38


「何故だ?」


残ったオレと朋樹に、皇帝が聞く。


「別に... 戻っても役割ねぇし、退屈だから」

「本当は あいつらも残りたかったと思うんすけど。オレら、揃って帰るの好きだし」


下手すると、皇帝はまた ここに繋がれる。

ミカエルも 二人はかばえないだろう。


胸まである黒いウェーブの髪の前で 腕を組んだ皇帝は、「後ろで震えてただろう?」と 小さく首を傾げるが

「邪魔にならないようにするんで」

「一人で戻ることもないんじゃないすか?」と

食い下がると、ふ と 表情を緩めて笑った。


「いいだろう。揃って帰るとしよう」と

牢獄へと歩き出すのを 朋樹と追う。


なんか、いつもと ちょっと違うよな... って

朋樹と眼を合わせていると

「人間の お前達に心配されるとは」と

楽しそうに言った。 照れてるのかも しれん。


背中を見せて歩いていた皇帝が 立ち止まり、黒い刺繍入りのジャケットから出る手の甲をオレらに見せる。 止まれ ってことか?


すぐに爆発音が鳴ると、牢獄の裏口と 一部が吹き飛び、アバドンの配下らしい天使の何人かが 地面に転がった。


腰まで黒髪を伸ばした 場違いなレザーのタイトなワンピースを着た女が、吹き飛んだ牢獄の裏口から、後ろ向きに下がって出てきた。


黒いピンヒールの膝上丈のロングブーツに

ぴったりと身体に沿うホルターネックの黒いレザー。 背中が出ていて、丈もクソ短い。


「なんだ、あのボンデージの姉ちゃん」


皇帝の隣に並び、朋樹が肩透かしを食らったように言うが、そっち系だよな。

肘の上まであるレザーグローブも着けてるしさ。


「狂ったのか、ミカエル!」と 姉ちゃんが叫ぶと

剣を抜いて、先を姉ちゃんに向けながら

ミカエルが出て来た。えー...


「アバドンだ」


皇帝に顔ごと向け、確認の視線を送ると

“何か?” って風に 頷いた。 マジか...


ミカエルの後ろからは、ベルゼだ。

両手に枷を嵌められ、細い鎖の先が ミカエルの左手首に繋がっている。


「俺は、“ゼブルは 天で預かる” と言ってるんだぜ? 牢獄の惨状の説明をしろよ。

花まで咲かせやがって」


皇帝のマネ通り会話が為されたらしい。

アバドンからしたら、牢獄のことは 晴天の霹靂へきれきだよな。花とか特に。


「あの有り様だ。当たり前だろ?」


「私も、今 知ったことだ。侵入者が... 」


ミカエルが オレらに眼を止めた。

“なんで居る?” ってツラだ。


「居る方がマズイようだ」と 皇帝が楽しそうに笑うが、状況がわかってない訳は ないよな?


「静かに 帰る、とか... 」


朋樹が言うが

「ミカエル抜きでは、扉が開かない」とか

言った。


「ミカエルが動けなければ、ベルゼブブを拐い

正面突破する気だった」


嘘だろ...


「動くなよ、アバドン!」


ミカエルが アバドンに剣を突き付ける。

誤魔化すのに必死っぽいな。ごめん、ミカエル...


「まさか、深部には侵入されてないだろうな?」


アバドンは答えない。答えられねぇよな。

わからねぇんだしさ。


「そんな報告は... 」


「花の報告もなかっただろ?

報告する奴等が軒並ノキナミやられてるからな」


「... ルシファーだ」


アバドンが言うと、ミカエルは

「何言ってるんだ?

ルシフェルが奈落ここに入れる訳ないだろ?」と

剣の刃をアバドンの首に当てた。


「あいつは 繋いでいた時、牢獄に花を... 」


アバドンが答えている時に、緑肌の悪魔たちが

牢獄から雪崩れ出て

周囲の蔦の下に 翼のない天使たちが立った。


「... 万事休すだ。ミカエル」と、ベルゼが

手枷を外して落とし、左の手袋を取った。

ミカエルがアバドンの首に、左手の枷の鎖を巻くと、顔に剣を突き付ける。


皇帝が、オレと朋樹の肩に腕を回し、片手ずつで眼を塞いだ。

破裂音と 地面に血肉が落ちる音が響く。


手が外されると、蝿にまとわり付かれた天使が

座り込んだり 倒れたりしていた。


「ミカエル、説明を... 」


「お前がしろよ」


もう絶対にムリだ という状況なのに、ミカエルは譲らない。


たぶん、キュべレのことがあるからだ。

牢獄にはいない。でも、奈落のどこかにはいる。

アバドンは、ミカエルに捜されると困る。


... とは言っても

皇帝がいる今の状況は どうするんだ?


「アバドン。お前 何か、隠してるな?」


ミカエルが左の鎖の手に力を入れる。


「何を... ?」


突然、オレは後ろから弾き飛ばされた。

また天使だ。


朋樹が炎の式鬼鳥を 至近距離で追突させて、腰を着けさせたところに また式鬼鳥を見舞う。


オレは起き上がると、皇帝の前に立った。

アバドン配下の堕ちかけた天使でも、今は ミカエルの眼がある。

人間に無茶なことはしないはずだ。


天使は起き上がって、朋樹を腕で払い飛ばすと

オレの前に立った。


正面から片手で 首を掴まれる。皇帝がオレの肩に手を置き、何か 短い呪文を唱えた。


オレ越しに「俺の名がわかるか?」と 天使に聞くと、天使は 顔を青くしてひるんだ。

朋樹が白い鳥の式鬼を飛ばし、天使の手首を切断させた。「いけたぜ!」と、自分で驚いている。


皇帝は 肩に手を乗せたまま、後ろから左耳に くちびるを寄せ

「白く光るものはあるか?」と オレに聞いた。


天使は、地面に落ちた自分の両手と 何もない手首から先を、呆然と見合わせている。

右眼の回りに 白い焔の模様が浮き出していくのがわかる。 光るものは、天使の眉間だ。


同じように模様が浮き出した右手で、天使の眼を塞ぐように 眉間に触れると、しゅう っと 音がして、何かが手の甲を突き抜ける。


オレの手の甲から、白い液体のような炎が 木の根の天に昇って消えると、手のひらの下の 手首の先のない天使が倒れた。


「“恩寵おんちょう” だ。天使を天使足らしめるもの」


「じゃあ この天使は、もう... 」


朋樹が、自分の手の上に倒れた天使を見る。


「天使ではない。元々 堕ち損ないだが。

そういう者等は、善とは言い難いが 悪でもない。

地上のものにも作用を受け、恩寵も離れやすい」


堕ちかけだから、朋樹の式鬼も あれだけ作用して

恩寵も取り出せたのか。

サリエルにも式鬼は作用したもんな。


天使を離れた恩寵は、天に戻るらしい。

恩寵は、聖父からの恵みのようで

人はこれを 祝福で受ける。

上級天使の恩寵は 幽閉天マティで管理されるが、固有の能力は 必要な時に天が行使する。


「それを 取り出せたのか... 」


朋樹が オレの右手の模様を見ているが、相手は堕ちかけていたし、術で恩寵に印をつけたのは皇帝だ。


「恩寵は、聖ルカの筆でも印は出せるはずだ。

堕ち損ないがいたら試してみろ。

ジェイドの祈りも効く。揺るがぬ信仰心があるからな。恩寵を刺激し、表面化しやすくなる。

だが、上級天使は その限りではない。

ミカエルなどは 確実に無理だ」


皇帝が ミカエルを指差す。


「... サタンと手を組んでいるのか?」


「アバドン。俺に言ってるのか?」


ミカエルは まだ、アバドンの鼻先に剣を突き付けたままだ。


「ルシフェル。ここにいる理由を説明しろ」


こっちには顔を向けずにミカエルが言うと

皇帝は

「花を咲かせに寄った。あの殺風景な牢獄に。

他に意味はない」と 軽く肩を竦めた。

実際に こういうことをする人なんだろうし

アバドンも特には突っかかれない。


「聞いただろ? ルシフェルが簡単に入り込めるくらいだ。ゼブルは奈落ここには置けない。預かる。

言葉通りに話を聞けよ?

俺は “黙って引け” と言ってるんだぜ、アバドン」


ミカエルは、自分でベルゼを連れて来ておいて

やっぱり連れて帰る って言ってるんだよな...


「悪魔が入り込めなどするものか。

ミカエル。お前が ゼブルと共に入れたな?」


「いいや」と、皇帝が話に割って入る。

話が続くことに 飽きてきたようにも見える。


「俺が入ったのは正門からではない。

歪みに開いた別口だ。ゼブルは俺が連れ帰る。

地界の者だ。

運悪くミカエルに会っただけで、ゼブルは奈落ここに繋がれる程の罪は 犯していない。

何ならべリアルを喚ぶが... 」


いや、繋がれるんじゃないのか?

ベルゼは 伝染病を流行らせたりするらしいし

信徒だろうが信徒じゃなかろうが、無差別にやられているだろう。


「そうだ。私を繋ぐなら、審判を通してもらおう。現代では 繋がれる程 崇拝されていないし

天を侵してもいない。静かに過ごしている」


あ、そうか。たい ひと の法で繋がれるんじゃないから、人を病気にする云々の罪じゃないんだよな。

元は異教の神だから ってのと、天の法を犯していないか とか、そういう罪か。


「あの別口は、何故 開いた?」


皇帝が 眠気を誘う声で聞くと、アバドンは また少し焦ったように見えたが、オレも黙って焦った。

“キュべレが墜ちてきたから” とは 言えねぇしさ。


「悪魔などに、答える必要は... 」


「お前が言える言葉かよ?

いずれ、“底なしの淵の王” の使いになるんだろ?

地皇帝ルシフェルを王に立てなきゃ、誰を立てるつもりだ?

奈落の隅々まで、隈無く調べてもいい」


アバドンは、突き付けられた剣の先のミカエルを見上げ

「ルシファーを立てたとしても、お前には... 」と

こぼし、皇帝を「ほう」とイラつかせた。


「当たり前だろ? 黙示録は “父の計画書” だぜ?

勝つのも治めるのも 聖子や父であり、天だ。

時が満ちたら、黙って使命を果たせ」


ミカエルって、皇帝に 一切 気を使わねぇよな...

“皇帝を王に立てたって、俺には負ける” って言ってやがるし。

朋樹が 何かあったら止められるよう、一歩 皇帝に寄る。


「アバドン。

ミカエルは、ここから 私達 全員を素直に出せば、何も見なかった事にする... と言っているんだ。

ルシファーが侵入した事も、他に何かが あったとしても」


ベルゼが話を進める。


「どうせなら、ゴネるだけ ゴネりゃいい。

今から徹底的に調査する。

天に隠し事なんか無いよな?」と、ミカエルが言うと

「正門を出せ、アバドン」と、ベルゼが勧めた。


剣越しに ミカエルを見ながら

アバドンは、天の言葉で 奈落の門の扉を開いた。


「先に出ろ」と ミカエルに言われ、ベルゼが

「ルシファー」と 近づき、手が戻った 左手の手袋の手を皇帝の腰に回し、連れて 門を出る。


オレらも門に近付くと、ミカエルは アバドンの鎖を地面に落とし、まだ剣は抜いたまま 門へ歩いて来た。


「ミカエル。お前、ルシファーと... 」


「悪いか?」


ミカエルが 振り向き

「お前を暴くためだ。これで終わると思うな」と

門から出た。












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