21


「どうする?

吸収が終わるまでは、もう少し掛かるけど」


ベルゼが先の無い手首で、モレクを指す。


「案は無い。だが、逃すつもりもない。

見た目に反して、髭は割と柔らかい」


オレのヒゲ情報は要らねぇと思う。


「ハゲニト。何か案は?」


「特には」


どうするんだよ...


黒く蠢く表面をしたモレクが、炎の色に照らされるのを見ると、背や うなじが ざわざわと震えた。

気持ち悪ぃ。群がる蝿が増えたように見える。


「日本神に聞いてこよう」と、シェムハザが

顎には触れず きびすを返すと

皇帝は、まだ オレの顎ヒゲを指で触りながら

ジェイドを呼んだ。


「やあ、ルシファー」


やあ、じゃねぇ。

頼むから、顎ヒゲにツッこんで やめさせてくれ。


「また召喚したな?」


「ミカエルが降りてるから。

天に知られないように、と 思ってね」


朋樹とルカは、ミカエルや月夜見と 一緒に

ちょっと離れている。絶対ぜってぇ、逃げてやがんな...


ボティスが近付いて来ると、皇帝は ようやく

顎セクハラをやめた。助かったぜ。


皇帝ルシファー、礼を... 」


「よせ、ボティス」と ボティスを抱き締め

胸のクロスに焼かれて 煙を上げる。

もはや恒例だよな、これ。


「契約なぞも するものか」


召喚したのはジェイドだけどな...

ボティスのシャープな頬に手を当てると

親指で くちびるをなぞり

「キスも取っておこう」と、楽しそうに微笑む。

もう よくわからねぇ。

ボティスも無言で 多少 扱いかねてるほどだ。


「本当だ。柔らかい」

「うわっ」


真隣にベルゼがいた。

皇帝 見てて、気付かなかったぜ。


「あれ? 手... 」


ベルゼは、もう片方の手袋も外していたが

普通の手だった。

そういや、こないだは右手が無くなってなかったっけ?


「どっちかなんだ。両手共だと不便だから。

今日は左」


そうか。これも よくわからねぇ。


「... ふふ」

「えっ?」


「いや。吸収が進んできたから

気持ちよくなっただけ」


爽快な笑顔だ。

この人も なんか危ねぇ。要注意だな。

すげぇ大物だって聞いてんだけどな...


「ジェイド。どこへ行く?」


さりげなくシェムハザたちの方へ行こうと 背を向けたジェイドが、皇帝に止められる。


「いや、どこにも」


祭壇トフェトに座り、ブーツの脚を組んだ皇帝に

「隣に」と呼ばれ、ジェイドは

もちろん、というようなツラで隣に座った。


ボティスが「ハティ、面だが... 」とか言いながら

オレとベルゼの背後にいるハティの方へ行く。

「... 何故あんなにハイなんだ?」

「ミカエルが居ることにも興奮しているようだ」

ボティスは 納得したようだが

オレは、やばいだろ としか思えない。


「最近、教会での お前とは違うじゃないか」


皇帝は、ジェイドの背に手を添え

至近距離から碧眼の眼で 顔を覗き込んでいる。

いつもの眠気を誘う 穏やかな声だ。


「まあ、ここは教会じゃないからね。

自分に嘘をつかなくていい」


「嘘だな」


ジェイドが真顔で皇帝を見つめ返し

「なぜ?」と聞くと、オレの隣でベルゼが

“あーあ” ってツラになった。ん? なんだ?


「多分、口説かれる」


黒ぶち眼鏡を外して肩を竦めているが、眼鏡がないと ベルゼは大人顔だ。

眼鏡で雰囲気が緩くなっていたらしい。


「それ、ダテ?」


「そう。度は入ってない。

でも かけると、私はキュートになるから」


「お? ... おう。そうだな、確かに」


要注意だよな。


「ジェイド。お前は俺に

“悪魔のお前など愛さない” と言った。

俺の血にまみれた後だったというのに。

そのくせ何故、受け入れたフリをする?」


めんどうくさいから とは言えんよな...

すげぇ見てるしさ。どうすんだろな?


「怖いから」


おお?! 本心?!


「うん? いいかも」と、隣でベルゼが眼鏡を

モスグリーンのジャケットの内側にしまった。

今日のタイはべージュ系のピンクだ。


「ルシファー。僕は おまえに侵食されたくない」


二人が座る祭壇の背後、モレクの腹の炎の勢いや

松明の火は 鎮まりかけてきているが

火が揺れると、ジェイドや皇帝にかかる髪の影も揺れる。

ジェイドの ごく薄いブラウンの眼にも 炎は映るが

皇帝の眼を見つめているようで、違う何かを

見ているように見えた。


「求めるようになって、与えられても

それじゃ足りなくなる。満たされない」


あ...


思わず 視線を外に逃がす。

皇帝は、撃たれたような表情かおの横顔になった。


そこで やめてくれ と 願ったが

ジェイドは また口を開く。


「僕は、おまえになりたくないんだ」


胸が 鷲掴みされたようになる。やべぇ...

まただ。皇帝は簡単に侵食してくる。

胸は 生皮が剥けた身に風があたるように

ひりひりと痛み出した。


「俺を、拒絶するというのか?」


ベルゼは、興味深そうに観察している。

助けを求めるように 後ろを振り向くと

ボティスもハティも、感心した顔で ただ見ていたが、ボティスがオレを 後ろに引いた。


「いいや。愛さないが、拒絶もしない。

おまえの痛みとは向き合うが、飲み込まれない。

僕は、羊飼いだからね」


ジェイドの言葉に、ついまた前を向くと

皇帝は、初めて見るようなものを見る眼を

ジェイドに向けていた。

ヒリヒリとした痛みが 薄れていく。


「傍に いるよ」


急激に胸が熱くなる。

堪らずに、片手で瞼を覆った。

だめだ。涙が止まらない。

どこか満たされた。求め続ける場所でなくても

それは、芯にある大切な隙間だ。


「おい、そろそろじゃないのかよ?」


ミカエルと月夜見、シェムハザたちが来た。


朋樹がオレに「えっ? おまえ大丈夫か?」と

気枯れ式鬼を打ち、背をはたく。

ルカは思念で、ある程度わかっていたようだ。


「そうだ、そろそろ吸収は済む」と、ベルゼが

ハッとして、ミカエルからは少し離れる。

「胸が震えて 忘れていた」


皇帝は、祭壇から立ち上がると

ミカエルに歩み寄った。


「なんだよ、ルシフェル。

やりたいなら後にしろって、こないだ言っただろ? 召喚円を出るなって... 」


そのまま ミカエルにキスすると、煙どころか半身を炎に巻かれ、剣で脇腹を刺されちまって...


「おい!」


ボティスが支え、シェムハザが魂を分けているが

ミカエルは「このくらいじゃ死なねぇだろ。

お前、またイカれたのかよ?」と、呆れている。


腕組みしたハティが ため息をついてるってことは

ミカエルにキス も、過去にあったようだ。


「どういうシチュエーションだよ、それ」と

ルカが独り言みたいに言うと

「一騎打ちの時。キレて地界に蹴り落として

そのまま乗り込んでやった」と

剣を収めながら ミカエルが答えた。


「しょうがねぇ人だな... 」と

朋樹が 皇帝にも気枯れ式鬼を打つと

「シキ使い... 」と、朋樹を抱き締めている。

もう復活したし、シェムハザもボティスも

少し放っておくことにしたようだ。


「吸収し切れぬ残り というものは

頭蓋の面に宿るのか?」


ちら っと、皇帝に眼をやり

多少 警戒しながら、月夜見がハティに聞いた。

ベルゼが吸収しても残る、モレクの魂のことだ。


人のかたちだったモレクは、その象を失い

黒い蝿たちは 地面に山となって、固まり蠢いている。


「誰?」と聞くベルゼに、ハティが

月夜見尊つきよみのみこと。この国の夜の神。

こちらはベルゼブブ。元はモレクと同じく... 」と

お互いを紹介する。


ベルゼが右手を出して、月夜見と握手し

「面に宿るとは思われるが、そのまま面ごと消える恐れはある」と 説明した。


「えっ。消える恐れがある って、どうすんの?

もう吸収 終わるんだよな?」


ルカが聞くと

「この状態で喚んだのは お前たちだろう?」と

ベルゼに返される。そうなんだよな。


「だが、アサギを取り返せた。だからいい。

問題は ルシファーが、逃すつもりはないと言うが

もう時間もない ということだ」


ベルゼが右手と、無い左手の手首で

“お手上げ” して見せる。焦りはしないんだよな...


「頭蓋は、炎の中だな?」


月夜見が確認すると、ベルゼが頷き

「何か出来るのか?」と聞いた。


「まだ出来ると限らんが、封を試す」と言い

祭壇の上に立つと、なぜかルカを呼ぶ。


ルカを、自分の前... 祭壇とモレク像の間に

立たせると、自分と向き合わせ

ルカの頭に左手を乗せた。


「朋樹」と、ルカの隣に立たせるが

朋樹は炎に向き合わせる。

「祝詞を」と言うので、誰かを呼ぶようだ。


「もう吸収は終わる」と ベルゼが言い

朋樹を取られた皇帝が、ジェイドの肩を抱いて

祭壇のすぐ近くに見物に来た。

わざわざミカエルの隣だ。ミカエルは無視しているが、月夜見が軽く咳払いする。


ベルゼやハティも前の方にいるので

オレとボティス、シェムハザは

祭壇の後ろの方で見ていることになった。


少し迷ったように月夜見を見上げた朋樹に

月夜見が頷くと、朋樹が祝詞の奏上を始める。

ルカが、炎を背に瞼を閉じた。精霊を呼ぶようだ。


「... 高天原たかまのはら神留坐かむづまります、

皇親神漏義すめむつかむろぎ神漏美かむろみみこともちて皇御孫命すめみまのみことは、

とよ葦原あしはら水穂國みづほのくにを、安國やすくにたひらけくしろせと... 」


大祓詞と少し違う、と 気づいた時に

月夜見が「軻遇突智かぐつち」と呼んだ。


ルカの背の先に、白い煙が凝り出して立ち上がり

赤い影となった。みるみると炎の人のかたちになる。


「月夜見だ。兄よ、力を貸せ」


兄? で、火の神...  なら、火之迦具土神ほのかぐつちのかみ

すげぇ...


月夜見たちの母神、伊弉冉尊いざなみのみこと

この カグツチを産んだ時に、陰部に火傷を負って死んでしまう。

カグツチは、父神の伊弉諾尊いざなぎのみことに斬り殺され、その死から様々な神を生んだ。 火の神であり、死と再生の神だ。


「... ミカ?」と、なぜか皇帝が炎に言い

月夜見やボティスが言葉に反応したが

ベルゼが「もう終わるぞ」と、白い手袋を手にすると、月夜見がカグツチに

「呪面を持ち、たまを封じよ」とめいじた。


鎮火し出したモレク像の 腹の中の牛の頭蓋が

カグツチの炎の体の中に立ち上がり

胸の位置に浮いて収まった。


「終わった」と、ベルゼが手袋を左手首に着けると、地面に固まっていた蝿たちが消え

ベルゼの左手が戻る。


陽炎が渦巻いて、炎の中の牛の頭蓋に

収束していく。


月夜見が右手を真横に伸ばすと、三ツ又の矛が握られた。

矛をルカの隣に突き立てると、矛の下から

常夜とこよるもやみ出してくる。


闇色の靄は、地面を這い進み

カグツチに じわりと這い上がり出した。


「... 八百萬神やほよろづのかみ等たちを生給ひて、麻奈まな弟子おとご火結神ほむすびのかみを生み給ひて、美保止みほとやかえて、

石隱いはがくりして、は七夜、日は七日なぬか... 」


また月夜見が手を伸ばすと、でかい弓が握られる。海で見た弓ではなく、弦まで真っ黒だ。


黒羽の矢をつがえると、闇色の靄に染まった

カグツチの中の 牛の頭蓋の面に放つ。

面の額を貫いた瞬間に、黒羽の矢は消え

闇色に染まった牛の頭蓋が、炎の下に落ちた。


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