37


「懐かしい。相変わらず退屈な場所だ」


石の壁の中は、円を描く通路になっていた。

壁には細いつたが覆う。


ところどころに内側に空いた穴が 牢になっており

穴には 鉄格子の代わりに、透き通った膜のようなものが張られていた。

膜は、外からしか破れないようだ。


さめざめと泣くような声や、喉が切れそうな叫び声が聞こえてくる。


牢獄の罪人は、身体中に鎖を巻かれているヤツや

ただ座っているヤツ、足枷だけのヤツ... と様々だが、大声で叫び通しだったヤツも、皇帝が通ると

口をつぐんで 俯いた。


「灯りもないのに、何故 見えるんだろう?」


皇帝の後ろにいるジェイドが言うと

「光も闇もない場所だからだ」と 皇帝が答えた。

外でも、空がなくて青暗いのに、視界には困らなかったんだよな。


「蔦はあるんだな」と 朋樹も言うと

「そうだ。まだ底ではない。上から伸びている。

お前達は 底無しに深い場所に、俺といるんだ」と

振り向いて くちびるで笑った。目眩したぜ。


「だが、彩りに欠ける」


皇帝が短い呪文を唱え、蔦に触れると、牢獄中の蔦に蕾が膨らみ、花びらが開いた。

手のひら大のアイボリーの花だ。

五枚の花びらに黄色い花芯。花の甘い匂い。


「俺は、千年こうしていた」


また蔦に触れると、ピンクや黄、水色の小さな小花が アイボリーの花の間に開く。

牢獄の楽園パライソだ。


「すげー... 」


「気に入ったか?」と、立ち止まった皇帝が

アイボリーの花の花芯に触れる。


「花は、エロティシズムの完璧な かたちだ。

美しい花弁の内部で、自らを愛し受け入れる」


この人が言うと、なんでも こうなっちまうよな。


「他者を必要とするのは、限りある者のみ。

永遠ではない者だ」


花芯に触れた指を、アイボリーの花びらの 一枚に滑らせ「父には... 」と くちびるを動かした。


無意味に顔が熱くなって、指から眼を反らしたが

これは “父は 俺を必要としない” と 言ってるのか?

それがわかろうと、ヤバい、なんか... ってことしか 思いつかねぇ。


「ルシファー」


声を掛けれるのは ボティスくらいだよな。

危ねぇ。また侵食されかけてたぜ。瞼 熱い。


ボティスに碧眼を向けようとしていた皇帝は

キシ という小さな音に、逆の側を向いた。


緩く円を描く通路の向こうで、緑肌に革の甲冑を付けた男が 立ち止まって、剣を抜きかけている。

悪魔だ。


「侵入しゃ... 」


言い切る前に、パンと 皮膚が破裂し、べしゃ っと 血肉が落ちた。

無駄なものが全て削げた骨だけが、崩れずに まだ立っている。


「面白いだろう?」


いや...  おもしろくは...  答え切れねぇ。


「あれで、骨は白いらしいな」


ふ と、皇帝が息を吹くと

かしゃりと骨も崩れ落ちて 頭蓋が壁に当たり

地面の 内蔵や筋肉だったものと 血にまみれた。


「今の... 」と、細い声でルカが聞くと、ボティスが頷く。やっぱり、皇帝だよな...

術なんだろうけど、何か言ってるようにも見えなかった。


「無粋な者もいたものだな。

俺が 花に触れていたというのに」


邪魔されたから ってことか?

もう、骨の芯から 震えがくるぜ。


「牢に繋がれた者は 俺をよく知っているが

牢の外にいる者は、そうでもない」


奥から足音が近付いてきた。一人二人じゃない。


「俺等が入ってきた扉は、普段ならば そう使われない扉だ。

罪人を繋ぐために牢を開ける時は、向こう側から。天の審判を受け、奈落の正門から入ると

アバドンの居城の前を通り、ここに繋がれる。

さっき入った扉は、審判を通さず、天の眼の届いていない罪人を繋ぐための裏口だ」


足音の方へ、皇帝は歩いて行く。


緩いカーブから緑肌の悪魔が顔を覗かせると

途端に肌を破裂させ、血肉と骨が崩れ落ちた。

声を出す間もない。


「良い というまで、俺の前に出るな」


皇帝が見たら こうなる、ってこと だよな... ?

緑肌の悪魔は次々に肌を破裂させ、形を失った。


「美しい花たちが。嘆かわしいことだな。

なるべく汚したくない。撒き散らさずに死ね」


ボティスが「一時的に精神を麻痺させる」と

オレらに向いて、胸に手を置き 呪文を唱える。


うなじのミカエルのクロスが熱を持った気がした。

胃が詰まったような緊張は治まったが、それでも震えながら、血にまみれた骨や髪、内臓を踏み越えて、皇帝の背を追う。


また何人かの悪魔の皮膚が破裂した。


奈落ここで俺の顔を見たのだから。仕方がない」


皇帝が見る んじゃなくて、皇帝の顔を見たから破裂する のか...

「無差別だ」という ボティスの言葉に、誰も何も答えられなかった。


「アバドンに知られちゃ具合が悪い。父が知ることになるだろう? ハダトは俺が貰う」


すれ違いもせずに、何十人もの悪魔が地面を赤く埋めた。

とっくに限界だったが、叫びたい衝動に駆られた時に「掃除は済んだ。もう顔を見せろ」と

皇帝が振り向いて微笑んだ。


「牢獄深部への扉だ」


片羽の蝶がとまる石の扉を ボティスが消失させると、皇帝は「この先には見張りはいない」と

ジェイドの肩を抱いて、円の中心部へ進む。


片羽の蝶が ぎこちなく飛び、くらりとかしいだ。


牢の膜の地面には、見えない何かが蠢く。黒蝗クロイナゴだ。

蝶は その上で、両羽となって

ひらひらと羽ばたいて昇り、空中で消えた。


「ハダト」


透き通った膜の向こうには、艶のないゴールドの鎖に巻かれた男が、瞼を閉じて立っていた。


青黒い肌に黒髪。

精悍な顔に、中の頭蓋が時々透けて見える。

黒く濃い眉と睫毛。

両端を切ったような幅広の眼のライン。

上は何も付けず、下には法衣のような黒い袴型のものを穿き、赤く長いトーガを前に掛けている。


「ボティス、膜を。解き方は扉と同じだ」


ボティスの手のひらが膜に付くと、水面のように

波紋が広がった。

片手を胸のクロスに当て、天の言葉を唱えると

膜に文字の模様の光が広がり、膜が消失する。


モレクが、瞼を開いた。


「ハダト。お前の魂の元へ」


艶のないゴールドの鎖... 大いなる鎖に巻かれたまま、モレクの身体が歩き出した。

首や肩にも巻き付いた鎖は、後ろ手に組まされた両腕にも巻かれ、地に着く端を引き摺って歩く。


やっと、モレクの身体は 牢から解放した。

次は 牛の頭蓋に封じた魂が戻らない内に、あの身体を滅することだ。

生贄を出さずに、モレクを消せるかもしれない。


牢獄深部を出て、なるべく蔦の花の下に眼を向けないようにして歩く。


皇帝は、モレクの背を見て高揚しているようで

軽く紅潮した頬で笑い

時々ジェイドに何か囁いて、髪にキスしている。


滑って転びそうになったルカを支えると

「サンキュー、悪ぃ」と 笑ったが、笑い切れずに ひきつっていた。


血肉や髪や骨を越え、ようやく最初に入った牢獄の裏口を出る。

朋樹が すぐ全員に、青い蝶の気枯れ式鬼を打ち

胸に融かした。


ふう、と 深い息をつく。

まだ奈落は出ていないが、だいぶ気分はマシだ。


モレクの身体は、迷わずに 奈落の別口に向かって歩いて行く。

このまま歩いて、拓けたところから洞窟に入れば、地上まで あと少しだ。


「... あれ?」と、ルカが立ち止まる。

「今さぁ、ミカエルの声しなかった?」


「正門から、ベルゼと入っているからな。

牢獄に 罪人護送で入ったのかもしれんが... 」


ミカエルとベルゼの役目は、オレらが牢獄から モレクの身体を出すまで、アバドンの眼と気を引いておくことだ。


「花と惨状だからな」と、皇帝が笑う。


「ミカエルが騒いで見せているんだろう。

“とういうことだ? 天が調査する!

バアル・ゼブルは、一時 天が預かる!”」


うおっ、マネまでしてみせてるぜ。

秤を提げる左手と、剣の右手まで再現だ。

しかも、清々しくハキハキしてて似てるしな。

眼付きまで凛々しい。かなりハイなようだ。


あれ? なら ミカエルは、奈落の調査まで持ち込もうとしてるんだろうか?

いや、そうすると ベルゼを天に幽閉しないとならなくなるか...


「“必要なら、俺が罪を量る!”」


まだやってるじゃねぇか。真面目な顔だ。

ボティスが爆笑して、俺もつられる。

「似てるんだけどー」と ルカも笑うと

「やめてくれ ルシファー」と ジェイドも朋樹も

顔の緊張が解けた。


「ミカエルは、俺がキスしてやると ブロンドの睫毛を見開いた。

なんと、“はじめて” だった訳だ。

紅潮し、凄まじい怒りを見せ、虹の翼を開くと

秤を投げ捨て、俺を ほぼ仕留めたが

キスは罪ではない。トドメは刺せなかった。

俺は あの顔を、生涯 忘れないだろう」


「かわいいかもしれない」と言う ジェイドに

朋樹も つい頷いているが、ちょっと笑えねぇよ。

前は “孔雀の尾羽の翼” って言ってたし

一度や二度じゃねぇんだな。まあ、皇帝だしな...


「多少 落ち着いたか?」


皇帝が立ち止まって言った。


「後は洞窟だけだ。ハダトと先に戻れ」


「えっ? どういうこと?」

「皇帝は?」


オレらが焦って聞いた時に、牢獄の方から

破壊音が響いて来た。


「俺は、ベルゼを連れて戻る」


「ルシファー」


ボティスが躊躇すると

「お前は扉を開かねば。ハダトと お前の女等を

連れて戻っておけ。

ジェイド。お前が地上で 大いなる鎖を掴め。

父の力に依れば、解けずとも掴むことは出来る。

俺が戻ったら 腕に抱け」と

黒い睫毛の碧眼と、整った くちびるで微笑む。


「オレも残る」


朋樹が肩の位置に 片手を上げた。


「アバドンは人間は傷つけられねぇはずだし。

式鬼は天使にも 幾らか効くしな」


「トモキ。花と惨状に戻ると言うのか?

なかなか似合いはするが... 」


皇帝は、いつもの口調だが

止めようとしているように見えた。


ボティスは黙っている。

皇帝も 朋樹も心配だよな。


「オレも。ミカエル、連れて帰らねぇと」


獣の血は、役に立つかもしれない。

オレが言うと、ルカが口を開きかけたが

もう随分 先にいるモレクを見て

「ん。じゃあ待ってるからさぁ。後でなー。

行こうぜ。ジェイド、ボティス」と

オレらに言って、踵を返した。
























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