加者たちは 呆気に取られて見ていたが、べリアルが微笑むと、一様に眼や頬を上気させる。


コンパニオンの男の 一人がコートを脱ぐと、参加者の女に くちづけ、黒いボトムのベルトの下に 女の手を誘導した。

コンパニオンたちは、このためにも集められていたようだ。この男も 上は何も着けてなかった。


他の女が、無意識といったようにコートを脱ぐと、息を荒げ出した男に べリアルが近付き、背に手のひらを当て “いいんだ” と くちびるを動かす。

男は 女の下に膝を着くと、下着の上から 開いた口で包んだ。


興奮と熱が伝染していく。

迷っているように見える参加者も、一度べリアルのパープルの眼に視線を捕らわれると、理性のタガが外れるようだ。

眼に喜びが映り、くちびるや肌に くちづけ触れながら、震える指で もどかし気に 着込んだ服のジッパーやボタンを外す。


いつの間にか、隣にシェムハザが立っていた。

アコは まだ広場に立っていて

近付いてきたべリアルに、“降参” とでも言うように、両手を自分の顔の横まで上げて 手のひらを見せている。


「シェミー」


皇帝は、シェムハザに 整った黒い睫毛の碧眼を向け、上に向けた手のひらの指を 軽く上に動かした。


シェムハザの開いた手に 本が乗る。

焦げ目がある表紙。ダンタリオンの呪文書だ。


本を開いたシェムハザが、たぶんラテン語の呪文を詠唱し「目に映る者 すべてを愛せ」と言うと

広場の熱気は さらに高まったように見えた。




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