36


洞窟の向こうは、古い石畳の 青く暗い街のようだった。いつくらいの時間なのかわからない。

昼や夜じゃないが、明け方や夕方でもない感じがする。


「妙な場所だな」


朋樹が気味悪そうに言う。

幽世かくりよとは違うし、冥府や常夜とこよるとも違いそうだ。

どれも 扉から見ただけだけどな」


「そうだ。天や地界、陰府ハデスとも違う」


小さな広場のような場所に出たが

道という道もなく、建物にも山にも見える小さなドームが点在し、上から伸びているつたが あちこちに垂れ下がっている。

上を見上げると 高い場所に、ばかでかく絡んだ

木の根が ひしめき合っていた。空がない。

地の底にいるらしい。


出てきた洞窟の大穴の近くや、少し離れた場所にも、蟷螂カマキリ頭たちが あちこちに倒れて 煙を上げ

草や肉が焦げたような匂いが漂っている。


「... ウリエルの助力円てさ、虫とかだけを

焼く訳じゃねぇんだな」


オレが聞くと「虫だろ?」と ボティスが笑う。

「天使の助力円だ。

悪魔には、絶大な効果を発揮する」


「アバドンって、天使じゃねーの?

あの蟷螂頭たちって、アバドン配下なんだろ?」


ルカも聞くと「極めてグレーだ。

配下には、悪魔も天使もいる」と 鼻を鳴らす。


「だが助力それも、俺には効かんのだ」と

皇帝がボティスの肩を抱く。

「俺の前で 天使の助力など...

まったく可愛い奴だ、お前は」


「効かねーのかよ... 」と ルカが震えているが

「何故だろう?」「天使の助力なのにな」と

ジェイドや朋樹も不思議そうだ。


そうだよな。ボティスがバラキエルの時に

ロザリオを差したワイン飲んで、血ぃ吐いたらしいのにさ。


「“助力” だからだ」と、ボティスが振り向けずに言う。がっしり捕まってるしな。


「そう。天使は父ではない。御使みつかいだ。

“本人” の能力ならば、多少作用し

また、父の力に依るものならば作用するが」


皇帝がボティスの顔側から 横顔を見せて

碧眼を向けて答え、ボティスのピアスを至近距離で見つめる。いとおしそうな眼だ。

いちいち すげぇよ。なかなか慣れねぇ。


「僕の場合は、しゅの力か」


皇帝の碧い眼が、またオレらに向く。


「そうだ。聖子も聖霊も父と並ぶ。地母神キュべレも」


やべ。オレ今、喉鳴って 軽く噎せた。

いきなりキュべレが出るとは... 油断したぜ。


「だが、キュべレは悪意そのものだ。

すべてが俺に通用する訳ではない。

それでも、あれは父の 一部だ。手に余る」


さらっと認めるのは

やっぱり “父” だからなんだろうな。


「今日、俺は それを超える訳だが」


モレクの身体を滅してか...


朋樹と眼が合う。

それも、具体案は何もねぇんだよな...


キミサマがいるし、いける... か?

皇帝は笑っているけど、かなり不安だ。


広場のようなところを歩いていたが

ドーム型の何かや蔦だけでなく

上から伸びて地に着く たくさんの時計台で

なんとなく、道らしくなってきた。

片羽の蝶を追う。


「さっき、蟷螂は片付けてたけど

それにしても ずいぶん警備が手薄な気がするね」


ジェイドが辺りを見回し

「ん、そうだよなぁ。奈落って人少ねぇの?」と

ルカも聞くと

「“ミカエル” が、“ベルゼ” を連れて来たからだ」と、ボティスが答えた。


「そうか、いきなり とんでもないヤツが

二人も来たんだし、そっちに回るよな」


朋樹が言って、オレらも納得した時に

木の根の地底の天井から伸びた 蔦が揺れ出した。


御出座おでましか」


ボティスと皇帝が立ち止まる。


揺れた蔦の下に立ったのは

さっきと違って、頭も人型だ。


「堕ち損ないの天使達だ」と、ボティスの肩を

離した皇帝が、両腕を軽く広げて笑う。


「天使?」と、朋樹が そいつらに眼を向ける。


翼のない天使たちは、皇帝を見て怯んだようだ。

まさか... と いったように立ち竦んでいる。


ボティスが 皇帝の下に防護円を敷き

朋樹が、炎の蝶の式鬼札を飛ばすと

ルカが風で巻く。炎の竜巻が四人くらいを飲み込み弾き跳ばした。続けて飛ばす白い鳥の式鬼が

向かってきた天使の肌を切り裂いていく。


「ルカ」


ジェイドが投げ渡したスマホの画を

ルカが地の精で四つの召喚円を石畳に刻み

「カルネシエル、カスピエル、アメナディエル、デモリエル」と 天空の精霊を召喚すると

天空の精霊... 光の人型たちが

周囲に敷いた四つの召喚円の中に立った。


天空の精霊や霊は、善でも悪でもない。

火傷や 裂かれた傷を負った天使、まだ無傷の天使も、精霊解放するまで

使役するジェイドの許可がなければ

四方の内側には入れない。


「テウルギアか。四方位。

シェミーに仕込まれたな」


防護円の中で腕を組む皇帝は、ちょっと面白くなさそうだ。妬いているらしい。


「俺の周囲に寄れ。

ジェイド、泰河の右肩に手を置け」


言われた通りに皇帝の周囲を囲むと

めいが利くのか?」と

ボティスが皇帝に聞く。


「お前達は、クロスにミカエルの加護を受けた。

そして俺がここにいる」


わからん。オレだけじゃなく

ルカも わからんて顔だが、ジェイドも朋樹も

似たような顔になってるだろうと思う。


腕を組んだままの皇帝は、精霊の名を呼び

「地皇帝ルシファーだ。偉大なる天使ミカエルと

新たなる神の元に、御使いの殲滅を命じる」と

言うと、聞いたことのない音がした。


例えるなら、光が鳴る音だ。


四方の精霊たちが光ったかと思うと

外にいた天使たちは、一人残らず消滅していた。


そのまま、精霊たちも解放され

オレらだけが残った。


「何をしたんだ?」


まだオレの肩に手を置いたまま、ぼんやりと

ジェイドが聞くと

「最近の書で言えば、レメゲトンだろう?

アルス テウルギア ゲーティア。

テウルギアとは、ギリシア語で

“神を動かす” の意だ」と

皇帝が防護円を出て、ジェイドの肩を抱く。


レメゲトン。ソロモンの魔導書だ。

ゲーティアが72柱の悪魔の使役。

アルス テウルギアは、天空精霊の使役。


「お前が守護のために召喚した精霊に

天使殲滅の命を出した。

父がキュべレを取り出してからというもの

善でも悪でもない天空精霊は、天からは悪魔と見なされるが、清められた信仰心のある者でしか

召喚は出来ん。そして、神の名に依り使役する。

さて、不完全なる蝶の導きに従い、先へ進む」


羽ばたき続ける蝶の後を追って歩きながら

ボティスが補足することには

いつもシェムハザが使役する青い光の人型は

天空霊であり、これは悪魔にも使役が出来るが

ジェイドが召喚する白い光の天空精霊は

天使や、信仰心を持つ人間にしか召喚出来ないようだ。もう天使ではなくなったシェムハザにも

喚ぶことは出来ない。


また、守護以外のことに使役する場合は

神の名に依って命を出す。


「皇帝は、自分の名とミカエル

お前の獣の血に依って、精霊を使役した」


「新たなる神って、あの獣なのか?」


朋樹が確認するように聞くと

「そうだ。皇帝は獣の出現を予言したと言っただろ?」と ピアスをはじく。


「天使たちは、精霊に分解された」


分解...  わからんが怖い。


「うわ...  獣って すげぇよなー... 」と

ルカがオレに言うが、オレは立ってただけだし

やったのは天空精霊だ。


正直さ、獣は すごくても

オレ自身には あんまり関係ない気がするんだよな。たまたま血が混じったのがオレってだけで。


だからたまに、置いてけぼりになったような

妙な気分になる。


ふいに皇帝が振り向き、碧い眼に視線を捕らわれた。まただ。胸の中の何かを刺激する。

どうして あの眼を見ちまうのか...


「考えるな」と

ボティスがオレの肩に手を置いた。


「けどさぁ、やっぱり皇帝は ヤバいよな」


ルカが ぼそっと言う。


「そういや お前、背中から抱かれてたな」


ボティスがふざけて言うと

「抱かれるとか言うなって!」と 焦ったツラだ。

自分はハツコイとか口に出すクセにな。


「そうか。どうヤバいのか言ってみろ」

「もう、うるせーし! よく知ってんだろ」


ケラケラとボティスが笑ってると

「ああ、気持ちいいんだろ?」と 朋樹が言いやがったので、間髪入れずに 肩固めてやった。

「がッ!」

「きゃあああっ! ちきしょう、やめろ朋樹!」と

ルカも騒いで「うるせぇ」と ボティスに叱られている。


「やめろ泰河!」と

朋樹が式鬼札出しやがったから、腕は解く。

負けるしさ。


「うるせぇ。

とんでもねぇこと 口走るんじゃねぇ」


口に出して良いことと悪いことがある。

まだ負けてねぇから、クールに返すぜ。


「痛ってぇな、クソ...  だって、そうなんだろ?

キミサマはシェムハザみてぇにわきまえてるけど

ベルゼもヤバいぜ。

髪触られるだけで、なんかゾクゾクしたしな。

オレ、自分は禊げねぇし」


「おまえ... 」


軽く殴って目を覚ましてやろうとしたら

カウンター気味に腹蹴られて、オレがよろける。

くそ。最近多いな。


「結界張る云々うんぬんじゃなくて

“信仰ないとヤバいぜ”って話だ。

おまえら ないから、ちょくちょくミカエルに寄っとけよ」


そういうことか...


「なるほどなー! オレ、朋樹が目覚めたのかと思って、ドキドキしたぜー! そっちにさぁ」


「いや、ガキの頃からの信仰がなきゃ

たぶん簡単に イカれてるぜ、マジで。

オレ結構、甘いやつに弱いな。最近知ったぜ」


ボティスが朋樹につまらなそうな眼を向ける。


「そうやって口に出せる奴は、大丈夫なんだよ」


じゃあ今、なんで そんな眼なんだよ...


「見ろ」


ジェイドを片腕に皇帝が振り返る。

ジェイドは 普通の顔だ。余裕さえ見える。

皇帝は手ではなく、ジェイドの肩のクロスに当たる胸から煙を上げているが、相変わらず美形で

上機嫌だ。


「俺じゃない」


あ、“見ろ” って 違うのか。

「扉だ」と、ボティスが 皇帝の背後に指を差す。

オレらは皇帝見てたぜ。


皇帝の背後には、蔦が這う石の崖のような壁があった。片羽の蝶が壁にとまっている。

壁は、天井から地面まで繋がっていて

でかい円柱型になっているようで、側面は

なだらかにカーブしている。


「この先に牢がある。ボティス... 」


皇帝に呼ばれたボティスが、奈落の別口を開いた要領で、クロスと壁に手をつき 天の言葉を唱え

壁にしか見えない扉に、光の文字模様を浮かせて消失させた。蝶が中へ羽ばたいていく。


バアル・ハダト... いよいよ お前の骨肉を手に入れる」


牢獄に、上等な黒い刺繍のブリーチズとブーツの長い脚で 踏み入ろうとする皇帝を

「ルシファー、俺が先に」と ボティスが止めたが

「心配するな。眼に入る者はやる」と

高揚した顔で答え、石壁の中へ入って行った。

























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